海野十三 蠅男㉔

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※➀に同じくです。


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問題文

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(さんちゅうのついせき)

◇山中の追跡◇

(さいわいにも、いけたにひかえやのうらどおりはみちがせまかったから、じどうしゃはすぴーどを)

幸いにも、池谷控家の裏通りは道が狭かったから、自動車はスピードを

(あげることができないで、たいやがみぞのなかにおちるのをきにしながら)

あげることができないで、タイヤが溝のなかに落ちるのを気にしながら

(のろのろとうごいていた。ほむらはそれとみるより、ひゃくめーとるほどこうほうからもうれつに)

ノロノロと動いていた。帆村はそれと見るより、百メートルほど後方から猛烈に

(だっしゅしていった。それがわかったものか、じどうしゃはすぴーどをすこしはやめた。)

ダッシュしていった。それが分かったものか、自動車はスピードを少し早めた。

(じどうしゃはいけがきにごとんごとんとつきあたって、いまにもほろがさけそうにみえた。)

自動車は生垣にゴトンゴトンとつきあたって、今にも幌が裂けそうに見えた。

(それにもかまわず、むりなすぴーどをかけていった。)

それにも構わず、無理なスピードを懸けていった。

(ほむらはけんめいにへびーをかけた。もうすこしでじどうしゃのうしろにとびつける。)

帆村は懸命にヘビーをかけた。もう少しで自動車の後ろに飛びつける。

(ーーとおもったせつな、じどうしゃはがたんとしゃたいをゆすってあたまをみぎにふった。)

ーーと思った刹那、自動車はガタンと車体をゆすって頭を右にふった。

(ひろいほどうへでたのだ。)

広い舗道へ出たのだ。

(うぬ、まてえ)

「うぬ、待てエ」

(ほむらははげしいいきぎれのしたから、ふりしぼるようなこえでさけんだ。しかしそれは)

帆村は激しい息切れの下から、ふりしぼるような声で叫んだ。しかしそれは

(すでにおそかった。じどうしゃはわずかのちがいで、ほどうにのった。そしてほむらを)

既に遅かった。自動車は僅かの違いで、舗道に乗った。そして帆村を

(ちょうしょうするかのようにゆうゆうとすぴーどをあげてはしっていく。)

嘲笑するかのように悠々とスピードをあげて走っていく。

(ほむらはもじどおりせっしやくわんした。もうこうなっては、ざんねんながらにんげんのあしでは)

帆村は文字通り切歯扼腕した。もうこうなっては、残念ながら人間の足では

(きょうそうができない。)

競争が出来ない。

(なにかじどうしゃをついせきできるようなのりものはないか。)

何か自動車を追跡できるような乗り物はないか。

(そのときふとぜんぽうをみると、ろじのところからはなをだしているのはまぎれもなく)

そのときふと前方を見ると、路地のところから鼻を出しているのは紛れもなく

(おーとばいだった。これはうまいものがある。ほむらはおどりあがってそこへ)

オートバイだった。これはうまいものがある。帆村は躍りあがってそこへ

(とんでいった。)

飛んでいった。

など

(それはおーとばいとおもいのほか、おーとさんりんしゃであった。それはおおさかほうめんの)

それはオートバイと思いの外、オート三輪車であった。それは大阪方面の

(あるみそやのはいたつようさんりんしゃであって、くるまのうえにはちいさなたるがまだよっついつつも)

或る味噌屋の配達用三輪車であって、車の上には小さな樽がまだ四つ五つも

(のっていた。そしてちょうどそのときてんいんがそばのやしきのかってぐちからとどけひょうをてに)

載っていた。そして丁度そのとき店員が傍の邸の勝手口から届け票を手に

(しながらおうらいへでてきたので、ほむらはさっそくそのてんいんのところへかけよった。)

しながら往来へ出てきたので、帆村は早速その店員のところへ駈け寄った。

(そこでくちばやに、くるまをかしてもらいたいというこうしょうがはじまった。てんいんはめを)

そこで口早に、車を貸してもらいたいという交渉が始まった。店員は目を

(ぱちくりしているばかりだった。なにしろはんにんついせきをやるんだから、ぜひ)

パチクリしているばかりだった。なにしろ犯人追跡をやるんだから、ぜひ

(かしてくれといったが、てんいんはしゅじんにしかられるからといってしょうちしなかった。)

貸してくれといったが、店員は主人に叱られるからといって承知しなかった。

(そのうちにもじこくはどんどんたっていく。せんざいのいちぐうをここでにがすことは、)

そのうちにも時刻はドンドン経っていく。千載の一隅をここで逃がすことは、

(とてもほむらのたえられるところでなかった。)

とても帆村の耐えられるところでなかった。

((もんどうはむえきだ!))

(問答は無益だ!)

(ほむらはとっさにけっしんをした。すきだらけのてんいんのあごをねらってしたからどーんと)

帆村は咄嗟に決心をした。隙だらけの店員の顎を狙って下からドーンと

(あっぱーかっとをくらわせた。てんいんはあっともいわず、ちじょうにしりもちをつくなり)

アッパーカットを喰らわせた。店員はあッとも言わず、地上に尻餅をつくなり

(ながながとのびてしまった。)

長々と伸びてしまった。

(すまんすまん。あとからぼくをおもうぞんぶんなぐらせるから、わるくおもわんで・・・)

「済まん済まん。あとから僕を思う存分殴らせるから、悪く思わんで・・・」

(と、こころのなかでいいすてて、ほむらはくるまのうえにまたがった。そしてえんじんをかけて)

と、心の中で云い捨てて、帆村は車の上に跨った。そしてエンジンを懸けて

(はしりだそうとしたが、かれはこのときなにをおもったものか、またちじょうにおりて、)

走りだそうとしたが、彼はこのときなにを思ったものか、また地上に下りて、

(のびているてんいんせんせいをだきおこした。)

伸びている店員先生を抱き起した。

(かつをいれると、てんいんせんせいはすぐにうーんとうなりながらきがついた。)

活を入れると、店員先生はすぐにウーンと呻りながら気がついた。

(それをみるより、ほむらはてんいんせんせいをはいごからかかえて、くるまのこうぶにつんだみそだるの)

それを見るより、帆村は店員先生を背後から抱えて、車の後部に積んだ味噌樽の

(うえにのせた。このときてんいんせんせいはやっと、このばのじじょうをしった。)

上に載せた。このとき店員先生はやっと、この場の事情を知った。

(こら、なにをするんや、どろぼう!)

「こら、何をするんや、泥棒!」

(げんこつをくうわ、くるまはとられるわ、このうえくるまのうえにのせられようとする。)

拳骨を喰うわ、車は盗られるわ、この上車の上に載せられようとする。

(かれはふんがいのいろをうかべるよりはやく、ほむらにくってかかるためにたるのうえに)

彼は憤慨の色を浮かべるより早く、帆村に食って掛かるために樽の上に

(たちあがろうとした。ほむらははやくもこれにきづいた。)

立ち上がろうとした。帆村は早くもこれに気づいた。

(まあおちつけ)

「まあ落ち着け」

(かれはひとことそういってひらりとくるまにまたがると、すばやくくらっちをふんだ。)

彼は一言そう云ってヒラリと車に跨ると、素早くクラッチを踏んだ。

(おーとさんりんしゃはおおきくゆれると、はじかれたようにろじからはしりだした。)

オート三輪車は大きく揺れると、弾かれたように路地から走りだした。

(ああっ、あぶないあぶない)

「ああッ、あぶないあぶない」

(てんいんせんせいはたるのうえにたちあがろうとしたが、たちまちくるまがはしりだしたもので、)

店員先生は樽の上に立ち上がろうとしたが、たちまち車が走りだしたもので、

(くるまからふりおとされそうになった。それでまたへっぴりごしをしてたるのうえに)

車から振り落とされそうになった。それでまた屁っ放り腰をして樽の上に

(かがみ、そしてくるまからふりおとされないためにかおをまっかにしていっしょうけんめい)

屈み、そして車から振り落とされないために顔を真っ赤にして一生懸命

(にもつだいにしがみついた。)

荷物台に獅噛みついた。

(こら、むちゃするな、どろぼうどろぼう)

「こら、無茶するな、泥棒泥棒」

(そうだそうだ。もっとおおきなこえでどなるんだ)

「そうだそうだ。もっと大きな声で怒鳴るんだ」

(ええっとてんいんせんせいはけげんなかおをしたが、おおみんなきてくれ、どろ・・・と)

「ええッ」と店員先生は怪訝な顔をしたが、「おお皆来てくれ、泥・・・」と

(いいかけてくびをかしげた。)

いいかけて首をかしげた。

(こらみょうなこっちゃ。このどろぼうやろうがくるまをぬすみよって、のりにげしてるのや。)

「こら妙なこっちゃ。この泥棒野郎が車を盗みよって、乗り逃げしてるのや。

(しかしそのくるまのうえにはちゃんとおれがのっているのや。するとおれはくるまを)

しかしその車の上にはちゃんと俺が載っているのや。すると俺は車を

(ぬすまれたことになるやろか、それともぬすまれてえへんことになるやろか、)

盗まれたことになるやろか、それとも盗まれてえへんことになるやろか、

(いったいどっちがほんまやろか、さあわけがわからへんわ)

一体どっちがホンマやろか、さあ訳が分からへんわ」

(ごとごとするたるのうえにてんいんせんせいがくるまをぬすまれたのかどうかということをいっしょうけんめい)

ゴトゴトする樽の上に店員先生が車を盗まれたのかどうかということを一生懸命

(かんがえているあいだに、ほむらはめをさらのようにしてぜんぽうにかいじんののったじどうしゃをもとめて)

考えている間に、帆村は眼を皿のようにして前方に怪人の乗った自動車を求めて

(おーとさんりんしゃをうんてんしていった。)

オート三輪車を運転していった。

(かいじんのじどうしゃは、みちをさせつしてはしをわたったものらしい。)

怪人の自動車は、道を左折して橋を渡ったものらしい。

(おんせんばのあいだをぬってきょうほんしていくさんりんしゃに、とうじのきゃくたちはきもをつぶして)

温泉場の間を縫って狂奔していく三輪車に、湯治の客たちは胆をつぶして

(みちのさゆうにとびのいた。)

道の左右に飛びのいた。

(ほむらはまっしぐらにはしのうえをかけぬけた。それからやまみちにかかったが、やっとぜんぽうに)

帆村は驀地に橋の上を駈け抜けた。それから山道に懸かったが、やっと前方に

(かいじんののったじどうしゃのすがたをちらとみとめた。)

怪人の乗った自動車の姿をチラと認めた。

(うむ、むこうのほうへにげていくな)

「うむ、向こうの方へ逃げていくな」

(みちがわるくて、かるいしゃたいはごむまりのようにはずんだ。そのたびごとに、)

道が悪くて、軽い車体はゴム毬のように弾んだ。そのたびごとに、

(たるのうえにござるてんいんせんせいはひめいをあげた。)

樽の上に御座る店員先生は悲鳴をあげた。

(もし、たるのうえのあんちゃん。このみちはどこへつづいているんだね)

「モシ、樽の上のあんちゃん。この道はどこへ続いているんだね」

(あらしのようなくうきのながれをついて、ほむらがさけんだ。)

嵐のような空気の流れをついて、帆村が叫んだ。

(このみちなら、ありまへでますわ。おみせとはんたいのほうがくやがな)

「この道なら、有馬へ出ますわ。お店と反対の方角やがナ」

(てんいんせんせいが、はんなきのこえでこたえた。)

店員先生が、半泣きの声で答えた。

(うむ、ありまおんせんへでるのか。ーーあとなんりぐらいあるかね)

「うむ、有馬温泉へ出るのか。ーーあと何里ぐらいあるかネ」

(そうやなあ。ふたりはんぐらいはありまっせ)

「そうやなア。二里半ぐらいはありまっせ」

(ふたりはん。よおし、なんとしてもおいついてやるんだ)

「二里半。よオし、なんとしても追いついてやるんだ」

(ほむらのすがたときたら、じつにもうちんむるいだった。これはあまりにもいさましすぎた。)

帆村の姿と来たら、実にもう珍無類だった。これはあまりにも勇ましすぎた。

(わかいふじんにみせるときぜつをしてしまうかもしれない。なにしろ、しょうめんからの)

若い婦人に見せると気絶をしてしまうかも知れない。なにしろ、正面からの

(はげしいかぜをくらって、どてらのむねははだけてへそまでみえそうである。そのかわり)

激しい風を喰らって、どてらの胸ははだけて臍まで見えそうである。その代わり

(せなかのところで、どてらはあどばるーんのようにまるくふくらんでいた。)

背中のところで、どてらはアドバルーンのように丸く膨らんでいた。

(ぺたるのうえをふまえたにほんのあしは、まるでしゅんめのそれのように)

ペタルの上を踏まえた二本の脚は、まるで 駿馬(しゅんめ)のそれのように

(たくましかったが、あいにくとずぼんをはいていない。ほむらはかいじんのじどうしゃを)

逞しかったが、生憎とズボンを履いていない。帆村は怪人の自動車を

(おいかけるひまひまに、どてらのかをくりかえしくりかえしこうかいしていた。)

追いかけるひまひまに、どてらの禍(か)を繰り返し繰り返し後悔していた。

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