海野十三 蠅男㉗

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※➀に同じくです。


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問題文

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(はえおとこのしょうたい?)

◇蠅男の正体?◇

(かもしたどくとるがようかめにひょっくり、きじんかんにかえってきたというしらせである。)

鴨下ドクトルが八日目にひょっくり、奇人館に帰って来たという知らせである。

(ほむらのおどろきもさることながられいせいをもってきこえるあのむらまつけんじでさえ、)

帆村の愕きもさることながら冷静をもって聞こえるあの村松検事でさえ、

(そのおどろきをでんわぐちにかくそうとさえしなかったほどだ。けんじは、かもしたどくとるが)

その愕きを電話口に隠そうとさえしなかったほどだ。検事は、鴨下ドクトルが

(ふたたびやかたにかえってこないとだんげんしたくらいだから、どくとるきていのしらせは)

再び館に帰って来ないと断言したくらいだから、ドクトル帰邸の知らせは

(まったくねみみにみずのおどろきだったのだろう。)

全く寝耳に水の愕きだったのだろう。

(かもしたどくとるはどこにいっていたのだろうか。むすめをとうきょうからよんでおきながら)

鴨下ドクトルは何処に行っていたのだろうか。娘を東京から呼んでおきながら

(やくそくをやぶってどくとるがりょこうにでたのはなぜだろう。それからまた、)

約束を破ってドクトルが旅行に出たのは何故だろう。それからまた、

(どくとるのるすちゅうに、とつぜんなにものともしれぬおとこのしたいがやかれ、きかんじゅうしゅが)

ドクトルの留守中に、突然何者とも知れぬ男の屍体が焼かれ、機関銃手が

(とびだしたりしたことにはたしてどくとるはむかんけいだったのだろうか。)

とび出したりしたことに果たしてドクトルは無関係だったのだろうか。

(はえおとこのきょうはくじょうは、なぜどくとるていのだんろのうえにおかれてあったのだろう。)

蠅男の脅迫状は、何故ドクトル邸の暖炉の上に置かれてあったのだろう。

(そういうぎもんのかずかずが、かもしたどくとるのくちからききただされるじきがきたのだ。)

そういう疑問の数々が、鴨下ドクトルの口から聞き質される時機が来たのだ。

(どくとるのこたえによってはえおとこのしょうたいはいよいよあきらかになるであろう。ほむらたんていは)

ドクトルの答によって蠅男の正体はいよいよ明らかになるであろう。帆村探偵は

(おおさかへかえって、けんじたちからきくことができるであろうどくとるのこくはくに、)

大阪へ帰って、検事たちから聞くことができるであろうドクトルの告白に、

(ひじょうなきたいをおぼえたのであった。)

非常な期待を覚えたのであった。

(だが、はえおとこをみたのは、おそらくそうさがわではじぶんだけだろう)

「だが、蠅男を見たのは、恐らく捜査側では自分だけだろう」

(ほむらは、そのことについていささかとくいであった。それはじつにおおきなみやげばなしである。)

帆村は、そのことについて些か得意であった。それは実に大きな土産話である。

(はえおとこというやつは、じつにちからのつよいやつで、さんかんめのみそだるを、あたかもやきゅうの)

蠅男というやつは、実に力の強い奴で、三貫目の味噌樽を、あたかも野球の

(ぼーるをたたきつけるようにらくらくとなげた。そしてじどうしゃもそうじゅうできれば)

ボールを叩きつけるように楽々と投げた。そして自動車も操縦できれば

(さんりんしゃにものれるというもだーんじんだ。)

三輪車にも乗れるというモダーン人だ。

など

(しかしよくかんがえてみると、はえおとこについてわかっているのはそれだけであった。)

しかしよく考えてみると、蠅男について分かっているのはそれだけであった。

(どんなからだつきをしているのか、それはくろいつりがねまんとのしたにおおわれていて)

どんな身体つきをしているのか、それは黒い吊鐘マントの下に蔽われていて

(はっきりわからない。それからまたどんなようぼうをしているのか、それは)

ハッキリ分からない。それからまたどんな容貌をしているのか、それは

(ぼうどくめんみたいなものをかぶっているので、これもはっきりわからない。)

防毒面みたいなものを被っているので、これもハッキリ分からない。

(ただきみのわるいふたつのめがぎょろぎょろとうごくのをみたばかりである。)

ただ気味の悪い二つの眼がギョロギョロと動くのを見たばかりである。

(いや、もっとわからないところがある。ほむらはさきにたまやそういちろうのころされた)

いや、もっと分からないところがある。帆村はさきに玉屋総一郎の殺された

(みっしつをしらべたあげく、はえおとこについてつぎのようなすいりをたてた。つまり、)

密室を調べた挙句、蠅男について次のような推理をたてた。つまり、

(はえおとこのせたけははっしゃくである。そしてはえおとこはいっしょうますぐらいのしかくなあなを)

「蠅男の背丈は八尺である。そして蠅男は一升桝ぐらいの四角な穴を

(じゆうにでいりするにんげんである)

自由に出入りする人間である」

(というのであるが、がけうえにみたあのはえおとこは、ごしゃくし、ごすんしかないふつうの)

というのであるが、崖上に見たあの蠅男は、五尺四、五寸しかない普通の

(にんげんのせたけにみえた。いわんやいっしょうますのあいだをぬけるようなほそいからだのようには)

人間の背丈に見えた。況や一升桝の間を抜けるような細い身体のようには

(みえなかった。すると、あれははえおとこでなかったのであろうか。いや、)

見えなかった。すると、あれは蠅男でなかったのであろうか。いや、

(あのがけうえのかいじんぶつがはえおとこでなくて、だれがはえおとこであろうか。するとしんちょうはっしゃくで)

あの崖上の怪人物が蠅男でなくて、誰が蠅男であろうか。すると身長八尺で

(いっしょうますぐらいのあなもくぐれるじんぶつというほむらのすいりがあわないことになる。)

一升桝ぐらいの穴もくぐれる人物という帆村の推理が合わないことになる。

(これは、どうもじぶんのすいりがまちがっていたのかな、ちがうはずはないんだが)

「これは、どうも自分の推理が間違っていたのかナ、違うはずはないんだが」

(ほむらたんていのじしんはにわかにぐらつきだした。かれはついに、めからはいってきたはえおとこの)

帆村探偵の自信は俄かにグラつきだした。彼は遂に、眼から入ってきた蠅男の

(すがたに、げんわくされてしまったのである。ふかいじょうしきのために、すいりのちからをにぶらせて)

姿に、幻惑されてしまったのである。深い常識のために、推理の力を鈍らせて

(しまったのである。これはあとになって、はっきりとわかったはなしであるが、)

しまったのである。これは後になって、ハッキリと分かった話であるが、

(はえおとこにたいするかれのすいりはけっしてまちがっていなかったのだ。ほむらはもっと)

蠅男に対する彼の推理は決して間違っていなかったのだ。帆村はもっと

(かんがえるべきだった。ここでたまやそういちろうのしたいのけいぶについていたきみょうなるかなぐの)

考えるべきだった。ここで玉屋総一郎の屍体の頸部に附いていた奇妙なる金具の

(ぎざぎざこうのあとをなぜおもいださなかったのだろう。たまやそういちろうのけいぶに)

ギザギザ溝の痕を何故思い出さなかったのだろう。玉屋総一郎の頸部に

(うちこんだするどいきょうきがどんなものであって、どこのほうがくからどうして)

打ちこんだ鋭い兇器がどんなものであって、何処の方角からどうして

(とんできたものかを、なぜかんがえなかったのだろう。それからまたいけたにいしたちが)

飛んできたものかを、何故考えなかったのだろう。それからまた池谷医師たちが

(たからづかしんおんせんのごらくしつからもちだしたいっせんかつどうのふぃるむじんぞうけんのことを)

宝塚新温泉の娯楽室から持ち出した一銭活動のフィルム「人造犬」のことを

(なぜれんそうしなかったんだろう。いや、まだある。げんにかれはいま、ありまおんせんの)

何故連想しなかったんだろう。いや、まだある。現に彼は今、有馬温泉の

(ちゅうざいしょにねころがっているが、そのまくらもとにおいてあるきみょうなかたちをしたいっぽんの)

駐在所に寝ころがっているが、その枕許に置いてある奇妙な形をした一本の

(こうてつぼうがある。かれはそれをいけたにていにちかいはやしのなかでごしんようとしてひろったのである。)

鋼鉄棒がある。彼はそれを池谷邸に近い林の中で護身用として拾ったのである。

(かれがそのぼうについて、もっとふかいきょうみをもっていたとすれば、それだけでも)

彼がその棒について、もっと深い興味を持っていたとすれば、それだけでも

(はえおとこのしょうたいをつかむよほどのちかみちとなったであろうに、さすがのほむらたんていもはやくいえば)

蠅男の正体を掴む余程の近道となったであろうに、流石の帆村探偵も早くいえば

(はえおとこをそれほどのかいじんぶつだとはおもっていなかったせいであろう。)

蠅男をそれほどの怪人物だとは思っていなかったせいであろう。

(なにもそれはほむらたんていだけのことではない。せけんではだれひとりとして、はえおとこが)

なにもそれは帆村探偵だけのことではない。世間では誰一人として、蠅男が

(かこにもみらいにもぜっするそのようなききかいかいなるにんげんだとは、きがついて)

過去にも未来にも絶するそのような奇々怪々なる人間だとは、気がついて

(いなかったのだ。はえおとここそはゆうしいらいふたりとないかいじんだったのである。)

いなかったのだ。蠅男こそは有史以来二人とない怪人だったのである。

(さて、いかなるかいじんであったろうか。それをしるのは、ごくしょうすうのひとびとだけ)

さて、いかなる怪人であったろうか。それを知るのは、極く少数の人々だけ

(だった。しかもかれらははえおとこのしょうたいをかたるをこのまないか、またそれをかたることが)

だった。しかも彼等は蠅男の正体を語るを好まないか、またそれを語ることが

(できないじじょうのもとにあった。)

できない事情の下にあった。

(だからもっかのところどくしゃしょくんはやむなく、むらまつけんじいかの)

だから目下(もっか)のところ読者諸君はやむなく、村松検事以下の

(けんさつとうきょくのかつどうと、せいねんたんていほむらそうろくのとうしとにまつよりほかに)

検察当局の活動と、青年探偵帆村荘六の闘志とに待つよりほかに

(はえおとこのしょうたいをしるてがないのである。)

蠅男の正体を知る手がないのである。

(おにかひとか、かみかけものか?)

鬼か人か、神か獣か?

(はえおとこのしょうたいが、はくじつかにさらされるのはいつのひであろうか。)

蠅男の正体が、白日下に曝されるのはいつの日であろうか。

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