卍 2

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投稿者投稿者reikaいいね0お気に入り登録
プレイ回数6順位1702位  難易度(5.0) 5571打 長文
谷崎潤一郎 「卍」
順位 名前 スコア 称号 打鍵/秒 正誤率 時間(秒) 打鍵数 ミス 問題 日付
1 もっちゃん先生 4867 B 5.1 94.6% 1074.2 5544 315 82 2025/02/09

関連タイピング

問題文

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(ごごにかえりますじぶんにもなるべくさそてくれるようにいいますのんで、でんわで)

午後に帰ります時分にもなるべく誘てくれるようにいいますのんで、電話で

(うちあわせしといて、じむしょいよったり、なんばやはんしんでまちあわしたりして、)

打ち合わせしといて、事務所い寄ったり、難波や阪神で待ち合わしたりして、

(いっしょにしょうちくざなぞいいったりしました。そういうようなあんばいでしゅじんとのあいだは)

一緒に松竹座なぞい行ったりしました。そういうような塩梅で主人との間は

(たいへんぐあいようにいってましたのんですが、あれはしがつのなかばごろでしたか、)

大変工合ように行ってましたのんですが、あれは四月の半ば頃でしたか、

(わたしほんのつまらんことでがっこのこうちょうさんとけんかしてしまいました。それは)

わたしほんの詰まらん事で学校の校長さんと喧嘩してしまいました。それは

(あのう、みょうなことですが、がっこでもでるつこて、それにいろいろのふくそうさしたり)

あのう、妙なことですが、学校でモデル使て、それにいろいろの服装さしたり

(ぽーずとりらしたりしまして、ーーにほんがのほうはらたいのでっさんはやりません)

ポーズ取らしたりしまして、日本画の方は裸体のデッサンはやりません

(ですけど、ーーそれしゃせいするじかんありますねん。ところがちょうどそのじぶんに)

ですけど、ーーそれ写生する時間ありますねん。ところがちょうどその時分に

(つこてたのんが、yこさんちゅうじゅうきゅうになるむすめさんで、おおさかではゆうめいなびじんの)

使てたのんが、Y子さんちゅう十九になる娘さんで、大阪では有名な美人の

(もでるやそうで、それにようりゅうかんのんのすがたさしまして、ーーまあ、いくらか)

モデルやそうで、それに楊柳観音の姿さしまして、ーーまあ、いくらか

(そんなふうするとらたいにちこうなりますのんで、たしょうらたいのけんきゅうもできる)

そんな風すると裸体に近うなりますのんで、多少裸体の研究も出来る

(いうわけやったのんです。わたしそれをほかのせいとたちといっしょにしゃせいしてますと、あるひ)

いう訳やったのんです。私それを外の生徒たちと一緒に写生してますと、或る日

(こうちょうせんせいがきょうしついはいってこられて、「かきうちさん、あんたのええはちょっとも)

校長先生が教室い這入って来られて、「柿内さん、あんたの絵エはちょっとも

(もでるににておらんようですな、あんたはだれぞ、ほかにもでるあるのんでは)

モデルに似ておらんようですな、あんたは誰ぞ、外にモデルあるのんでは

(ありませんか」いわれて、なんやこう、いみありげにわらわれますねん。それが)

ありませんか」いわれて、何やこう、意味ありげに笑われますねん。それが

(こうちょうせんせいばっかりでのうてほかのせいとたちも、せんせいがわらわれるあとからくすくす)

校長先生ばっかりでのうて外の生徒たちも、先生が笑われるあとからクスクス

(しのびわらいするのんです。わたしおもわずはっとしましてかおあこうなりましてんけど、)

忍び笑いするのんです。わたし思わずはっとしまして顔赧うなりましてんけど、

(どういうわけであこうなったのんかそのときはじぶんでわかれしませなんだ。いまになって)

どういう訳で赧うなったのんかその時は自分で分れしませなんだ。今になって

(かんがえますとたしかにあのときあこうになったようなきいしますねんけど、あるいは)

考えますと確かにあの時赧うになったような気イしますねんけど、あるいは

(そうでなかったかもわかれしません。しかし「ほかにもでるがある」)

そうでなかったかも分れしません。しかし「外にモデルがある」

など

(いわれましたら、そういわれるまではじぶんではいしきしてえしませなんだのんに、)

いわれましたら、そういわれるまでは自分では意識してえしませなんだのんに、

(なんやしらんはっとむねいこたえるもんありましてん。でも、そんならだれもでるに)

何やしらんはっと胸いこたえるもんありましてん。でも、そんなら誰モデルに

(したかちゅうことは、はっきりしてたのんではあれしません。ただなんやしらん)

したかちゅうことは、はっきりしてたのんではあれしません。ただ何やしらん

(あたまのなかにyこさんいがいのあるひとのいんしょうきざみついてて、yこさんをめのまえに)

頭の中にY子さん以外の或る人の印象刻みついてて、Y子さんを眼の前に

(みながら、しらずしらずそのいんしょうのかたもでるにつこてた、ーーつこうつもりも)

見ながら、知らず識らずその印象の方モデルに使てた、使うつもりも

(のうて、しぜんとふでがそのひとのすがたうつしてた、いうだけやのんです。もうせんせいには)

のうて、自然と筆がその人の姿写してた、いうだけやのんです。 もう先生には

(おわかりになっておられますやろが、その、わたしがむいしきのうちにもでるに)

お分りになっておられますやろが、その、わたしが無意識のうちにモデルに

(してたひというのんが、ーーどうせしんぶんにもでましたのんですから、)

してた人いうのんが、どうせ新聞にも出ましたのんですから、

(いうてしまいますが、ーーとくみつみつこさんやのんです。(さくしゃちゅう、かきうちみぼうじんは)

いうてしまいますが、徳光光子さんやのんです。(作者註、柿内未亡人は

(そのいじょうなるけいけんののちにもわりにやつれたあとがなく、ふくそうもたいどもいちねんまえとどうように)

その異常なる経験の後にも割に窶れた痕がなく、服装も態度も一年前と同様に

(はでできらびやかに、みぼうじんというよりはれいじょうのごとくにみえるてんけいてきな)

派手できらびやかに、未亡人というよりは令嬢の如くに見える典型的な

(かんさいしきのわかおくさまである。かのじょはけっしてびじょではないが、「とくみつみつこ」の)

関西式の若奥様である。彼女は決して美女ではないが、「徳光光子」の

(なをいうとき、そのかおはふしぎにてりかがややいた。)けどわたしは、まだそのじぶんには)

名をいう時、その顔は不思議に照り輝やいた。)けど私は、まだその時分には

(みつこさんとおともだちになってたわけではあれしません。みつこさんがようがのほう)

光子さんとお友達になってた訳ではあれしません。光子さんが洋画の方

(なろておられて、きょうしつもちごてましたよって、ものいうきかいもなかったはずです。)

習ておられて、教室も違てましたよって、ものいう機会もなかったはずです。

(ですからみつこさんのほうではわたしのかおしりなされしませなんだか、しってなさっても)

ですから光子さんの方では私の顔知りなされしませなんだか、知ってなさっても

(べつにきいにとめておられなんだのんですやろ。わたしのほうにしましてもそれほど)

別に気イに留めておられなんだのんですやろ。私の方にしましてもそれほど

(みつこさんにちゅういしてたとはおもわれしませんのですが、でもなんとのう)

光子さんに注意してたとは思われしませんのですが、でも何とのう

(すきそうなひとやいうふうにかんがえてたにちがいないのんです。それもしかし、)

好きそうな人やいう風に考えてたに違いないのんです。それもしかし、

(ものいうたことないくらいですよって、せいしつやとかきだてやとか、そんなこと)

ものいうたことないくらいですよって、性質やとか気だてやとか、そんなこと

(わかれしませんでしてんけど、ーーまあ、なんとのう、ただぜんたいのかんじ)

分れしませんでしてんけど、ーーまあ、何とのう、ただ全体の感じ

(やのんですなあ、そういえばわたしがあんがいはようからみつこさんにきいつけてました)

やのんですなあ、そういえば私が案外早うから光子さんに気イつけてました

(しょうこには、もうそのじぶんにだれからきいたいうでもなしに、みつこさんのなまえや)

証拠には、もうその時分に誰から聞いたいうでもなしに、光子さんの名前や

(おところを、ーーせんばのほうにおみせのあるらしゃどんやのおじょうさまで、すまいははんきゅうの)

お所を、ーー船場の方にお店のある羅紗問屋のお嬢様で、住まいは阪急の

(あしやがわにあるのやいうようなことまでちゃんとしってましてん。そいで)

蘆屋川にあるのやいうようなことまでちゃんと知ってましてん。そいで

(わたし、こうちょうさんにそんなこといわれましたのんで、あとでいろいろ)

わたし、校長さんにそんなこといわれましたのんで、あとでいろいろ

(かんがえてみたのんですが、なるほどそのええみつこさんににてますけど、こいに)

考えてみたのんですが、なるほどその絵エ光子さんに似てますけど、故意に

(にさしたいうのんではなし、またこいににさしたにしたところが、ぜんたい)

似さしたいうのんではなし、また故意に似さしたにしたところが、ぜんたい

(もでるにyこさんつこういうのんはyこさんのかおうつすのんもくてきとは)

モデルにY子さん使ういうのんはY子さんの顔写すのん目的とは

(ちがいますねんやろ?ただyこさんにかんのんさんみたいなすがたさして、)

ちがいますねんやろ? ただY子さんに観音さんみたいな姿さして、

(そのからだつきや、はくいのひだのぐあいけんきゅうして、なおそのうえかんのんさんのかんじだせたら)

その体つきや、白衣の襞の工合研究して、なおその上観音さんの感じ出せたら

(ええわけですやろ。yこさんはもでるおんなのなかではびじんかもわかれしませんけど、)

ええ訳ですやろ。Y子さんはモデル女の中では美人かも分れしませんけど、

(みつこさんのほうがもっとびじんで、そのええのかんじにおうてるとしましたら、)

光子さんの方がもっと美人で、その絵エの感じに合うてるとしましたら、

(みつこさんもでるにしてもさしつかいないではあれしませんか。)

光子さんモデルにしても差支いないではあれしませんか。

(ーーわたしそないおもたのんですねん。)

ーー私そない思たのんですねん。

(ところがそいからに、さんにちたちますと、またもでるのじかんにこうちょうせんせいが)

ところがそいから二、三日たちますと、またモデルの時間に校長先生が

(はいってこられて、わたしのええのまえいたちどまってにやにやわらわれますねん。)

這入って来られて、私の絵エの前い立ち止まってにやにや笑われますねん。

(そして「かきうちさん」いいなさって、「かきうちさん、どうもこのええへんですなあ。)

そして「柿内さん」いいなさって、「柿内さん、どうもこの絵エ変ですなあ。

(ますますもでるににんようになってきますね。いったいあんたはだれもでるに)

ますますモデルに似んようになって来ますね。いったいあんたは誰モデルに

(しておられるのんですか」と、ひやかすようなめつきでわたしのかおじいっと)

しておられるのんですか」と、冷やかすような眼つきで私の顔じいッと

(みつめなさるのんです。「おや、そうですかしらん。もでるに)

視つめなさるのんです。「おや、そうですかしらん。モデルに

(にてえしませんか」と、わたししゃくにさわりましたもんですから、わざとにそない)

似てえしませんか」と、私癪にさわりましたもんですから、わざとにそない

(いうてやりましてん。そやかてこうちょうせんせいはええのせんせいではないのんですやろ?)

いうてやりましてん。そやかて校長先生は絵エの先生ではないのんですやろ?

(ーーはあ、にほんがのほうのうけもちつついしゅんこうせんせいやのんで、じょうじおこしになるわけや)

ーーはあ、日本画の方の受持ち筒井春江先生やのんで、常時お越しになる訳や

(のうて、ときどきやってこられて、どこがわるいやとかここをこないせえやとか)

のうて、ときどきやって来られて、何処が悪いやとか此処をこないせえやとか

(いわれますのんで、つねはせいとたちがかってにもでるみてかいてますねん。)

いわれますのんで、常は生徒たちが勝手にモデル見て画かいてますねん。

(こうちょうせんせいいうのんは、ずいいかのほうにえいごありまして、それおせてなさるのんや)

校長先生いうのんは、随意科の方に英語ありまして、それ教せてなさるのんや

(そうですけど、がくしでもなんでもあれしませんし、どこのがっこうでられたのんか、)

そうですけど、学士でも何でもあれしませんし、何処の学校出られたのんか、

(がくれきやかいもろくろくないらしいひとやのんです。それはのちになってから)

学歴やかいもろくろくないらしい人やのんです。それは後になってから

(わかりましてんけど、きょういくかいうよりはがっこうしょうばいじょうずなひとやのんで、つまり)

分りましてんけど、教育家いうよりは学校商売上手な人やのんで、つまり

(いっしゅのやりてやのんですねんなあ。そういうこうちょうさんですからええのことなんぞ)

一種のやり手やのんですねんなあ。そういう校長さんですから絵エのことなんぞ

(わかるはずあれしませんし、よけいなくちばしいれるひつようはないのんです。それにまた、)

分るはずあれしませんし、余計な嘴入れる必要はないのんです。それにまた、

(がっかのほうはたいがいせんもんのせんせいたちにまかしきりにしてめったにきょうしつみまわることや)

学科の方はたいがい専門の先生たちに任しきりにしてめったに教室見廻ることや

(かいあれしませんのんに、そのじかんにかぎってわざわざやってこられて、)

かいあれしませんのんに、その時間に限ってわざわざやって来られて、

(わたしのええなんやかんやといいなさるのんですねん。「へえ、そうですかなあ、)

わたしの絵エ何や彼んやといいなさるのんですねん。「へえ、そうですかなあ、

(あんたはこのええこのもでるににてるつもりなんですか」と、ひにくなくちょうで)

あんたはこの絵エこのモデルに似てるつもりなんですか」と、皮肉な口調で

(いわれましたもんですさかい、こっちもそらとぼけてやりまして、「はい、)

いわれましたもんですさかい、こっちも空惚けてやりまして、「はい、

(わたしええはへたですから、にてえへんかもわかれしませんけど、でもじぶんでは)

わたし絵エは下手ですから、似てえへんかも分れしませんけど、でも自分では

(いっしょけんめいもでるのとおりにうつしましたつもりです」いいますと、「いや、あんたは)

一所懸命モデルの通りに写しましたつもりです」いいますと、「いや、あんたは

(へたではありません。なかなかじょうずにかけてます。しかしこのかおは、どうも)

下手ではありません。なかなか上手に画けてます。しかしこの顔は、どうも

(だれぞほかのひとににてるようにおもわれますね」と、またそない)

誰ぞ外の人に似てるように思われますね」と、またそない

(いいなさるのんです。)

いいなさるのんです。

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