アメリカンニューシネマとは

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アメリカンニューシネマとは
アメリカンニューシネマについて。

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(あめりかんにゅーしねまは、1960ねんだいこうはんから1970ねんだいにかけて)

アメリカンニューシネマは、1960年代後半から1970年代にかけて

(あめりかでせいさくされた、はんたいせいてきなにんげん(おもにわかもの)のしんじょうをつづった)

アメリカで製作された、反体制的な人間(主に若者)の心情を綴った

(えいがさくひんぐんをさすにほんでのめいしょう。)

映画作品群を指す日本での名称。

(にゅーよーくをちゅうしんとしたむーヴめんとである)

ニューヨークを中心としたムーヴメントである

(「newamericancinema」とはまったくのべつものである。)

「New American Cinema」とは全くの別物である。

(べいこくでは、このじだいを)

米国では、この時代を

(「hollywoodrenaissance」とこしょうする。)

「Hollywood Renaissance」と呼称する。

(1967ねん12がつ8にちづけ「たいむ」しは「おれたちにあすはない」)

1967年12月8日付「タイム」誌は「俺たちに明日はない」

(をだいとくしゅうし、「にゅーしねまぼうりょく...っくす...げいじゅつ!じゆうにめざめた)

を大特集し、「ニューシネマ 暴力...ックス...芸術!自由に目覚めた

(はりうっどえいが」というはでなみだしのきじのなかで、)

ハリウッド映画」という派手な見出しの記事の中で、

(このあたらしいべいこくえいがのどうこうをれぽーとした。)

この新しい米国映画の動向をレポートした。

(たんじょうとそのとくちょう)

【誕生とその特徴】

(1940ねんだいまでのおうごんじだいのはりうっどえいがは、)

1940年代までの黄金時代のハリウッド映画は、

(「こきゃくにゆめときぼうをあたえる」ことにしゅがんがおかれ、)

「顧客に夢と希望を与える」ことに主眼が置かれ、

(えいゆうのいちだいじょじしや、ゆめのようなこいものがたりがしゅりゅうであり)

英雄の一大叙事詩や、夢のような恋物語が主流であり

(はっぴーえんどがおおくをしめていた。)

ハッピーエンドが多くを占めていた。

(1950ねんだいいこう、すたじおしすてむのほうかいやてれびのえいきょうなどにより、)

1950年代以降、スタジオシステムの崩壊やテレビの影響などにより、

(はりうっどはせいさくほんすうもさんぎょうとしてのきぼもちょうらくのいっとをたどり、)

ハリウッドは製作本数も産業としての規模も凋落の一途を辿り、

(また「あかがり」がのこしたつめあとなどによりおうごんじだいにはかんがえられなかった)

また「赤狩り」が残した爪痕などにより黄金時代には考えられなかった

(くらいむーどをもったさくひんもすくなからずあらわれた。)

暗いムードを持った作品も少なからず現れた。

など

(あるふれっどひっちこっくやちゃーるずちゃっぷりん、)

アルフレッドヒッチコックやチャールズチャップリン、

(ふりっつらんぐ、うぃりあむでぃれくたー、だぐらすさーくといった)

フリッツラング、ウィリアムディレクター、ダグラスサークといった

(せんぜんせんごをつうじてよーろっぱからいじゅう、ぼうめいしてきたえいがさっかたちや、)

戦前戦後を通じてヨーロッパから移住、亡命してきた映画作家達や、

(にこらすれい、あんそにーまん、さみゅえるふらー、じょせふhりゅいすら)

ニコラスレイ、アンソニーマン、サミュエルフラー、ジョセフHリュイスら

(いわゆる「bきゅうえいが」とよばれるちゅうしょうせいさくがいしゃのていよさんえいがさっかのなかに)

いわゆる「B級映画」と呼ばれる中小製作会社の低予算映画作家の中に

(そのほうがはあった。)

その萌芽はあった。

(いっぽう、よーろっぱにおいては、せんごいたりあのねおれありずもとしねまヴぇりて)

一方、ヨーロッパにおいては、戦後イタリアのネオレアリズモとシネマヴェリテ

(のしゅほうがかっこくのわかものにふかいえいきょうをあたえ、)

の手法が各国の若者に深い影響を与え、

(1950ねんだいちゅうきろんどんのふりーしねまにはじまり、1950ねんだいまっきから、)

1950年代中期ロンドンのフリーシネマに始まり、1950年代末期から、

(ぱりのぬーヴぇるヴぁーぐ、りすぼんののヴぁしねま、)

パリのヌーヴェルヴァーグ、リスボンのノヴァシネマ、

(ろんどんのぷりてぃっしゅにゅーうぇいぶ、)

ロンドンのプリティッシュニューウェイブ、

(ぷらはのちぇこぬーヴぇるヴぁーぐ、おーばーはうぜんではじまる)

プラハのチェコヌーヴェルヴァーグ、オーバーハウゼンで始まる

(にゅーじゃーまんしねま、うっちおよびわるしゃわのぽーらんどは)

ニュージャーマンシネマ、ウッチおよびワルシャワのポーランド派

(じゅねーヴの「ぐるーぷ5」をたいふうのめとする)

ジュネーヴの「グループ5」を台風の目とする

(ぬーヴぁーしねますいす、そしてなんべいぶらじるのしねまのーヴぉ、)

ヌーヴァーシネマスイス、そして南米ブラジルのシネマノーヴォ、

(にゅーよーくのにゅーあめりかんしねま、はるかとうきょうまでとびひし、)

ニューヨークのニューアメリカンシネマ、はるか東京まで飛び火し、

(せかいをおおうくうぜんのにゅーしねまうんどうがおきていた。)

世界を覆う空前のニューシネマ運動が起きていた。

(いずれもわかいかんとくによるあたらしいかんかくやしゅほうをとくちょうとしている。)

いずれも若い監督による新しい感覚や手法を特徴としている。

(とうじにゅーよーくには、よーろっぱからのいみんであった)

当時ニューヨークには、ヨーロッパからの移民であった

(じょなすめかすやd・a・ぺねべいがー、りちゃーどりーこっくからの)

ジョナスメカスやD・A・ペネベイガー、リチャードリーコックからの

(どきゅめんたりーさっかや、げんだいびじゅつさっかあんでぃうぉーほる)

ドキュメンタリー作家や、現代美術作家アンディウォーホル

(すたん、ぶらっけーじ、じゃっくすみす、まいけるすのうほりすふらんぷとん)

スタン、ブラッケージ、ジャックスミス、マイケルスノウホリスフランプトン

(らじっけんえいがさっか、ねおれありずものえいきょうのいろこくうけたじょんかさヴぇてす)

ら実験映画作家、ネオレアリズモの影響の色濃く受けたジョンカサヴェテス

(らがそれにこおうしていた。またかりふぉるにあしゅうにも、)

らがそれに呼応していた。またカリフォルニア州にも、

(10だいにしてぴありっつの「のろわれたえいがさい」にさんかした)

10代にしてピアリッツの「呪われた映画祭」に参加した

(けねすあんがーなどのじっけんえいがさっかがいた。)

ケネスアンガーなどの実験映画作家がいた。

(べとなむせんそうへのぐんじてきかいにゅうをまのあたりにすることで、)

ベトナム戦争への軍事的介入を目の当たりにすることで、

(こくみんのじこくへのしんらいかんはおとをたててくずれた。)

国民の自国への信頼感は音を立てて崩れた。

(いらい、かいぎてきになったこくみんは、あめりかのないほうしていたくろいむじゅんてん)

以来、懐疑的になった国民は、アメリカの内包していた黒い矛盾点

((わかもののむきりょくか・むきどうか、じんしゅさべつ、どらっぐ、えすかれーとしていく)

(若者の無気力化・無軌道化、人種差別、ドラッグ、エスカレートしていく

(ぼうりょくせいなど)にもめをむけることになる。)

暴力性など)にも目を向けることになる。

(そして、それをまねいたげんきょうは、せいじのふはいというところにきけつし、)

そして、それを招いた元凶は、政治の腐敗というところに帰結し、

(あめりかのかくちできゅうだんうんどうがまきおこった。)

アメリカの各地で糾弾運動が巻き起こった。

(あめりかんにゅーしねまはこのようなじだいのあめりかのせそうをとうえいしていたと)

アメリカンニューシネマはこのような時代のアメリカの世相を投影していたと

(いわれる。)

言われる。

(にゅーしねまといわれるさくひんは、はんたいせいてきなじんぶつ(わかものであることがおおい))

ニューシネマと言われる作品は、反体制的な人物(若者であることが多い)

(がたいせいにかんぜんとたたかいをいどむ、)

が体制に敢然と闘いを挑む、

(もしくはせつなてきなできごとにじょうねつをかたむけるなどするのだが、)

もしくは刹那的な出来事に情熱を傾けるなどするのだが、

(さいごにはたいせいがわにあっさつされるか、あるいはこじんのむりょくさをおもいしらされ、)

最後には体制側に圧殺されるか、あるいは個人の無力さを思い知らされ、

(まくをとじるものがおおい。つまりあんちひーろー、あんちはっぴーえんど)

幕を閉じるものが多い。つまりアンチヒーロー、アンチハッピーエンド

(がいちれんのさくひんのとくちょうといえるのだが、それはじょうきのようなうっくつとしたせそうを)

が一連の作品の特徴と言えるのだが、それは上記のような鬱屈とした世相を

(はんえいしているとどうじに、えいがだけでなくしょうせつやえんげきのせかいでもりゅうこうしていた)

反映していると同時に、映画だけでなく小説や演劇の世界でも流行していた

(さるとるのていしょうするじつざいしゅぎをりろんてきなはいけいとした「ふじょうり」が)

サルトルの提唱する実在主義を理論的な背景とした「不条理」が

(こんていにあるともいわれる。)

根底にあるとも言われる。

(ていよさんえいがのながれにはこじゃーこーまんらがおり、)

低予算映画の流れにはコジャーコーマンらがおり、

(あめりかんにゅーしねまのていへんぶを、かれらどくりつけいのえいがさっか、)

アメリカンニューシネマの底辺部を、彼ら独立系の映画作家、

(えいがぷろでゅーさーがささえた。そこにはもんてへるまん、)

映画プロデューサーが支えた。そこにはモンテヘルマン、

(ぴーたーぼぐだのヴぃっち、じょなさんでみ、でにすほっぱー、)

ピーターボグダノヴィッチ、ジョナサンデミ、デニスホッパー、

(じゃっくにこるそん、ぴーたーふぉんだ、ろばーとでにーろ、)

ジャックニコルソン、ピーターフォンダ、ロバートデニーロ、

(まーてぃんすこせっし、ふらんしすふぉーどこっぽららがいた。)

マーティンスコセッシ、フランシスフォードコッポラらがいた。

(そのしゅうえん)

【その終焉】

(べとなむせんそうのしゅうけつとともに、あめりかかくちでおこっていた)

ベトナム戦争の終結とともに、アメリカ各地で起こっていた

(はんたいせいうんどうもしたびとなっていき、それをはんえいするかのようににゅーしねまの)

反体制運動も下火となっていき、それを反映するかのようにニューシネマの

(にんきもかこうしていくことになる。)

人気も下降していくことになる。

(にゅーしねまでうちだされるめっせーじのほとんどは「こじんのむりょく」であったが、)

ニューシネマで打ち出されるメッセージの殆どは「個人の無力」であったが、

(70ねんだいこうきになると、じょんgあびるどせんかんとくの「ろっきー」に)

70年代後期になると、ジョンGアビルドセン監督の「ロッキー」に

(だいひょうされるように、「こじんのかのうせい」をうちだしたえいががにんきを)

代表されるように、「個人の可能性」を打ち出した映画が人気を

(はくすようになる。さらにじょーじるーかすかんとくの「すたーうぉーず」の)

博すようになる。さらにジョージルーカス監督の「スターウォーズ」の

(だいひっとにより、ふたたび50ねんだいのゆめとろまんのたいさくえいがや、)

大ヒットにより、再び50年代の夢とロマンの大作映画や、

(それまでこどもむけとされていたsfえいがもふっかつした。)

それまで子供向けとされていたSF映画も復活した。

(せんそうによりつよいたいこくあめりかのりそうぞうをうちくだかれ、ながらくくらい、)

戦争により強い大国アメリカの理想像を打ち砕かれ、長らく暗い、

(ゆううつなにゅーしねまのきょむかんにきょうかんしていたあめりかこくみんは、)

憂鬱なニューシネマの虚無感に共感していたアメリカ国民は、

(せんそうのしゅうけつとともに、ふたたびあかるくきぼうのあるさくひんをもとめたのである。)

戦争の終結と共に、再び明るく希望のある作品を求めたのである。

(あめりかんにゅーしねまは「にゅーあめりかんどりーむ」)

アメリカンニューシネマは「ニューアメリカンドリーム」

(にとってかわられることによって、じじつじょうまくをとじたのだった。)

に取って替わられることによって、事実上幕を閉じたのだった。

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