めおと鎧10

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問題文

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(とくがわいえやすは、ほんたいをひっさげてじゅういちにちにきよすへとうちゃくし)

徳川家康は、本隊をひっさげて十一日に清洲へ到着し

(じゅうさんにちにはぎふへきていたので、)

十三日には岐阜へ来ていたので、

(そこはぐんばでもみかえすこんざつだった。)

そこは軍馬で揉みかえす混雑だった。

(まごべえはほんだただかつのじんをたずね、ひらばやしだいぜんにめんかいをもとめた、)

孫兵衛は本多忠勝の陣をたずね、平林大膳に面会をもとめた、

(・・・・・・かれはへいふくのままだった、こぐそくをかうことさえできなかった、)

……かれは平服のままだった、小具足を買うことさえできなかった、

(それでだいぜんにたのんであしがるのぐそくでもよいから)

それで大膳にたのんで足軽の具足でもよいから

(かりようとおもったのである。しかしひらばやしだいぜんは、)

借りようと思ったのである。しかし平林大膳は、

(そこにはいなかった。せんぱつたいといっしょにぜんせんへ)

そこにはいなかった。先発隊といっしょに前線へ

(でたあとだったのである。よし、それならこのなりで)

出たあとだったのである。よし、それならこのなりで

(きりこんでやろう。ぶしがせんじょうへでるのにものぐも)

斬りこんでやろう。武士が戦場へ出るのに物具も

(つけないというのははじとしてある。)

戴けないというのは恥としてある。

(けれどもうそんなことをかんがえているいとまはなかった。)

けれどもうそんなことを考えているいとまはなかった。

(まごべえは、こころをきめてあかさかのえきへとむかった。)

孫兵衛は、心をきめて赤坂の駅へとむかった。

(あさのよしながは、たるいのえきのにしにじんをしいていた。)

浅野幸長は、垂井の駅の西に陣をしいていた。

(じゅうよっかのよる、かれはたるいへはいったが、どうしてもごしゅくんの)

十四日の夜、かれは垂井へはいったが、どうしてもごしゅくんの

(じんへしこうするきにならなかった。)

陣へ伺候する気にならなかった。

(なにかひとはたらきしてからでなくてはほうばいにあわせるかおもない、)

なにかひと働きしてからでなくては朋輩にあわせる顔もない、

(まごべえはおりからのはげしいあめをおかして、)

孫兵衛は折からのはげしい雨を冒して、

(やみよのみちをさらににしへとすすんでいった。)

闇夜の道をさらに西へと進んでいった。

(けいちょうごねんくがつじゅうごにち、よあけとともにあめはやんだが、)

慶長五年九月十五日、夜明けと共に雨はやんだが、

など

(のはいちめんにのうむがたちこめ、あいたいじする)

野はいちめんに濃霧がたちこめ、あい対峙する

(とうざいおよそじゅうしごまんのぐんぜいは、ひきしぼれるだけひきしぼった)

東西およそ十四五万の軍勢は、ひき絞れるだけひき絞った

(ゆんづるのように、まんをじしてせんきのいたるのをまった。)

弓弦のように、満を持して戦機の到るのを待った。

(かくしてごぜんはちじ、とうぐんのさよくにあったいいなおまさが、)

かくして午前八時、東軍の左翼にあった井伊直政が、

(てきうよくにあるうきたひでいえにむかってかんぜんといくさをいどみ)

敵右翼にある宇喜多秀家にむかって敢然と戦をいどみ

(ここにせきがはらのかっせんのまくはきっておとされたのである。)

ここに関ヶ原合戦の幕はきっておとされたのである。

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