ロックの歴史 その4

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投稿者投稿者藤村 彩愛いいね0お気に入り登録
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ロックの歴史 その4
グラムロックの登場

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問題文

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(7.かいぶつだいこうしん~ぐらむ・ろっく~)

【7.怪物大行進〜グラム・ロック〜】

(ひっぴー・むーぶめんとふきあれる60ねんだいこうはんの(あめりかの)ろっく・)

ヒッピー・ムーブメント吹き荒れる60年代後半の(アメリカの)ロック・

(しーんのなかで、あきらかにほかのばんどとはけいろのちがうおとをならしているれんちゅうが)

シーンの中で、明らかに他のバンドとは毛色の違う音を鳴らしている連中が

(いた。いぎー・ぽっぷひきいるざ・すとぅーじずと、しょっく・ろっく・)

いた。イギー・ポップ率いるザ・ストゥージズと、ショック・ロック・

(ばんどありす・くーぱーだ。「らぶ&ぴーす」なんてふんいきからはほどとおい)

バンドアリス・クーパーだ。「ラブ&ピース」なんて雰囲気からは程遠い

(いめーじとかげきさで、みるものをあっとうしていたこの2つのばんどは、「らぶ」を)

イメージと過激さで、観るものを圧倒していたこの2つのバンドは、「ラブ」を

(けちらし、「ぴーす」をぶったぎりながら、ともに69ねんにれこーどでびゅー。)

蹴散らし、「ピース」をぶった斬りながら、共に69年にレコードデビュー。

(どあーずのしせかいとげいじゅつせい、ヴぇるヴぇっと~のかくしんせいとやかましさ、)

ドアーズの詩世界と芸術性、ヴェルヴェット〜の革新性とやかましさ、

(ろーりんぐ・すとーんずののりとおこさをごちゃまぜにしたようなこの2つの)

ローリング・ストーンズのノリと尾籠さをごちゃ混ぜにしたようなこの2つの

(ばんどは、かくめいにもえるいんてりだいがくせいをしりめに、しゃかいのはみだしものども)

バンドは、革命に燃えるインテリ大学生を尻目に、社会のはみ出し者ども

((ヴぇとなむきかんへい、しつぎょうしゃ、ちゅうとたいがくしゃなど)のしじをうけながら、じょじょに)

(ヴェトナム帰還兵、失業者、中途退学者など)の支持を受けながら、徐々に

(せいりょくをのばしていく。ちょっとかくしんてきすぎた(いかれすぎた?))

勢力を伸ばしていく。ちょっと革新的すぎた(イカれ過ぎた?)

(すとぅーじずにくらべ、ありす・くーぱーはわかりやすかった。かれらはほらーと)

ストゥージズに比べ、アリス・クーパーは分かり易かった。彼等はホラーと

(あにめをたいげんした。ぎろちん・ぱふぉーまんすをおこない、ほんもののだいじゃをくびにまき、)

アニメを体現した。ギロチン・パフォーマンスを行い、本物の大蛇を首に巻き、

(74ねんのつあーでは、ほんもののどるしへいをきゃくせきにばらまいた。またがんめんに)

74年のツアーでは、本物のドル紙幣を客席にばら撒いた。また顔面に

(あやしいめいくをほどこしたのもありす・くーぱーがさいしょだった。かれらは「きっす」の)

妖しいメイクを施したのもアリス・クーパーが最初だった。彼等は「キッス」の

(とうじょうよりさきに、おおがかりなえんたーていめんと・ろっくをつくりあげていたのだ。)

登場より先に、大掛かりなエンターテイメント・ロックを作り上げていたのだ。

(そしてよくねんの70ねんに、いぎりすであらたなる「かいぶつ」がたんじょうする。)

そして翌年の70年に、イギリスで新たなる「怪物」が誕生する。

(おじー・おずぼーんをかんばんとした、ぶらっく・さばすである。どうめいほらーえいが)

オジー・オズボーンを看板とした、ブラック・サバスである。同名ホラー映画

(からばんどなをとったかれらも、いままでにないきしょくわるさをぶきにしていたのだが、)

からバンド名を取った彼等も、今までにない気色悪さを武器にしていたのだが、

など

(かれらのさいだいのとくちょうはそんなびじゅあるてきな「きしょくわるさ」ではなく、そのおもい)

彼等の最大の特徴はそんなビジュアル的な「気色悪さ」ではなく、その重い

(しせかいとさうんどだった。ぶらっく・さばすのきょくは、いまのかんかくからすると)

詩世界とサウンドだった。ブラック・サバスの曲は、今の感覚からすると

(かったるいほどてんぽがおそくかんじられるが、そのおそさが、くろまじゅつてきなだーくなしと)

かったるい程テンポが遅く感じられるが、その遅さが、黒魔術的なダークな詩と

(あわさって、きんぞくてきなずしりとしたじゅうりょうかんをだしていた。あとにかれらは)

合わさって、金属的なズシリとした重量感を出していた。後に彼等は

(「へヴぃー・めたるのそ」といわれることになる。さらにおなじころのいぎりすで、)

「ヘヴィー・メタルの祖」と言われる事になる。さらに同じ頃のイギリスで、

(でびっと・ぼういというなのしんがー・そんぐ・らいたーがあぽろのげつめん)

デビット・ボウイという名のシンガー・ソング・ライターがアポロの月面

(ちゃくりくせいこうと、えいが「2001ねんうちゅうのたび」にしょくはつされ、)

着陸成功と、映画「2001年宇宙の旅」に触発され、

(「すぺーす・おでてぃー」というあるばむをはっぴょうしていた。ものがたりてきなしと、)

「スペース・オデティー」というアルバムを発表していた。物語的な詩と、

(ふゆうかんときんちょうかんあふれるさうんどは、あらたなじだいのおとずれをつげるものであった。)

浮遊感と緊張感溢れるサウンドは、新たな時代の訪れを告げるもので会った。

(そして72ねん、かれはみずからを「じぎー・すたーだすと」というかくうのとうじょうじんぶつに)

そして72年、彼は自らを「ジギー・スターダスト」という架空の登場人物に

(みたてて、「じぎー・すたーだすと」というあるばむをはっぴょうする。とうじのかれの、)

見立てて、「ジギー・スターダスト」というアルバムを発表する。当時の彼の、

(あかくとんがったとうはつにまゆげをそって、あおいからーこんたくとをいれ、べにをぬった)

赤くとんがった頭髪に眉毛を剃って、青いカラーコンタクトを入れ、紅を塗った

(かお、かぶきをおもわせるようなとうようてきないしょうというるっくすは、わかいおんなのこの)

顔、歌舞伎を思わせるような東洋的な衣装というルックスは、若い女の子の

(はーとをいともかんたんにかっさらった。「おとこなのか、おんななのかわからない」と)

ハートをいとも簡単にかっさらった。「男なのか、女なのか分からない」と

(いうのは60ねんだいしょとうに、びーとるずもすとーんずもいわれたことだったが、)

いうのは60年代初頭に、ビートルズもストーンズも言われた事だったが、

(ぼういのばあいほんとうにわからなかった。それどころかちきゅうじんなのかうちゅうじんなのかも)

ボウイの場合本当にわからなかった。それどころか地球人なのか宇宙人なのかも

(わからないといったかんじだった。それはかれのうまれながらにもっていた)

わからないといった感じだった。それは彼の生まれながらに持っていた

(りょうせいてきなみりょくと、そのみりょくをさいだいげんにいかすためにねられたちみつなけいかくによる)

両性的な魅力と、その魅力を最大限に活かす為に練られた緻密な計画による

(おくりものであった。この「じぎー・すたーだすと」のはっぴょうにより、)

贈物であった。この「ジギー・スターダスト」の発表により、

(「ぐらむ・ろっく」というあらたなるじゃんるがろっく・しーんにたんじょうした。)

「グラム・ロック」という新たなるジャンルがロック・シーンに誕生した。

(おんがくてきにはまったくちがうが、いまのヴぃじゅあるけいや、まりりん・まんそんのがんそだ。)

音楽的には全く違うが、今のヴィジュアル系や、マリリン・マンソンの元祖だ。

(いちまいのあるばむがしょうせつのようにすとーりーしかけになっているあるばむを)

一枚のアルバムが小説の様にストーリー仕掛けになっているアルバムを

(こんせぷと・あるばむというが、この「じぎー・すたーだすと」は、)

コンセプト・アルバムと言うが、この「ジギー・スターダスト」は、

(ざ・ふーの「とみー」(69ねん)とならんで、こんせぷと・あるばむのだいひょうさくと)

ザ・フーの「トミー」(69年)と並んで、コンセプト・アルバムの代表作と

(いわれている。「じぎー・すたーだすと」のすとーりーは、すたーだむをのぼり)

言われている。「ジギー・スターダスト」のストーリーは、スターダムを昇り

(つめたろっく・すたーが、みずからをかみだとおもいこみ、ふぁんやばんどからほうり)

詰めたロック・スターが、自らを神だと思い込み、ファンやバンドから放り

(だされてしまうという、じぎゃくてきなすとーりーだが、この「じぎゃくせい」こそが)

出されてしまうという、自虐的なストーリーだが、この「自虐性」こそが

(ぐらむ・ろっくだというみかたもできる。おのれをかんぜんにみせものとかしてやくをえんじる。)

グラム・ロックだという見方も出来る。己を完全に見世物と化して役を演じる。

(ありす・くーぱーのぎろちんや、いぎー・ぽっぷのきちがいじみた)

アリス・クーパーのギロチンや、イギー・ポップの気違い染みた

(ぱふぉーまんすがそうだ。ありす・くーぱーは「かしをかくというのは、ざんげを)

パフォーマンスがそうだ。アリス・クーパーは「歌詞を書くというのは、懺悔を

(しているようなもんだ」といったが、じぶんをばかにみせたり、きずつけたりする)

しているようなもんだ」と言ったが、自分を馬鹿に見せたり、傷つけたりする

(ことによって、えんじるものと、みているものとのあいだにあるしゅのかいかんがうまれるのだろう)

事によって、演じる者と、観ている者との間にある種の快感が生まれるのだろう

(と、わたしはおもっている。そしてそれははげしいければはげしいほどよい。)

と、私は思っている。そしてそれは激しいければ激しい程良い。

(というわけで、でびっど・ぼういのとうじょうでいっきにぐらむ・ろっくはよにしれ)

と言うわけで、デビッド・ボウイの登場で一気にグラム・ロックは世に知れ

(わたった。とどうじに、うえにかいたような、あるしゅの「かた」もできあがった。)

渡った。と同時に、上に書いた様な、ある種の「型」も出来上がった。

(ぐらむ・ろっくはないめんのおんがくで、おのれの「しゅう」や「ぐ」「よわさ」を、けしょうやしや、)

グラム・ロックは内面の音楽で、己の「醜」や「愚」「弱さ」を、化粧や詩や、

(ぱふぉーまんすであらわし、はっさんする。60ねんだいがかんぜんにそとむきだったのとは)

パフォーマンスで表し、発散する。60年代が完全に外向きだったのとは

(たいしょうてきだ。60ねんだいはそとのにんげん(じぶんいがい)をかえさせることがなによりもだいじで、)

対照的だ。60年代は外の人間(自分以外)を変えさせる事が何よりも大事で、

(じぶんはいつもただしい。じむ・もりそんやヴぇるヴぇっとが、ぐらむろっくにも)

自分はいつも正しい。ジム・モリソンやヴェルヴェットが、グラムロックにも

(えいきょうをあたええたのは、かれらが60ねんだいにしてはうちむきで、じこのないめんとたたかい、)

影響を与え得たのは、彼等が60年代にしては内向きで、自己の内面と戦い、

(それをおしげもなくしやおんがくでほうしゅつしたからではないだろうか。)

それを惜しげも無く詩や音楽で放出したからではないだろうか。

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