究極世界史1 人類文化オリエント地中海、ローマ
制限時間なし番号順です。
やり終えるのに10分くらいかかります。
文字数制限のため助詞を省いてる変な文章があります。
関連タイピング
-
プレイ回数12万歌詞200打
-
プレイ回数4.4万歌詞1030打
-
プレイ回数77万長文300秒
-
プレイ回数97万長文かな1008打
-
プレイ回数33万かな60秒
-
プレイ回数3252歌詞1012打
-
プレイ回数2.6万長文かな779打
-
プレイ回数414歌詞999打
問題文
(やく240まんねんまえあふりかにほもえれくとぅすなどのげんじんがとうじょうした)
約240万年前アフリカにホモエレクトゥスなどの原人が登場した
(やく20まんねんまえにあふりかにあらわれたじんるいをしんじんといいげんせいじんるいにぞくする)
約20万年前にアフリカに現れた人類を新人といい現生人類に属する
(めそぽたみあとえじぷとのこうつうろしりあぱれすちなちほうはひよくなみかづきちたい)
メソポタミアとエジプトの交通路シリアパレスチナ地方は肥沃な三日月地帯
(おりえんとではたいがをちすいかんがいするためきょうりょくなしんけんせいじ)
オリエントでは大河を治水灌漑するため強力な神権政治
(しゅめーるじんはぜん2700ねんごろまでにはうるうるくなどのとしこっかをつくった)
シュメール人は前2700年ごろまでにはウルウルクなどの都市国家を作った
(あっかどじんはめそぽたみあをはじめてとういつした)
アッカド人はメソポタミアを初めて統一した
(あっかどじんのほうかいごせむごけいあむるじんがばびろんだいいちおうちょう)
アッカド人の崩壊後セム語系アムル人がバビロン第一王朝
(はんむらびおうのときにぜんめそぽたみあをしはいした)
ハンムラビ王の時に全メソポタミアを支配した
(てっきをしようしたいんどよーろっぱごけいひったいとじんはばびろんだいいちおうちょうをほろぼす)
鉄器を使用したインドヨーロッパ語系ヒッタイト人はバビロン第一王朝を滅ぼす
(ひったいとじんはぜん7せいきなかばごろあなとりあこうげんしょうあじあにきょうりょくなこっかをけんせつ)
ヒッタイト人は前7世紀半ば頃アナトリア高原小アジアに強力な国家を建設
(ぜん14せいきのえじぷとではあめんほてぷ4せいいくなーとんがせんとしあとんをしんこう)
前14世紀のエジプトではアメンホテプ4世イクナートンが遷都しアトンを信仰
(えじぷとじんはししゃのしょをのこした)
エジプト人は死者の書を残した
(かっしーとじんはいらんざぐろすさんみゃくからみなみめそぽたみあにしんにゅうばびろにあをしはい)
カッシート人はイランザグロス山脈から南メソポタミアに侵入バビロニアを支配
(きためそぽたみあのみたんにおうこくはしりあへりょうどをひろげたがひったいとにふくぞく)
北メソポタミアのミタンニ王国はシリアへ領土を広げたがヒッタイトに服属
(としこっかはしゅめーるぶんかがさかえたがせむごけいあっかどじんにせいふくされる)
都市国家はシュメール文化が栄えたがセム語系アッカド人に征服される
(あらむじんはしりあにおおくのとしこっかをけんせつした)
アラム人はシリアに多くの都市国家を建設した
(いすらえるおうこくはあっしりあにほろぼされゆだおうこくもせいふくさればびろんほしゅう)
イスラエル王国はアッシリアに滅ぼされユダ王国も征服されバビロン捕囚
(あっしりあおうこくはちゅうけいぼうえきでさかえたがぜん15せいきいちじみたんにおうこくにふくぞくした)
アッシリア王国は中継貿易で栄えたが前15世紀一時ミタンニ王国に服属した
(ささんちょうほすろー1せいがとるこけいゆうぼくみんとっけつとともにえふたるをほろぼした)
ササン朝ホスロー1世がトルコ系遊牧民突厥と共にエフタルを滅ぼした
(ささんちょうだい2だいこうていしゃーぷーる1せいはしりあにしんにゅうしてろーまぐんをまかした)
ササン朝第2代皇帝シャープール1世はシリアに侵入してローマ軍を負かした
(ぱるてぃあをたおしてけんこくしたのがのうぎょうをするいらんじんのささんちょうである)
パルティアを倒して建国したのが農業をするイラン人のササン朝である
(あむかわじょうりゅうぎりしあじんがばくとりあをゆうぼくいらんじんがかすぴかいなんぶにぱるてぃあ)
アム川上流ギリシア人がバクトリアを遊牧イラン人がカスピ海南部にパルティア
(あけめねすちょうはぜん5せいきぜんはんぺるしあせんそうでぎりしあにやぶれた)
アケメネス朝は前5世紀前半ペルシア戦争でギリシアに敗れた
(みけーねぶんめいのぎりしあじんはぜん15せいきにはくれたとうにもしんにゅうとろいあにも)
ミケーネ文明のギリシア人は前15世紀にはクレタ島にも侵入トロイアにも
(ぜん8せいきなかばからぎりしあじんはちちゅうかいとこっかいのえんがんにしょくみんしつくった)
前8世紀半ばからギリシア人は地中海と黒海の沿岸に植民市作った
(ぜん6せいきそろんがかいかくしざいさんがくでしみんにさんせいけん)
前6世紀ソロンが改革し財産額で市民に参政権
(おおくのぽりすでどくさいしゃがせんしゅせいじをした)
多くのポリスで独裁者が僭主政治をした
(あてねではぺいしすとらとすがぜん6せいきなかばにせんしゅせいじをかくりつした)
アテネではペイシストラトスが前6世紀半ばに僭主政治を確立した
(あけめねすちょうのしはいにたいしてぎりしあじんしょくみんしがはんらんしぺるしあせんそう)
アケメネス朝の支配に対してギリシア人植民市が反乱しペルシア戦争
(ろーまではほるてんしうすほうによりへいみんときぞくのせいじじょうのけんりおなじになった)
ローマではホルテンシウス法により平民と貴族の政治上の権利同じになった
(ごけんていじだいがろーまのさいせいきでとらやぬすていのときりょうどさいだい)
五賢帝時代がローマの最盛期でトラヤヌス帝の時領土最大
(284ねんにそくいしたでぃおくれてぃあぬすていはろーまをとうざいぶんかつ)
284年に即位したディオクレティアヌス帝はローマを東西分割
(でぃおくれてぃあぬすからせんせいくんしゅせいどみなとぅすへへんかした)
ディオクレティアヌスから専制君主制ドミナトゥスへ変化した
(こんすたんてぃぬすていはでぃおくれてぃあぬすていのせいさくをぞっこう)
コンスタンティヌス帝はディオクレティアヌス帝の政策を続行
(3せいきまでにきりすときょうはろーまにひろまりぎりしあごこいねーでしんやくせいしょができた)
3世紀までに基督教はローマに広まりギリシア語コイネーで新約聖書が出来た
(325ねんこんすたんてぃぬすていはにけーあこうかいぎをひらく)
325年コンスタンティヌス帝はニケーア公会議を開く
(きりすとをかみとどういつしするあたなしうすはがせいとうでにんげんのありうすはがいたん)
キリストを神と同一視するアタナシウス派が正統で人間のアリウス派が異端
(あたなしうすはのせつはのちにさんみいったいせつとなる)
アタナシウス派の説はのちに三位一体説となる
(431ねんえふぇそすこうかいぎひらかれる)
431年エフェソス公会議開かれる
(ぷとれまいおすはてんどうせつをとなえた)
プトレマイオスは天動説をとなえた
(ろーまていせいまっきのあうぐすてぃぬすらしんぷたちのかんがえがしんがくのはってんのいしずえとなった)
ローマ帝政末期のアウグスティヌスら神父たちの考えが神学の発展の礎となった