「吾輩は猫である」呼ん
著者 夏目漱石
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問題文
(わがはいはにんげんとどうきょしてかれらをかんさつすればするほど、)
吾輩は人間と同居して彼等を観察すればするほど、
(かれらはわがままなものだとだんげんせざるをえないようになった。)
彼等は我儘なものだと断言せざるを得ないようになった。
(ことにわがはいがときどきどうきんするこどものごときにいたってはごんごどうだんである。)
ことに吾輩が時々同衾する小供のごときに至っては言語同断である。
(じぶんのかってなときはひとをさかさにしたり、あたまへふくろをかぶせたり、ほうりだしたり、)
自分の勝手な時は人を逆さにしたり、頭へ袋をかぶせたり、抛り出したり、
(へっついのなかへおしこんだりする。しかもわがはいのほうで)
へっついの中へ押し込んだりする。しかも吾輩の方で
(すこしでもてだしをしようものならかないそうがかりでおいまわしてさこがいをくわえる。)
少しでも手出しをしようものなら家内総がかりで追い廻して迫害を加える。
(このあいだもちょっとたたみでつめをといだらさいくんが)
この間もちょっと畳で爪を磨いだら細君が
(ひじょうにおこってそれからよういにざしきへいれない。)
非常に怒ってそれから容易に座敷へ入れない。
(だいどころのいたのまでひとがふるえていてもいっこうへいきなものである。)
台所の板の間で他が顫えていても一向平気なものである。
(わがはいのそんけいするすじむこうのしろくんなどは)
吾輩の尊敬する筋向の白君などは
(あうたびごとににんげんほどふにんじょうなものはないといっておらるる。)
逢う度毎に人間ほど不人情なものはないと言っておらるる。
(しろくんはせんじつたまのようなこねこをよんぴきうまれたのである。ところがそこのうちの)
白君は先日玉のような子猫を四疋産まれたのである。ところがそこの家の
(しょせいがみっかめにそいつをうらのいけへもっていってよんひきながらすててきたそうだ。)
書生が三日目にそいつを裏の池へ持って行って四疋ながら棄てて来たそうだ。
(しろくんはなみだをながしてそのいちぶしじゅうをはなしたうえ、どうしてもわれらねこぞくが)
白君は涙を流してその一部始終を話した上、どうしても我等猫族が
(おやこのあいをまったくしてうつくしいかぞくてきせいかつをするにはにんげんとたたかってこれを)
親子の愛を完くして美しい家族的生活をするには人間と戦ってこれを
(そうめつせねばならぬといわれた。いちいちもっとものぎろんとおもう。)
剿滅せねばならぬといわれた。一々もっともの議論と思う。
(またとなりのみけきみなどはにんげんがしょゆうけんということを)
また隣りの三毛君などは人間が所有権という事を
(ほぐしていないといっておおいにふんがいしている。がんらいわれわれどうぞくかんではめざしのあたまでも)
解していないといって大に憤慨している。元来我々同族間では目刺の頭でも
(ぼらのへそでもいちばんさきにみつけたものがこれをくうけんりがあるものとなっている。)
鰡の臍でも一番先に見付けたものがこれを食う権利があるものとなっている。
(もしあいてがこのきやくをまもらなければわんりょくにうったえてよいくらいのものだ。)
もし相手がこの規約を守らなければ腕力に訴えて善いくらいのものだ。
(しかるにかれらにんげんはごうもこのかんねんがないとみえてわれらがみつけたごちそうは)
しかるに彼等人間は毫もこの観念がないと見えて我等が見付けた御馳走は
(かならずかれらのためにりゃくだつせらるるのである。かれらはそのきょうりょくをたのんで)
必ず彼等のために掠奪せらるるのである。彼等はその強力を頼んで
(せいとうにごじんがくいとくべきものをうばってすましている。)
正当に吾人が食い得べきものを奪ってすましている。
(しろくんはぐんじんのうちにおりみくもくんはだいげんのしゅじんをもっている。わがはいは)
白君は軍人の家におり三毛君は代言の主人を持っている。吾輩は
(きょうしのいえにすんでいるだけ、こんなことにかんするとりょうくんよりもむしろらくてんである。)
教師の家に住んでいるだけ、こんな事に関すると両君よりもむしろ楽天である。
(ただそのひそのひがどうにかこうにかおくられればよい。いくらにんげんだって、)
ただその日その日がどうにかこうにか送られればよい。いくら人間だって、
(そういつまでもさかえることもあるまい。まあきをながくねこのじせつをまつがよかろう。)
そういつまでも栄える事もあるまい。まあ気を永く猫の時節を待つがよかろう。
(わがままでおもいだしたからちょっとわがはいのいえのしゅじんがこのわがままでしっぱいしたはなしを)
我儘で思い出したからちょっと吾輩の家の主人がこの我儘で失敗した話を
(しよう。がんらいこのしゅじんはなんといってひとにすぐれてできることもないが、)
しよう。元来この主人は何といって人に勝れて出来る事もないが、
(なににでもよくてをだしたがる。はいくをやってほととぎすへとうしょをしたり、)
何にでもよく手を出したがる。俳句をやってほととぎすへ投書をしたり、
(しんたいしをみょうじょうへだしたり、まちがいだらけのえいぶんをかいたり、)
新体詩を明星へ出したり、間違いだらけの英文をかいたり、
(ときによるとゆみにこったり、うたいをならったり、またあるときはヴぁいおりんなどを)
時によると弓に凝ったり、謡を習ったり、またあるときはヴァイオリンなどを
(ぶーぶーならしたりするが、きのどくなことには、どれもこれもものになっておらん。)
ブーブー鳴らしたりするが、気の毒な事には、どれもこれも物になっておらん。
(そのくせやりだすといじゃくのくせにいやにねっしんだ。こうかのなかでうたいをうたって、)
その癖やり出すと胃弱の癖にいやに熱心だ。後架の中で謡をうたって、
(きんじょでこうかせんせいとあだなをつけられているにもかんせずいっこうへいきなもので、)
近所で後架先生と渾名をつけられているにも関せず一向平気なもので、
(やはりこれはたいらのむねもりにてそうろうをくりかえしている。)
やはりこれは平の宗盛にて候を繰返している。
(みんながそらむなもりだとふきだすくらいである。このしゅじんがどういうかんがえに)
みんながそら宗盛だと吹き出すくらいである。この主人がどういう考に
(なったものかわがはいのすみこんでからいちがつばかりのちのあるつきのげっきゅうひに、)
なったものか吾輩の住み込んでから一月ばかり後のある月の月給日に、
(おおきなつつみをさげてあわただしくかえってきた。)
大きな包みを提げてあわただしく帰って来た。
(なにをかってきたのかとおもうとすいさいえのぐともうひつとわっとまんというかみできょうから)
何を買って来たのかと思うと水彩絵具と毛筆とワットマンという紙で今日から
(うたいやはいくをやめてえをかくけっしんとみえた。はたしてよくじつからとうぶんのあいだというものは)
謡や俳句をやめて絵をかく決心と見えた。果して翌日から当分の間というものは
(まいにちまいにちしょさいでひるねもしないでえばかりかいている。)
毎日毎日書斎で昼寝もしないで絵ばかりかいている。
(しかしそのかきあげたものをみるとなにをかいたものやらだれにもかんていがつかない。)
しかしそのかき上げたものを見ると何をかいたものやら誰にも鑑定がつかない。
(とうにんもあまりうまくないとおもったものか、あるひそのゆうじんでびがくとかを)
当人もあまり甘くないと思ったものか、ある日その友人で美学とかを
(やっているひとがこたときにしものようなはなしをしているのをきいた。)
やっている人が来た時に下のような話をしているのを聞いた。