坂口安吾「悪妻論」1/3

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(あくさいにはいっぱんてきなかたはない。にょうぼうとていしゅのこせいのそうたいてきなものであるから、)

悪妻には一般的な型はない。女房と亭主の個性の相対的なものであるから、

(わがひらのけんのごとく(かれはぼくらのなかまではだいあいさいかというていせつだ)

わが平野謙の如く(彼は僕らの仲間では大愛妻家という定説だ)

(せんじつりょうてをほーたいでまき、にほんがもめんぶそくでこまっているなどと)

先日両手をホータイでまき、日本が木綿不足で困っているなどと

(そうぞうもできないものものしいほーたいだ。にくがえぐられるふかでだという)

想像もできない物々しいホータイだ。肉がえぐられる深傷《ふかで》だという

(むざんなはなしであるけれども、かれのほうがにょうぼうのよこっつらを)

無慙《むざん》な話であるけれども、彼の方が女房の横ッ面を

(ひっぱたいたことすらもないというちんちゃくなるせいかく、しんえんなるしんきょう、)

ヒッパたいたことすらもないという沈着なる性格、深遠なる心境、

(まさしくあいびょうかやあいさいかのしんきょうというものはぼんぞくにはりかいのできないものだ。)

まさしく愛猫家や愛妻家の心境というものは凡俗には理解のできないものだ。

(おもうにたじょういんぽんなさいくんはいうまでもなくていしゅをこまらせる。)

思うにタジョウインポンな細君は言うまでもなく亭主を困らせる。

(こまらせられるけれども、こまらせられるぶぶんでみりょくをかんじているていしゅのほうが)

困らせられるけれども、困らせられる部分で魅力を感じている亭主の方が

(おおいので、うわきなさいくんとわかれたていしゅは、うわきなていしゅとわかれたにょうぼうどうように、)

多いので、浮気な細君と別れた亭主は、浮気な亭主と別れた女房同様に、

(おおむねわかれたひとにみれんをのこしているものだ。)

概ね別れた人にミレンを残しているものだ。

(みれんをのこすぐらいならわかれなければよかろうものを、つまり、かれ、)

ミレンを残すぐらいなら別れなければ良かろうものを、つまり、彼、

(かのじょらはあくさいとかあくていしゅというよのいっぱんのつうねんやかたをまもって、)

彼女らは悪妻とか悪亭主という世の一般の通念や型をまもって、

(こせいてきなせいさつをわすれたのだ。あくさいにいっぱんてきなかたなどあるべきものではなく、)

個性的な省察を忘れたのだ。悪妻に一般的な型などあるべきものではなく、

(いな、だんじょかんけいのすべてにおいてかたはない。こせいとこせいのそうたいてきなかげんじょうじょが)

否、男女関係のすべてに於て型はない。個性と個性の相対的な加減乗除が

(あるだけだ。わがひらのけんのごとく、せんそうをそのざんこくなるりゅうけつのゆえにのろい)

あるだけだ。わが平野謙の如く、戦争をその残酷なる流血の故に呪い

(にくんでいても、そのにょうぼうをせんそうはんざいにんなどとはいわずおしみなく)

憎んでいても、その女房を戦争犯罪人などとは言わず惜しみなく

(ほーたいをまいてまんぞくしているから、さすがにぶんがくしゃ、ちんちゃくしんえん、)

ホータイをまいて満足しているから、さすがに文学者、沈着深遠、

(ふかくもののじったいをきわめ、かりそめにもよのかたのごときものでせいさつを)

深く物の実体を究め、かりそめにも世の型の如きもので省察を

(にぶらせることがない。いだい!かくあるべし。)

にぶらせることがない。偉大! かくあるべし。

など

(しかし、にほんのていしゅはふこうであった。なぜなら、にほんのおんなはあいさいとなる)

然し、日本の亭主は不幸であった。なぜなら、日本の女は愛妻となる

(きょういくをうけないから。かのじょらは、しゅうとめにつかえ、こをそだて、しゅとして、)

教育を受けないから。彼女らは、姑に仕え、子を育て、主として、

(おとこのおやにこうに、わがこにちゅうに、ていしゅそのものへのあいじょうについてははれものに)

男の親に孝に、わが子に忠に、亭主そのものへの愛情に就てはハレモノに

(さわるようにえんりょぶかくきょういくくんれんされている。にほんのおんなをにょうぼうに、)

さわるように遠慮深く教育訓練されている。日本の女を女房に、

(ぱりじゃんぬをめかけに、というせかいてきなせつがあるよし、しかし、)

パリジャンヌをめかけに、という世界的な説がある由《よし》、然し、

(かなしいにほんのおんなよ、かのじょらはせかいいちのにょうぼうであっても、まさしくおとこが)

悲しい日本の女よ、彼女らは世界一の女房であっても、まさしく男が

(ぱりじゃんぬをひつようとするにょうぼうだ。にほんじんのちくしょうへきは)

パリジャンヌを必要とする女房だ。日本人のチクショウヘキは

(やばんじんのしょうこだなどとはまっかないつわり、にほんのにょうぼうのかた、おんなだいがくのもうくんれんは)

野蛮人の証拠だなどとはマッカな偽り、日本の女房の型、女大学の猛訓練は

(ようするにていしゅをしてにょうぼうにまんぞくさせず、めかけをつくらずにいられなくなる)

要するに亭主をして女房に満足させず、めかけをつくらずにいられなくなる

(せいかくをあたえるためにししとしてべんきょうしているようなものだ。)

性格を与えるためにシシとして勉強しているようなものだ。

(ぶけせいじこのかた、にほんにはれんあいというものがふうじられ、れんあいはふぎで、)

武家政治このかた、日本には恋愛というものが封じられ、恋愛は不義で、

(わかげのあやまちなどといって、れんあいのしんじょうにたいするせいさつも、わかげの)

若気のアヤマチなどと云って、恋愛の心情に対する省察も、若気の

(あやまちいじょうにふかいりしてこべつてきにかんがえられたこともない。)

アヤマチ以上に深入りして個別的に考えられたこともない。

(れんあいにたいするくんれんがみじんもないから、おててをつないでまちをあるくことも)

恋愛に対する訓練がミジンもないから、お手々をつないで街を歩くことも

(できず、それでいきなりふうふ、どうきんとくるから、だんじょかんけいは)

できず、それでいきなり夫婦、同衾《どうきん》とくるから、男女関係は

(どうきんだけで、まるでもうどうぶつのくんれんをうけているようなもの、にほんの)

同衾だけで、まるでもう動物の訓練を受けているようなもの、日本の

(にょうぼうは、わびしい。くらい。かなしい。)

女房は、わびしい。暗い。悲しい。

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