海野十三 蠅男㉘

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※➀に同じくです。


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問題文

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(いがいなるかいこう)

◇意外なる邂逅◇

(ありまおんせんのちゅうざいしょにおけるなんじかんかのぜんごふかくのすいみんにほむらもすこしくげんきを)

有馬温泉の駐在所における何時間かの前後不覚の睡眠に帆村も少しく元気を

(かいふくしたようであった。かれはそれからさきのこうどうを、あれやこれやとかんがえたあげく、)

回復したようであった。彼はそれから先の行動を、あれやこれやと考えた挙句、

(ついにけっしんしていちだいのじどうしゃをよんでもらった。やがてとおくからくらくしょんの)

遂に決心して一台の自動車を呼んで貰った。やがて遠くからクラクションの

(ひびきがつたわってきたとおもったら、たのんであったじどうしゃがいえのまえにきて)

響きが伝わってきたと思ったら、頼んであった自動車が家の前に来て

(とまったようす、ほむらはみそどんやのこぞうさんにちょうきちをうながして、けいかんたちにひまを)

停まった様子、帆村は味噌問屋の小僧さんに長吉を促して、警官たちに暇を

(つげるなりしゃじょうのひととなった。)

告げるなり車上の人となった。

(おんせんちょうは、もうすっかりよるのやみにしずんでいた。いおうのつよいにおいをのせたかぜが、)

温泉町は、もうすっかり夜の闇に沈んでいた。硫黄の強い匂いをのせた風が、

(すーっとながれてきた。ほむらはきゅうに、あたたかいゆにつかってひろうをなおしたいしょうどうに)

スーッと流れて来た。帆村は急に、温かい湯につかって疲労を直したい衝動に

(かられた。しかしかれは、すぐそのようなしょうどうをなげすてていた。これから)

駆られた。しかし彼は、すぐそのような衝動をなげすてていた。これから

(はえおとことのせんとうがはじまるのである。たまやそういちろうのわすれがたみのいとこはどこに)

蠅男との戦闘が始まるのである。玉屋総一郎の忘れ形見の糸子はどこに

(どうしているのだろう。かのじょははたしてあんぜんにみをまもっているのだろうか。)

どうしているのだろう。彼女は果たして安全に身を護っているのだろうか。

(いけたにていにはいったまま、すがたをけしてようとしてゆくえがしれなくなったこのれいじんの)

池谷邸に入ったまま、姿を消して杳として行方が知れなくなったこの麗人の

(みのうえを、ほむらはすくなからずゆうりょしているのだった。いけたにていのにかいのまどに、)

身の上を、帆村は少なからず憂慮しているのだった。池谷邸の二階の窓に、

(いとこをはいごからおそったかいじんこそは、あれはたしかにはえおとこにちがいない。)

糸子を背後から襲った怪人こそは、あれはたしかに蠅男に違いない。

(はえおとこはいとこをどんなふうにあつかったのであろうか。ほむらがつかれきったからだを)

蠅男は糸子をどんな風に扱ったのであろうか。帆村が疲れ切った身体を

(みずからこぶして、ふたたびくるまでたからづかへひきかえそうとけっしんしたのも、ちょくせつのどうきは)

自ら鼓舞して、再び車で宝塚へ引返そうと決心したのも、直接の動機は

(このかれんなるいとこのあんきをたしかめたいことにあった。かのじょのちちおやを、はえおとこから)

この可憐なる糸子の安危を確かめたいことにあった。彼女の父親を、蠅男から

(まもろうとどりょくしていながら、ついにはえおとこのためにしてやられ、いとこをこじに)

護ろうと努力していながら、遂に蠅男のためにしてやられ、糸子を孤児に

(してしまった。そのせきにんのいっぱんは、ほむらじしんにあるようにおもって、かれは)

してしまった。その責任の一半は、帆村自身にあるように思って、彼は

など

(このうえは、じぶんのせいめいにかけてはえおとこをさがしだすとともに、いとこをすくいださねば)

この上は、自分の生命にかけて蠅男を探しだすと共に、糸子を救い出さねば

(ならないとけっしんしているのだった。)

ならないと決心しているのだった。

(くらいやまじをぬって、やくいちじかんのちにじどうしゃはたからづかにかえってきた。)

暗い山路を縫って、約一時間のちに自動車は宝塚に帰ってきた。

(そこでちょうきちは、にしのみやゆきのでんしゃにのりかえて、ちゅうざいしょからもらったしょうめいしょを)

そこで長吉は、西宮ゆきの電車に乗り換えて、駐在所から貰った証明書を

(だいじにぽけっとにいれたまま、ほむらにわかれをつげてかえっていった。ほむらは)

大事にポケットに入れたまま、帆村に別れをつげて帰っていった。帆村は

(このしょうねんのために、そのうちしゅかをたずねてべんめいをすることをやくそくした。)

この少年のために、そのうち主家を訪ねて弁明をすることを約束した。

(ほてるでは、おどろきがおにほむらをむかえた。)

ホテルでは、愕き顔に帆村を迎えた。

(なにしろあさがたどてらすがたでぶらりとさんぽにでかけたこのきゃくじんが、ちゅうしょくにもばんさんにも)

なにしろ朝方ドテラ姿でブラリと散歩に出かけたこの客人が、昼食にも晩餐にも

(かおをみせず、よふけて、しかもみちがえるようにしょうすいしてかえってきたのだから。)

顔を見せず、夜更けて、しかも見違えるように憔悴して帰ってきたのだから。

(えろうごゆっくりでしたな、おあんじもうしとりました。へへへ)

「えろうごゆっくりでしたな、お案じ申しとりました。へへへ」

(いや、まったくおもわないところまでとおっぱしりしたものでね、)

「いや、全く思わないところまで遠っ走りしたものでネ、

(なにしろしりあいにあったものだから)

なにしろ知合いに会ったものだから」

(はあはあ、そうでっか、おのろけすじで、へへへ、どちらまでいきはりました)

「はアはア、そうでっか、お惚け筋で、へへへ、どちらまで行きはりました」

(うふん。だいぶえんぽうだ。・・・へやのかぎをくれたまえ)

「ウフン。だいぶ遠方だ。・・・部屋の鍵を呉れたまえ」

(はあ、これだすとちょうばのだいのうえからおおきなふだのついたかぎをてわたしながら、)

「はア、これだす」と帳場の台の上から大きな札のついた鍵を手渡しながら、

(ふとおもいだしたというふうにああ、おきゃくさん、あんたはんにおてがみがひとつ)

ふと思いだしたという風に「ああ、お客さん、あんたはんにお手紙が一つ

(おました。わすれていてえろうすみまへんなにてがみ?)

おました。忘れていてえろうすみまへん」「ナニ手紙?」

(ちょうばのじむいんは、ほむらにいっつうのしろいせいようふうとうをてわたした。ほむらがそれを)

帳場の事務員は、帆村に一通の白い西洋封筒を手渡した。帆村がそれを

(うけとってみると、どうしたものかそのしろいふうとうにはほむらのなまえも)

受け取ってみると、どうしたものかその白い封筒には帆村の名前も

(さしだしにんのなまえもともにいちじもかいてなかった。そのうえ、そのふうとうのはんめんは、)

差出人の名前も共に一字も書いてなかった。その上、その封筒の半面は、

(どろだらけであった。ほむらははっとおもった。しかしさりげないかおで、ぼーいの)

泥だらけであった。帆村はハッと思った。しかしさりげない顔で、ボーイの

(まっているえれヴぇーたーのなかにはいった。)

待っているエレヴェーターのなかに入った。

(ほむらはよんかいでおりて、じゅうたんのしきつめてあるせまいろうかをへやのほうへ)

帆村は四階で下りて、絨毯の敷き詰めてある狭い廊下を部屋の方へ

(あるいていった。とびらのまえにたって、ねんのためにはんどるをまわしてみたが、)

歩いていった。扉の前に立って、念のためにハンドルを廻してみたが、

(とびらはびくともしなかった。たしかに、かぎはかかっている。)

扉はビクともしなかった。たしかに、鍵は懸っている。

(なぜほむらは、そんなことをためしてみたのであろう。かれはなんとなく)

なぜ帆村は、そんなことを検(ため)してみたのであろう。彼はなんとなく

(あやしいせいようふうとうをうけとってから、きゅうにけいかいしんをしょうじたのであった。)

怪しい西洋封筒を受け取ってから、急に警戒心を生じたのであった。

(とびらにはかぎがかかっている。まずあんしんしていいと、かれはおもった。)

扉には鍵が懸っている。まず安心していいと、彼は思った。

(そしてかぎあなにかぎをそうにゅうして、がちゃりとまわしたのであった。そのしゅんかんに、)

そして鍵穴に鍵を挿入して、ガチャリと廻したのであった。その瞬間に、

(かれはまさかじぶんが、こしをぬかさんばかりにびっくりさせられようとは)

彼はまさか自分が、腰を抜かさんばかりに吃驚させられようとは

(かみならぬみのしるよしもなかった。しかしじじつ、とびらひとつへだてたむこうに)

神ならぬ身の知る由もなかった。しかし事実、扉一つ距てた向こうに

(かれのよきしないいへんがまちうけていたのである。)

彼の予期しない異変が待ち受けていたのである。

(ほむらは、かぎをあなからぬいて、かたてにぶらさげた。そしてはんどるをぐるっと)

帆村は、鍵を穴から抜いて、片手にぶら下げた。そしてハンドルをグルッと

(まわして、とびらをうちがわにおした。へやのなかは、まっくらであった。)

廻して、扉を内側に押した。部屋のなかは、真っ暗であった。

(とびらをなかにはいったすぐのかべに、しつないとうのすいっちがあった。ほむらは、てさぐりで)

扉を中に入ったすぐの壁に、室内灯のスイッチがあった。帆村は、手さぐりで

(そのすいっちのおしぼたんをさがした。おしぼたんはすぐてにふれた。かれはむぞうさに、)

そのスイッチの押し釦を探した。押し釦はすぐ手に触れた。彼は無造作に、

(そのおしぼたんをおしたのであった。)

その押し釦を押したのであった。

(ぱっと、しつないにはあかるいでんとうがついた。)

パッと、室内には明るい電灯が点いた。

(そのしゅんかんである。かれは、あっ!といって、てにもっていたかぎをゆかのうえに)

その瞬間である。彼は、「あッ!」といって、手に持っていた鍵を床の上に

(とりおとした。それもどうりであった。からであるべきはずのべっどのうえに、)

取り落とした。それも道理であった。空であるべきはずのベッドの上に、

(だれかよぎをすっぽりかぶってながながとねているものがあったのである。)

誰か夜着をすっぽり被って長々と寝ている者があったのである。

(もしやへやをまちがえたのでは・・・)

「もしや部屋を間違えたのでは・・・」

(と、とっさにうたがいはしたが、だんじてへやはまちがっていない。じぶんのへやのかぎで)

と、咄嗟に疑いはしたが、断じて部屋は間違っていない。自分の部屋の鍵で

(あいたへやだったし、しかもかべには、みおぼえのあるほむらのおーばーが)

開いた部屋だったし、しかも壁には、見覚えのある帆村のオーバーが

(かかっているし、たくしのうえにはとらんくのなかからだしたままわすれていった)

懸っているし、卓子の上にはトランクの中から出したまま忘れていった

(りんごまでが、けさでてゆくときとすんぶんたがわずそのとおりにならんでいるのだった。)

林檎までが、今朝出てゆく時と寸分たがわずそのとおりに並んでいるのだった。

(じぶんのへやであることにまちがいはない。)

自分の部屋であることに間違いはない。

(さあ、すると、べっどのうえにねているのはいったいなにものだろう。)

さあ、すると、ベッドの上に寝ているのは一体何者だろう。

(ほむらのては、おともなくすべるように、かけてあるおーばーのうちぽけっとのなかに)

帆村の手は、音もなく滑るように、懸けてあるオーバーの内ポケットの中に

(はいった。そこにはごしんようのこるとのぴすとるがはいっていた。かれはそれを)

入った。そこには護身用のコルトのピストルが入っていた。彼はそれを

(とりだすなり、ふたつにおってなかみをしらべた。)

取り出すなり、二つに折って中身を調べた。

(・・・じつだんはたしかにはいっている!)

「・・・実弾はたしかに入っている!」

(こうしたばあい、よくじゅうのだんがんがぬきさられていて、いざというときに)

こうした場合、よく銃の弾丸が抜き去られていて、いざというときに

(まにあわなくてしっぱいすることがあるのだ。ほむらはそこであんしんして)

間に合わなくて失敗することがあるのだ。帆村はそこで安心して

(ぴすとるをぐっとにぎりしめた。そしてぬきあしさしあしで、そろそろべっどのほうに)

ピストルをグッと握りしめた。そして抜き足差し足で、そろそろベッドの方に

(ちかづいていった。)

近づいていった。

(べっどのうえのじんぶつは、しんだもののようにうごかない。)

ベッドの上の人物は、死んだ者のように動かない。

(ほむらはついにいをけっした。かれはいきをつめてみがまえた。ぴすとるをひだりてに)

帆村は遂に意を決した。彼は息をつめて身構えた。ピストルを左手に

(もちかえて、ひじをぴたりとわきのしたにつけた。そしてやっというかけごえもろとも)

持ち替えて、肘をピタリと腋の下につけた。そしてヤッという掛け声もろとも

(いちやくしてべっどにおどりかかり、しろいしーつのかかったもうふをぱっとはねのけた。)

一躍してベッドに躍りかかり、白いシーツの懸かった毛布をパッと跳ねのけた。

(そこにねているものはなにもの?)

そこに寝ているものは何者?

(ぴすとるをぴたりとさしつけたべっどのうえのじんぶつのかお?)

ピストルをピタリと差しつけたベッドの上の人物の顔?

(それはなにものだったろう?)

それは何者だったろう?

(ほむらのてから、ぴすとるがごとりとしたにすべりおちた。)

帆村の手から、ピストルがゴトリと下に滑り落ちた。

(おおーーいとこさんだっ)

「おおーー糸子さんだッ」

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