芥川龍之介 杜子春⑤/⑥

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(ごとししゅんのからだはいわのうえへ、あおむけにたおれていましたが、とししゅんのたましいは、)

【五】 杜子春の体は岩の上へ、仰向けに倒れていましたが、杜子春の魂は、

(しずかにからだからぬけだして、じごくのそこへおりていきました。)

静かに体から抜け出して、地獄の底へ下りて行きました。

(このよとじごくとのあいだには、あんけつどうというみちがあって、)

この世と地獄との間には、 闇穴道(あんけつどう)という道があって、

(そこはねんじゅうくらいそらに、こおりのようなつめたいかぜがぴゅうぴゅうふきすさんで)

そこは年中暗い空に、氷のような冷たい風がぴゅうぴゅう吹き荒んで

(いるのです。とししゅんはそのかぜにふかれながら、しばらくはただこのはのように、)

いるのです。杜子春はその風に吹かれながら、暫くは唯木の葉のように、

(そらをただよっていきましたが、やがてしんらでんというがくのかかった)

空を漂って行きましたが、 やがて森羅殿(しんらでん)という額の懸った

(りっぱなごてんのまえへでました。)

立派な御殿の前へ出ました。

(ごてんのまえにいたおおぜいのおには、とししゅんのすがたをみるやいなや、すぐにそのまわりを)

御殿の前にいた大勢の鬼は、杜子春の姿を見るや否や、すぐにそのまわりを

(とりまいて、きざはしのまえへひきすえました。きざはしのうえには)

取り捲いて、階(きざはし)の前へ引き据えました。階の上には

(ひとりのおうさまが、まっくろなきものにきんのかんむりをかぶって、いかめしく)

一人の王様が、まっ黒な袍(きもの)に金の冠をかぶって、いかめしく

(あたりをにらんでいます。これはかねてうわさにきいた、えんまだいおうにちがいありません。)

あたりを睨んでいます。これは兼ねて噂に聞いた、閻魔大王に違いありません。

(とししゅんはどうなることかとおもいながら、おそるおそるそこへひざまずいていました。)

杜子春はどうなることかと思いながら、恐る恐るそこへ跪いていました。

(「こら、そのほうはなんのために、がびさんのうえへすわっていた?」)

「こら、その方は何の為に、峨眉山の上へ坐っていた?」

(えんまだいおうのこえはらいのように、きざはしのうえからひびきました。とししゅんはさっそくそのといに)

閻魔大王の声は雷のように、階の上から響きました。杜子春は早速その問に

(こたえようとしましたが、ふとまたおもいだしたのは、「けっしてくちをきくな。」)

答えようとしましたが、ふと又思い出したのは、「決して口を利くな。」

(というてっかんしのいましめのことばです。そこでただあたまをたれたまま、おしのように)

という鉄冠子の戒めの言葉です。そこで唯頭を垂れたまま、唖(おし)のように

(だまっていました。するとえんまだいおうは、もっていたてつのしゃくをあげて、)

黙っていました。すると閻魔大王は、持っていた鉄の笏(しゃく)を挙げて、

(かおじゅうのひげをさかだてながら、)

顔中の髭を逆立てながら、

(「そのほうはここをどこだとおもう?すみやかにへんとうをすればよし、さもなければ)

「その方はここをどこだと思う? 速やかに返答をすれば好し、さもなければ

(ときをうつさず、じごくのかしゃくにあわせてくれるぞ。」と、いたけだかにののしりました。)

時を移さず、地獄の呵責に遇わせてくれるぞ。」と、威丈高に罵りました。

など

(が、とししゅんはあいかわらずくちびるひとつうごかしません。それをみたえんまだいおうは、)

が、杜子春は相変らず唇一つ動かしません。それを見た閻魔大王は、

(すぐにおにどものほうをむいて、あらあらしくなにかいいつけると、)

すぐに鬼どもの方を向いて、荒々しく何か言いつけると、

(おにどもはいちどにかしこまって、たちまちとししゅんをひきたてながら、)

鬼どもは一度に畏まって、忽ち杜子春を引き立てながら、

(しんらでんのそらへまいあがりました。)

森羅殿の空へ舞い上がりました。

(じごくにはだれでもしっているとおり、つるぎのやまやちのいけのほかにも、)

地獄には誰でも知っている通り、剣の山や血の池の外にも、

(しょうねつじごくというほのおのたにや、ごくかんじごくというこおりのうみが、)

焦熱地獄という焔の谷や、極寒地獄という氷の海が、

(まっくらなそらのしたにならんでいます。おにどもはそういうじごくのなかへ、)

真暗な空の下に並んでいます。鬼どもはそういう地獄の中へ、

(かわるがわるとししゅんをほうりこみました。ですからとししゅんはむざんにも、)

代わる代わる杜子春を抛りこみました。ですから杜子春は無残にも、

(つるぎにむねをつらぬかれるやら、ほのおにかおをやかれるやら、したをぬかれるやら、)

剣に胸を貫かれるやら、焔に顔を焼かれるやら、舌を抜かれるやら、

(かわをはがれるやら、てつのきねにつかれるやら、あぶらのなべににられるやら、)

皮を剥がれるやら、鉄の杵に撞かれるやら、油の鍋に煮られるやら、

(どくじゃにのうみそをすわれるやら、くまたかにめをくわれるやら、)

毒蛇に脳味噌を吸われるやら、熊鷹に眼を食われるやら、

(ーーそのくるしみをかぞえたてていては、とうていさいげんがないくらい、)

ーーその苦しみを数え立てていては、到底際限がない位、

(あらゆるせめくにあわされたのです。それでもとししゅんはがまんづよく、)

あらゆる責苦に遇わされたのです。それでも杜子春は我慢強く、

(じっとはをくいしばったまま、ひとこともくちをききませんでした。)

じっと歯を食いしばったまま、一言も口を利きませんでした。

(これにはさすがのおにどもも、あきれかえってしまったのでしょう。)

これにはさすがの鬼どもも、呆れ返ってしまったのでしょう。

(もういちどよるのようなそらをとんで、しんらでんのまえへかえってくると、)

もう一度夜のような空を飛んで、森羅殿の前へ帰って来ると、

(さっきのとおりとししゅんをきざはしのしたにひきすえながら、ごてんのうえのえんまだいおうに、)

さっきの通り杜子春を階の下に引き据えながら、御殿の上の閻魔大王に、

(「このざいにんはどうしても、ものをいうけしきがございません。」)

「この罪人はどうしても、ものを言う気色がございません。」

(と、くちをそろえてごんじょうしました。)

と、口を揃えて言上しました。

(えんまだいおうはまゆをひそめて、しばらくしあんにくれていましたが、)

閻魔大王は眉をひそめて、暫く思案に暮れていましたが、

(やがてなにかおもいついたとみえて、)

やがて何か思いついたと見えて、

(「このおとこのちちははは、ちくしょうどうにおちているはずだから、)

「この男の父母(ちちはは)は、畜生道に落ちている筈だから、

(さっそくここへひきたててこい。」と、いっぴきのおににいいつけました。)

早速ここへ引き立てて来い。」と、一匹の鬼に云いつけました。

(おにはたちまちかぜにのって、じごくのそらへまいあがりました。とおもうと、)

鬼は忽ち風に乗って、地獄の空へ舞い上がりました。と思うと、

(またほしがながれるように、にひきのけものをかりたてながら、)

又星が流れるように、二匹の獣を駆り立てながら、

(さっとしんらでんのまえへおりてきました。そのけものをみたとししゅんは、)

さっと森羅殿の前へ下りて来ました。その獣を見た杜子春は、

(おどろいたのおどろかないのではありません。なぜかといえばそれはにひきとも、)

驚いたの驚かないのではありません。なぜかといえばそれは二匹とも、

(かたちはみすぼらしいやせうまでしたが、かおはゆめにもわすれない、)

形は見すぼらしい痩せ馬でしたが、顔は夢にも忘れない、

(しんだちちははのとおりでしたから。)

死んだ父母の通りでしたから。

(「こら、そのほうはなんのために、がびさんのうえにすわっていたか、)

「こら、その方は何の為に、峨眉山の上に坐っていたか、

(まっすぐにはくじょうしなければ、こんどはそのほうのちちははにいたいおもいをさせてやるぞ。」)

まっすぐに白状しなければ、今度はその方の父母に痛い思いをさせてやるぞ。」

(とししゅんはこうおどされても、やはりへんとうをしずにいました。)

杜子春はこう嚇されても、やはり返答をしずにいました。

(「このふこうものめが。そのほうはちちははがくるしんでも、)

「この不孝者めが。その方は父母が苦しんでも、

(そのほうさえつごうがよければ、よいとおもっているのだな。」)

その方さえ都合が好ければ、好いと思っているのだな。」

(えんまだいおうはしんらでんもくずれるほど、すさまじいこえでわめきました。)

閻魔大王は森羅殿も崩れる程、凄まじい声で喚きました。

(「うて。おにども。そのにひきのちくしょうを、にくもほねもうちくだいてしまえ。」)

「打て。鬼ども。その二匹の畜生を、肉も骨も打ち砕いてしまえ。」

(おにどもはいっせいに「はっ」とこたえながら、てつのむちをとってたちあがると、)

鬼どもは一斉に「はっ」と答えながら、鉄の鞭をとって立ち上ると、

(しほうはっぽうからにひきのうまを、みれんみしゃくなくうちのめしました。)

四方八方から二匹の馬を、未練未釈なく打ちのめしました。

(むちはりうりうとかぜをきって、ところきらわずあめのように、)

鞭はりうりうと風を切って、所嫌わず雨のように、

(うまのひにくをうちやぶるのです。うまは、ーーちくしょうになったちちははは、)

馬の皮肉を打ち破るのです。馬は、ーー畜生になった父母は、

(くるしさにみをもだえて、めにはちのなみだをうかべたまま、)

苦しさに身を悶えて、眼には血の涙を浮べたまま、

(みてもいられないほどいななきたてました。)

見てもいられない程嘶(いなな)き立てました。

(「どうだ。まだそのほうははくじょうしないか。」)

「どうだ。まだその方は白状しないか。」

(えんまだいおうはおにどもに、しばらくむちのてをやめさせて、)

閻魔大王は鬼どもに、暫く鞭の手をやめさせて、

(もういちどとししゅんのこたえをうながしました。もうそのときにはにひきのうまも、)

もう一度杜子春の答を促しました。もうその時には二匹の馬も、

(にくはさけほねはくだけて、いきもたえだえにきざはしのまえへ、たおれふしていたのです。)

肉は裂け骨は砕けて、息も絶え絶えに階の前へ、倒れ伏していたのです。

(とししゅんはひっしになって、てっかんしのことばをおもいだしながら、)

杜子春は必死になって、鉄冠子の言葉を思い出しながら、

(かたくめをつぶっていました。するとそのときかれのみみには、)

固く眼をつぶっていました。するとその時彼の耳には、

(ほとんどこえとはいえないくらい、かすかなこえがつたわってきました。)

殆ど声とはいえない位、かすかな声が伝わってきました。

(「しんぱいをおしでない。わたしたちはどうなっても、おまえさえ)

「心配をおしでない。私たちはどうなっても、お前さえ

(しあわせになれるのなら、それよりけっこうなことはないのだからね。)

仕合せになれるのなら、それより結構なことはないのだからね。

(だいおうがなんとおっしゃっても、いいたくないことはだまっておいで。」)

大王が何と仰っても、言いたくないことは黙っておいで。」

(それはたしかになつかしい、ははおやのこえにちがいありません。)

それは確かに懐かしい、母親の声に違いありません。

(とししゅんはおもわず、めをあきました。そうしてうまのいっぴきが、)

杜子春は思わず、眼をあきました。そうして馬の一匹が、

(ちからなくちじょうにたおれたまま、かなしそうにかれのかおへ、)

力なく地上に倒れたまま、悲しそうに彼の顔へ、

(じっとめをやっているのをみました。ははおやはこんなくるしみのなかにも、)

じっと眼をやっているのを見ました。母親はこんな苦しみの中にも、

(むすこのこころをおもいやって、おにどものむちにうたれたことを、)

息子の心を思いやって、鬼どもの鞭に打たれたことを、

(うらむけしきさえもみせないのです。おおがねもちになればおせじをいい、)

怨む気色さえも見せないのです。大金持になればお世辞を言い、

(びんぼうにんになればくちもきかないせけんのひとたちにくらべると、)

貧乏人になれば口も利かない世間の人たちに比べると、

(なんというありがたいこころざしでしょう。なんというけなげなけっしんでしょう。)

何という有難い志でしょう。何という健気な決心でしょう。

(とししゅんはろうじんのいましめもわすれて、まろぶようにそのそばへはしりよると、)

杜子春は老人の戒めも忘れて、転(まろ)ぶようにその側へ走りよると、

(りょうてにはんしのうまのくびをいだいて、はらはらとなみだをおとしながら、)

両手に半死の馬の頸を抱いて、はらはらと涙を落しながら、

(「おかあさん。」とひとこえをさけびました。・・・)

「お母さん。」と一声を叫びました。・・・

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