横光利一 機械 8

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問題文

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(あるときわたしはやしきにじぶんがここへはいってきたとうじかるべからかんじゃだとうたがわれて)

あるとき私は屋敷に自分がここへ這入って来た当時軽部から間者だと疑われて

(きけんなめにあわされたことをはなしてみた。するとやしきはそれならかるべがじぶんに)

危険な目に逢わされたことを話してみた。すると屋敷はそれなら軽部が自分に

(そういうことをまだしないところからさっするとたぶんきみをうたがってこりごりしたからで)

そういうことをまだしない所から察すると多分君を疑って懲り懲りしたからで

(あろうとわらいながらいって、しかしそれだからきみはぼくをはやくからうたがうしゅうかんを)

あろうと笑いながらいって、しかしそれだから君は僕を早くから疑う習慣を

(つけたのだとかれはからかった。それではきみはわたしからうたがわれたとそれほどはやくきづく)

つけたのだと彼は揶揄った。それでは君は私から疑われたとそれほど早く気附く

(からにはきみもはいってくるなりわたしからうたがわれることにたいしてそれほどけいかいする)

からには君も這入って来るなり私から疑われることに対してそれほど警戒する

(れんしゅうができていたわけだとわたしがいうと、それはそうだとかれはいった。しかし、)

練習が出来ていたわけだと私がいうと、それはそうだと彼はいった。しかし、

(かれがそれはそうだといったのはじぶんはほうほうをぬすみにきたのがもくてきだといったのと)

彼がそれはそうだといったのは自分は方法を盗みに来たのが目的だといったのと

(どうようなのにもかかわらず、それをそういうだいたんさにはわたしとておどろかざるをえないのだ。)

同様なのにも拘らず、それをそういう大胆さには私とて驚かざるを得ないのだ。

(もしかするとかれはわたしをみぬいていて、かれがそういえばわたしはおどろいてしまってかれを)

もしかすると彼は私を見抜いていて、彼がそういえば私は驚いてしまって彼を

(たちまちそんけいするにちがいないとおもっているのではないかとおもわれて、こいつ、としばらく)

忽ち尊敬するにちがいないと思っているのではないかと思われて、此奴、と暫く

(やしきをみつめていたのだが、やしきはやしきでもうつぎのひょうじょうにうつってしまってうえから)

屋敷を見詰めていたのだが、屋敷は屋敷でもう次の表情に移ってしまって上から

(ぎゃくにかぶさってきながら、こんなせいさくじょへこういうふうにはいってくるとよく)

逆に冠さって来ながら、こんな製作所へこういう風に這入って来るとよく

(じぶんたちははらにいちぶつあってのしごとのようにおもわれがちなものであるがきみももちろん)

自分たちは腹に一物あっての仕事のように思われ勝ちなものであるが君も勿論

(しってのとおりそんなことなんかなかなかわれわれにはできるものではなく、)

知ってのとおりそんなことなんかなかなかわれわれには出来るものではなく、

(しかしべんかいがましいことをいいだしてはこれはまたいっそうおかしくなってこまるので)

しかし弁解がましいことをいい出してはこれはまた一層おかしくなって困るので

(しかたがないからひとびとのおもうようにおもわせてはたらくばかりだといって、いちばんこまるのは)

仕方がないから人々の思うように思わせて働くばかりだといって、一番困るのは

(きみのようにいたくもないところをさしてくるめつきのひとのいることだとわたしを)

君のように痛くもない所を刺して来る眼つきの人のいることだと私を

(ひやかした。そういわれるとわたしだってもうかれからいたいところをさされているので)

ひやかした。そういわれると私だってもう彼から痛いところを刺されているので

(かれもちょうどいつもいまのわたしのようにわたしからたえずちくちくやられたのであろうとどうじょう)

彼も丁度いつも今の私のように私から絶えずちくちくやられたのであろうと同情

など

(しながら、そういうことをいつもいっていなければならぬしごとなんかさぞおもしろく)

しながら、そういうことをいつもいっていなければならぬ仕事なんかさぞ面白く

(はなかろうとわたしがいうと、やしきはきゅうにがんくびをたてたようにわたしをみつめてから)

はなかろうと私がいうと、屋敷は急に雁首を立てたように私を見詰めてから

(ふっふとわらってじぶんのかおをにごしてしまった。それからわたしはもうやしきがなにをたくらんで)

ふッふと笑って自分の顔を濁してしまった。それから私はもう屋敷が何を謀んで

(いようとすてておいた。たぶんやしきほどのおとこのことだからたにんのいえのあんしつへいちど)

いようと捨てておいた。多分屋敷ほどの男のことだから他人の家の暗室へ一度

(はいればみるひつようのあるじゅうようなことはすっかりみてしまったにちがいない)

這入れば見る必要のある重要なことはすっかり見てしまったにちがいない

(のだし、みてしまったいじょうはさつがいすることもできないかぎりみられぞんになるだけで)

のだし、見てしまった以上は殺害することも出来ない限り見られ損になるだけで

(どうしようもおっつくものではないのである。わたしとしてはただいまはこういう)

どうしようも追っつくものではないのである。私としてはただ今はこういう

(すぐれたおとことぐうぜんこんなところでであったということをむしろかんしゃすべきなのであろう。)

優れた男と偶然こんな所で出逢ったということを寧ろ感謝すべきなのであろう。

(いや、それよりわたしもかれのようにできうるかぎりしゅじんのあいじょうをりようしていまのうちに)

いや、それより私も彼のように出来得る限り主人の愛情を利用して今の中に

(しごとのひみつをぬすみこんでしまうほうがよいのであろうとまでおもいだした。それで)

仕事の秘密を盗み込んでしまう方が良いのであろうとまで思い出した。それで

(わたしはかれにあるときもうじぶんもここにながくいるつもりはないのだがここをでてから)

私は彼にあるときもう自分もここに長くいるつもりはないのだがここを出てから

(どこかよいくちはないかとたずねてみた。するとかれはそれはじぶんのたずねたいことだが)

どこか良い口はないかと訪ねてみた。すると彼はそれは自分の訪ねたいことだが

(そんなことまできみとじぶんがにているようではきみだってえらそうなこともいって)

そんなことまで君と自分が似ているようでは君だって豪そうなこともいって

(いられないではないかという。それでわたしはきみがそういうのももっともだがこれは)

いられないではないかという。それで私は君がそういうのももっともだがこれは

(なにもきみをひっかけてとやこうときみのしんりをほりだすためではなく、かえってわたしは)

何も君をひっかけてとやこうと君の心理を掘り出すためではなく、却って私は

(きみをそんけいしているのでこれからじつはでしにでもしてもらうつもりでたのむのだと)

君を尊敬しているのでこれから実は弟子にでもして貰うつもりで頼むのだと

(いうと、でしかとかれはひとこといってけいべつしたようにくしょうしていたが、にわかにまじめに)

いうと、弟子かと彼は一言いって軽蔑したように苦笑していたが、俄に真面目に

(なるといちどわたしに、しゅういがいっちょうしほうまったくくさきのかれているえんかてつのこうじょうへいって)

なると一度私に、周囲が一町四方全く草木の枯れている塩化鉄の工場へ行って

(みてくるようばんじがそれからだという。なにがそれからなのかわたしにはわからないが)

見て来るよう万事がそれからだという。何がそれからなのか私には分らないが

(やしきがわたしをみたさいしょからわたしをばかにしていたかれのたいどのげんいんがちらりとそこから)

屋敷が私を見た最初から私を馬鹿にしていた彼の態度の原因がちらりとそこから

(みえたようにおもわれると、いったいこのおとこはどこまでわたしをばかにしていたのか)

見えたように思われると、いったいこの男はどこまで私を馬鹿にしていたのか

(そこがみえなくなってきてだんだんかれがぶきみになるとどうじに、それならやしきを)

底が見えなくなって来てだんだん彼が無気味になると同時に、それなら屋敷を

(ひとつこちらからけいべつしてかかってやろうともおもいだしたのだが、それが)

ひとつこちらから軽蔑してかかってやろうとも思い出したのだが、それが

(なかなかいちどかれにみせられてしまってからはどうもおもうようにくすりがきかなくただ)

なかなか一度彼に魅せられてしまってからはどうも思うように薬がきかなくただ

(こっけいになるだけで、すぐれたおとこのまえにでるとこうもこっちがみじめにじりじりしゅぎょうを)

滑稽になるだけで、優れた男の前に出るとこうもこっちが惨めにじりじり修行を

(させられるものかとなげかわしくなってくるばかりなのである。ところが、)

させられるものかと歎かわしくなってくるばかりなのである。ところが、

(いそがしいしやくしょのしごとがようやくかたづきかけたころのこと、あるひかるべはきゅうにやしきを)

急がしい市役所の仕事が漸く片附きかけた頃のこと、或る日軽部は急に屋敷を

(しごとばのだんさいきのしたへねじふせてしきりにはくじょうせよはくじょうせよとせまっているのだ。)

仕事場の断裁機の下へ捻じ伏せてしきりに白状せよ白状せよと迫っているのだ。

(おもうにやしきはこっそりあんしつへはいったところをかるべにみつけられたのであろうが)

思うに屋敷はこっそり暗室へ這入ったところを軽部に見附けられたのであろうが

(わたしがしごとばへはいっていったときはちょうどかるべがおしつけたやしきのうえへうまのりに)

私が仕事場へ這入っていったときは丁度軽部が押しつけた屋敷の上へ馬乗りに

(なってこうとうぶをなぐりつけているところであった。)

なって後頭部を殴りつけているところであった。

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