恥 太宰治(1/3)

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恥 太宰治

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(きくこさん。はじをかいちゃったわよ。ひどいはじをかきました。かおからひがでる、)

菊子さん。恥をかいちゃったわよ。ひどい恥をかきました。顔から火が出る、

(などのけいようはなまぬるい。そうげんをころげまわって、わあっとさけびたい、と)

などの形容はなまぬるい。草原をころげ廻って、わあっと叫びたい、と

(いってもまだたりない。さむえるあとがきにありました。「たまる、はいを)

言っても未だ足りない。サムエル後書にありました。「タマル、灰を

(そのこうべにかむり、きたるふりそでをさき、てをこうべにのせて、)

其の首《こうべ》に蒙《かむ》り、着たる振袖を裂き、手を首にのせて、

(よばわりつつさりゆけり」かわいそうないもうとたまる。わかいおんなは、はずかしくて)

呼わりつつ去ゆけり」可愛そうな妹タマル。わかい女は、恥ずかしくて

(どうにもならなくなったときには、ほんとうにあたまからはいでもかぶってないてみたい)

どうにもならなくなった時には、本当に頭から灰でもかぶって泣いてみたい

(きもちになるわねえ。たまるのきもちがわかります。)

気持になるわねえ。タマルの気持がわかります。

(きくこさん。やっぱり、あなたのおっしゃったとおりだったわ。しょうせつかなんて、)

菊子さん。やっぱり、あなたのおっしゃったとおりだったわ。小説家なんて、

(ひとのくずよ。いいえ、おにです。ひどいんです。わたしは、おおはじかいちゃった。)

人の屑《くず》よ。いいえ、鬼です。ひどいんです。私は、大恥かいちゃった。

(きくこさん。わたしはいままであなたにひみつにしていたけれど、しょうせつかのとださんに、)

菊子さん。私は今まであなたに秘密にしていたけれど、小説家の戸田さんに、

(こっそりてがみをだしていたのよ。そうしてとうとういちどおめにかかって)

こっそり手紙を出していたのよ。そうしてとうとう一度お目にかかって

(おおはじかいてしまいました。つまらない。はじめから、ぜんぶおはなしもうしましょう。)

大恥かいてしまいました。つまらない。はじめから、ぜんぶお話申しましょう。

(くがつのはじめ、わたしはとださんへ、こんなてがみをさしあげました。たいへん)

九月のはじめ、私は戸田さんへ、こんな手紙を差し上げました。たいへん

(きどってかいたのです。「ごめんください。ひじょうしきとしりつつ、おてがみを)

気取って書いたのです。「ごめん下さい。非常識と知りつつ、お手紙を

(したためます。おそらくきかのしょうせつには、おんなのどくしゃがひとりもなかったことと)

したためます。おそらく貴下の小説には、女の読者がひとりも無かった事と

(ぞんじます。おんなは、こうこくのさかんなほんばかりをよむのです。おんなには、じぶんのこのみが)

存じます。女は、広告のさかんな本ばかりを読むのです。女には、自分の好みが

(ありません。ひとがよむから、わたしもよもうというきょえいみたいなものでよんで)

ありません。人が読むから、私も読もうという虚栄みたいなもので読んで

(いるのです。ものしりぶっているひとを、やたらにそんけいいたします。つまらぬりくつを)

いるのです。物知り振っている人を、矢鱈に尊敬いたします。つまらぬ理窟を

(かいかぶります。きかは、しつれいながら、りくつをちっともしらない。がくもんも)

買いかぶります。貴下は、失礼ながら、理窟をちっとも知らない。学問も

(ないようです。きかのしょうせつをわたしは、きょねんのなつからよみはじめて、ほとんどぜんぶを)

無いようです。貴下の小説を私は、去年の夏から読みはじめて、ほとんど全部を

など

(よんでしまったつもりでございます。それで、きかにおあいするまでもなく、)

読んでしまったつもりでございます。それで、貴下にお逢いする迄もなく、

(きかのしんぺんのじじょう、ようぼう、ふうさい、ことごとくをぞんじております。きかにおんなの)

貴下の身辺の事情、容貌、風采、ことごとくを存じて居ります。貴下に女の

(どくしゃがひとりもないのは、かくていてきのことだとおもいました。きかはごじぶんのひんかんの)

読者がひとりも無いのは、確定的の事だと思いました。貴下は御自分の貧寒の

(ことや、りんしょくのことや、さもしいふうふげんか、げひんなごびょうき、それから)

事や、吝嗇《りんしょく》の事や、さもしい夫婦喧嘩、下品な御病気、それから

(ようぼうのずいぶんみにくいことや、みなりのきたないこと、たこのあしなんかをかじって)

容貌のずいぶん醜い事や、身なりの汚い事、蛸の脚なんかを齧《かじ》って

(しょうちゅうをのんで、あばれて、じべたにねること、しゃっきんだらけ、そのほかたくさん)

焼酎を飲んで、あばれて、地べたに寝る事、借金だらけ、その他たくさん

(ふめいよな、きたならしいことばかり、すこしもかざらずにこくはくなさいます。)

不名誉な、きたならしい事ばかり、少しも飾らずに告白なさいます。

(あれでは、いけません。おんなは、ほんのうとして、せいけつをとうとびます。きかのしょうせつを)

あれでは、いけません。女は、本能として、清潔を尊びます。貴下の小説を

(よんで、ちょっときかのおきのどくとはおもっても、あたまのてっぺんがはげてきたとか)

読んで、ちょっと貴下のお気の毒とは思っても、頭のてっぺんが禿げて来たとか

(はがぼろぼろにかけてきたとかかいてあるのをよみますと、やっぱり、あまり)

歯がぼろぼろに欠けて来たとか書いてあるのを読みますと、やっぱり、余り

(ひどくて、くしょうしてしまいます。ごめんなさい。けいべつしたくなるのです。)

ひどくて、苦笑してしまいます。ごめんなさい。軽蔑したくなるのです。

(それに、きかは、とてもくちでいえないふけつなばしょのおんなのところへもでかけて)

それに、貴下は、とても口で言えない不潔な場所の女のところへも出掛けて

(いくようではありませんか。あれでもう、けっていてきです。わたしでさえ、はなをつまんで)

行くようではありませんか。あれでもう、決定的です。私でさえ、鼻をつまんで

(よんだことがあります。おんなのひとは、ひとりのこらず、きかをけいべつし、)

読んだ事があります。女のひとは、ひとりのこらず、貴下を軽蔑し、

(ひんしゅくするのもとうぜんです。わたしは、きかのしょうせつをおともだちにかくれて)

顰蹙《ひんしゅく》するのも当然です。私は、貴下の小説をお友だちに隠れて

(よんでいました。わたしがきかのものをよんでいるということが、もしおともだちに)

読んでいました。私が貴下のものを読んでいるという事が、もしお友達に

(わかったら、わたしはちょうしょうせられ、じんかくをうたがわれ、ぜっこうされることでしょう。)

わかったら、私は嘲笑せられ、人格を疑われ、絶交される事でしょう。

(どうか、きかにおいても、ちょっとはんせいをしてください。わたしは、きかのむがく)

どうか、貴下に於いても、ちょっと反省をして下さい。私は、貴下の無学

(あるいはぶんしょうのせつれつ、あるいはじんかくのいやしさ、しりょのふそく、)

あるいは文章の拙劣《せつれつ》、あるいは人格の卑しさ、思慮の不足、

(あたまのわるさなど、むすうのけってんをみとめながらも、そこにひとすじのあいしゅうかんのあるのを)

頭の悪さ等、無数の欠点をみとめながらも、底に一すじの哀愁感のあるのを

(みつけたのです。わたしは、あのあいしゅうかんをおしみます。ほかのおんなのひとには、)

見つけたのです。私は、あの哀愁感を惜しみます。他の女の人には、

(わかりません。おんなのひとは、まえにももうしましたようにきょえいばかりで)

わかりません。女のひとは、前にも申しましたように虚栄ばかりで

(よむのですから、やたらにじょうひんぶったひしょちのこいや、あるいはしそうてきな)

読むのですから、やたらに上品ぶった避暑地の恋や、あるいは思想的な

(しょうせつなどをこのみますが、わたしは、そればかりでなく、きかのしょうせつのそこにある)

小説などを好みますが、私は、そればかりでなく、貴下の小説の底にある

(いっしゅのあいしゅうかんというものもとうといのだとしんじました。どうか、きかは、ごじしんの)

一種の哀愁感というものも尊いのだと信じました。どうか、貴下は、ご自身の

(ようぼうのみにくさや、かこのおこうや、またはぶんしょうのわるさなどにぜつぼうなさらず、きかどくとくの)

容貌の醜さや、過去の汚行や、または文章の悪さ等に絶望なさらず、貴下独特の

(あいしゅうかんをだいじになさって、どうじにけんこうにりゅういし、てつがくやごがくをいますこし)

哀愁感を大事になさって、同時に健康に留意し、哲学や語学をいま少し

(べんきょうなさって、もっとしそうをふかめてください。きかのあいしゅうかんが、もししょうらいにおいて)

勉強なさって、もっと思想を深めて下さい。貴下の哀愁感が、もし将来に於いて

(てつがくてきにせいりできたならば、きかのしょうせつもきょうのごとくちょうしょうせられず、きかの)

哲学的に整理できたならば、貴下の小説も今日の如く嘲笑せられず、貴下の

(じんかくもかんせいされることとぞんじます。そのかんせいのひには、わたしもふくめんをとってわたしの)

人格も完成される事と存じます。その完成の日には、私も覆面をとって私の

(じゅうしょせいめいをあきらかにして、きかとおあいしたいとおもいますが、ただいまは、)

住所姓名を明らかにして、貴下とお逢いしたいと思いますが、ただ今は、

(はるかにせいえんをおおくりするだけでよそうとおもいます。おことわりしておきますが、)

はるかに声援をお送りするだけで止そうと思います。お断りして置きますが、

(これはふぁん・れたあではございませぬ。おくさまなぞにおみせして、おれにも)

これはファン・レタアではございませぬ。奥様なぞにお見せして、おれにも

(おんなのふぁんができたなんてげひんにふざけあうのは、やめていただきます。)

女のファンが出来たなんて下品にふざけ合うのは、やめていただきます。

(わたしはぷらいどをもっています。」)

私はプライドを持っています。」

(きくこさん。だいたい、こんなてがみをかいたのよ。きか、きかとおよびするのは、)

菊子さん。だいたい、こんな手紙を書いたのよ。貴下、貴下とお呼びするのは、

(なんだかぐあいがわるかったけど「あなた」なんてよぶには、とださんとわたしとでは、)

何だか具合が悪かったけど「あなた」なんて呼ぶには、戸田さんと私とでは、

(としがちがいすぎて、それに、なんだかしたしすぎて、いやだわ。とださんが)

としが違いすぎて、それに、なんだか親し過ぎて、いやだわ。戸田さんが

(としがいもなくうぬぼれて、へんなきをおこしたらこまるともおもったの。「せんせい」と)

年甲斐も無く自惚れて、へんな気を起したら困るとも思ったの。「先生」と

(およびするほどそんけいもしてないし、それにとださんにはなにもがくもんがないんだから)

お呼びするほど尊敬もしてないし、それに戸田さんには何も学問がないんだから

(「せんせい」とよぶのは、とてもふしぜんだとおもったの。だからきかとおよびすることに)

「先生」と呼ぶのは、とても不自然だと思ったの。だから貴下とお呼びする事に

(したんだけど、「きか」も、やっぱりすこしへんね。でもわたしは、このてがみを)

したんだけど、「貴下」も、やっぱり少しへんね。でも私は、この手紙を

(とうかんしても、りょうしんのかしゃくはなかった。よいことをしたとおもった。)

投函しても、良心の呵責《かしゃく》は無かった。よい事をしたと思った。

(おきのどくなひとに、わずかでもちからをかしてあげるのは、きもちのよいものです。)

お気の毒な人に、わずかでも力をかしてあげるのは、気持のよいものです。

(けれどもわたしはこのてがみには、じゅうしょもなまえもかかなかった。だって、こわいもの。)

けれども私は此の手紙には、住所も名前も書かなかった。だって、こわいもの。

(きたないみなりでよってわたしのおうちへたずねてきたら、ままは、どんなにおどろくでしょう。)

汚い身なりで酔って私のお家へ訪ねて来たら、ママは、どんなに驚くでしょう。

(おかねをかせ、なんてきょうはくするかもしれないし、とにかくくせのわるいおかただから、)

お金を貸せ、なんて脅迫するかも知れないし、とにかく癖の悪いおかただから、

(どんなこわいことをなさるかわからない。わたしはえいえんにふくめんのじょせいでいたかった。)

どんなこわい事をなさるかわからない。私は永遠に覆面の女性でいたかった。

(けれども、きくこさん、だめだった。とっても、ひどいことになりました。)

けれども、菊子さん、だめだった。とっても、ひどい事になりました。

(それから、ひとつきたたぬうちに、わたしは、もういちどとださんへ、どうしても)

それから、ひとつき経たぬうちに、私は、もう一度戸田さんへ、どうしても

(てがみをかかなければならぬじじょうがおこりました。しかもこんどは、じゅうしょもなまえも、)

手紙を書かなければならぬ事情が起りました。しかも今度は、住所も名前も、

(はっきりしらせて。)

はっきり知らせて。

(きくこさん、わたしはかわいそうなこだわ。そのときのわたしのてがみのないようをおしらせすると、)

菊子さん、私は可哀相な子だわ。その時の私の手紙の内容をお知らせすると、

(じじょうもだいたいおわかりのはずですから、つぎにごしょうかいいたしますが、)

事情もだいたいおわかりの筈ですから、次に御紹介いたしますが、

(わらわないでください。「とださま。わたしは、おどろきました。どうしてわたしのしょうたいを)

笑わないで下さい。「戸田様。私は、おどろきました。どうして私の正体を

(さがしだすことができたのでしょう。そうです、ほんとうに、わたしのなまえはわこです。)

捜し出す事が出来たのでしょう。そうです、本当に、私の名前は和子です。

(そうしてきょうじゅのむすめで、にじゅうさんさいです。あざやかにすっぱぬかれて)

そうして教授の娘で、二十三歳です。あざやかに素破《すっぱ》抜かれて

(しまいました。こんげつの「ぶんがくせかい」のしんさくをはいけんして、わたしはぼうぜんとして)

しまいました。今月の『文学世界』の新作を拝見して、私は呆然として

(しまいました。ほんとうに、ほんとうに、しょうせつかというものはゆだんのならぬものだと)

しまいました。本当に、本当に、小説家というものは油断のならぬものだと

(おもいました。どうして、おしりになったのでしょう。しかも、わたしのきもちまで、)

思いました。どうして、お知りになったのでしょう。しかも、私の気持まで、

(すっかりみぬいて、「みだらなくうそうをするようにさえなりました。」などと)

すっかり見抜いて、『みだらな空想をするようにさえなりました。』などと

(しんらつないちやをはなっているあたり、たしかにきかのきょういてきなしんぽだと)

辛辣《しんらつ》な一矢を放っているあたり、たしかに貴下の驚異的な進歩だと

(おもいました。わたしのあのふくめんのてがみが、ただちにきかのせいさくよくをかきおこしたという)

思いました。私のあの覆面の手紙が、ただちに貴下の製作慾をかき起したという

(ことは、わたしにとってもよろこばしいことでした。じょせいのいちしじが、さっかをかくまでも、)

事は、私にとってもよろこばしい事でした。女性の一支持が、作家をかく迄も、

(いちじるしくふるいおこさせるとは、おもいもおよばなかったことでした。ひとのはなしに)

いちじるしく奮起させるとは、思いも及ばなかった事でした。人の話に

(よりますと、ゆーごー、ばるざっくほどのたいかでも、すべてじょせいのほごと)

依りますと、ユーゴー、バルザックほどの大家でも、すべて女性の保護と

(いしゃのおかげで、かずおおいけっさくをものしたのだそうです。わたしもきかを、)

慰謝《いしゃ》のおかげで、数多い傑作をものしたのだそうです。私も貴下を、

(およばずながらおたすけすることにかくごをきめました。どうか、しっかりやって)

及ばずながらお助けする事に覚悟をきめました。どうか、しっかりやって

(ください。ときどきおてがみをさしあげます。きかのこのたびのしょうせつにおいて、)

下さい。時々お手紙を差し上げます。貴下の此の度の小説に於いて、

(わずかながらじょせいしんりのかいぼうをおこなっているのはたしかにいちしんぽにて、)

わずかながら女性心理の解剖を行っているのはたしかに一進歩にて、

(ところどころ、あざやかであってかんしんもいたしましたが、まだまだいたらない)

ところどころ、あざやかであって感心も致しましたが、まだまだ到らない

(ところもあるのです。わたしはわかいじょせいですから、これからいろいろじょせいのこころを)

ところもあるのです。私は若い女性ですから、これからいろいろ女性の心を

(おしえてあげます。きかは、しょうらいゆうぼうのしだとおもいます。だんだんさくひんも、)

教えてあげます。貴下は、将来有望の士だと思います。だんだん作品も、

(よくなっていくようにおもいます。どうか、もっとごほんをよんでてつがくてききょうようも)

よくなって行くように思います。どうか、もっと御本を読んで哲学的教養も

(みにつけるようにしてください。きょうようがふそくだと、どうしてもだいしょうせつかには)

身につけるようにして下さい。教養が不足だと、どうしても大小説家には

(なれません。おくるしいことがおこったら、えんりょなくおてがみをください。)

なれません。お苦しい事が起ったら、遠慮なくお手紙を下さい。

(もうみやぶられましたから、ふくめんはやめましょう。わたしのじゅうしょとなまえはひょうきの)

もう見破られましたから、覆面はやめましょう。私の住所と名前は表記の

(とおりです。ぎめいではございませんから、ごあんしんくださいませ。きかが、たじつ、)

とおりです。偽名ではございませんから、ご安心下さいませ。貴下が、他日、

(きかのじんかくをかんせいなさったあかつきには、かならずおあいしたいとおもいますが、)

貴下の人格を完成なさった暁には、かならずお逢いしたいと思いますが、

(それまでは、ぶんつうのみにて、かんにんしてくださいませ。)

それまでは、文通のみにて、かんにんして下さいませ。

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