めおと鎧1
山本周五郎の小説
「関ヶ原の戦い」のころのある武士のお話
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問題文
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(こうだまごべえがひりゅうをきったのは、「いぬ」といういきものがきらいだ)
香田孫兵衛が飛竜を斬ったのは、「犬」といういきものが嫌いだ
(ったからではない。どちらかといえばかれはいぬはすきであった。)
ったからではない。どちらかといえばかれは犬は好きであった。
(せけんにはよくいぬとさえみればむさべつによびかけたりあたまをなでたりするひとがいるが)
世間にはよく犬とさえみれば無差別に呼びかけたり頭をなでたりする人がいるが
(それほどではないにしても、すきなほうではあった。)
それ程ではないにしても、好きなほうではあった。
(しかしひりゅうは、かれのすきないぬのぶるいには)
しかし飛竜は、かれの好きな犬の部類には
(はいらなかった。あまりにおおきすぎるし、めつきがわるい。)
はいらなかった。あまりに大きすぎるし、眼つきがわるい。
(たいどがごうまんだった。ひとをひとともおもわぬつらつきで、)
態度が傲慢だった。人を人とも思わぬつらつきで、
(おまえたちのよわみはみんなしっているぞ、とでもいうようなふうをする。)
おまえたちの弱みはみんな知っているぞ、とでもいうような風をする。
(けんもんにいぞんするにんげんにはよくあるふうだ。そして、じっさいひりゅうは、)
権門に依存する人間にはよくある風だ。そして、じっさい飛竜は、
(けんもんにこびるためのそんざいだった。つまり、きくおかよきちろうが、ごしゅくんあさのよしなが)
権門に媚るための存在だった。つまり、菊岡与吉郎が、ご主君浅野幸長
(のおためになるよう、いしだみつなりにおくるしたごころで)
のおためになるよう、石田三成に贈るしたごころで
(かいそだてていたものである。よきちろうはまごべいにはぎけいにあたっていた。)
飼い育てていたものである。与吉郎は孫兵衛には義兄に当っていた。
(かれのつまのあにである。そのしたになおやごろうというおとうとがいて、)
かれの妻の兄である。そのしたになお弥五郎という弟がいて、
(これはなかなかのぶべんしゃなのできがあったけれど、ぎけいとはときがたつほど)
これはなかなかの武弁者なので気が合ったけれど、義兄とはときが経つほど
(そかくするばかりだった。しゅくんのおためにというのはよいが、)
疎隔するばかりだった。主君のおためにというのはよいが、
(けんもんにものをおくるというこんじょうはさむらいとしてくつじょくである。)
権門に物を贈るという根性はさむらいとして屈辱である。
(しかもよきちろうのばあいには、あわよくばごしゅくんをさしこえておのれが)
しかも与吉郎の場合には、あわよくばご主君をさし越えておのれが
(じぶのしょうのきにいろうとするようすさえあった。だいじょうだいじんひでよしが)
治部少輔の気にいろうとするようすさえあった。太政大臣秀吉が
(こうじていちねん、とよとみしのけんせいのちゅうすうはいまじぶのしょうみつなりのてに)
こうじて一年、豊臣氏の権勢の中枢はいま治部少輔三成の手に
(あるがごとくみえる。これにたいしてとくがわいえやすがようやく)
あるが如くみえる。これに対して徳川家康がようやく
など
(そのおおきいそんざいをしめしはじめていたし、このにしゃのたいりつは)
その大きい存在を示しはじめていたし、この二者の対立は
(こころあるひとびとのめにかなりはっきりしたものになりつつあったが、)
心ある人々の眼にかなりはっきりしたものになりつつあったが、
(めのまえのけんせいきりみえないひとたちはしきりにじぶのしょうのもんへでいりした。)
めのまえの権勢きりみえない人たちはしきりに治部少輔の門へ出入りした。
(よきちろうもそのたぐいである。それがまごべえにはよくわかっていた。)
与吉郎もそのたぐいである。それが孫兵衛にはよくわかっていた。
(なんとかしなくてはいけない。おりにふれては、)
なんとかしなくてはいけない。折にふれては、
(そうかんがえていたのである。その「なんとか」が)
そう考えていたのである。その「なんとか」が
(つまりひりゅうをきることになったのだ。)
つまり飛竜を斬ることになったのだ。