ツルゲーネフ はつ恋 23
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問題文
(じゅうごそれからご、ろくにちというもの、わたしはほとんどじないーだにあわなかった)
十五それから五、六日というもの、わたしはほとんどジナイーダに会わなかった
(かのじょは、からだのぐあいがわるいといっていたが、それでもはなれのじょうれんがいれかわり)
彼女は、体のぐあいが悪いと言っていたが、それでも傍屋の常連が入れ代り
(たちかわり、かれらのいわゆる「とうちょく」にやってくるのは、いっこうさしつかえなかった)
立ち代り、彼らのいわゆる「当直」にやってくるのは、一向さしつかえなかった
(ただひとりれいがいはまいだーのふで、かれはかんげきするきかいがなくなると、)
ただ一人例外はマイダーノフで、彼は感激する機会がなくなると、
(たちまちきおちがして、しょげかえってしまった。)
たちまち気落ちがして、悄気返ってしまった。
(べろヴぞーろふは、ぐんぷくのぼたんをきちんとかけて、まっかなかおをして、)
ベロヴゾーロフは、軍服のボタンをきちんとかけて、真っ赤な顔をして、
(ふきげんにすみのほうにすわっていた。まれーふすきいはくしゃくのきゃしゃなかおには、)
不機嫌に隅の方に坐っていた。マレーフスキイ伯爵の華奢な顔には、
(なんだかぶきみなびしょうが、たえずただよっていた。)
なんだか不気味な微笑が、絶えず漂っていた。
(かれはいまや、まさしくじないーだのちょうあいをうしなったので、)
彼は今や、まさしくジナイーダの寵愛を失ったので、
(ろうふじんにとりいろうとかくべつのべんれいぶりをしめし、)
老夫人に取入ろうと格別の勉励ぶりを示し、
(かしばしゃでふじんのおともをして、そうとくのところへでかけさえした。)
貸馬車で夫人のお供をして、総督の所へ出かけさえした。
(もっとも、このえんせいはしっぱいにおわったのみならず、)
もっとも、この遠征は失敗に終ったのみならず、
(まれーふすきいはいやなめにまであわされた。そうとくはさかてをとって、)
マレーフスキイは厭な目にまであわされた。総督は逆手をとって、
(かれがいつぞやどぼくきょくのれんちゅうをあいてにもちあげたさるしゅうぶんを、)
彼がいつぞや土木局の連中を相手にもちあげたさる醜聞を、
(わざわざいいだしたので、かれはべんめいこれつとめて、)
わざわざ言い出したので、彼は弁明これ努めて、
(なんぷんにもあのころはまだみけいけんだったのでーーと、)
何分にもあの頃はまだ未経験だったのでーと、
(かぶとをぬがざるをえなかった。)
かぶとを脱がざるを得なかった。
(るーしんは、ひににどぐらいやってきたけれど、ながいはしなかった。)
ルーシンは、日に二度ぐらいやって来たけれど、長居はしなかった。
(わたしは、このあいだのいいあいいらい、このおとこがいささかけむたくなったとどうじに、)
わたしは、この間の言い合い以来、この男がいささか煙たくなったと同時に、
(しんそこからかれにひきつけられるようなきもちもしていた。)
しん底から彼に惹きつけられるような気持もしていた。
(かれはあるひ、わたしといっしょにねすくーちぬぃこうえんへさんぽにでかけたが、)
彼はある日、わたしと一緒にネスクーチヌィ公園へ散歩に出かけたが、
(そのときはひどくしんせつであいそがよく、いろんなくさやはなのなまえや)
その時はひどく親切で愛想がよく、いろんな草や花の名前や
(とくせいをおしえてくれたりしていたが、やがてとつぜん、それこそやぶからぼうに)
特性を教えてくれたりしていたが、やがて突然、それこそ薮から棒に
(がくをぴしゃりとたたいて、こうさけんだ。 )
額をぴしゃりと叩いて、こう叫んだ。
(「ああ、おれはばかだよ。あのひとのことを、)
「ああ、俺は馬鹿だよ。あの人のことを、
(ただのこけっとだとおもってたのだからなあ?)
ただのコケットだと思ってたのだからなあ?
(どうやらこのよのなかには、じぶんをぎせいにすることが)
どうやらこの世の中には、自分を犠牲にすることが
(たのしいようなれんちゅうも、あるものとみえるなあ」)
楽しいような連中も、あるものと見えるなあ」
(「それは、なんのことですか」と、わたしはききかえした。)
「それは、なんのことですか」と、わたしは訊き返した。
(「いや、きみにはなにもはなしたくないですよ」と、はきだすようにるーしんはこたえた)
「いや、君には何も話したくないですよ」と、吐き出すようにルーシンは答えた
(じないーだは、わたしをさけていた。わたしのかおがみえると)
ジナイーダは、わたしを避けていた。わたしの顔が見えると
(これはわたしじしん、いやでもきづかざるをえなかったのだが)
これはわたし自身、いやでも気づかざるを得なかったのだが
(かのじょはいやなきもちがするらしかった。かのじょはむいしきに、わたしからかおをそむけた)
彼女は厭な気持がするらしかった。彼女は無意識に、わたしから顔をそむけた
(むいしきにである。それがわたしにはじつにつらく、みをきられるようなおもいだった)
無意識にである。それがわたしには実に辛く、身を切られるような思いだった
(しかし、どうにもしかたがないので、わたしはなるべく)
しかし、どうにも仕方がないので、わたしはなるべく
(かのじょのめにふれないようにして、ただとおくからかのじょをみはっていることにしたが)
彼女の目に触れないようにして、ただ遠くから彼女を見張っていることにしたが
(これまた、いつもうまくゆくとはかぎらなかった。かのじょにはあいもかわらず、)
これまた、いつもうまくゆくとは限らなかった。彼女には相も変らず、
(なにやらふかかいなことがおこりつつあった。すっかりおもがわりがして、)
何やら不可解なことが起りつつあった。すっかり面変りがして、
(なにからなにまで、まるでべつじんのようになってしまった。)
何から何まで、まるで別人のようになってしまった。
(なかでも、かのじょにしょうじたへんかがかくべつわたしのむねをうったのは、)
なかでも、彼女に生じた変化が格別わたしの胸を打ったのは、
(あるあたたかい、しずかなひぐれのことであった。)
ある暖かい、静かな日暮れのことであった。
(わたしは、えだをひろげたひとむらのにわとこのかげの、ひくいべんちにこしかけていた。)
わたしは、枝をひろげた一叢のニワトコの陰の、低いベンチに腰掛けていた。
(わたしは、このばしょがすきだった。)
わたしは、この場所が好きだった。
(じないーだのへやのまどが、そこからみえたからである。)
ジナイーダの部屋の窓が、そこから見えたからである。
(わたしがすわっていると、あたまのうえの、すっかりくらくなったしげみのなかで、)
わたしが坐っていると、頭の上の、すっかり暗くなった茂みの中で、
(ことりがいちわしきりにかさこそいわせていた。はいいろのこねこが、)
小鳥が一羽しきりにかさこそいわせていた。灰色の小猫が、
(せなかをまっすぐのばして、そっとにわへしのびこんだ。)
背中をまっすぐ伸ばして、そっと庭へ忍び込んだ。
(すでにあかるくはないけれど、まだすいてみえるくうきのなかを、)
すでに明るくはないけれど、まだ透いて見える空気のなかを、
(せんじんのかぶとむしたちが、おもおもしいうなりをたててとんでいた。)
先陣のカブト虫たちが、重々しい唸りを立てて飛んでいた。
(わたしはすわったまままどをながめ、いつかひらきはしまいかとまちうけていた。)
わたしは坐ったまま窓を眺め、いつか開きはしまいかと待ち受けていた。
(はたして、まどはひらいて、じないーだがすがたをみせた。)
果して、窓は開いて、ジナイーダが姿を見せた。
(しろいふくをきていたが、かのじょじしんも、かおからかた、そしてりょうてまで、)
白い服を着ていたが、彼女自身も、顔から肩、そして両手まで、
(まっしろなほどあおざめていた。かのじょはながいこと、みじろぎもせずに、)
真っ白なほど青ざめていた。彼女は長いこと、身じろぎもせずに、
(ひそめたまゆのしたから、じっとまっすぐまえを、いつまでもみつめていた。)
ひそめた眉の下から、じっとまっすぐ前を、いつまでも見つめていた。
(そんなめつきをするかのじょを、わたしはついぞみたこともなかった。)
そんな目つきをする彼女を、わたしはついぞ見たこともなかった。
(やがてかのじょは、りょうてをかたくかたくにぎりしめ、それをまずくちびるへ、)
やがて彼女は、両手をかたくかたく握りしめ、それをまず唇へ、
(それからがくへもっていったが、そこで、とつぜんぱっとゆびをひろげると、)
それから額へ持っていったがそこで、突然ぱっと指をひろげると、
(りょうのみみからかみのけをはらいのけ、さっとひとふりかみをふりあげたかとおもうと、)
両の耳から髪の毛を払いのけ、さっと一振り髪を振上げたかと思うと、
(なにかけっしんがついたといったふうに、あたまをうえからしたへおおきくうなずかせ、)
何か決心がついたといったふうに、頭を上から下へ大きくうなずかせ、
(ぱたんとまどをしめた。)
ぱたんと窓を閉めた。
(みっかほどしてから、わたしはにわでかのじょにであった。)
三日ほどしてから、わたしは庭で彼女に出会った。
(わたしがわきへさけようとすると、かのじょのほうでひきとめた。)
わたしがわきへ避けようとすると、彼女の方で引止めた。
(「てをかしてちょうだい」と、かのじょは、いぜんのじょうあいのこもったちょうしでいった。)
「手を貸してちょうだい」と、彼女は、以前の情愛のこもった調子で言った。
(「わたしたち、ながいことおしゃべりをしなかったことね」 )
「わたしたち、長いことおしゃべりをしなかったことね」
(わたしはかのじょのかおをうかがった。そのめはしずかにひかって、)
わたしは彼女の顔をうかがった。その眼は静かに光って、
(かおは、まるでもやをとおしてみるように、ほほえんでいた。 )
顔は、まるで靄をとおして見るように、ほほ笑んでいた。
(「まだずっと、おかげんがわるいのですか」と、わたしはたずねた。)
「まだずっと、お加減が悪いのですか」と、わたしは尋ねた。
(「いいえ、もうすっかりいいの」とかのじょはこたえて、)
「いいえ、もうすっかりいいの」と彼女は答えて、
(ちいさなあかいばらをいちりんつみとった。)
小さな紅いバラを一輪摘み取った。
(「すこしつかれているけれど、これもじきになおるわ」)
「すこし疲れているけれど、これもじきに直るわ」
(「で、またもとどおりのあなたになってくださるんですね?」と、わたしはきいた。)
「で、また元通りのあなたになって下さるんですね?」と、わたしは訊いた。
(じないーだは、ばらをかおへちかづけた。すると、あざやかなはなびらのてりかえしが、)
ジナイーダは、バラを顔へ近づけた。すると、あざやかな花びらの照返しが、
(かのじょのほほをそめたようにおもわれた。)
彼女の頬を染めたように思われた。
(「ほんとに、わたしかわったかしら?」と、かのじょはききかえした。)
「ほんとに、わたし変ったかしら?」と、彼女は訊き返した。
(「ええ、かわりました」と、わたしはこごえでこたえた。)
「ええ、変りました」と、わたしは小声で答えた。
(「わたし、あなたにつめたくしたわ、それはじぶんでもわかっているの」)
「わたし、あなたに冷たくしたわ、それは自分でもわかっているの」
(と、じないーだはいいはじめた。「けれど、あなたがそれをきにすることなんか、)
と、ジナイーダは言い始めた。「けれど、あなたがそれを気にすることなんか、
(なかったのよ。わたし、ほかにしかたがなかったんだもの。)
なかったのよ。わたし、外に仕方がなかったんだもの。
(でも、こんなはなしをしてもはじまらないわ!」)
でも、こんな話をしても始まらないわ!」
(「あなたは、ぼくがあなたをあいするのがいやなんです。それなんです!」)
「あなたは、僕があなたを愛するのが厭なんですそれなんです!」
(と、わたしはおもわずかっとなって、いんきなちょうしでさけんだ。)
と、わたしは思わずカッとなって、陰気な調子で叫んだ。
(「いいえ、あいしてちょうだい。けれど、まえのようにではなしにね」)
「いいえ、愛してちょうだい。けれど、前のようにではなしにね」
(「というと?」「おともだちになりましょうね、それがいいのよ!」)
「というと?」「お友達になりましょうねそれがいいのよ!」
(じないーだは、わたしにばらのはなをかがせて、)
ジナイーダは、わたしにバラの花を嗅がせて、
(「ね、よくって、わたしあなたよりずっととしうえなんだから)
「ね、よくって、わたしあなたよりずっと年上なんだから
(おばさんにだってなれるはずよ、ほんとに。また、おばさんでないまでも、)
叔母さんにだってなれるはずよ、ほんとに。また、叔母さんでないまでも、
(ねえさんにならりっぱになれるわ。そこであなたは・・・」)
姉さんになら立派になれるわ。そこであなたは…」
(「ぼくは、どうせあかんぼうですよ」と、わたしはさえぎった。)
「僕は、どうせ赤ん坊ですよ」と、わたしは遮った。
(「ええ、そう、あかちゃんね。けれど、かわいらしい、おとなしい、りこうなこだから)
「ええ、そう、赤ちゃんね。けれど、可愛らしい、おとなしい、利口な子だから
(わたしだいすきなのよ。ああ、そうそう、こうしたらいいわ。)
わたし大好きなのよ。ああ、そうそう、こうしたらいいわ。
(わたし、きょうからあなたを、わたしのおこしょうにとりたててあげるわ。)
わたし、今日からあなたを、わたしのお小姓に取立ててあげるわ。
(そこで、おこしょうというものは、ごしゅじんのそばをはなれてはいけないということを、)
そこで、お小姓というものは、御主人のそばを離れてはいけないということを、
(わすれてはいけませんよ。さ、これが、あなたのあたらしいくらいのしるし」)
忘れてはいけませんよ。さ、これが、あなたの新しい位のしるし」
(と、かのじょはいいたして、わたしのみじかいうわぎのぼたんに、ばらのはなをさしてくれた)
と、彼女は言い足して、わたしの短い上着のボタンに、バラの花を挿してくれた
(「わたしのごちょうあいのしるしよ」)
「わたしの御寵愛のしるしよ」
(「ぼくはまえには、もっとべつのちょうあいをうけていましたよ」)
「僕は前には、もっと別の寵愛を受けていましたよ」
(と、わたしはくちをとがらした。「まあ!」と、じないーだはいって、)
と、わたしは口をとがらした。「まあ!」と、ジナイーダは言って、
(よこあいからわたしのかおをちらりとみた。「このひとのおぼえのいいこと!)
横合いからわたしの顔をちらりと見た。「この人の覚えのいいこと!
(いいわ、いまだってかまやしないわ」そういって、わたしのほうへみをかがめると、)
いいわ、今だってかまやしないわ」そう言って、わたしの方へ身をかがめると、
(わたしのかおに、きよらかなしずかなきすを、ひとつしてくれた。)
わたしの顔に、清らかな静かなキスを、一つしてくれた。