江戸川乱歩 屋根裏の散歩者⑳

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(きたむらはうかつにも、いままで、このてんにきづかないでいたらしいのです。)

北村は迂闊にも、今まで、この点に気附かないでいたらしいのです。

(そして、あけちのいうことが、なにをいみするかも、まだはっきり)

そして、明智のいうことが、何を意味するかも、まだハッキリ

(のみこめないようすでした、が、それもけっしてむりではありません。)

飲み込めない様子でした、が、それも決して無理ではありません。

(いりぐちのしまりのしてあったこと、どくやくのようきがしにんのそばにおちていたこと、)

入口の締りのしてあったこと、毒薬の容器が死人の側に落ちていたこと、

(そのほかすべてのじじょうが、えんどうのじさつをうたがいないものにみせていたのですから。)

その他凡ての事情が、遠藤の自殺を疑いないものに見せていたのですから。

(しかし、このもんどうをきいたさぶろうは、まるであしもとのじばんが、)

しかし、この問答を聞いた三郎は、まるで足許の地盤が、

(ふいにくずれはじめたようなおどろきをかんじました。そして、なにゆえこんなところへ)

不意にくずれ始めた様な驚きを感じました。そして、何故こんな所へ

(あけちをつれてきたのだろうと、じぶんのおろかさをくやまないでは)

明智を連れて来たのだろうと、自分の愚かさを悔やまないでは

(いられませんでした。)

いられませんでした。

(あけちはそれから、いっそうのめんみつさで、へやのなかをしらべはじめました。)

明智はそれから、一層の綿密さで、部屋の中を調べ始めました。

(むろんてんじょうもみのがすはずはありません。かれはてんじょういたをいちまいいちまいたたきこころみて、)

無論天井も見逃す筈はありません。彼は天井板を一枚一枚叩き試みて、

(にんげんのでいりしたけいせきがないかをしらべてまわったのです。)

人間の出入りした形跡がないかを調べて廻ったのです。

(が、さぶろうのあんどしたことには、さすがのあけちも、ふしあなからどくやくをたらして、)

が、三郎の安堵したことには、流石の明智も、節穴から毒薬を垂らして、

(そこをまた、もともとどおりふたしておくというあらてには、きづかなかったとみえて、)

そこを又、元々通り蓋して置くという新手には、気附かなかったと見えて、

(てんじょういたがいちまいもはがれていないことをたしかめると、もうそれいじょうの)

天井板が一枚もはがれていないことを確かめると、もうそれ以上の

(せんさくはしませんでした。)

穿鑿はしませんでした。

(さて、けっきょくそのひはべつだんのはっけんもなくすみました。あけちはえんどうのへやを)

さて、結局その日は別段の発見もなく済みました。明智は遠藤の部屋を

(みてしまうと、またさぶろうのところへもどって、しばらくざつだんをとりかわしたのち、)

見てしまうと、又三郎の所へ戻って、暫く雑談を取交わしたのち、

(なにごともなくかえっていったのです。ただ、そのざつだんのあいだに、つぎのような)

何事もなく帰って行ったのです。ただ、その雑談の間に、次の様な

(もんどうのあったことをかきもらすわけにはいきません。なぜといって、)

問答のあったことを書き洩らす訳には行きません。なぜといって、

など

(これはいっけんごくつまらないようにみえて、そのじつ、このおはなしのけつまつに)

これは一見極くつまらない様に見えて、その実、このお話の結末に

(もっともじゅうだいなかんけいをもっているのですから。)

最も重大な関係を持っているのですから。

(そのときあけちは、たもとからとりだしたえあしっぷにひをつけながら、)

その時明智は、袂から取出したエアシップに火をつけながら、

(ふときがついたようにこんなことをいったのです。)

ふと気がついた様にこんなことを云ったのです。

(「きみはさっきから、ちっともたばこをすわないようだが、よしたのかい」)

「君はさっきから、ちっとも煙草を吸わない様だが、よしたのかい」

(そういわれてみますと、なるほど、さぶろうはこのにさんにち、あれほどだいこうぶつのたばこを、)

そう云われて見ますと、成程、三郎はこの二三日、あれ程大好物の煙草を、

(まるでわすれてしまったように、いちどもすっていないのでした。)

まるで忘れてしまった様に、一度も吸っていないのでした。

(「おかしいね。すっかりわすれていたんだよ。それに、)

「おかしいね。すっかり忘れていたんだよ。それに、

(きみがそうしてすっていても、ちっともほしくならないんだ」)

君がそうして吸っていても、ちっとも欲しくならないんだ」

(「いつから?」)

「いつから?」

(「かんがえてみると、もうにさんにちすわないようだ。そうだ、)

「考えて見ると、もう二三日吸わない様だ。そうだ、

(ここにあるしきしまをかったのが、たしかにちようびだったから、もうまるみっかのあいだ、)

ここにある敷島を買ったのが、たしか日曜日だったから、もうまる三日の間、

(いっぽんもすわないわけだよ。いったいどうしたんだろう」)

一本も吸わない訳だよ。一体どうしたんだろう」

(「じゃ、ちょうどえんどうくんがしんだひからだね」)

「じゃ、丁度遠藤君が死んだ日からだね」

(それをきくと、さぶろうはおもわずはっとしました。)

それを聞くと、三郎は思わずハッとしました。

(しかし、まさかえんどうのしと、かれがたばこをすわないこととのあいだに)

しかし、まさか遠藤の死と、彼が煙草を吸わない事との間に

(いんがかんけいがあろうともおもわれませんので、そのばは、ただ)

因果関係があろうとも思われませんので、その場は、ただ

(わらってすませたことですが、あとになってかんがえてみますと、それは)

笑って済ませたことですが、後になって考えて見ますと、それは

(けっしてわらいばなしにするような、むいみなことがらではなかったのです。)

決して笑い話にする様な、無意味な事柄ではなかったのです。

(--そして、このさぶろうのたばこぎらいは、ふしぎなことに、)

--そして、この三郎の煙草嫌いは、不思議なことに、

(そのごいつまでもつづきました。)

その後いつまでも続きました。

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