ああ玉杯に花うけて 第三部 3

背景
投稿者投稿者いくらいいね0お気に入り登録
プレイ回数448難易度(4.5) 5506打 長文
佐藤紅緑の「ああ玉杯に花うけて」です。
長文です。現在では不適切とされている表現を含みます。

関連タイピング

問題文

ふりがな非表示 ふりがな表示

(おおさわこづかいのいちばんおそれていたのはたいそうのせんせいのさかもとしょういであった、)

大沢小使いの一番おそれていたのは体操の先生の阪本少尉であった、

(かれはしょういのかおをみるといつもちょくりつふどうのしせいでさいけいれいをするのであった。)

かれは少尉の顔を見るといつも直立不動の姿勢で最敬礼をするのであった。

(「こづかい!おちゃをくれ」「はい、おちゃをもってまいります」)

「小使い! お茶をくれ」「はい、お茶を持ってまいります」

(じっさいおおさわはこうちょうにたいするよりもしょういにたいするほうがいんぎんであった、)

実際大沢は校長に対するよりも少尉に対する方が慇懃であった、

(せいとはかれをさいけいれいとあだなした。さいけいれいのもっともきらいなのはせいばんであった)

生徒はかれを最敬礼とあだ名した。最敬礼のもっともきらいなのは生蕃であった

(せいばんはいつもかれをばとうした。せいばんはおおさわいっとうそつががざんのたたかいでいっしょうけんめいに)

生蕃はいつもかれを罵倒した。生蕃は大沢一等卒が牙山の戦いで一生懸命に

(にげてあんぺらをあたまからかぶってせっちんでおねんぶつをとなえていたといった。)

逃げてアンペラを頭からかぶって雪隠でお念仏をとなえていたといった。

(それにたいしておおさわはかおをあかくしてはんばくした。「みもしないでそんなことを)

それに対して大沢は顔を赤くして反駁した。「見もしないでそんなことを

(いうものじゃない」「おれはみないけれどもかんぽうにちゃんとでていたよ」)

いうものじゃない」「おれは見ないけれども官報にちゃんとでていたよ」

(とせいばんがいった。「とほうもねえ、そんなかんぽうがあるもんですか」)

と生蕃がいった。「とほうもねえ、そんな官報があるもんですか」

(なにかにつけておおさわとせいばんはけんかした、それがあるひらっぱのことではれつした。)

なにかにつけて大沢と生蕃は喧嘩した、それがある日らっぱのことで破裂した。

(おおさわがほかのようじをしているときにせいばんがらっぱをぬすんでどこかへいって)

大沢が他の用事をしているときに生蕃がらっぱをぬすんでどこかへいって

(しまった。これはおおさわにとってゆゆしきだいじであった。)

しまった。これは大沢にとってゆゆしき大事であった。

(おおさわはちまなこになってらっぱをさがした、そうしてとうとうせいばんがあめやに)

大沢は血眼になってらっぱを探した、そうしてとうとう生蕃があめ屋に

(くれてやったことがわかったのでかれはじぶんのひぞうしているうまのおであんだ)

くれてやったことがわかったのでかれは自分の秘蔵している馬の尾で編んだ

(ちょうせんぼうをあめやにやってらっぱをとりかえした。)

朝鮮帽をあめ屋にやってらっぱをとりかえした。

(「じょやくのせがれでなけりゃくちのなかへらっぱをつっこんでやるんだ」)

「助役のせがれでなけりゃ口の中へらっぱをつっこんでやるんだ」

(とかれはふんがいした。せいばんのそこうについてはしばしばがっこうのかいぎにのぼったが、)

とかれは憤慨した。生蕃の素行についてはしばしば学校の会議にのぼったが、

(しかしどうすることもできなかった。えいごのせんせいにつうしょうかとれっとという)

しかしどうすることもできなかった。英語の先生に通称カトレットという

(さんじゅっさいぐらいのひとがあった、このせんせいはわかいににずいつもわふくにもめんのはかまを)

三十歳ぐらいの人があった、この先生は若いに似ずいつも和服に木綿のはかまを

など

(はいている、せんせいのはつおんはおそろしくきゅうしきなものでせいとはみんなふふくであった。)

はいている、先生の発音はおそろしく旧式なもので生徒はみんな不服であった。

(せんせいはきゃっと(ねこ)をかっととはつおんする、かつれつをかとれっととはつおんする)

先生はキャット(ねこ)をカットと発音する、カツレツをカトレットと発音する

(「せんせいはきゅうしきです」とせいとがいう。「ごがくにしんきゅうのくべつがあるか」と)

「先生は旧式です」と生徒がいう。「語学に新旧の区別があるか」と

(せんせいはてんぜんとしていう。「しかしがいこくじんとはなしをするときにせんせいのはつおんでは)

先生は恬然としていう。「しかし外国人と話をするときに先生の発音では

(つうじません」「それだからきみらはいかん、ごがくをおさめるのは)

通じません」「それだからきみらはいかん、語学をおさめるのは

(がいじんとはなすためじゃない、がいこくのほんをよむためだ、ほんをよんでかれのちょうしょを)

外人と話すためじゃない、外国の本を読むためだ、本を読んでかれの長所を

(とりもってわがやくろうにおさめればいい、それだけだ、つうべんになって、にっこうの)

取りもってわが薬籠におさめればいい、それだけだ、通弁になって、日光の

(あんないをしようというげれつなこんじょうのものはあすからがっこうへくるな」)

案内をしようという下劣な根性のものは明日から学校へくるな」

(せいとはちんもくした。せいとかんにはせんせいのげんはどうりだというものがあり、また、)

生徒は沈黙した。生徒間には先生の言は道理だというものがあり、また、

(がんこでこまるというものもあったがけっきょくせんせいにたいしてはなにもいわなくなった。)

頑固で困るというものもあったが結局先生に対してはなにもいわなくなった。

(えいごのせんせいとはいうものの、このあさいせんせいはもうれつなこくすいしゅぎしゃであった、)

英語の先生とはいうものの、この朝井先生は猛烈な国粋主義者であった、

(あるひせいとはえいごのわやくをひだりからみぎへよこにかいた。それをみてせんせいは)

ある日生徒は英語の和訳を左から右へ横に書いた。それを見て先生は

(れっかのごとくおこった。「きみらはいてきのまねをするか、)

烈火のごとくおこった。「きみらは夷狄のまねをするか、

(にほんのもじがみぎからひだりへかくことはむかしからのこくふうである、にほんじんがこめのめしを)

日本の文字が右から左へ書くことは昔からの国風である、日本人が米の飯を

(くうことと、かおがきいろであることとめだまがうるしのごとくくろくうつくしいことと、)

食うことと、顔が黄色であることと目玉がうるしのごとく黒く美しいことと、

(きみにちゅうなることと、おやにこうなることとともにあつきこととせんぱいをうやまうことは)

きみに忠なることと、親に孝なることと友にあつきことと先輩をうやまうことは

(せかいにたいしてほこるびてんである、それをきみらはせんぱくなおうべいのばんぷうをもほうする)

世界に対してほこる美点である、それをきみらは浅薄な欧米の蛮風を模倣する

(とはなにごとだ、さあてをあげてみたまえ、しょくんのうちにめだまがあおく)

とは何事だ、さあ手をあげて見たまえ、諸君のうちに目玉が青く

(なりたいやつがあるか、てんのうにそむこうとするやつがあるか、)

なりたいやつがあるか、天皇にそむこうとするやつがあるか、

(にほんをおうべいのどれいにしようとするやつがあるか」)

日本を欧米のどれいにしようとするやつがあるか」

(せんせいのめにはふんぬのなみだがかがやいた、せいとはすっかりかんげきしてなきだしてしまった。)

先生の目には憤怒の涙が輝いた、生徒はすっかり感激してなきだしてしまった。

(「しんぶんのこうこくや、まちのかんばんにもふこころえせんばんなひだりからのもじがある、)

「新聞の広告や、町の看板にも不心得千万な左からの文字がある、

(それはにほんをあいしないやつらのしわざだ。しょくんはそれにあっかされてはいかん、)

それは日本を愛しないやつらのしわざだ。諸君はそれに悪化されてはいかん、

(いいか、こういうふこころえなやつらをかんかしてじゅんにほんにふっかつせしむるのは)

いいか、こういう不心得なやつらを感化して純日本に復活せしむるのは

(しょくんのせきにんだぞ、いいか、わかったか」このひほどはげしいかんどうをせいとに)

諸君の責任だぞ、いいか、わかったか」この日ほどはげしい感動を生徒に

(あたえたことはなかった。「かとれっとはえらいな」とひとびとはささやきあった。)

あたえたことはなかった。「カトレットはえらいな」と人々はささやきあった。

(こういちはこのほかにもっともそんけいしていたのはこうちょうのくぼいせんせいであった。)

光一はこのほかにもっとも尊敬していたのは校長の久保井先生であった。

(がんらいこういちはこころのそこからうらわちゅうがくをあいした。とくにあまたのせんせいにたいしては)

元来光一は心の底から浦和中学を愛した。とくに数多の先生に対しては

(たんにきょうしとせいとのかんけいいじょうにふかいそんけいとしたしみをもっていた。)

単に教師と生徒の関係以上に深い尊敬と親しみをもっていた。

(こうちょうはしゅうしんをうけもっているので、せいとはなかえとうじゅのしょうをたてまつった。)

校長は修身を受け持っているので、生徒は中江藤樹の称をたてまつった。

(こうちょうのくちぐせはじっせんきゅうこうのよじであった、かれのくんわにはかならず)

校長の口ぐせは実践躬行の四字であった、かれの訓話にはかならず

(なかえとうじゅがひっぱりだされる、せかいだいてつじんのぜんしゅうをのこらずよんでもそれを)

中江藤樹がひっぱりだされる、世界大哲人の全集を残らず読んでもそれを

(じっちにおこなわなければなんのやくにもたたない、たとえばその・・・・・・)

実地におこなわなければなんの役にもたたない、たとえばその……

(こうせんせいはなにかひゆをかんがえだそうとする。)

こう先生はなにか譬喩を考えだそうとする。

(せんせいはひゆがきわめてじょうずであった、きんげんそのもののようなひとが、)

先生は譬喩がきわめてじょうずであった、謹厳そのもののような人が、

(どうしてこうきばつなひゆがでるかとふしぎにおもうことがある、たとえばその、)

どうしてこう奇抜な譬喩がでるかとふしぎに思うことがある、たとえばその、

(ぼたもちをみてくわないとおなじことだ、ぼたもちはめにみるべきものでなくして)

ぼたもちを見て食わないと同じことだ、ぼたもちは目に見るべきものでなくして

(くちにしょくすべきものだ、しょせきはよむべきものでなくしておこないにあらわすべきもの)

口に食すべきものだ、書籍は読むべきものでなくして行ないにあらわすべきもの

(だ、いもはうらわのめいさんである、だがしょくん、おなじおおきさのいものおもさが)

だ、いもは浦和の名産である、だが諸君、同じ大きさのいもの重さが

(ことなるゆえんをしっているか、りょうにおいてはおなじである。おもさにおいて)

異なる所以を知っているか、量においては同じである。重さにおいて

(いっきんとにきんのさがあるのは、ひりょうのばいようほうによってである、よきひりょうと)

一斤と二斤の差があるのは、肥料の培養法によってである、よき肥料と

(せいみつなばいようはいものりょうをふやしまたおもさをふやす、よきしゅうようとよきべんきょうは)

精密な培養はいもの量をふやしまた重さをふやす、よき修養とよき勉強は

(おなじにんげんをゆうとうにすることができる、しょくんはすなわちいもである。)

同じ人間を優等にすることができる、諸君はすなわちいもである。

(このくんわについては「ひとをばかにしてる。おれたちをいもだと)

この訓話については「人を馬鹿にしてる。おれ達をいもだと

(いったぜ、おい」とふへいをこぼしたものもあった。)

いったぜ、おい」と不平をこぼした者もあった。

(ふつうのきょうしはがっこういがいのばしょではなかおれぼうをかぶったりとりうちぼうでさんぽすることも)

普通の教師は学校以外の場所では中折帽をかぶったり鳥打帽で散歩することも

(あるが、こうちょうだけはねんびゃくねんじゅうがっこうのせいぼうでおしとおしている、)

あるが、校長だけは年百年中学校の制帽で押し通している、

(しらがのはみだしたがくぼうにはうらわちゅうがくのまーくがいつもさんぜんとかがやいている。)

白髪のはみだした学帽には浦和中学のマークがいつも燦然と輝いている。

(こうちょうのまーくもぼくらのまーくもおなじものだとおもうとこういちはたまらなく)

校長のマークもぼくらのマークも同じものだと思うと光一はたまらなく

(うれしかった。とここにいちだいじけんがおこった。)

うれしかった。とここに一大事件が起こった。

(あるひがっこうのよこてにひとりのたいやきやがやたいをすえた。)

ある日学校の横手にひとりのたい焼き屋が屋台をすえた。

(それはよぼよぼのおじいさんでぎんのはりのようなみじかいひげがあごにはえ、めには)

それはよぼよぼのおじいさんで銀の針のような短いひげがあごに生え、目には

(なみだをためてそれをきたないてぬぐいでふきふきするのであった。)

涙をためてそれをきたないてぬぐいでふきふきするのであった。

(まずかまどのしたにこなずみをくべ、うえにてつのいたをのせる。いたにはたいのようなかたちが)

まずかまどの下に粉炭をくべ、上に鉄の板をのせる。板にはたいのような形が

(ほってあるので、じいさんはそれにめりけんこをどろりとながす、)

彫ってあるので、じいさんはそれにメリケン粉をどろりと流す、

(それからめやにをちょっとふいてつぎにあんをいれそのうえにまためりけんこ)

それから目やにをちょっとふいてつぎにあんを入れその上にまたメリケン粉

(をながす。さいしょはじいさんがきたないのでだれもちかよらなかったが、)

を流す。最初はじいさんがきたないのでだれも近よらなかったが、

(ひとりそれをかったものがあったので、われもわれもとらいどうした、)

ひとりそれを買ったものがあったので、われもわれもと雷同した、

(にねんせいはてんでにたいやきをほおばって、どうろをうろうろした、)

二年生はてんでにたい焼きをほおばって、道路をうろうろした、

(ちゅうがっこうのうしろはしはんがっこうである、ゆらいいずれのけんでもちゅうがくとしはんとはなかがわるい、)

中学校の後ろは師範学校である、由来いずれの県でも中学と師範とは仲が悪い、

(ぜんしゃはこうしゃをののしってかんぴのいそうろうだといい、)

前者は後者をののしって官費の食客だといい、

(こうしゃはぜんしゃをののしっておやのすねかじりだという。)

後者は前者をののしって親のすねかじりだという。

問題文を全て表示 一部のみ表示 誤字・脱字等の報告

いくらのタイピング

オススメの新着タイピング

タイピング練習講座 ローマ字入力表 アプリケーションの使い方 よくある質問

人気ランキング

注目キーワード