海野十三 蠅男㉖
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問題文
(おどろくべきにゅーす)
◇愕くべきニュース◇
(せっかくほろじどうしゃにおいついて、はてはがけしたまでさがしにいったのに、このなかには)
折角幌自動車に追いついて、果ては崖下まで探しに行ったのに、この中には
(からくれないのちしおにそまったかいじんのしたいがあるかとおもいのほか、だれもいない)
から紅の血潮に染まった怪人の屍体があるかと思いの外、誰もいない
(からっぽであった。ほむらはまっかになってじだんだをふんでくやしがったが、)
空っぽであった。帆村は真っ赤になって地団駄を踏んで口惜しがったが、
(それとともにいっぽうではあんしんもした。かれはこのくるまのなかにひょっとすると)
それと共に一方では安心もした。彼はこの車の中にひょっとすると
(いとこがはいっているかもしれないとおもっていたのだ。あるいはむざんないとこのきずついた)
糸子が入っているかも知れないと思っていたのだ。或いは無慚な糸子の傷ついた
(すがたをみることかとおもわれていたが、それはまずみないでたすかったというものだ。)
姿を見ることかと思われていたが、それはまず見ないで助かったというものだ。
(ほむらはん。このじどうしゃをうんてんしていたはえおとこはどうしましたんやろ)
「帆村はん。この自動車を運転していた蠅男はどうしましたんやろ」
(さあ、たしかにのっていなきゃならないんだがなあ、はてな・・・)
「さあ、たしかに乗っていなきゃならないんだがなア、ハテナ・・・」
(ほむらがこくびをかしげたとき、ふたりはけいてきのひびきをあたまのうえはるかのところにきいて)
帆村が小首をかしげた時、二人は警笛の響きを頭の上はるかのところに聞いて
(はっとこうちょくした。あれはーーと、がけのうえをあおいだふたりのめに、おもいがけない)
ハッと硬直した。「あれはーー」と、崖の上を仰いだ二人の眼に、思いがけない
(じつにおどろくべきものがうつった。)
実に愕くべきものが映った。
(さっきふたりがのりすててきたおーとさんりんしゃのそばに、ひとりのかいじんがたっていて、)
さっき二人が乗り捨ててきたオート三輪車のそばに、一人の怪人が立っていて、
(こっちをじっとみおろしているのであった。かれはたけのながいまっくろな)
こっちをジッと見下ろしているのであった。彼は丈の長い真っ黒な
(つりがねまんとでもって、かたからしたをすぽりとつつんでいた。そしてそのうえにはかれの)
吊鐘マントでもって、肩から下をスポリと包んでいた。そしてその上には彼の
(くびがあったが、ぞうのはなのようなだかんと、おおきなふたつのめだまがついたぼうどくますくを)
首があったが、象の鼻のような蛇管と、大きな二つの目玉がついた防毒マスクを
(かぶっていた。だからほんとうのかおははっきりわからなかった。ただまるいがらすの)
被っていた。だから本当の顔はハッキリ分からなかった。ただ丸い硝子の
(めだまごしにぎらぎらよくうごくめがあったばかりであった。)
目玉越しにギラギラよく動く眼があったばかりであった。
(あっ、あれはだれだす)
「あッ、あれは誰だす」
(うむ、いまはじめてみたんだが、あれこそはえおとこにちがいない)
「うむ、今はじめて見たんだが、あれこそ蠅男に違いない」
(ええっ、はえおとこ!あれがそうだすか)
「ええッ、蠅男! あれがそうだすか」
(ざんねんながらいっぱいうまくはめられた。じどうしゃがあのやまのはしをまがったところで、)
「残念ながら一杯うまく嵌められた。自動車があの山の端を曲ったところで、
(はえおとこはひらりととびおりてくさむらにみをひそめたんだ。あとはくだりざかのみちだ。)
蠅男はヒラリと飛び下りて叢に身をひそめたんだ。あとは下り坂の道だ。
(じどうしゃはごろごろとひとりでくだっていったのだ。ああそこへかんがえが)
自動車はゴロゴロとひとりで下っていったのだ。ああそこへ考えが
(つかなかった。とにかくいっぽんまいった。しかしはえおとこのすがたをこんなにありありと)
つかなかった。とにかく一本参った。しかし蠅男の姿をこんなにアリアリと
(みたのは、ちかごろでいちばんのおおてがらだ)
見たのは、近頃で一番の大手柄だ」
(ほむらはしたから、ごうぜんとがけのうえにうでをくんでたつはえおとこをにらみつけた。)
帆村は下から、傲然と崖の上に腕を組んで立つ蠅男を睨みつけた。
(あっ、ほむらはん。あいつはみそだるをおろしていまっせ)
「あッ、帆村はん。あいつは味噌樽を下ろしていまっせ」
(うん、はえおとこはあのさんりんしゃにのってにげるつもりなんだ。ぼくたちががけへ)
「うん、蠅男はあの三輪車に乗って逃げるつもりなんだ。僕たちが崖へ
(はいのぼるまでには、すくなくともさん、よんじゅっぷんはかかることをちゃんとかんじょうに)
這い登るまでには、少なくとも三、四十分は懸かることをチャンと勘定に
(いれているんだ。そのうえ、うまくがけのうえにはいあがっても、ぼくたちにのりものの)
いれているんだ。その上、うまく崖の上に這い上がっても、僕たちに乗り物の
(ないことをしっているんだ。まるで、じごまのようにかんちにたけたやつ・・・)
ないことを知っているんだ。まるで、ジゴマのように奸智にたけた奴・・・」
(と、そこまでいったほむらは、きゅうにことばをきった。そしてちょうきちのからだをどーんと)
と、そこまで云った帆村は、急に言葉を切った。そして長吉の身体をドーンと
(つくなり、おう、あぶない。じどうしゃのうしろにかくれろっとはやくちでめいれいした。)
突くなり、「おう、危ない。自動車の後ろに隠れろッ」と早口で命令した。
(そのことばがおわるかおわらないうちに、ぶーんとかぜをきっておちてきたのは)
その言葉が終わるか終わらないうちに、ブーンと風を切って落ちてきたのは
(さんかんめのみそだるだった。ふたりがもうすこしきがつかないでたっていたとしたら、)
三貫目の味噌樽だった。二人がもう少し気がつかないで立っていたとしたら、
(かれらのどっちかがそのおそろしいいきおいでおちてきたみそだるのために、ずがいこつを)
彼等のどっちかがその恐ろしい勢いで落ちてきた味噌樽のために、頭蓋骨を
(ふんさいされなければならなかったろう。)
粉砕されなければならなかったろう。
(みそだるは、なおもうえからぴゅーんとうなりをしょうじておちてきた。そのいきおいの)
味噌樽は、なおも上からピューンと呻りを生じて落ちてきた。その勢いの
(もうれつなことといったら、じめんにおちて、じらいひのようにどろをはねとばし、)
猛烈なことといったら、地面に落ちて、地雷火のように泥をはねとばし、
(こわれじどうしゃにあたっては、てっぱんをひきちぎってちゅうにはねあげるという)
壊れ自動車に当たっては、鉄板を引きちぎって宙に跳ね上げるという
(すごいいきおいであった。なんというきょうりょくなんだろう。みかけはふつうのひとと)
凄い勢いであった。なんという強力なんだろう。見かけは普通の人と
(あんまりちがわぬせたけでありながら、まるでにおうさまがほうだんなげをするような)
あんまり違わぬ背丈でありながら、まるで仁王様が砲弾投げをするような
(はげしいちからをもっているのだった。そのときどこからともなく、ひこうきの)
激しい力を持っているのだった。そのとき何処からともなく、飛行機の
(ぷろぺららしいおんきょうがきこえてきた。)
プロペラらしい音響が聞こえてきた。
(すると、はえおとこはおかしいほどにわかにあわてだした。)
すると、蠅男は可笑しいほど俄に慌てだした。
(さいごのたるをなげつけてしまったかれは、ひらりとじどうさんりんしゃのうえにとびのると、)
最後の樽を投げつけてしまった彼は、ヒラリと自動三輪車の上に飛び乗ると、
(えんじんをかけた。そしてあざやかなはんどるのきりかたでもって、)
エンジンをかけた。そして鮮やかなハンドルの切り方でもって、
(どんどんはしりだした。)
ドンドン走りだした。
(ちょうきちはふんがいのあまり、したからいしをぶっつけたが、どうしてそんなものが)
長吉は憤慨のあまり、下から石をぶっつけたが、どうしてそんなものが
(がけのうえまでとどくものではない。ついにはえおとこはくやしがるほむらとちょうきちとをたにぞこへ)
崖の上まで届くものではない。遂に蠅男は口惜しがる帆村と長吉とを谿底へ
(おいてやまかげにすがたをけしてしまった。きこえていたひこうきのぷろぺらのおとも、)
置いて山かげに姿を消してしまった。聞えていた飛行機のプロペラの音も、
(そのうちにどこともなくきこえなくなった。)
そのうちに何処ともなく聞こえなくなった。
(ほむらとちょうきちとは、いのちびろいをしたことにきがついた。そこでゆうきをつけて、)
帆村と長吉とは、命びろいをしたことに気がついた。そこで勇気をつけて、
(いったんおりたがけを、またえっちらおっちらとあがっていった。じゅっぷんでおりた)
一旦下りた崖を、またエッチラオッチラと上がっていった。十分で下りた
(ところが、さんじゅうごふんもかかってやっとがけのうえにはいのぼれた。)
ところが、三十五分も懸かってやっと崖の上に這い登れた。
(ふたりはゆうがたのやまみちをとことことあるいていった。さんじゅっぷんほどして、やっといちだいの)
二人は夕方の山道をトコトコと歩いていった。三十分ほどして、やっと一台の
(はいやーがとおりかかった。ふたりのろうじんのきゃくがのっていたけれど、むりにたのんで)
ハイヤーが通りかかった。二人の老人の客が乗っていたけれど、無理に頼んで
(それにのせてもらい、はえおとこのにげていったありまおんせんのほうがくへしんげきしていった。)
それに乗せて貰い、蠅男の逃げていった有馬温泉の方角へ進撃していった。
(ありまでは、けいさつからまだなんのてはいもでていなかった。)
有馬では、警察からまだ何の手配も出ていなかった。
(てはいのでんわがかかってきたのは、ほむらがおおさかへでんわをもうしこんだ)
手配の電話が掛かって来たのは、帆村が大阪へ電話を申込んだ
(そのあとからだった。てはいのしへんが、それでもだれかにひろわれたことがわかった。)
その後からだった。手配の紙片が、それでも誰かに拾われたことが判った。
(しかしこうなってはすべてあとのまつりだった。なにしろてはいのじどうしゃは)
しかしこうなってはすべて後の祭りだった。なにしろ手配の自動車は
(さんきょうにおちているのだから。)
山峡に落ちているのだから。
(りんりんりんとでんわがかかってきた。ちゅうざいしょのけいかんがでた。)
リンリンリンと電話が掛かって来た。駐在所の警官が出た。
(ああむらまつけんじどのでございますか。はあほむらさんはいらっしゃいます)
「ああ村松検事どのでございますか。はア帆村さんはいらっしゃいます」
(ほむらはつかれをわすれて、でんわぐちへとびついた。かれはむらまつけんじに、きょうのてんまつを)
帆村は疲れを忘れて、電話口へ飛びついた。彼は村松検事に、今日の顛末を
(てみじかにのべて、ぬすまれたさんりんしゃとはえおとこのてはいをよくたのんだ。そしてでんわが)
手短に述べて、盗まれた三輪車と蠅男の手配をよく頼んだ。そして電話が
(きれるとぐったりとして、ちゅうざいしょのおくのまにはいこむなり、つかれのあまり)
切れるとグッタリとして、駐在所の奥の間に匍いこむなり、疲れのあまり
(しんだようになってねむった。たるのうえでおどったちょうきちもおしょうばんをして、ほむらの)
死んだようになって睡った。樽の上で踊った長吉もお招伴をして、帆村の
(かたわらにぐうぐういびきをかいた。それからなんじかんたったかわからないが、)
側らにグウグウ鼾をかいた。それから何時間経ったか分からないが、
(ほむらはとつぜんゆりおこされた。)
帆村は突然揺り起こされた。
(またむらまつけんじどのから、おでんわだっせ)
「また村松検事どのから、お電話だっせ」
(ほむらはいたむてあしのふしぶしをおさえながら、でんわぐちにでた。そのときかれは、)
帆村は痛む手足の節々を抑えながら、電話口に出た。そのとき彼は、
(おどろきのあまりめのさめるようなしらせを、むらまつけんじからうけとった。)
愕きのあまり目の覚めるような知らせを、村松検事から受け取った。
(ええっ、ほんとうですか。きょうのゆうこく、かもしたどくとるがきじんかんにひょっくり)
「ええッ、本当ですか。今日の夕刻、鴨下ドクトルが奇人館にひょっくり
(かえってきたんですって?ほほう、あなたはもうどくとるがえいきゅうにかえってこないと)
帰って来たんですって? ほほう、貴方はもうドクトルが永久に帰って来ないと
(おっしゃっていましたのにねえ。ほほう、そうですか。いやそれはぼくも)
仰有っていましたのにねエ。ほほう、そうですか。いやそれは僕も
(おどろきましたよ、ほほう)
愕きましたよ、ほほう」