究極世界史⑥
インドの古代文明
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問題文
(ばくとりあはせれうこすちょうからどくりつしたあむがわじょうりゅうのぎりしあじんのおうこくである)
バクトリアはセレウコス朝から独立したアム川上流のギリシア人の王国である
(あるさけすがぜん250ねんごろにいらんほくぶにおこしたぱるてぃあはちゅうごくめいであんそく)
アルサケスが前250年頃にイラン北部に興したパルティアは中国名で安息
(こだいいらんのささんちょうぺるしあのこっきょうはぞろあすたーきょう)
古代イランのササン朝ペルシアの国教はゾロアスター教
(ぱるてぃあをたおしたいらんじんのささんちょうしょだいこうていはあるでしーる1せい)
パルティアを倒したイラン人のササン朝初代皇帝はアルデシール1世
(こだいいらんのささんちょうぺるしあのしゅとくてしふぉんはげんざいのばぐだーどなんとう)
古代イランのササン朝ペルシアの首都クテシフォンは現在のバグダード南東
(びざんつていこくゆすてぃにあぬすていとたたかったささんちょうだい21だいこうていほすろー1せい)
ビザンツ帝国ユスティニアヌス帝と戦ったササン朝第21代皇帝ホスロー1世
(こだいいらんのささんちょうぺるしあのこうていほすろー1せいはえふたるをほろぼした)
古代イランのササン朝ペルシアの皇帝ホスロー1世はエフタルを滅ぼした
(ささんちょうはにはーヴぁんどのたたかいでせいとうかりふじだいのいすらむせいりょくにやぶれすいたい)
ササン朝はニハーヴァンドの戦いで正統カリフ時代のイスラム勢力に敗れ衰退
(ささんちょうしゃーぷーる1せいはしりあにしんにゅうしぐんじんこうていヴぁれりあぬすをほりょに)
ササン朝シャープール1世はシリアに侵入し軍人皇帝ヴァレリアヌスを捕虜に
(ささんちょうほすろー1せいはえふたるをほろぼすためとるこけいゆうぼくみんのとっけつときょうとう)
ササン朝ホスロー1世はエフタルを滅ぼすためトルコ系遊牧民の突厥と共闘
(りぐヴぇーだはこだいいんどでぜん12せいきごろにへんさんされたあーりやじんのせいてん)
リグヴェーダは古代インドで前12世紀頃に編纂されたアーリヤ人の聖典
(いんだすぶんめいはぜん2300ねんぜんごにさかえぜん1800ねんごろからしだいにすいたいした)
インダス文明は前2300年前後に栄え前1800年頃から次第に衰退した
(げんざいのぱきすたんにいちするはらっぱ-はいんだすぶんめいのいせきとしてしられる)
現在のパキスタンに位置するハラッパ-はインダス文明の遺跡として知られる
(げんざいのぱきすたんにいちするもえんじょだーろはいんだすぶんめいのいせきのひとつ)
現在のパキスタンに位置するモエンジョダーロはインダス文明の遺跡のひとつ
(あーりやじんはぜん1500ねんごろいんどほくせいぶにしんにゅうしどらヴぃだじんをおいやった)
アーリヤ人は前1500年頃インド北西部に侵入しドラヴィダ人を追いやった
(こだいいんどでしんこうされたばらもんきょうはのちにひんどぅーきょうにはってんする)
古代インドで信仰されたバラモン教は後にヒンドゥー教に発展する
(こだいいんどでばらもんきょうをひはんしたてつがくをうぱにしゃっどてつがくという)
古代インドでバラモン教を批判した哲学をウパニシャッド哲学という
(ヴぁるなせいのかいきゅうはうえからばらもん、くしゃとりや、ヴぁいしゃ、しゅーどら)
ヴァルナ制の階級は上からバラモン、クシャトリヤ、ヴァイシャ、シュードラ
(ヴぁるだまーなをしそとするこだいいんどはっしょうのじゃいなきょうはばらもんきょうをひはん)
ヴァルダマーナを始祖とする古代インド発祥のジャイナ教はバラモン教を批判
(こだいいんどでしかれていたみぶんせいどヴぁるなせいのヴぁるなとはいろといういみ)
古代インドで敷かれていた身分制度ヴァルナ制のヴァルナとは色という意味
(ぶっだのそんしょうをもつがうたましっだーるたはばらもんきょうをひはんししんしゅうきょうをひらいた)
ブッダの尊称を持つガウタマシッダールタはバラモン教を批判し新宗教を開いた
(ぶっきょうにおいてりんねからだっきゃくしじんせいのくるしみをのりこえることをげだつという)
仏教において輪廻から脱却し人生の苦しみを乗り越えることを解脱という
(こだいいんどのなんだちょうはじゃいなきょうやぶっきょうがうまれたまがだこくをおさめた)
古代インドのナンダ朝はジャイナ教や仏教が生まれたマガダ国を治めた
(ぶっきょうのりんねてんせいとはしんだあともたましいがふたたびげんせにもどりなんどもうまれかわること)
仏教の輪廻転生とは死んだ後も魂が再び現世に戻り何度も生まれ変わること
(ぜん5せいきごろにがうたましっだーるたがぶっきょうをそうしした)
前5世紀頃にガウタマシッダールタが仏教を創始した
(こだいいんどであしょーかおうはげんざいのすりらんかのあるせいろんとうでぶっきょうをふきょう)
古代インドでアショーカ王は現在のスリランカのあるセイロン島で仏教を布教
(まうりやちょうだい3だいおうあしょーかおうはふかくぶっきょうにきえした)
マウリヤ朝第3代王アショーカ王は深く仏教に帰依した
(あしょーかおうがとうちりねんとしてさいようしただるまとはぶっきょうてきなりんりやほうのそうしょう)
アショーカ王が統治理念として採用したダルマとは仏教的な倫理や法の総称
(ちゃんどらぐぷたはなんだちょうをたおしまうりやちょうをそうしししゅとはぱーたりぷとら)
チャンドラグプタはナンダ朝を倒しマウリヤ朝を創始し首都はパータリプトラ
(こだいいんどであしょーかおうがおこなったきょうのへんさんさぎょうをぶってんけつじゅうとよぶ)
古代インドでアショーカ王が行った経の編纂作業を仏典結集と呼ぶ
(なーがーるじゅながたいけいづけただいじょうぶっきょうはすべてのひとをすくうことをめざすかんがえかた)
ナーガールジュナが体系づけた大乗仏教は全ての人を救うことを目指す考え方
(くしゃーなちょうかにしかおうはふかくぶっきょうにきえし4どめのぶってんけつじゅうをおこなった)
クシャーナ朝カニシカ王は深く仏教に帰依し4度目の仏典結集を行った
(くしゃーなちょうのじだいにがんだーらびじゅつはぎりしあのえいきょうをうけてさかえた)
クシャーナ朝の時代にガンダーラ美術はギリシアの影響を受けて栄えた
(ぜん1せいきごろにさーたヴぁーはなちょうはろーまとのきせつふうぼうえきによってさかえた)
前1世紀頃にサータヴァーハナ朝はローマとの季節風貿易によって栄えた
(いんだすがわりゅういきのくしゃーなちょうはささんちょうのしゃーぷーる1せいにやぶれすいたい)
インダス川流域のクシャーナ朝はササン朝のシャープール1世に敗れ衰退
(ひんどぅーきょうはぐぷたちょうのじだいにばらもんきょうにみんかんしんこうがゆうごうしふきゅう)
ヒンドゥー教はグプタ朝の時代にバラモン教に民間信仰が融合し普及
(ぐぷたちょうでぶっきょうのきょういくがおこなわれたきょういくきかんをなーらんだーそういんという)
グプタ朝で仏教の教育が行われた教育機関をナーランダー僧院という
(ぜろのがいねんはぐぷたちょうでせいりつしのちにいすらーむせかいやよーろっぱへでんぱ)
ゼロの概念はグプタ朝で成立しのちにイスラーム世界やヨーロッパへ伝播
(ぐぷたちょうだい3だいおうのちゃんどらぐぷた2せいはさいせいきをげんしゅつした)
グプタ朝第3代王のチャンドラグプタ2世は最盛期を現出した
(4せいきにちゃんどらぐぷた1せいのもとできたいんどにけんこくされたのはぐぷたちょう)
4世紀にチャンドラグプタ1世のもとで北インドに建国されたのはグプタ朝
(さんすくりっとのにだいじょじしはまはーばーらたとらーまーやな)
サンスクリットの二大叙事詩はマハーバーラタとラーマーヤナ
(げんじょうははるしゃおうのほごをうけなーらんだーそういんでまなびだいとうさいいききをあらわした)
玄奘はハルシャ王の保護を受けナーランダー僧院で学び大唐西域記を著した
(きゅうていしじんかーりだーさはさんすくりっとごでぎきょくしゃくんたらーをつくった)
宮廷詩人カーリダーサはサンスクリット語で戯曲シャクンタラーをつくった
(まぬほうてんはヴぁるなごとのまもるべききはんやみんぽうけいほうをまとめばらもんのちいきょうちょう)
マヌ法典はヴァルナごとの守るべき規範や民法刑法をまとめバラモンの地位強調
(ヴぁるだなちょうはぐぷたちょうのめつぼうごはるしゃおうがたてたがしごきゅうそくにすいたい)
ヴァルダナ朝はグプタ朝の滅亡後ハルシャ王が建てたが死後急速に衰退