哲学本を読んだ時に感じる違和感とは

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投稿者投稿者takeshi  いいね0  お気に入り登録
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(てつがくのほんをよんでいると「たしかにいわれてみればそうだよね、そういう) 哲学の本を読んでいると「確かに言われてみればそうだよね、そういう (かんがえかたもあるよね」といちおうなっとくはしますが「かんぜんにふにおちた!」とまでは) 考え方もあるよね」と一応納得はしますが「完全に腑に落ちた!」とまでは (ならないのはしごくまっとうでせいじょうなかんせいだとおもいます。) ならないのは至極まっとうで正常な感性だと思います。 (れきしにのこるてつがくは「たすうけつでただしいときまったからうけつがれた」わけでは) 歴史に残る哲学は「多数決で正しいと決まったから受け継がれた」わけでは (ありません。むしろぎゃくで、とうじのだいたすうのひとびとからは「あたまがおかしい」) ありません。むしろ逆で、当時の大多数の人々からは「頭がおかしい」 (「きけんしそうだ」ともうはんぱつをうけたものもたくさんあります。) 「危険思想だ」と猛反発を受けたものもたくさんあります。 (では、なぜ「ふにおちきらない」ようなてつがくがなんびゃくねん、なんぜんねんも) では、なぜ「腑に落ち切らない」ような哲学が何百年、何千年も (かたりつがれているのか?それはてつがくにおける「ただしさ」のきまりかたが) 語り継がれているのか?それは哲学における「正しさ」の決まり方が (りかやすうがく、あるいはみんしゅしゅぎのきまりかたとはまったくことなるからです。) 理科や数学、あるいは民主主義の決まり方とは全く異なるからです。 (おおきく3つのりゆうがあります。) 大きく3つの理由があります。
(1。てつがくの「ただしさ」は「せいかい」ではなく「きょうこなろんり」) 1。哲学の「正しさ」は「正解」ではなく「強固な論理」 (かがくなら「じっけんでさいげんできるか」すうがくなら「しょうめいできるか」でただしさが) 科学なら「実験で再現できるか」数学なら「証明できるか」で正しさが (きまります。しかし、てつがくがあつかう「いきかた」「そんざい」「せいぎ」には) 決まります。しかし、哲学が扱う「生き方」「存在」「正義」には (じっけんでかくにんできるようなきゃっかんてきなせいかいがありません。てつがくのせかいで) 実験で確認できるような客観的な正解がありません。哲学の世界で (ただしい(ひょうかされる)とされるのは「どれだけはんろんのすきがないほど) 正しい(評価される)とされるのは「どれだけ反論の隙がないほど (てっていてきにかんがえぬかれているか」というろんりのきょうどです。) 徹底的に考え抜かれているか」という論理の強度です。 (れい:「せかいはすべてゆめかもしれない」というかんがえ(でかるとなど)は) 例:「世界は全て夢かもしれない」という考え(デカルトなど)は (ちょっかんてきには「そんなわけない」とおもいますよね。しかし) 直感的には「そんなわけない」と思いますよね。しかし (「ぜったいにゆめではないと100%しょうめいできるか?」ととわれると) 「絶対に夢ではないと100%証明できるか?」と問われると (だれ1りとしてろんりてきにいいかえせません。) 誰1人として論理的に言い返せません。
など
(ふにおちないのは、それが「にんげんのかんかくやちょっかん(りありてぃ)」をこえて) 腑に落ちないのは、それが「人間の感覚や直感(リアリティ)」を超えて (ろんりのきょくげんまでつきつめられているからです。) 論理の極限まで突き詰められているからです。 (2。「ただしさ」ではなく「あたらしいめがね(しこうのふれーむ)」をあたえたから) 2。「正しさ」ではなく「新しいメガネ(思考のフレーム)」を与えたから (れきしにのこるてつがくしゃたちは、だれかをなっとくさせたからいきのこったのではなく) 歴史に残る哲学者たちは、誰かを納得させたから生き残ったのではなく (「せかいをみるためのあたらしいめがね(してん)」をじんるいにていじしたから) 「世界を見るための新しいメガネ(視点)」を人類に提示したから (いきのこりました。) 生き残りました。 (れい:かんとのてつがく) 例:カントの哲学 (それまでひとびとは「にんげんはせかいをそのままみている」とおもっていました) それまで人々は「人間は世界をそのまま見ている」と思っていました (かんとは「にんげんは「にんげんようのれんず(にんしきのわくぐみ)」をとおしてしかせかいを) カントは「人間は「人間用のレンズ(認識の枠組み)」を通してしか世界を (みられない」としゅちょうしました。) 見られない」と主張しました。 (「たしかにそのめがねをかけると、いままでせつめいがつかなかったぎもんが) 「確かにそのメガネをかけると、今まで説明がつかなかった疑問が (せつめいできてしまう」というえいきょうりょくのおおきさによって、こうせいのしそうかたちが) 説明できてしまう」という影響力の大きさによって、後世の思想家たちが (「このひとのかんがえ(めがね)をむししてはつぎにすすめない」となり) 「この人の考え(メガネ)を無視しては次に進めない」となり (かたりつがれていきました。) 語り継がれていきました。 (3。「ひはんのひょうてき」としてゆうしゅうだったから(といのつよさ)) 3。「批判の標的」として優秀だったから(問いの強さ) (てつがくしのおもしろさは「まえのてつがくしゃのまちがいを、つぎのてつがくしゃがぜんりょくでろんぱする」) 哲学史の面白さは「前の哲学者の間違いを、次の哲学者が全力で論破する」 (というばとんりれーにあります。) というバトンリレーにあります。 (でかるとが「こころとからだはべつものだ」といった) デカルトが「心と体は別物だ」と言った (すぴのざが「いや、こころとからだはおなじひとつのもののうらおもてだ」とひはんした) スピノザが「いや、心と体は同じ一つのものの裏表だ」と批判した (かんとが「2りともぎろんのぜんていがまちがっている」とまとめてろんぱした) カントが「2人とも議論の前提が間違っている」とまとめて論破した (つまり、こうせいにのこるてつがくとは「だれもがさんどうしたただしいせつ」ではなく) つまり、後世に残る哲学とは「誰もが賛同した正しい説」ではなく (こうせいのあたまのよいひとたちが「これはむしできないぞ、はんろんして) 後世の頭の良い人たちが「これは無視できないぞ、反論して (のりこえなければ!」とおもわされた、きょうりょくなといやせつなのです。) 乗り越えなければ!」と思わされた、強力な問いや説なのです。 (てつがくが「ふにおちない」もうひとつのりゆう) 哲学が「腑に落ちない」もう一つの理由 (てつがくしゃがかいたほんは「かれらがじんせいでぶつかったせつじつなとい」へのこたえです) 哲学者が書いた本は「彼らが人生でぶつかった切実な問い」への答えです (たとえば、しゃかいがほうかいしそうなせんそうちゅうにかかれたてつがくもあれば、しゅうきょうの) 例えば、社会が崩壊しそうな戦争中に書かれた哲学もあれば、宗教の (ぜったいてきなけんいがゆらいだじだいにかかれたてつがくもあります。わたしたちがそれを) 絶対的な権威が揺らいだ時代に書かれた哲学もあります。私たちがそれを (よんだときに「ふーん、まあいわれてみればそうだよね」とさめてしまうのは) 読んだ時に「ふーん、まあ言われてみればそうだよね」と冷めてしまうのは (わたしたちがそのてつがくしゃとおなじ「せつじつなもんだいいしき(とい)」をりあるたいむで) 私たちがその哲学者と同じ「切実な問題意識(問い)」をリアルタイムで (いだいていないからです。じぶんのじんせいで「なぜいきているのかわからない」) 抱いていないからです。自分の人生で「なぜ生きているのかわからない」 (「なにがただしいのかほんきでまよう」といったつよいといにぶつかったしゅんかん) 「何が正しいのか本気で迷う」と言った強い問いにぶつかった瞬間 (かつてふにおちなかったてつがくのひとことが「そういうことか!」とからだに) かつて腑に落ちなかった哲学の一言が「そういうことか!」と身体に (しみこんでくることがあります。てつがくは「みんなできめたただしいこたえ」の) 染み込んでくることがあります。哲学は「みんなで決めた正しい答え」の (これくしょんではなく「じんるいがほんきでなやみぬいたあしあとのきろく」だからこそ) コレクションではなく「人類が本気で悩み抜いた足跡の記録」だからこそ (げんだいまでのこっているのです。) 現代まで残っているのです。
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