太宰治 「桜桃」 3

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問題文
(わたしはかていにあっては、いつもじょうだんをいっている。)
私は家庭に在っては、いつも冗談を言っている。
(それこそ「こころにはなやみわずらう」ことのおおいゆえに、)
それこそ「心には悩みわずらう」事の多いゆえに、
(「おもてにはけらく」をよそわざるをえない、とでもいおうか。)
「おもてには快楽」をよそわざるを得ない、とでも言おうか。
(いや、かていにあるときばかりでなく、わたしはひとにせっするときでも、)
いや、家庭にある時ばかりでなく、私は人に接する時でも、
(こころがどんなにつらくても、からだがどんなにくるしくても、)
心がどんなにつらくても、からだがどんなに苦しくても、
(ほとんどひっしで、たのしいふんいきをつくることにどりょくする。)
ほとんど必死で、楽しい雰囲気を創る事に努力する。
(そうして、きゃくとわかれたあと、わたしはひろうによろめき、)
そうして、客とわかれた後、私は疲労によろめき、
(おかねのこと、どうとくのこと、じさつのことをかんがえる。)
お金の事、道徳の事、自殺の事を考える。
(いや、それはひとにせっするばあいだけではない。)
いや、それは人に接する場合だけではない。
(しょうせつをかくときも、それとおなじである。)
小説を書く時も、それと同じである。
(わたしは、かなしいときに、かえってかるいたのしいものがたりのそうぞうにどりょくする。)
私は、悲しい時に、かえって軽い楽しい物語の創造に努力する。
(じぶんでは、もっとも、おいしいほうしのつもりでいるのだが、)
自分では、もっとも、おいしい奉仕のつもりでいるのだが、
(ひとはそれにきづかず、だざいというさっかも、このごろはけいはくである、)
人はそれに気づかず、太宰という作家も、このごろは軽薄である、
(おもしろさだけでどくしゃをつる、すこぶるあんい、とわたしをさげすむ。)
面白さだけで読者を釣る、すこぶる安易、と私をさげすむ。
(にんげんが、にんげんにほうしするというのは、わるいことであろうか。)
人間が、人間に奉仕するというのは、悪い事であろうか。
(もったいぶって、なかなかわらわぬというのは、よいことであろうか。)
もったいぶって、なかなか笑わぬというのは、善い事であろうか。
(つまり、わたしは、くそまじめできょうざめな、きまずいことにたえきれないのだ。)
つまり、私は、糞真面目で興覚めな、気まずい事に堪え切れないのだ。
(わたしは、わたしのかていにおいても、たえずじょうだんをいい、うすごおりをふむおもいでじょうだんをいい、)
私は、私の家庭においても、絶えず冗談を言い、薄氷を踏む思いで冗談を言い、
(いちぶのどくしゃ、ひょうろんかのそうぞうをうらぎり、わたしのへやのたたみはあたらしく、)
一部の読者、評論家の想像を裏切り、私の部屋の畳は新しく、
(きじょうはせいとんせられ、ふうふはいたわり、そんけいしあい、)
机上は整頓せられ、夫婦はいたわり、尊敬し合い、
(おっとはつまをうったことなどないのはむろん、)
夫は妻を打った事など無いのは無論、
(でていけ、でていきます、などのらんぼうなくちあらそいしたことさえいちどもなかったし、)
出て行け、出て行きます、などの乱暴な口争いした事さえ一度も無かったし、
(ちちもははもまけずにこどもをかわいがり、こどもたちもちちははにようきによくなつく。)
父も母も負けずに子供を可愛がり、子供たちも父母に陽気によくなつく。