ロックの歴史 その10
関連タイピング
-
プレイ回数10万歌詞200打
-
プレイ回数3867かな314打
-
プレイ回数96万長文かな1008打
-
プレイ回数3.2万歌詞1030打
-
プレイ回数6万長文1159打
-
プレイ回数3831長文1069打
-
プレイ回数209長文526打
-
プレイ回数25万長文786打
問題文
(13.ぴすとるずというなのばくだん)
【13.ピストルズと言う名の爆弾】
(にゅーよーくではっかしたぱんくむーヴめんとは、らもーんずなどをひっとうとした)
ニューヨークで発火したパンクムーヴメントは、ラモーンズ等を筆頭とした
(ばんどのいぎりすえんせいによってまたたくまにいぎりすにもとびひした。そのころの)
バンドのイギリス遠征によって瞬く間にイギリスにも飛び火した。その頃の
(いぎりすはしんこくなけいざいふあんにおちいっており、けいきもていめい。とくにろんどんのまちには)
イギリスは深刻な経済不安に陥っており、景気も低迷。特にロンドンの街には
(あぶれていきばをなくしたわかものたちがあふれかえっていた。そんないぎりすの)
あぶれて行き場をなくした若者達が溢れかえっていた。そんなイギリスの
(わかものたちのいかりとふらすとれーしょんをみたすのに、もはやなんかいでながったらしい)
若者達の怒りとフラストレーションを満たすのに、もはや難解で長ったらしい
(「ぷろぐれっしぶ・ろっく」はむようのちょうぶつでしかなかった。けいざいてき・しゃかいてきふあん)
「プログレッシブ・ロック」は無用の長物でしかなかった。経済的・社会的不安
(・ふまんがたかまるにつれて「ぷろぐれ」はいっきにわかものたちのあいだでけんおのたいしょうと)
・不満が高まるにつれて「プログレ」は一気に若者達の間で嫌悪の対象と
(なっていった。ふじょうりでいらだたしいよのなかへのいかりをすとれーとにだいべんする)
なっていった。不条理で苛立たしい世の中への怒りをストレートに代弁する
(にんげんがひつようとされていたのである。ぴすとるずのうみのおや、まるこむ・)
人間が必要とされていたのである。ピストルズの生みの親、マルコム・
(まくらーれん(でざいなーけんぶてぃっくてんおーなー)はそんなわかもののよっきゅうを)
マクラーレン(デザイナー兼ブティック店オーナー)はそんな若者の欲求を
(いちはやくさっちし、じしんの「せx」というなのぶてぃっくで「ぴんく・ふろいどが)
いち早く察知し、自身の「セX」と言う名のブティックで「ピンク・フロイドが
(きらいだ」とかかれたtしゃつや、やぶれてぼろぼろになったふくなどをうりはじめた。)
嫌いだ」と書かれたTシャツや、破れてボロボロになった服などを売り始めた。
(そしてみせには、tしゃつにかかれためっせーじにきょうめいしたわかものたちがおしよせ、)
そして店には、Tシャツに書かれたメッセージに共鳴した若者達が押し寄せ、
(あっというまにそこはいきばのないわかものたちのたまりばとかしたのである。)
あっという間にそこは行き場のない若者達の溜まり場と化したのである。
(こうきにゅーよーく・どーるずのまねーじゃーもつとめたこともあるまるこむは、)
後期ニューヨーク・ドールズのマネージャーも務めたこともあるマルコムは、
(このせいこうによって「どーるずいじょうに、もっとかげきでもっとひとにきらわれるばんどを)
この成功によって「ドールズ以上に、もっと過激でもっと人に嫌われるバンドを
(つくろう」ともくろんだ。ばんどめいは「ぴすとるず」、めんばーはみせに)
作ろう」と目論んだ。バンド名は「ピストルズ」、メンバーは店に
(たむろしているわかものをすかうとしてえらんだ・・・。そしてぎたーの)
たむろしている若者をスカウトして選んだ・・・。そしてギターの
(すてぃーぶん・じょーんず、どらむのぽーる・くっく、べーすのぐれん・)
スティーブン・ジョーンズ、ドラムのポール・クック、ベースのグレン・
(まとろっく(あとにだったいしこうにんにしど・ヴぃしゃすがかにゅう)、そしてヴぉーかるの)
マトロック(後に脱退し後任にシド・ヴィシャスが加入)、そしてヴォーカルの
(じょにー・ろっとんというらいんなっぷがそろった。だが、ぜんいんおんがくてきけいけんは)
ジョニー・ロットンというラインナップが揃った。だが、全員音楽的経験は
(まったくないという、じゅん100%の「しろうとばんど」だった。こうしてつくられた)
全く無いという、純100%の「素人バンド」だった。こうして作られた
(ぴすとるずは、まるこむのいめーじをぐげんかするどうぐとしてちょうきょうされた。)
ピストルズは、マルコムのイメージを具現化する道具として調教された。
(まるこむは「きゃくにつばをはきかけろ!」「どーるずのようになれ」「ひとに)
マルコムは「客に唾を吐きかけろ!」「ドールズの様になれ」「人に
(きらわれるんだ!」とざ・ふー、にゅーよーくどーるずやありすくーぱー、)
嫌われるんだ!」とザ・フー、ニューヨークドールズやアリスクーパー、
(いぎーぽっぷなどれきしのわるもの、はんしゃかいろっかーたちのがっきょくをならわせ、めんばー)
イギーポップなど歴史の悪者、反社会ロッカー達の楽曲を習わせ、メンバー
(たつをしこんでいった。そんなかげきないめーじとふるまいがこうをそうしたのか、)
達を仕込んでいった。そんな過激なイメージと振る舞いが功を奏したのか、
(かれらのなまえはいっきにひろがり、しんぐる「あなーきー・いん・ざ・uk」を)
彼等の名前は一気に広がり、シングル「アナーキー・イン・ザ・UK」を
(はっぴょうするにいたる。)
発表するに至る。
(おれははんきりすとろんしゃおれはあなーきすとほしいものなんてないが)
俺は反キリスト論者 俺はアナーキスト 欲しい物なんてないが
(てにいれるほうほうだけはこころえてるいきかうやつらをぶっころしたいぜ)
手に入れる方法だけは心得てる 行き交う奴らをぶっ殺したいぜ
(おれはあなーきすとになりたいのさてしたなんかごめんだね)
俺はアナーキストになりたいのさ 手下なんかごめんだね
(あなーきずむをえいこくにきっといつかそんなひがくるめちゃくちゃにするぜ)
アナーキズムを英国に きっといつかそんな日が来る メチャクチャにするぜ
(こうつうをしゃだんしてやるおまえのゆめといったらしょっぴんぐにいくことくらいさ)
交通を遮断してやる お前の夢といったらショッピングに行くことくらいさ
(おれはあなーきすとになりたいこのまちであなーきーいんざuk)
俺はアナーキストになりたい この街で アナーキーインザUK
(じょうおうへいかばんざい!)
女王陛下万歳!
(ふぁしすとのせいじはおまえをていのうにしちまったゆうのうなすいそばくだんさ)
ファシストの政治はお前を低能にしちまった 有能な水素爆弾さ
(じょおうへいかばんざい!じょおうはにんげんじゃないおさきまっくらだぜゆめみるおうこくは)
女王陛下万歳! 女王は人間じゃない お先真っ暗だぜ 夢見る王国は
(ごっど・せいヴす・ざ・くいーん)
ゴッド・セイヴス・ザ・クイーン
(まさに、いままでだれもうたわなかったかげきでこうげきてきなこのうたは、ほうそうきんしに)
まさに、今まで誰も歌わなかった過激で攻撃的なこの歌は、放送禁止に
(なりながらもみごとにわかものたちのよっきゅうをはらし、しじされひっとした。)
なりながらも見事に若者達の欲求を晴らし、支持されヒットした。
(ついではっぴょうしたさいしょでさいごのでびゅーあるばむ「かってにしやがれ」は)
次いで発表した最初で最後のデビューアルバム「勝手にしやがれ」は
(あるばむちゃーとでぜんえい1いにかがやき、じょおうへいかを「にんげんじゃない」とあざわらった)
アルバムチャートで全英1位に輝き、女王陛下を「人間じゃない」と嘲笑った
(しんぐる「ごっど・せいヴ・ざ・くいーん」にいたっては、だいめいがくろぬりに)
シングル「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」に至っては、題名が黒塗りに
(されたままちゃーとをかけあがり1いをきろくするというでんせつまでうんだ。)
されたままチャートを駆け上がり1位を記録するという伝説まで生んだ。
(まるこむのやぼうはみごとたっせいされ、ばんどはいぎりすのみならずせかいのわかものたちに)
マルコムの野望は見事達成され、バンドはイギリスのみならず世界の若者達に
(ただいなしょっくとかんどうをあたえ、ぱんくむーヴめんとをいっきにめいんすとりーむに)
多大なショックと感動を与え、パンクムーヴメントを一気にメインストリームに
(までおしあげたのだった。まるこむのでざいんによるかれらのふぁっしょん、)
まで押し上げたのだった。マルコムのデザインによる彼等のファッション、
(かみがた、げんどう、すべてがあたらしかった。これはじろんだが、まるこむはあんでぃー・)
髪型、言動、全てが新しかった。これは自論だが、マルコムはアンディー・
(うぉーほるになりたかったのではないかとおもう。うぉーほるがヴぇるヴぇっとを)
ウォーホルになりたかったのではないかと思う。ウォーホルがヴェルヴェットを
(つくったように、かれもぴすとるずをつくった。そしてきそんのろっくをきそんのがいねんや)
作った様に、彼もピストルズを作った。そして既存のロックを既存の概念や
(きそんのさぶかるちゃーをはかいしたかったのだ。だとしたらそれはおおいにせいこうした)
既存のサブカルチャーを破壊したかったのだ。だとしたらそれは大いに成功した
(それどころか、うぉーほるがヴぇるヴぇっとでやろうとしたこといじょうのしょうげきと)
それどころか、ウォーホルがヴェルヴェットでやろうとした事以上の衝撃と
(えいきょうをろっくに、わかものにあたえた。)
影響をロックに、若者に与えた。
(ヴぇとなむせんそうのきずあとからまだたちなおりきれていなかったあめりかとはたいしょうてきに)
ヴェトナム戦争の傷跡からまだ立ち直りきれていなかったアメリカとは対照的に
(いぎりすのわかものたちにはえねるぎーがあふれていた。ぴすとるずのせいこうをまのあたり)
イギリスの若者達にはエネルギーが溢れていた。ピストルズの成功を目の当たり
(にしたわかものたちは「じぶんにもできる」とつぎつぎばんどをけっせいし、ろっくによって)
にした若者達は「自分にも出来る」と次々バンドを結成し、ロックによって
(しゃかいへのいかりやあらゆるよっきゅうをはきだしはじめたのだった。)
社会への怒りやあらゆる欲求を吐き出し始めたのだった。