怪人二十面相38

関連タイピング
問題文
(これで、くさかべけのやしきが、おしろのようにようじんけんごにできている)
これで、日下部家のやしきが、お城のように用心堅固にできている
(わけがおわかりでしょう。さもんろうじんは、それらのめいがをいのちより)
わけがおわかりでしょう。左門老人は、それらの名画を命より
(だいじがっていたのです。もしやどろぼうにぬすまれてはしないかと、)
だいじがっていたのです。もしや泥棒にぬすまれてはしないかと、
(そればかりが、ねてもさめてもわすれられないしんぱいでした。)
そればかりが、寝てもさめてもわすれられない心配でした。
(ほりをほっても、へいのうえにはりをうえつけても、まだあんしんができません。)
堀を掘っても、塀の上に針を植えつけても、まだ安心ができません。
(しまいには、ほうもんしゃのかおをみれば、えをぬすみにきたのではないかと)
しまいには、訪問者の顔を見れば、絵をぬすみに来たのではないかと
(うたがいだして、しょうじきなむらのひとたちとも、こうさいをしないように)
うたがいだして、正直な村の人たちとも、交際をしないように
(なってしまいました。)
なってしまいました。
(そして、さもんろうじんは、ねんじゅうおしろのなかにとじこもって、あつめためいがを)
そして、左門老人は、年中お城の中にとじこもって、集めた名画を
(ながめながら、ほとんどがいしゅつもしないのです。びじゅつにねっちゅうする)
ながめながら、ほとんど外出もしないのです。美術にねっちゅうする
(あまり、およめさんももらわず、したがってこどももなく、ただ)
あまり、お嫁さんももらわず、したがって子どももなく、ただ
(めいがのばんにんにうまれてきたようなせいかつが、ずっとつづいて、いつしか)
名画の番人に生まれてきたような生活が、ずっとつづいて、いつしか
(ろくじゅうのさかをこしてしまったのでした。)
六十の坂をこしてしまったのでした。
(つまりろうじんはびじゅつのおしろの、きみょうなじょうしゅというわけでした。)
つまり老人は美術のお城の、奇妙な城主というわけでした。
(きょうもろうじんは、しらかべのどぞうのようなたてものの、おくまったいっしつで、)
きょうも老人は、白壁の土蔵のような建物の、奥まった一室で、
(ここんのめいがにとりかこまれて、じっとゆめみるようにすわっていました。)
古今の名画にとりかこまれて、じっと夢みるようにすわっていました。
(とがいにはあたたかいにっこうがうらうらとかがやいているのですが、)
戸外にはあたたかい日光がうらうらとかがやいているのですが、
(ようじんのためにてつごうしをはめたちいさいまどばかりのしつないは、まるで)
用心のために鉄ごうしをはめた小さい窓ばかりの室内は、まるで
(ろうごくのようにつめたくて、うすぐらいのです。)
牢獄のようにつめたくて、うす暗いのです。
(「だんなさま、あけておくんなせえ。おてがみがまいりました。」)
「旦那さま、あけておくんなせえ。お手紙がまいりました。」
(へやのそとにとしとったげなんのこえがしました。ひろいやしきにめしつかいといっては、)
部屋の外に年とった下男の声がしました。広いやしきに召使いといっては、
(このじいやとそのにょうぼうのふたりきりなのです。)
このじいやとその女房のふたりきりなのです。
(「てがみ?めずらしいな。ここへもってきなさい。」)
「手紙?めずらしいな。ここへ持ってきなさい。」
(ろうじんがへんじをしますと、おもいいたどががらがらとあいて、しゅじんと)
老人が返事をしますと、重い板戸がガラガラとあいて、主人と
(おなじようにしわくちゃのじいやが、いっつうのてがみをてにしてはいって)
おなじようにしわくちゃのじいやが、一通の手紙を手にしてはいって
(いきました。)
いきました。
(さもんろうじんは、それをうけとってうらをみましたが、みょうなことに)
左門老人は、それを受けとって裏を見ましたが、みょうなことに
(さしだしにんのなまえがありません。)
差出人の名まえがありません。
(「だれからだろう。みなれぬてがみだが・・・・・・」)
「だれからだろう。見なれぬ手紙だが……」
(あてなはたしかにくさかべさもんさまとなっているので、ともかくふうを)
あて名はたしかに日下部左門様となっているので、ともかく封を
(きって、よみくだしてみました。)
切って、読みくだしてみました。
(「おや、だんなさま、どうしただね。なにかしんぱいなことがかいて)
「おや、旦那さま、どうしただね。何か心配なことが書いて
(ありますだかね。」)
ありますだかね。」
(じいやがおもわず、とんきょうなさけびごえをたてました。それほど、)
じいやが思わず、とんきょうなさけび声をたてました。それほど、
(さもんろうじんのようすがかわったのです。ひげのないしわくちゃのかおが、)
左門老人のようすがかわったのです。ひげのないしわくちゃの顔が、
(しなびたようにいろをうしなって、はのぬけたくちびるがぶるぶる)
しなびたように色をうしなって、歯のぬけたくちびるがブルブル
(ふるえ、ろうがんきょうのなかで、ちいさなめがふあんらしくひかっているのです。)
ふるえ、老眼鏡の中で、小さな目が不安らしく光っているのです。
(「いや、な、なんでもない。おまにはわからんことだ。あっちへ)
「いや、な、なんでもない。おまにはわからんことだ。あっちへ
(いっていなさい。」)
行っていなさい。」
(ふるえこえでしかりつけるようにいって、じいやをおいかえしましたが、)
ふるえ声でしかりつけるようにいって、じいやを追いかえしましたが、
(なんでもないどころか、ろうじんはきをうしなってたおれなかったのが、)
なんでもないどころか、老人は気をうしなってたおれなかったのが、
(ふしぎなくらいです。)
ふしぎなくらいです。
(そのてがみには、じつに、つぎのようなおそろしいことばが、したためて)
その手紙には、じつに、つぎのようなおそろしいことばが、したためて
(あったのですから。)
あったのですから。
(しょうかいしゃもなく、とつぜんのもうしいれをおゆるしください。しかし、)
紹介者もなく、とつぜんの申し入れをおゆるしください。しかし、
(しょうかいしゃなどなくても、しょうせいがなにものであるかは、しんぶんしじょうでよくごしょうちの)
紹介者などなくても、小生が何者であるかは、新聞紙上でよくご承知の
(こととおもいます。)
ことと思います。
(ようけんをかんたんにもうしますと、しょうせいはきけごひぞうのこがを、いっぷくも)
用件をかんたんに申しますと、小生は貴家ご秘蔵の古画を、一幅も
(のこさずちょうだいするけっしんをしたのです。きたるじゅういちがつじゅうごにちよる、)
残さずちょうだいする決心をしたのです。きたる十一月十五日夜、
(かならずさんじょういたします。)
かならず参上いたします。