未 本編 -5-
cicciさんのアカウント
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| 順位 | 名前 | スコア | 称号 | 打鍵/秒 | 正誤率 | 時間(秒) | 打鍵数 | ミス | 問題 | 日付 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | berry | 7984 | 神 | 8.1 | 97.7% | 404.8 | 3308 | 76 | 58 | 2025/10/30 |
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問題文
(なるほど。ぼくらはいらいをうけたたちばで、おかみのほうがいらいきゃくだ。)
なるほど。僕らは依頼を受けた立場で、女将の方が依頼客だ。
(それなのに、ここきゃくしつにいては、しょくぎょうがらおかみはぼくらをきゃくとして)
それなのに、ここ客室にいては、職業柄女将は僕らを客として
(ぐうしてしまうにちがいない。それではちぐはぐなやりとりになると)
遇してしまうに違いない。それではちぐはぐなやりとりになると
(ししょうはかんがえたのだ。さすがになれている。)
師匠は考えたのだ。さすがに慣れている。
(かいだんをおり、ぼくらはふろんとのちょうどうらがわにあったおうせつしつにとおされた。)
階段を降り、僕らはフロントのちょうど裏側にあった応接室に通された。
(ぼくとししょうはそふぁーにこしかけ、てーぶるをはさんでむかいにおかみと)
僕と師匠はソファーに腰かけ、テーブルを挟んで向かいに女将と
(でむかえてくれたかくがりのだんせい。)
出迎えてくれた角刈りの男性。
(「ばんとうけんりょうりちょうのいぐちです」)
「番頭兼料理長の井口です」
(おかみのしょうかいにだんせいは「いぐちかんすけです」とあたまをさげた。)
女将の紹介に男性は「井口勘介です」と頭を下げた。
(「せんだいからおつかえしております」)
「先代からお仕えしております」
(あいきょうのあるかおではない。うすくなりかけたあたまのしたにまるいおにがわらがちんざしている。)
愛嬌のある顔ではない。薄くなりかけた頭の下に丸い鬼瓦が鎮座している。
(どこかむすっとしているようだ。)
どこかムスッとしているようだ。
(そしてその、おつかえしている、というじだいさくごないいまわしに、)
そしてその、お仕えしている、という時代錯誤な言い回しに、
(いぬのようなじっちょくさをかいまみたきがした。)
犬のような実直さを垣間見た気がした。
(おかみのなまえはとかのちよこといって、このおんせんちであるまつのきごうで)
女将の名前は戸叶千代子といって、この温泉地である松ノ木郷で
(いつつあるというおんせんりょかんのひとつである「とかの」のさんだいめだということだった。)
五つあるという温泉旅館の一つである「とかの」の三代目だということだった。
(このまつのきごうは、おんせんちとしてはれきしがあさく、めいじにはいってから)
この松ノ木郷は、温泉地としては歴史が浅く、明治に入ってから
(ぼーりんぐによってわきだしたものなのだそうだ。)
ボーリングによって湧き出したものなのだそうだ。
(そのおんせんりょかんのなかでもこの「とかの」はいちばんあたらしく、おおさかでざいもくやを)
その温泉旅館の中でもこの「とかの」は一番新しく、大阪で材木屋を
(いとなんでいたしょだいのとかのかめきちしがこちらへうつりすんできてひらいたものだという。)
営んでいた初代の戸叶亀吉氏がこちらへ移り住んできて開いたものだという。
(いちばんのしんがおということにくわえ、よそものということでさいしょはずいぶんくろうしたそうだ。)
一番の新顔ということに加え、よそ者ということで最初は随分苦労したそうだ。
(りょかんくみあいでもなにかにつけ、いじわるをされてきたという。)
旅館組合でもなにかにつけ、意地悪をされてきたという。
(そしてそれはだいをかさねたいまになっても、ひかげのしたでつづいているというはなしだった。)
そしてそれは代を重ねた今になっても、日陰の下で続いているという話だった。
(「わたしなど、うまれもそだちもまつのきですのにね」とおかみはさびしそうにつぶやいた。)
「私など、生まれも育ちも松ノ木ですのにね」と女将は寂しそうに呟いた。
(そのよそものにたいするいじわるも、ばんとうのかんすけさんというそんざいのおかげで)
そのよそ者に対する意地悪も、番頭の勘介さんという存在のおかげで
(いくぶんかやわらいでいるそうだ。かんすけさんのいぐちけは、じもとのすいりくみあいや)
幾分か和らいでいるそうだ。勘介さんの井口家は、地元の水利組合や
(しょうぼうだんなどではちゅうしんとなってきたいえで、いわばこのまつのきごうではかおやくのひとつだ。)
消防団などでは中心となってきた家で、いわばこの松ノ木郷では顔役の一つだ。
(そのむすこがばんとうをしているというだけで、)
その息子が番頭をしているというだけで、
(こさんのりょかんへのにらみがきいていることになる。)
古参の旅館への睨みが利いていることになる。
(かんすけさんじしんももちまえのきしょうで、りょかんくみあいのよりあいなどで)
勘介さん自身も持ち前の気性で、旅館組合の寄り合いなどで
(「とかの」がふりになるようなとりきめがもちだされると、)
「とかの」が不利になるような取り決めが持ち出されると、
(まっかになってどなりちらし、ほごにしてしまうようなこともたたあった。)
真っ赤になって怒鳴りちらし、反故にしてしまうようなことも多々あった。
(かんすけさんはわかいじぶん、あまりのふりょうぶりでじっかからかんどうされそうになっていた)
勘介さんは若い時分、あまりの不良ぶりで実家から勘当されそうになっていた
(ところを、「とかの」のせんだい、つまりちよこさんのちちおやにさとされて、)
ところを、「とかの」の先代、つまり千代子さんの父親に諭されて、
(ここではたらくようになったのだそうだ。)
ここで働くようになったのだそうだ。
(もともとなにかうちこめることがあると、まじめにとりくむせいかくだったらしく、)
元々なにか打ち込めることがあると、真面目に取り組む性格だったらしく、
(とたんにひとがかわったようにあせみずをながすようになり、)
とたんに人が変わったように汗水を流すようになり、
(せんだいにもたいへんかわいがられた。)
先代にも大変可愛がられた。
(それいらい、「とかの」へのちゅうせいしんたるやきんてつのごとし、というぐあいで、)
それ依頼、「とかの」への忠誠心たるや金鉄のごとし、という具合で、
(いまやむすめもなかいとしておやこにだいではたらいているのだそうだ。)
今や娘も仲居として親子二台で働いているのだそうだ。
(ただこのじょうほう、こうはんのほとんどはそのむすめのひろこさんからあとにききとったもので、)
ただこの情報、後半のほとんどはその娘の広子さんから後に聞き取ったもので、
(とうのかんすけさんはししょうとおかみがおうせつしつではなしているあいだ、)
当の勘介さんは師匠と女将が応接室で話している間、
(ほとんどくちをきかずにふきげんそうなかおをしていた。)
ほとんど口を聞かずに不機嫌そうな顔をしていた。
(「ゆうれいがでるといううわさがたったのはいちねんほどまえからです」)
「幽霊が出るという噂が立ったのは一年ほど前からです」
(とうとうほんだいか。)
とうとう本題か。
(ぼくはきんちょうしてひざのうえのこぶしをかたくにぎった。)
僕は緊張して膝の上の拳を硬く握った。
(「とかの」のしゅくはくきゃくから「よなかにゆうれいをみた」というくじょうがでるようになり、)
「とかの」の宿泊客から「夜中に幽霊を見た」という苦情が出るようになり、
(そのうわさがせまいまつのきごう、そしてまつのきごうのあるにしかわまちにひろがるのは)
その噂が狭い松ノ木郷、そして松ノ木郷のある西川町に広がるのは
(あっというまだった。)
あっという間だった。
(それもきまって「かんぬしのかっこうをしていた」というのだ。)
それも決まって「神主の格好をしていた」というのだ。
(やがてなかいなどじゅうぎょういんからも「みた」というしょうげんがではじめた。)
やがて仲居など従業員からも「見た」という証言が出始めた。
(このままにはしておけないと、じもとのわかみやじんじゃにそうだんして、)
このままにはしておけないと、地元の若宮神社に相談して、
(おはらいにきてもらった。しかし、いっこうにそのしゅつぼつがおさまるけはいはない。)
お祓いに来てもらった。しかし、一向にその出没が収まる気配はない。
(となりのちくのてらにもたのんだが、やはりどれだけねんぶつをとなえてもらっても)
隣の地区の寺にも頼んだが、やはりどれだけ念仏を唱えてもらっても
(ききめはあらわれない。)
効き目は現れない。
(それどころか、よるにそうりょにきてもらったときなど、しつらえれれたごまだんのうえに)
それどころか、夜に僧侶に来てもらった時など、しつらえれれた護摩団の上に
(それをあざわらうかのようなかんぬしすがたのれいがふゆうしているのがみえるといって)
それをあざ笑うかのような神主姿の霊が浮遊しているのが見えると言って
(れっせきしゃからひめいがあがり、どっきょうがちゅうだんされるさわぎにもなった。)
列席者から悲鳴が上がり、読経が中断される騒ぎにもなった。