坂口安吾「悪妻論」3/3

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投稿者投稿者邪王真眼いいね2お気に入り登録
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問題文

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(しゅっけとんせいというやつはへいあんへのゆいいつのみちだ。)

出家遁世《しゅっけとんせい》という奴は平安への唯一の道だ。

(だいたいれんあいなどというものは、ぐうぜんなもので、たまたましりあったが)

だいたい恋愛などというものは、偶然なもので、たまたま知り合ったが

(ためにこいしあうにすぎず、しらなければそれまで、また、あらゆるにんげんを)

ために恋し合うにすぎず、知らなければそれまで、又、あらゆる人間を

(しってのうえでのせんたくではなく、しょうすうのしゅういのひとからのせんたくであるから、)

知っての上での選択ではなく、少数の周囲の人からの選択であるから、

(ぜったいなどというものとはちがう。そのしんじょうのきばんはきわめてはくじゃくなものだ。)

絶対などというものとは違う。その心情の基盤はきわめて薄弱なものだ。

(ねんげつがすぎればたいくつもするし、けってんがわかれば、いやにもなり、そとにこころを)

年月がすぎれば退屈もするし、欠点が分れば、いやにもなり、外に心を

(ひかれるひとがあれば、かおをみるのもいやになる。それをおしてのふさいで)

惹かれる人があれば、顔を見るのもイヤになる。それを押しての夫妻で

(あり、むじゅんをはらんでのにんげんかんけいであるから、へいあんよりも、くつうがおおく、)

あり、矛盾をはらんでの人間関係であるから、平安よりも、苦痛が多く、

(あいじょうよりもにくしみやのろいがおおくなり、かんけいのふかまるにつれて、むしろ、)

愛情よりも憎しみや呪いが多くなり、関係の深まるにつれて、むしろ、

(たいりつがはげしくなり、ぬきさしならぬものとなるのがとうぜんなのである。)

対立がはげしくなり、ぬきさしならぬものとなるのが当然なのである。

(ふうふはくるしめあい、くるしみあうのがとうぜんだ。なぐさめ、いたわるよりも、)

夫婦は苦しめ合い、苦しみ合うのが当然だ。慰め、いたわるよりも、

(むしろくるしめあうのがよい。わたしはそうおもう。にんげんかんけいはくつうをもたらすほうが)

むしろ苦しめ合うのがよい。私はそう思う。人間関係は苦痛をもたらす方が

(とうぜんなのだから。ぜすすさまはかんいんするなかれとおっしゃるけれども、)

当然なのだから。ゼスス様はカンインするなかれと仰有るけれども、

(それはむりですよ。かみさま。ひとのこころはかんいんをおかすのがしぜんで、ひとのこころが)

それは無理ですよ。神様。人の心はカンインを犯すのが自然で、人の心が

(おもいあたわぬなにものもない。ひとのこころにはつばさがあるのだ。けれども、)

思いあたわぬ何物もない。人の心には翼があるのだ。けれども、

(からだにはつばさがないから、てんをかけるわけにもいかず、ちじょうにおいて)

からだには翼がないから、天を翔けるわけにも行かず、地上に於て

(すをいとなみ、ふうふとなり、かんいんするなかれ、とくる。それはむりだ。)

巣をいとなみ、夫婦となり、カンインするなかれ、とくる。それは無理だ。

(むりだから、くるしむ。あたりまえだ。こういうむりをかさねながら、)

無理だから、苦しむ。あたりまえだ。こういう無理を重ねながら、

(へいあんだったら、そのへいあんはにせもので、まにあわせのやすものにきまって)

平安だったら、その平安はニセモノで、間に合わせの安物にきまって

(いるのだ。だから、りょうさいなどというのは、にせもの、やすものにすぎない)

いるのだ。だから、良妻などというのは、ニセモノ、安物にすぎない

など

(のである。しかし、しからばあくさいはりょうさいなりやといえば、かならずしもそうでは)

のである。然し、しからば悪妻は良妻なりやといえば、必ずしもそうでは

(ない。ちせいなきあくさいは、これはほんとのあくさいだ。たじょういんぽん、)

ない。知性なき悪妻は、これはほんとの悪妻だ。タジョウインポン、

(ただどうぶつのほんのうだけのあくさいはしまつにおえない。しかし、それですら、)

ただ動物の本能だけの悪妻は始末におえない。然し、それですら、

(そのたじょういんぽんのせいによってみりょくでもありうるので、そしてそのゆえに)

そのタジョウインポンの性によって魅力でもありうるので、そしてその故に

(みれんにひかれるひともあり、つまりあくさいというものにはいっぱんてきなかたはない。)

ミレンにひかれる人もあり、つまり悪妻というものには一般的な型はない。

(もしもみりょくによってひとのこころをひくうちは、あくさいではなく、りょうさいだ。)

もしも魅力によって人の心をひくうちは、悪妻ではなく、良妻だ。

(いかにていしゅをくるしめても、みりょくによってていしゅのこころをひくうちは、)

いかに亭主を苦しめても、魅力によって亭主の心を惹くうちは、

(りょうさいなのだろう。みりょくのないおんなは、これはもう、けっていてきにあくさいなのである、)

良妻なのだろう。魅力のない女は、これはもう、決定的に悪妻なのである、

(だんじょというせいのべつがそんざいし、いせいへのしぼがじんせいのこんかんをなしているのに、)

男女という性の別が存在し、異性への思慕が人生の根幹をなしているのに、

(いせいにあたえるみりょくというものをかんがえること、そうあんすることをしらないおんなは、)

異性に与える魅力というものを考えること、創案することを知らない女は、

(もしもそれがあたまのわるさのせいとすれば、このあたまのわるさはもんだいのほかだ。)

もしもそれが頭の悪さのせいとすれば、この頭の悪さは問題の外《ほか》だ。

(さいえんというたいぷがある。すうがくができるのだか、ごがくができるのだか、)

才媛というタイプがある。数学ができるのだか、語学ができるのだか、

(ぶつりがくができるのだかしらないが、にんげんせいというものへのせいさつについては)

物理学ができるのだか知らないが、人間性というものへの省察に就ては

(ぜろなのだ。つまりがくもんはあるかもしれぬが、ちせいがぜろだ。にんげんせいの)

ゼロなのだ。つまり学問はあるかも知れぬが、知性がゼロだ。人間性の

(せいさつこそ、しんじつのきょうようのもとであり、このちせいをもたぬさいえんはやばんじん、)

省察こそ、真実の教養のもとであり、この知性をもたぬ才媛は野蛮人、

(げんしじん、ひぶんかじんとことならぬ。まことのちせいあるものにあくさいはない。そして、)

原始人、非文化人と異らぬ。まことの知性あるものに悪妻はない。そして、

(ちせいあるおんなは、あくさいではないが、つねにていしゅをくるしめなやましにくませ、)

知性ある女は、悪妻ではないが、常に亭主を苦しめ悩まし憎ませ、

(めったにへいあんなどはあたえることがないだろう。)

めったに平安などは与えることがないだろう。

(くるしめ、そして、くるしむのだ。それがにんげんのとうぜんなせいかつなのだから。)

苦しめ、そして、苦しむのだ。それが人間の当然な生活なのだから。

(しかし、りゅうけつのさんは、どうかな?ひらのくん!ああ、せんそうはやばんだ!)

然し、流血の惨は、どうかな?平野君!ああ、戦争は野蛮だ!

(せんそうはんざいにんをけんさくしようよ。ひらのくん!)

戦争犯罪人を検索しようよ。平野君!

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