ロックの歴史 その6

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ロックの歴史 6
レッド・ツェッペリンとディープ・パープルについて

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問題文

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(9.でぃーぷ・ぱーぷるとれっど・つぇっぺりん)

【9.ディープ・パープルとレッド・ツェッペリン】

(あらゆるめんで70ねんだいぜんはんは、「よりきけんに」「よりうるさく」「よりあたらしく」)

あらゆる面で70年代前半は、「より危険に」「よりうるさく」「より新しく」

(という、あるいみ60ねんだいをひていしながら、どうじにちょうえつしようという)

という、ある意味60年代を否定しながら、同時に超越しようという

(えねるぎーにみちあふれていた。そしてくらぷとん、じぇふ・べっく、)

エネルギーに満ち溢れていた。そしてクラプトン、ジェフ・ベック、

(じみー・ぺいじの「さんだいぎたりすと」が、それぞれのそろかつどう(くりーむ、)

ジミー・ペイジの「三大ギタリスト」が、各々のソロ活動(クリーム、

(じぇふ・べっく・ぐるーぷ、れっど・つぇっぺりん)で、はーど・ろっくの)

ジェフ・ベック・グループ、レッド・ツェッペリン)で、ハード・ロックの

(きそをきずいたことにより、そこにあらたに「よりうまく」というようそがくわわる。)

基礎を築いた事により、そこに新たに「より上手く」という要素が加わる。

(とくにかれら3にんのじもといぎりすでは、くうぜんのはーどろっく・むーぶめんとがまき)

特に彼等3人の地元イギリスでは、空前のハードロック・ムーブメントが巻き

(おこったのだった。おんなのこはでびっど・ぼういに、おとこのこはくりーむや)

起こったのだった。女の子はデビッド・ボウイに、男の子はクリームや

(つぇっぺりんに、とうじのいぎりすはそんなかんじだったのではないだろうか。)

ツェッペリンに、当時のイギリスはそんな感じだったのではないだろうか。

(そしてそんなはーどろっくぶーむが、ねむっていたひとつのきょだいなかいぶつばんどを)

そしてそんなハードロックブームが、眠っていた一つの巨大な怪物バンドを

(めざめさせることになる。そのかいぶつばんどは、60ねんだいはかったるい、)

目覚めさせる事になる。その怪物バンドは、60年代はかったるい、

(くらしっくをどだいにしたむーど・みゅーじっくのようなものをえんそうしていた)

クラシックを土台にしたムード・ミュージックのようなものを演奏していた

(のだが、れっど・つぇっぺりんをひっとうとする、はーどろっくのたいとうにより、)

のだが、レッド・ツェッペリンを筆頭とする、ハードロックの台頭により、

(70ねんはっぴょうの「いんろっく」でかれらははーどろっくにこうてんするのだった。)

70年発表の「インロック」で彼等はハードロックに好転するのだった。

(かれらのなはでぃーぷ・ぱーぷる・・・。)

彼等の名はディープ・パープル・・・。

(にっぽんではおそらく、れっど・つぇっぺりんよりちめいどがたかいとおもわれる)

日本では恐らく、レッド・ツェッペリンより知名度が高いと思われる

(このばんどのとくちょうは「はやい」「うるさい」「うまい」「おおげさ」「わかりやすい」)

このバンドの特徴は「速い」「うるさい」「上手い」「大げさ」「分かり易い」

(につきるのではないだろうか。これらのようそが、せいとうはきどりのおかたい)

に尽きるのではないだろうか。これらの要素が、正統派気取りのお堅い

(ろっくざっしやひすとりーもののびでおでは「ようち」とみなされ、かんぜんもくさつされる)

ロック雑誌やヒストリーもののビデオでは「幼稚」とみなされ、完全黙殺される

など

(こともなきにしもあらずだが、おなじはーどろっくのぱいおにあである)

こともなきにしもあらずだが、同じハードロックのパイオニアである

(つぇっぺりんのほうがせいとうとみなすりゆうは、とくにろっくのれきしをかたるときなどには、)

ツェッペリンの方が正統とみなす理由は、特にロックの歴史を語る時などには、

(まったくないはずである。でぃーぷぱーぷるより1ねんはやく)

全く無いはずである。ディープパープルより1年早く

(「れっど・つぇっぺりん・1」でれこーどでびゅーしていたつぇっぺりんは、)

「レッド・ツェッペリン・1」でレコードデビューしていたツェッペリンは、

(ろばーと・ぷらんとという、きだいのしんがーをヴぉーかるにすえ、)

ロバート・プラントという、稀代のシンガーをヴォーカルに据え、

(ろっくヴぉーかるのあらたなようしきをていじしていた。それまでのだんせいろっくしんがー)

ロックヴォーカルの新たな様式を提示していた。それまでの男性ロックシンガー

(のかしょうほうは、きょくたんにいうとすとーんずのみっく・じゃがーのようにねばっこく、)

の歌唱法は、極端に言うとストーンズのミック・ジャガーの様に粘っこく、

(いやらしくうたうか、ざ・ふーのろじゃー・だるとりーのように、にぎりこぶしつくりながら)

イヤらしく唄うか、ザ・フーのロジャー・ダルトリーの様に、握り拳作りながら

(おこったようにうたうかの、どちらかだった。ろばーと・ぷらんとのヴぉーかる)

怒ったように唄うかの、どちらかだった。ロバート・プラントのヴォーカル

(すたいるは、ぶるーすをきそにもちながら、はげしく、かんだかく、そのうえ)

スタイルは、ブルースを基礎に持ちながら、激しく、かん高く、その上

(のびのある、ちからづよいものだった。そんなまだちっぽけならいぶはうすにでていた)

伸びのある、力強いものだった。そんなまだちっぽけなライブハウスに出ていた

(ろばーと・ぷらんとのうたごえをきいて「かねもうけしたいか?」とすかうとした)

ロバート・プラントの歌声を聴いて「金儲けしたいか?」とスカウトした

(じみー・ぺいじのちょっかんもすごいが、たしかにかれのうたごえは「よりはーどなろっくが)

ジミー・ペイジの直感も凄いが、確かに彼の歌声は「よりハードなロックが

(やりたい」というぼやけたこうそうをかかえていたじみー・ぺいじのあたまに、でんりゅうを)

やりたい」と言うぼやけた構想を抱えていたジミー・ペイジの頭に、電流を

(ながし、あらたなろっくのりんかくをうきあがらせるものだった。ろばーと・ぷらんとの)

流し、新たなロックの輪郭を浮き上がらせるものだった。ロバート・プラントの

(ヴぉーかるすたいるをさらにかげきに、さらにかんだかくしたのが)

ヴォーカルスタイルをさらに過激に、さらにかん高くしたのが

(でぃーぷぱーぷるのいあん・ぎらんである。こういうと「でぃーぷぱーぷるは)

ディープパープルのイアン・ギランである。こう言うと「ディープパープルは

(つぇっぺりんのにばんせんじ」というふうにとらわれかねないが、おんがくてきにこのふたつの)

ツェッペリンの二番煎じ」と言う風に捉われかねないが、音楽的にこの二つの

(ばんどはまったくちがう。いまでこそ「はーどろっくのにだいばんど」としていっしょにされて)

バンドは全く違う。今でこそ「ハードロックの二大バンド」として一緒にされて

(いるが、ぱーぷるが「わかりやすい」のにたいして、つぇっぺりんははっきりいって)

いるが、パープルが「分かり易い」のに対して、ツェッペリンははっきり言って

(「くろうとむけ」である。ろばーと・ぷらんとじしん、「おれたちはめたるじゃない」)

「玄人向け」である。ロバート・プラント自身、「俺たちはメタルじゃない」

(というりゆうとしてもいっているとおり、つぇっぺりんはぱーぷるにくらべ、あっとうてきに)

という理由としても言っている通り、ツェッペリンはパープルに比べ、圧倒的に

(あこーすてぃっくのきょくがおおい。ぎこうてきにこっているのはりょうしゃともおなじだが、)

アコースティックの曲が多い。技巧的に凝っているのは両者とも同じだが、

(つぇっぺりんのぎこうは、あからさまに「かっこいい」ぎこうではない。)

ツェッペリンの技巧は、あからさまに「かっこいい」技巧ではない。

(いいかえれば、いっかいきいてわかる「かっこよさ」はない。かめばかむほどあじが)

言い換えれば、一回聴いて分かる「かっこよさ」はない。噛めば噛むほど味が

(でるような、そんなおくぶかさがあるから「くろうとむけ」なのだ。いっぽう、ぱーぷるは)

出る様な、そんな奥深さがあるから「玄人向け」なのだ。一方、パープルは

(かんこーひーのcmにもつかわれているとおり、きゃっちーでおぼえやすくて、しょうひんとして)

缶コーヒーのCMにも使われている通り、キャッチーで覚え易くて、商品として

(かんせいされたきょくがおおい。そのうえ、ろっくふぁんならずとも、いっぱつでがーんとくる)

完成された曲が多い。その上、ロックファンならずとも、一発でガーンと来る

(ような「かっこよさ」がある。そのかっこよさはりふのかっこよさにつきる。)

ような「かっこよさ」がある。そのかっこよさはリフのかっこよさに尽きる。

(といってもかごんではない。「りふ」とはきょくのせぼねになるような、いっぽんぢょうしの)

と言っても過言ではない。「リフ」とは曲の背骨になる様な、一本調子の

(めろでぃをおもにぎたーやぴあのなどでかなでためろでぃ(ふれーず)のこと。)

メロディを主にギターやピアノ等で奏でたメロディ(フレーズ)のこと。

(つぇっぺりんの「りふ」もかっこいいが、いんぱくとがちがうのだ。そのうえ)

ツェッペリンの「リフ」も格好いいが、インパクトが違うのだ。その上

(ぱーぷるの、すぴーどかんあふれるはかいてきなのりもつぇっぺりんとはちがうみりょくを)

パープルの、スピード感溢れる破壊的なノリもツェッペリンとは違う魅力を

(うみだしている。さらに「はやびきのかみさま」りっちー・ぶらっくもあのぎたーも)

生み出している。さらに「速弾きの神様」リッチー・ブラックモアのギターも

(わすれてはならない。かれのちょうじんてきな「はやびき」は、とうじのぎたーしょうねんたちのはーとを)

忘れてはならない。彼の超人的な「速弾き」は、当時のギター少年達のハートを

(わしづかみにし、のちに「うまい=はやい」という、ちょっとまちがったていぎまでうみだす)

鷲掴みにし、後に「上手い=速い」という、ちょっと間違った定義まで生み出す

(にいたる。りっちー・ぶらっくもあのとうじょうによってろっくぎたーそうほうに「はやびき」)

に至る。リッチー・ブラックモアの登場によってロックギター奏法に「速弾き」

(というあらたなるすたいるがうまれた。そしてげんざいにいたるまで、りっちーの)

という新たなるスタイルが生まれた。そして現在に至るまで、リッチーの

(ぎたーりふおよびはやびきは、ぜんぎたーしょうねんたちのおてほんでありつづけている。)

ギターリフおよび速弾きは、前ギター少年達のお手本であり続けている。

(つぇっぺりんとぱーぷる、どっちがすごいか、どっちがにんきがあったかなんて、)

ツェッペリンとパープル、どっちが凄いか、どっちが人気があったかなんて、

(ろっくのれきしをかたるうえではなんのいみももたない、なんのしりょうにもならないものだ。)

ロックの歴史を語る上では何の意味も持たない、何の資料にもならないものだ。

(わたしは、ぱーぷるをむししてつぇっぺりんだけをいみのあるばんどととらえる、)

私は、パープルを無視してツェッペリンだけを意味のあるバンドと捉える、

(せいとうはきどりのろっくのれきししょ・びでおなどにいわかんをかんじるから、ぱーぷるを)

正統派気取りのロックの歴史書・ビデオ等に違和感を感じるから、パープルを

(とりあげようとさいしょからきめていた。そのりゆうは、うえにもかいたが、)

取り上げようと最初から決めていた。その理由は、上にも書いたが、

(つぇっぺりんがせいとうはでぱーぷるはちがうときめつけるこんきょはどこにもない)

ツェッペリンが正統派でパープルは違うと決め付ける根拠は何処にも無い

(からである。わたしはぱーぷるも、つぇっぺりんとどうようひとつのじだいをきずいたとおもうし)

からである。私はパープルも、ツェッペリンと同様一つの時代を築いたと思うし

(そのごのろっくにもおおいにえいきょうをあたえたとおもっている。)

その後のロックにも大いに影響を与えたと思っている。

(むこうだくにこのふるいてれびどらまかなにかで、こういうしーんがあった。)

向田邦子の古いテレビドラマか何かで、こういうシーンがあった。

(おやがむすこをよぶのだが、むすこがなかなかへやからでてこない。しびれをきらした)

親が息子を呼ぶのだが、息子がなかなか部屋から出てこない。しびれを切らした

(ははおやがむすこのへやにはいると、むすこはあたまをふりながら、へっどほんでおんがくを)

母親が息子の部屋に入ると、息子は頭を振りながら、ヘッドホンで音楽を

(きいている。おこったははおやがへっどほんのぷらぐをぬくと、ばくおんでぱーぷるの)

聴いている。怒った母親がヘッドホンのプラグを抜くと、爆音でパープルの

(「はいうぇい・すたー」がながれる。だからなんだ?とおもうかもしれないが、)

「ハイウェイ・スター」が流れる。だから何だ?と思うかもしれないが、

(それがつぇっぺりんではなく、ぱーぷるというところがいいではないか!)

それがツェッペリンではなく、パープルという所がいいではないか!

(そう、ぱーぷるはとうじおやが「うるさい」とおもうもののたいしょうだったのだ。つまり)

そう、パープルは当時親が「うるさい」と思う物の対象だったのだ。つまり

(とうじのおやがいめーじする「ろっく」とはぱーぷるだったのである。)

当時の親がイメージする「ロック」とはパープルだったのである。

(わたしはそういうてんからも、ぱーぷるのそんざいはじゅうようだとおもう。)

私はそういう点からも、パープルの存在は重要だと思う。

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