太宰治 「桜桃」 6

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問題文
(はっきりいおう。くどくどと、あちこちもってまわったかきかたをしたが、)
はっきり言おう。くどくどと、あちこち持ってまわった書き方をしたが、
(じつはこのしょうせつ、ふうふげんかのしょうせつなのである。)
実はこの小説、夫婦喧嘩の小説なのである。
(「なみだのたに」)
「涙の谷」
(それがどうかせんであった。)
それが導火線であった。
(このふうふはすでにのべたとおり、てあらなことはもちろん、)
この夫婦は既に述べたとおり、手荒なことはもちろん、
(くちぎたなくののしりあったことさえないすこぶるおとなしいひとくみではあるが、)
口汚く罵り合った事さえないすこぶるおとなしい一組ではあるが、
(しかし、それだけまたいっしょくそくはつのききにおののいているところもあった。)
しかし、それだけまた一触即発の危機におののいているところもあった。
(りょうほうがむごんで、あいてのわるさのしょうこがためをしているようなきき、)
両方が無言で、相手の悪さの証拠固めをしているような危機、
(いちまいのふだをちらとみてはふせ、またいちまいちらとみてはふせ、)
一枚の札をちらと見ては伏せ、また一枚ちらと見ては伏せ、
(いつか、だしぬけに、)
いつか、出し抜けに、
(さあできましたとふだをそろえてがんぜんにひろげられるようなきき、)
さあ出来ましたと札をそろえて眼前にひろげられるような危機、
(それがふうふをたがいにえんりょぶかくさせていたと)
それが夫婦を互いに遠慮深くさせていたと
(いっていえないところもないでもなかった。)
言って言えないところも無いでも無かった。
(つまのほうはとにかく、おっとのほうは、たたけばたたくほど、)
妻のほうはとにかく、夫のほうは、たたけばたたくほど、
(いくらでもほこりのでそうなおとこなのである。)
いくらでもホコリの出そうな男なのである。
(「なみだのたに」)
「涙の谷」
(そういわれて、おっとはひがんだ。)
そう言われて、夫はひがんだ。
(しかし、いいあらそいはこのまない。ちんもくした。)
しかし、言い争いは好まない。沈黙した。
(おまえはおれに、いくぶんあてつけるきもちで、そういったのだろうが、)
お前はおれに、いくぶんあてつける気持ちで、そう言ったのだろうが、
(しかし、ないているのはおまえだけでない。)
しかし、泣いているのはお前だけでない。
(おれだって、おまえにまけず、こどものことはかんがえている。)
おれだって、お前に負けず、子供の事は考えている。
(じぶんのかていはだいじだとおもっている。)
自分の家庭は大事だと思っている。
(こどもがよなかに、へんなせきひとつしても、)
子供が夜中に、へんな咳一つしても、
(きっとめがさめて、たまらないきもちになる。)
きっと目がさめて、たまらない気持ちになる。
(もうすこし、ましないえにひっこして、)
もう少し、ましな家に引越して、
(おまえやこどもたちをよろこばせてあげたくてならぬが、)
お前や子供たちをよろこばせてあげたくてならぬが、
(しかし、おれには、どうしてもそこまでてがまわらないのだ。)
しかし、おれには、どうしてもそこまで手が廻らないのだ。
(これでもう、せいいっぱいなのだ。おれだって、きょうぼうなまものではない。)
これでもう、精一杯なのだ。おれだって、凶暴な魔物ではない。
(さいしをみごろしにしてへいぜん、というような「どきょう」をもってはいないのだ。)
妻子を見殺しにして平然、というような「度胸」を持ってはいないのだ。
(はいきゅうやとうろくのことだって、しらないのではない、しるひまがないのだ。)
配給や登録の事だって、知らないのではない、知るひまが無いのだ。
(ちちは、そうこころのなかでつぶやき、しかし、それをいいだすじしんもなく、)
……父は、そう心の中で呟き、しかし、それを言い出す自信も無く、
(また、いいだしてははからなにかきりかえされたら、)
また、言い出して母から何か切りかえされたら、
(ぐうのねもでないようなきもして、)
ぐうの音も出ないような気もして、
(「だれか、ひとをやといなさい」)
「誰か、ひとを雇いなさい」
(と、ひとりごとみたいに、わずかにしゅちょうをしてみたしだいなのだ。)
と、ひとりごとみたいに、わずかに主張をしてみた次第なのだ。
(ははも、いったい、むくちなほうである。)
母も、いったい、無口なほうである。
(しかし、いうことに、いつも、つめたいじしんをもっていた。)
しかし、言うことに、いつも、つめたい自信を持っていた。
(このおんなにかぎらず、どこのおんなも、たいていそんなものであるが)
(この女に限らず、どこの女も、たいていそんなものであるが)
(「でも、なかなか、きてくれるひともありませんから」)
「でも、なかなか、来てくれる人もありませんから」
(「さがせば、きっとみつかりますよ。きてくれるひとがないんじゃない、)
「捜せば、きっと見つかりますよ。来てくれる人が無いんじゃない、
(いてくれるひとがないんじゃないかな」)
いてくれる人が無いんじゃないかな?」
(「わたしが、ひとをつかうのがへただとおっしゃるのですか」)
「私が、ひとを使うのが下手だとおっしゃるのですか?」
(「そんな、」)
「そんな、……」
(ちちはまたもくした。じつはそうおもっていたのだ。しかし、もくした。)
父はまた黙した。実はそう思っていたのだ。しかし、黙した。