ツルゲーネフ はつ恋 ⑯

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問題文

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(じないーだとまれーふすきいはくしゃくのかんけいが、いちばんわたしにはわかりにくかった。)

ジナイーダとマレーフスキイ伯爵の関係が、一番私にはわかりにくかった。

(なかなかびだんしで、じょさいなくあたまのはたらくおとこなのだが、)

なかなか美男子で、如才なく頭のはたらく男なのだが、

(しかし、ほんのじゅうろくさいのしょうねんにすぎないわたしでさえ、)

しかし、ほんの十六歳の少年にすぎないわたしでさえ、

(このおとこにはなにかしらゆだんのならぬ、うさんくさいところがあるようなきがした。)

この男には何かしら油断のならぬ、うさん臭いところがあるような気がした。

(しかもじないーだが、それにきづいていないのが、わたしはふしぎでならなかった。)

しかもジナイーダが、それに気づいていないのが、私は不思議でならなかった。

(ひょっとするとかのじょは、そのうさんくささにきづいていながら、)

ひょっとすると彼女は、そのうさん臭さに気づいていながら、

(べつにそれがいやでなかったのかもしれない。なにしろきょういくもへんそくなら、)

別にそれが厭でなかったのかもしれない。なにしろ教育も変則なら、

(つきあいやしゅうかんもふうがわりだし、しょっちゅうははおやはそばにいるし、)

つきあいや習慣も風変りだし、しょっちゅう母親はそばにいるし、

(いえのないじょうはびんぼうでらんみゃくだし、かててくわえて、わかいむすめのみで)

家の内情は貧乏で乱脈だし、かてて加えて、若い娘の身で

(きままかってはしたいほうだい、それに、ぐるりのれんちゅうよりいちだんもにだんもうえだという)

気まま勝手はしたい放題、それに、ぐるりの連中より一段も二段も上だという

(いしきもあるしーーというわけで、そうしたいっさいがっさいがあわさって、)

意識もあるしーーというわけで、そうした一切合切があわさって、

(かのじょのうちに、いっしゅこうひとをこばかにしたようなむとんちゃくさやなげやりなたいどを、)

彼女のうちに、一種こう人を小馬鹿にしたような無頓着さや投げやりな態度を、

(やしなったのである。)

養ったのである。

(なにごとがもちあがろうがーーよしんばヴぉにふぁーちいがはいってきて)

何事がもちあがろうがーーよしんばヴォニファーチイが入って来て

(「さとうがきれました」とごんじょうにおよぼうが、なにかいまわしいせけんのかげぐちがみみに)

「砂糖がきれました」と言上に及ぼうが、何か忌まわしい世間の陰口が耳に

(はいろうが、きゃくのなかでけんかがはじまろうがーーかのじょはただ、)

入ろうが、客の中で喧嘩が始まろうがーー彼女はただ、

(ゆたかなまきがみをひとふりして、「くだらない」というだけで、けろりとしていた。)

豊かな巻き髪を一振りして、「くだらない」と言うだけで、けろりとしていた。

(おかげでわたしは、ぜんしんのちがかっともえたつようなおもいをすることが、よくあった。)

お陰で私は、全身の血がカッと燃え立つような思いをすることが、よくあった。

(たとえばまれーふすきいが、まるできつねみたいにずるそうにかたをゆすりながら、)

たとえばマレーフスキイが、まるで狐みたいに狡そうに肩を揺すりながら、

(かのじょのそばへよっていって、かのじょのかけているいすのせに、だてなかっこうをして)

彼女のそばへ寄って行って、彼女の掛けている椅子の背に、伊達な恰好をして

など

(もたれかかり、ついじゅうたらたらのうすわらいをうかべながら、かのじょのみみに)

もたれかかり、追従たらたらの薄笑いを浮かべながら、彼女の耳に

(なにかささやきだす。するとかのじょは、りょうてをむねにくんで、まじまじと)

何かささやきだす。すると彼女は、両手を胸に組んで、まじまじと

(かれをみつめながら、やがてじぶんもほほえみをうかべ、くびをふったりするのである。)

彼を見つめながら、やがて自分も微笑みを浮かべ、首を振ったりするのである。

(「あなたは、どこかよくて、まれーふすきいさんなんかをいえへいれるのです?」)

「あなたは、どこか好くて、マレーフスキイさんなんかを家へ入れるのです?」

(と、あるときわたしはかのじょにきいてみた。)

と、ある時わたしは彼女に訊いてみた。

(「だって、あのひとのひげ、すてきじゃなくて!」と、かのじょはこたえた。)

「だって、あの人の髭、すてきじゃなくて!」と、彼女はこたえた。

(「でもそんなこと、あなたのしったことじゃないわ」)

「でもそんなこと、あなたの知ったことじゃないわ」

(またべつのとき、かのじょはわたしに、こういったことがあった。)

また別の時、彼女は私に、こう言ったことがあった。

(「わたしがあのひとをあいしていると、あなたおもっているのじゃない?ちがうわ。)

「私があの人を愛していると、あなた思っているのじゃない?違うわ。

(わたし、こっちでうえからみおろさなくちゃならないようなひとは、すきになれないの。)

私、こっちで上から見下ろさなくちゃならないような人は、好きになれないの。

(わたしのほしいのは、むこうでこっちをせいふくしてくれるようなひと。・・でもね、)

わたしの欲しいのは、向こうでこっちを征服してくれるような人。・・でもね、

(そんなひとにぶつかりっこはないわ、ありがたいことにね!)

そんな人にぶつかりっこはないわ、ありがたいことにね!

(わたし、だれのてにもひっかかりはしないわ、いいーだ」)

わたし、誰の手にもひっかかりはしないわ、イイーだ」

(「すると、けっしてこいをしないというわけですね」)

「すると、決して恋をしないというわけですね」

(「じゃあなたをどうするの?わたし、あなたをあいしていなくって?」)

「じゃあなたをどうするの?わたし、あなたを愛していなくって?」

(そういうとかのじょは、てぶくろのさきで、わたしのはなをたたいた。)

そう言うと彼女は、手袋の先で、わたしの鼻をたたいた。

(まったくじないーだは、さんざんわたしをなぐさみものにした。)

全くジナイーダは、さんざんわたしを慰み物にした。

(さんしゅうかんのあいだ、わたしはまいにちかのじょにあっていたが、そのあいだにかのじょがわたしに)

三週間の間、わたしは毎日彼女に会っていたが、その間に彼女がわたしに

(むかってやらなかったことは、なにひとつまったくなにひとつなかった、といっていいほどだ。)

向ってやらなかったことは、何一つ全く何一つなかった、と言っていいほどだ。

(かのじょのほうでわたしのいえへくることは、あまりなかったが、それはわたしにとって)

彼女の方でわたしの家へ来ることは、あまりなかったが、それはわたしにとって

(いたごとではなかった。うちへくると、かのじょはたちまち、れいじょうーつまりこうしゃくれいじょうに、)

痛事ではなかった。うちへ来ると、彼女はたちまち、令嬢ーつまり侯爵令嬢に、

(はやがわりしてしまうし、こっちでもかのじょをけいえんしていた。)

早変わりしてしまうし、こっちでも彼女を敬遠していた。

(わたしは、ははにみやぶられるのがこわかったのだ。はははじないーだにすこぶるあくいを)

わたしは、母に見破られるのが怖かったのだ。母はジナイーダに頗る悪意を

(いだいて、まるでかたきのようにわたしたちをみはっていた。)

いだいて、まるで仇のようにわたしたちを見張っていた。

(ちちのほうは、たいしてこわくなかった。ちちは、わたしにはきがつかないようすだったし、)

父の方は、大して怖くなかった。父は、私には気がつかないようすだったし、

(かのじょともあまりはなしをしなかったが、いざはなすときには、なにかとくべつにきのきいた、)

彼女ともあまり話をしなかったが、いざ話す時には、何か特別に気の利いた、

(もっともらしいはなしぶりをしていた。)

もっともらしい話しぶりをしていた。

(わたしは、べんきょうもどくしょもやめてしまった。こうがいさんぽやじょうばまでも、やめてしまった。)

私は、勉強も読書もやめてしまった。郊外散歩や乗馬までも。やめてしまった。

(まるであしにいとをつけられたかぶとむしみたいに、わたしはなつかしいはなれのまわりを、)

まるで足に糸をつけられたカブト虫みたいに、私はなつかしい傍屋のまわりを、

(たえずぐるぐるまわっていた。)

絶えずぐるぐる回っていた。

(いいといわれればいつまでだってそこにいたはずだが、そうはいかなかった。)

いいと言われればいつまでだってそこにいたはずだが、そうはいかなかった。

(ははのこごともうるさいし、ときにはとうのじないーだからおったてをくうしまつだった。)

母の小言もうるさいし、時には当のジナイーダから追っ立てを食う始末だった。

(するとわたしは、じぶんのへやへひっこもるか、それともにわのいちばんはしまでいって、)

するとわたしは、自分の部屋へ引っこもるか、それとも庭の一番端まで行って、

(いしづくりのたかいおんしつのくずれのこりへよじのぼって、どうろにめんしたかべからりょうあしをぶらさげ)

石造りの高い温室の崩れ残りへよじ登って、道路に面した壁から両足をぶらさげ

(なんじかんもすわったなりで、いっしんにながめにながめるのだったが、)

何時間も坐ったなりで、一心に眺めに眺めるのだったが、

(そのくせなにひとつめにはいらなかった。わたしのそばには、ほこりをかぶった)

そのくせ何ひとつ目に入らなかった。わたしのそばには、埃をかぶった

(いらくさのうえを、ものうげにしろいちょうちょがとびかわしていた。)

イラクサの上を、ものうげに白い蝶々が飛びかわしていた。

(げんきなすずめがいちわ、すこしさきの、なかばわれたあかれんがのうえにとまって、)

元気な雀が一羽、少し先の、半ば割れた赤煉瓦の上に止まって、

(たえずぜんしんをくるくるまわし、おをひろげて、かんにさわるなきごえをたてていた。)

絶えず全身をくるくる回し、尾をひろげて、癇に障る鳴き声をたてていた。

(あいかわらずうたぐりぶかいからすのむれが、すっかりはのおちたしらかばのてっぺんにとまって、)

相変わらず疑りぶかい鴉の群れが、すっかり葉の落ちた白樺の天辺に止って、

(おもいだしたようにかあかあないていた。たいようとかぜが、そのまばらなえだのあいだに、)

思い出したようにカアカア鳴いていた。太陽と風が、そのまばらな枝の間に、

(しずかにたわむれていた。どんしゅうどういんのかねのねが、ときおりおだやかにいんきにひびいてきた。)

静かに戯れていた。ドン修道院の鐘の音が、時折穏やかに陰気に響いてきた。

(わたしはじっとすわって、みつめたりききいったりしているうちに、)

わたしはじっと坐って、見つめたり聞き入ったりしているうちに、

(なにかしらなふしがたいかんじで、むねがいっぱいになるのだった。)

何かしら名ふしがたい感じで、胸がいっぱいになるのだった。

(そのなかには、かなしみも、よろこびも、みらいのよかんも、きぼうも、せいのおそれも、)

その中には、悲しみも、喜びも、未来の予感も、希望も、生の恐れも、

(なにからなにまでがふくまれていた。けれどとうじのわたしは、そんなものはなにひとつ)

何から何までが含まれていた。けれど当時のわたしは、そんなものは何一つ

(わかりもせず、また、じぶんのなかにふつふつとたぎっているすべてのもののうち、)

わかりもせず、また、自分の中に沸々とたぎっているすべてのもののうち、

(どのひとつだって、それとなざすだけのちからはなかったろう。)

どの一つだって、それと名指すだけの力はなかったろう。

(いや、いっそ、そのいっさいをあげて、ただひとつのなじないーだというなでもって、)

いや、いっそ、その一切をあげて、ただ一つの名ジナイーダと言う名でもって、

(よんだかもしれない。)

呼んだかもしれない。

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