太宰治 斜陽6

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投稿者投稿者藤村 彩愛いいね3お気に入り登録1
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超長文です
太宰治の中編小説です

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問題文

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(わたしはおさきさんに、むらのみなさんへどんなかたちで、おれいとおわびをしたらいいか、)

私はお咲さんに、村の皆さんへどんな形で、お礼とお詫びをしたらいいか、

(そうだんした。おさきさんは、やはりおかねがいいでしょう、といい、それをもって)

相談した。お咲さんは、やはりお金がいいでしょう、と言い、それを持って

(おわびまわりをすべきいえいえをおしえてくださった。「でも、おじょうさんがひとりで)

お詫びまわりをすべき家々を教えて下さった。「でも、お嬢さんがひとりで

(まわるのがおいやだったら、わたしもいっしょについていってあげますよ」)

廻るのがおいやだったら、私も一緒について行ってあげますよ」

(「ひとりでいったほうが、いいのでしょう?」「ひとりでいける?そりゃ、)

「ひとりで行ったほうが、いいのでしょう?」「ひとりで行ける?そりゃ、

(ひとりでいったほうがいいの」「ひとりでいくわ」それからおさきさんは、)

ひとりで行ったほうがいいの」「ひとりで行くわ」それからお咲さんは、

(やけあとのせいりをすこしてつだってくださった。せいりがすんでから、わたしはおかあさまから)

焼跡の整理を少し手伝って下さった。整理がすんでから、私はお母さまから

(おかねをいただき、ひゃくえんしへいをいちまいずつみのがみにつつんで、それぞれのつつみに、)

お金をいただき、百円紙幣を一枚ずつ美濃紙に包んで、それぞれの包みに、

(おわび、とかいた。まずいちばんにやくばへいった。そんちょうのふじたさんはおるすだった)

おわび、と書いた。まず一ばんに役場へ行った。村長の藤田さんはお留守だった

(ので、うけつけのむすめさんにかみづつみをさしだし、「さくやは、もうしわけないことを)

ので、受附の娘さんに紙包を差し出し、「昨夜は、申しわけない事を

(いたしました。これから、きをつけますから、どうぞおゆるしくださいまし。)

致しました。これから、気をつけますから、どうぞおゆるし下さいまし。

(そんちょうさんに、よろしく」とおわびをもうしあげた。それから、けいぼうだんちょうの)

村長さんに、よろしく」とお詫びを申し上げた。それから、警防団長の

(おおうちさんのおうちへいき、おおうちさんがおげんかんにでてこられて、わたしをみてだまって)

大内さんのお家へ行き、大内さんがお玄関に出て来られて、私を見て黙って

(かなしそうにほほえんでいらして、わたしは、どうしてだか、きゅうになきたくなり、)

悲しそうに微笑んでいらして、私は、どうしてだか、急に泣きたくなり、

(「ゆうべは、ごめんなさい」というのが、やっとで、いそいでおいとまして、)

「ゆうべは、ごめんなさい」と言うのが、やっとで、いそいでおいとまして、

(みちみち、なみだがあふれてきて、かおがだめになったので、いったんおうちへかえって、)

道々、涙があふれて来て、顔がだめになったので、いったんお家へ帰って、

(せんめんじょでかおをあらい、おけしょうをしなおして、またでかけようとしてげんかんでくつを)

洗面所で顔を洗い、お化粧をし直して、また出かけようとして玄関で靴を

(はいていると、おかあさまが、でていらして、「まだ、どこかへいくの?」と)

はいていると、お母さまが、出ていらして、「まだ、どこかへ行くの?」と

(おっしゃる。「ええ、これからよ」わたしはかおをあげないでこたえた。)

おっしゃる。「ええ、これからよ」私は顔を挙げないで答えた。

(「ごくろうさまね」しんみりおっしゃった。おかあさまのあいじょうにちからをえて、こんどは)

「ご苦労さまね」しんみりおっしゃった。お母さまの愛情に力を得て、こんどは

など

(いちどもなかずに、ぜんぶをまわることができた。くちょうさんのおうちにいったら、)

一度も泣かずに、全部をまわる事が出来た。区長さんのお家に行ったら、

(くちょうさんはおるすで、むすこさんのおよめさんがでていらしたが、わたしをみるなり)

区長さんはお留守で、息子さんのお嫁さんが出ていらしたが、私を見るなり

(かえってむこうでなみだぐんでおしまいになり、また、じゅんさのところでは、にのみやじゅんさが)

かえって向うで涙ぐんでおしまいになり、また、巡査のところでは、二宮巡査が

(よかった、よかった、とおっしゃってくれるし、みんなおやさしいおかたたち)

よかった、よかった、とおっしゃってくれるし、みんなお優しいお方たち

(ばかりで、それからごきんじょのおうちをまわって、やはりみなさまから、どうじょうされ、)

ばかりで、それからご近所のお家を廻って、やはり皆さまから、同情され、

(なぐさめられた。ただ、まえのおうちのにしやまさんのおよめさん、といっても、もう)

なぐさめられた。ただ、前のお家の西山さんのお嫁さん、といっても、もう

(しじゅうくらいのおばさんだが、そのひとにだけは、びしびししかられた。)

四十くらいのおばさんだが、そのひとにだけは、びしびし叱られた。

(「これからもきをつけてくださいよ。みやさまだかなにさまだかしらないけれども、)

「これからも気をつけて下さいよ。宮様だか何さまだか知らないけれども、

(わたしはまえから、あんたたちのままごとあそびみたいなくらしかたを、はらはらしながら)

私は前から、あんたたちのままごと遊びみたいな暮し方を、はらはらしながら

(みていたんです。こどもがふたりでくらしているみたいなんだから、いままでかじを)

見ていたんです。子供が二人で暮しているみたいなんだから、いままで火事を

(おこさなかったのがふしぎなくらいのものだ。ほんとうにこれからは、きをつけて)

起さなかったのが不思議なくらいのものだ。本当にこれからは、気をつけて

(くださいよ。ゆうべだって、あんた、あれでかぜがつよかったら、このむらぜんぶが)

下さいよ。ゆうべだって、あんた、あれで風が強かったら、この村全部が

(もえたのですよ」このにしやまさんのおよめさんは、したののうかのなかいさんなどは)

燃えたのですよ」この西山さんのお嫁さんは、下の農家の中井さんなどは

(そんちょうさんやにのみやじゅんさのまえにとんででて、ぼやとまでもいきません、といって)

村長さんや二宮巡査の前に飛んで出て、ボヤとまでも行きません、と言って

(かばってくださったのに、かきねのそとで、ふろばがまるやけだよ、かまどのひの)

かばって下さったのに、垣根の外で、風呂場が丸焼けだよ、かまどの火の

(ふしまつだよ、とおおきいこえでいっていらしたひとである。けれども、わたしは)

不始末だよ、と大きい声で言っていらしたひとである。けれども、私は

(にしやまさんのおよめさんのおこごとにも、しんじつをかんじた。ほんとうにそのとおりだと)

西山さんのお嫁さんのおこごとにも、真実を感じた。本当にそのとおりだと

(おもった。すこしも、にしやまさんのおよめさんをうらむことはない。おかあさまは、もやす)

思った。少しも、西山さんのお嫁さんを恨む事は無い。お母さまは、燃やす

(ためのまきだもの、とじょうだんをおっしゃってわたしをなぐさめてくださったが、しかし、)

ための薪だもの、と冗談をおっしゃって私をなぐさめて下さったが、しかし、

(あのときにかぜがつよかったら、にしやまさんのおよめさんのおっしゃるとおり、このむら)

あの時に風が強かったら、西山さんのお嫁さんのおっしゃるとおり、この村

(ぜんたいがやけたのかもしれない。そうなったらわたしは、しんでおわびしたって)

全体が焼けたのかも知れない。そうなったら私は、死んでおわびしたって

(おっつかない。わたしがしんだら、おかあさまもいきては、いらっしゃらない)

おっつかない。私が死んだら、お母さまも生きては、いらっしゃらない

(だろうし、またなくなったおちちうえのおなまえをけがしてしまうことにもなる。)

だろうし、また亡くなったお父上のお名前をけがしてしまう事にもなる。

(いまはもう、みやさまもかぞくもあったものではないけれども、しかし、どうせ)

いまはもう、宮様も華族もあったものではないけれども、しかし、どうせ

(ほろびるものなら、おもいきってかれいにほろびたい。かじをだしてそのおわびに)

ほろびるものなら、思い切って華麗にほろびたい。火事を出してそのお詫びに

(しぬなんて、そんなみじめなしにかたでは、しんでもしにきれまい。とにかく、)

死ぬなんて、そんなみじめな死に方では、死んでも死に切れまい。とにかく、

(もっと、しっかりしなければならぬ。わたしはよくじつから、はたけしごとにせいをだした。)

もっと、しっかりしなければならぬ。私は翌日から、畑仕事に精を出した。

(したののうかのなかいさんのむすめさんが、ときどきおてつだいしてくださった。かじを)

下の農家の中井さんの娘さんが、時々お手伝いして下さった。火事を

(だすなどというしゅうたいをえんじてからは、わたしのからだのちがなんだかすこしあかぐろく)

出すなどという醜態を演じてからは、私のからだの血が何だか少し赤黒く

(なったようなきがして、そのまえには、わたしのむねにいじわるなまむしがすみ、こんどは)

なったような気がして、その前には、私の胸に意地悪な蝮が住み、こんどは

(ちのいろまですこしかわったのだから、いよいよやせいのいなかむすめになっていくような)

血の色まで少し変ったのだから、いよいよ野性の田舎娘になって行くような

(きぶんで、おかあさまとおえんがわであみものなどをしていても、へんにきゅうくつでいきぐるしく、)

気分で、お母さまとお縁側で編物などをしていても、へんに窮屈で息苦しく、

(かえってはたけへでて、つちをほりおこしたりしているほうがきらくなくらいであった。)

かえって畑へ出て、土を掘り起したりしているほうが気楽なくらいであった。

(きんにくろうどう、というのかしら。このようなちからしごとは、わたしにとっていまがはじめて)

筋肉労働、というのかしら。このような力仕事は、私にとっていまがはじめて

(ではない。わたしはせんそうのときにちょうようされて、よいとまけまでさせられた。いまはたけに)

ではない。私は戦争の時に徴用されて、ヨイトマケまでさせられた。いま畑に

(はいてでているじかたびも、そのとき、ぐんのほうからはいきゅうになったものである。)

はいて出ている地下足袋も、その時、軍のほうから配給になったものである。

(じかたびというものを、そのとき、それこそうまれてはじめてはいてみたので)

地下足袋というものを、その時、それこそ生れてはじめてはいてみたので

(あるが、びっくりするほど、はきごこちがよく、それをはいておにわをあるいて)

あるが、びっくりするほど、はき心地がよく、それをはいてお庭を歩いて

(みたら、とりやけものが、はだしでじべたをあるいているきがるさが、じぶんにもよく)

みたら、鳥やけものが、はだしで地べたを歩いている気軽さが、自分にもよく

(わかったようなきがして、とても、むねがうずくほど、うれしかった。せんそうちゅうの、)

わかったような気がして、とても、胸がうずくほど、うれしかった。戦争中の、

(たのしいきおくは、たったそれひとつきり。おもえば、せんそうなんて、)

たのしい記憶は、たったそれ一つきり。思えば、戦争なんて、

(つまらないものだった。)

つまらないものだった。

(さくねんは、なにもなかった。おととしは、なにもなかった。そのまえのとしも、)

昨年は、何も無かった。一昨年は、何も無かった。その前のとしも、

(なにもなかった。)

何も無かった。

(そんなおもしろいしが、しゅうせんちょくごのあるしんぶんにのっていたが、ほんとうに、いま)

そんな面白い詩が、終戦直後の或る新聞に載っていたが、本当に、いま

(おもいだしてみても、さまざまのことがあったようなきがしながら、やはり、なにも)

思い出してみても、さまざまの事があったような気がしながら、やはり、何も

(なかったとおなじようなきもする。わたしは、せんそうのついおくはかたるのも、きくのも、)

無かったと同じ様な気もする。私は、戦争の追憶は語るのも、聞くのも、

(いやだ。ひとがたくさんしんだのに、それでもちんぷでたいくつだ。けれども、わたしは、)

いやだ。人がたくさん死んだのに、それでも陳腐で退屈だ。けれども、私は、

(やはりじぶんかってなのであろうか。わたしがちょうようされてじかたびをはき、)

やはり自分勝手なのであろうか。私が徴用されて地下足袋をはき、

(よいとまけをやらされたときのことだけは、そんなにちんぷだともおもえない。)

ヨイトマケをやらされた時の事だけは、そんなに陳腐だとも思えない。

(ずいぶんいやなおもいもしたが、しかし、わたしはあのよいとまけのおかげで、)

ずいぶんいやな思いもしたが、しかし、私はあのヨイトマケのおかげで、

(すっかりからだがじょうぶになり、いまでもわたしは、いよいよせいかつにこまったら、)

すっかりからだが丈夫になり、いまでも私は、いよいよ生活に困ったら、

(よいとまけをやっていきていこうとおもうことがあるくらいなのだ。)

ヨイトマケをやって生きて行こうと思う事があるくらいなのだ。

(せんきょくがそろそろぜつぼうになってきたころ、ぐんぷくみたいなものをきたおとこが、にしかたまちの)

戦局がそろそろ絶望になって来た頃、軍服みたいなものを着た男が、西片町の

(おうちへやってきて、わたしにちょうようのかみと、それからろうどうのひわりをかいたかみをわたした。)

お家へやって来て、私に徴用の紙と、それから労働の日割を書いた紙を渡した。

(ひわりのかみをみると、わたしはそのよくじつからいちにちおきにたちかわのおくのやまへかよわなければ)

日割の紙を見ると、私はその翌日から一日置きに立川の奥の山へかよわなければ

(ならなくなっていたので、おもわずわたしのめからなみだがあふれた。「だいにんでは、)

ならなくなっていたので、思わず私の眼から涙があふれた。「代人では、

(いけないのでしょうか」なみだがとまらず、すすりなきになってしまった。)

いけないのでしょうか」涙がとまらず、すすり泣きになってしまった。

(「ぐんから、あなたにちょうようがきたのだから、かならず、ほんにんでなければいけない」と)

「軍から、あなたに徴用が来たのだから、必ず、本人でなければいけない」と

(そのおとこは、つよくこたえた。わたしはいくけっしんをした。そのよくじつはあめで、わたしたちはたちかわの)

その男は、強く答えた。私は行く決心をした。その翌日は雨で、私たちは立川の

(やまのふもとにせいれつさせられ、まずしょうこうのおせっきょうがあった。)

山の麓《ふもと》に整列させられ、まず将校のお説教があった。

(「せんそうには、かならずかつ」とぼうとうして、「せんそうにはかならずかつが、しかし、みなさんが)

「戦争には、必ず勝つ」と冒頭して、「戦争には必ず勝つが、しかし、皆さんが

(ぐんのめいれいどおりにしごとしなければ、さくせんにししょうをきたし、おきなわのような)

軍の命令通りに仕事しなければ、作戦に支障を来《きた》し、沖縄のような

(けっかになる。かならず、いわれただけのしごとは、やってほしい。それから、)

結果になる。必ず、言われただけの仕事は、やってほしい。それから、

(このやまにも、すぱいがはいっているかもしれないから、おたがいにちゅういすること。)

この山にも、スパイが這入っているかも知れないから、お互いに注意すること。

(みなさんもこれからは、へいたいとおなじに、じんちのなかへはいってしごとをするので)

皆さんもこれからは、兵隊と同じに、陣地の中へ這入って仕事をするので

(あるから、じんちのようすは、ぜったいに、たごんしないように、じゅうぶんに)

あるから、陣地の様子は、絶対に、他言《たごん》しないように、充分に

(ちゅういしてほしい」といった。やまにはあめがけむり、だんじょとりまぜてごひゃくちかいたいいんが)

注意してほしい」と言った。山には雨が煙り、男女とりまぜて五百ちかい隊員が

(あめにぬれながらたってそのはなしをはいちょうしているのだ。たいいんのなかには、こくみんがっこうの)

雨に濡れながら立ってその話を拝聴しているのだ。隊員の中には、国民学校の

(だんせいとじょせいともまじっていて、みなさむそうななきべそのかおをしていた。あめは)

男生徒女生徒もまじっていて、みな寒そうな泣きべその顔をしていた。雨は

(わたしのれいんこーとをとおして、うわぎにしみてきて、やがてはだぎまで)

私のレインコートをとおして、上衣《うわぎ》にしみて来て、やがて肌着まで

(ぬらしたほどであった。そのひはいちにち、もっこかつぎをして、かえりのでんしゃのなかで)

ぬらしたほどであった。その日は一日、モッコかつぎをして、帰りの電車の中で

(なみだがでてきてしようがなかったが、そのつぎのときには、よいとまけのつなひきだった。)

涙が出て来て仕様が無かったが、その次の時には、ヨイトマケの綱引だった。

(そうして、わたしにはそのしごとがいちばんおもしろかった。にど、さんど、やまへいくうちに、)

そうして、私にはその仕事が一ばん面白かった。二度、三度、山へ行くうちに、

(こくみんがっこうのだんせいとたちがわたしのすがたを、いやにじろじろみるようになった。あるひ、)

国民学校の男生徒たちが私の姿を、いやにじろじろ見るようになった。或る日、

(わたしがもっこかつぎをしていると、だんせいとがにさんにん、わたしとすれちがって、それから)

私がモッコかつぎをしていると、男生徒が二三人、私とすれちがって、それから

(そのうちのひとりが、「あいつが、すぱいか」とこごえでいったのをきき、わたしは)

そのうちの一人が、「あいつが、スパイか」と小声で言ったのを聞き、私は

(びっくりしてしまった。「なぜ、あんなことをいうのかしら」とわたしは、わたしとならんで)

びっくりしてしまった。「なぜ、あんな事を言うのかしら」と私は、私と並んで

(もっこをかついであるいているわかいむすめさんにたずねた。「がいじんみたいだから」)

モッコをかついで歩いている若い娘さんにたずねた。「外人みたいだから」

(わかいむすめさんは、まじめにこたえた。)

若い娘さんは、まじめに答えた。

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