死屍を食う男 葉山嘉樹 ①

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学生の安岡はある夜、同部屋の深谷の怪しい気配を察知し息を潜めた。
学校は静かな山の中にあり、生徒数は年々減っている。
近くの湖では毎年生徒が溺死していた。

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問題文

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(いろんなことをしらないほうがいい、とおもわれることがあなたがたにも)

いろんなことを知らないほうがいい、と思われることがあなた方にも

(よくあるでしょう。ふと、しんぶんの「そのひのうんせい」などにめがつく。)

よくあるでしょう。フト、新聞の「その日の運勢」などに眼がつく。

(じぶんがしちせきだかはっぱくだかまるっきりしらなければもんくはないが、)

自分が七赤だか八白だかまるっきり知らなければ文句はないが、

(じぶんはじこくだとしっていれば、りょこうや、きんだんはいけない、などとあると、)

自分は二黒だと知っていれば、旅行や、金談はいけない、などとあると、

(かまわない、やっつけはするが、どこかこころのすみのほうにそいつが、)

構わない、やっつけはするが、どこか心の隅のほうにそいつが、

(しつっこくくっついている。)

しつっこくくっついている。

(「あそこのいえのやねからは、まいばんひとだまがとぶ。みたことあるかい?」)

「あそこの家の屋根からは、毎晩人魂が飛ぶ。見た事があるかい?」

(そうなると、こどもやおくびょうなおとこはよるになるとそこをとおらない。)

そうなると、子供や臆病な男は夜になるとそこを通らない。

(このくらいのことはなんでもない。いのちをとられるほどのことはないから。)

このくらいのことはなんでもない。命をとられるほどのことはないから。

(だが、みたため、しったためにいのちをおとすひとがおおくある。)

だが、見たため、知ったために命を落とす人が多くある。

(そのひとつのはなしをかいてみましょう。)

その一つの話を書いてみましょう。

(そのがっこうは、むかしははんのがっこうだった。めいじのいしんごけんりつのちゅうがくにかわった。)

その学校は、昔は藩の学校だった。明治の維新後県立の中学に変わった。

(そのじぶんにはけんかにふたつしかちゅうがくがなかったので、そのちゅうがくもすばらしく)

その時分には県下に二つしか中学がなかったので、その中学もすばらしく

(おおきいこうしゃと、へいえいのようなきしゅくしゃとをもつほどぼうちょうした。)

大きい校舎と、兵営のような寄宿舎とを持つほど膨張した。

(ちゅうがくはやまのなかにあった。うんどうじょうはよよぎのれんぺいじょうほどひろくて、)

中学は山の中にあった。運動場は代々木の練兵場ほど広くて、

(いっぽうはけんしゃまるまるじんじゃにつづいており、いっぽうはしょうとくたいしのこんりゅうに)

一方は県社○○神社に続いており、一方は聖徳太子の建立に

(かかるといわれるこくぶんじにつづいていた。そしてまたいっぽうはみずうみになっていて)

かかるといわれる国分寺に続いていた。そしてまた一方は湖になっていて

(まいとしひとりずつ、そのちゅうがくのせいとができしするならわしになっていた。)

毎年一人ずつ、その中学の生徒が溺死するならわしになっていた。

(そのみずうみのきしのきたがわにはとさつじょうがあって、みなみがわにはぼちがあった。)

その湖の岸の北側にはト殺場があって、南側には墓地があった。

(がくもんはしずかにしなけりゃいけない。ことのひょうほんででもあるように、)

学問は静かにしなけれゃいけない。ことの標本ででもあるように、

など

(がっこうはせいじゃくなさかいにたっていた。おまけに、めいじがたいしょうに)

学校は静寂な境に立っていた。おまけに、明治が大正に

(かわろうとするときになると、そのちゅうがくのあるむらが、)

変わろうとする時になると、その中学のある村が、

(せんをぬいたふろおけのみずのようにじんこうがへりはじめた。)

栓を抜いた風呂桶の水のように人口が減り始めた。

(のこっているものはきゅうはんのしぞくで、いくらかのおんきゅうをもらっている)

残っている者は旧藩の士族で、いくらかの恩給をもらっている

(はいりばかりになった。なぜかなら、そのむらは、とのさまがおいつめられたときに、)

廃吏ばかりになった。なぜかなら、その村は、殿様が追い詰められた時に、

(にげこんでむりにこしらえたさんちゅうのいっそんであったから、)

逃げ込んで無理にこしらえた山中の一村であったから、

(なんにもさんぎょうというものがなかった。)

なんにも産業というものがなかった。

(で、ちゅうがくのそんざいによってはんえいをひきとめようとしたが、)

で、中学の存在によって繁栄を引き止めようとしたが、

(こまったことにはちゅうがくがそのちほうじゅうりいないのちいきにいちどにななつもそうりつされた。)

困ったことには中学がその地方十里以内の地域に一度に七つも創立された。

(だいたいいままでちゅうがくがすくなすぎたために、けんでたてたのがふたつ、そのとうじ、)

だいたい今まで中学が少な過ぎたために、県で立てたのが二つ、その当時、

(しゅうぎいんぎいんせんきょのもうれつなきょうそうがあったが、ひとりのりっこうほが、)

衆議院議員選挙の猛烈な競争があったが、一人の立候補が、

(せきたんいろのきょまんのかねをとうじて、ほとんどありとあゆるむらに)

石炭色の巨万の金を投じて、ほとんどありとあらゆる村に

(ちゅうがくをきふしたそのかずがいつつ。こんなわけで、いままでななにんも)

中学を寄付したその数が五つ。こんなわけで、今まで七人も

(ひとつべやにいたきしゅくせいが、いちどにふたりかさんにんかにへってしまった。)

一つ部屋にいた寄宿生が、一度に二人か三人かに減ってしまった。

(そのひとつのへやに、ふかやというのと、やすおかとよばれるそつぎょうきのごねんせいがいた。)

その一つの部屋に、深谷というのと、安岡と呼ばれる卒業期の五年生がいた。

(もちろん、へやのまどのそとはまつばやしであった。)

もちろん、部屋の窓の外は松林であった。

(まつのこずえをこしてこくぶんじのごじゅうのとうが、ひのひかり、つきのひかりにみわたされた。)

松の梢を越して国分寺の五重の塔が、日の光、月の光に見渡された。

(にんずうにくらべてへやのかずがおおすぎるので、きしゅくしゃはかいじょうをじしゅうしつにあて、)

人数に比べて部屋の数が多過ぎるので、寄宿舎は階上を自習室にあて、

(かいかをしんしつにあててあった。どちらもにじゅうじょうほどしけるもくぞうせいようふうに)

階下を寝室にあててあった。どちらも二十畳ほど敷ける木造西洋風に

(つくってあって、ふたりでは、しょうしょうさびしすぎた。が、ふかやもやすおかも、)

造ってあって、二人では、少々淋しすぎた。が、深谷も安岡も、

(それをくちにだしてうったえるのにはけっきさかんにすぎた。それどころではない、)

それを口に出して訴えるのには血気盛んに過ぎた。それどころではない、

(ふかやはできることならば、そのへやにひとりでいたかった。もしゆるすならば)

深谷はできることならば、その部屋に一人でいたかった。もし許すならば

(そのちゅうがくのきしゅくしゃぜんたいに、たったひとりでいたかった。)

その中学の寄宿舎全体に、たった一人でいたかった。

(なにかしら、にんげんぎらいな、ひとをさけ、ひとりでひみつを)

何かしら、人間ぎらいな、人を避け、一人で秘密を

(あじわおうというけぶりがふかやにあることは、やすおかもかんじていた。)

味わおうという気振りが深谷にあることは、安岡も感じていた。

(やすおかはさびしかった。なんだかこころぼそかった。)

安岡は淋しかった。なんだか心細かった。

(がもういちがっきはんしんぼうすれば、はなやかなとうきょうにでられるのだからと)

がもう一学期半辛抱すれば、華やかな東京に出られるのだからと

(しいてひとりなぐさめ、こぶしていた。)

強いて独り慰め、鼓舞していた。

(じゅうがつのすえであった。)

十月の末であった。

(もう、みずのなかにはいらねばしのげないというひざかりのあつさでもないのに、)

もう、水の中に入らねばしのげないという日盛りの暑さでもないのに、

(ゆうがたまでぐらうんどでれんしゅうしていたやきゅうぶのれんちゅうが、どろとあせとをあらいながし、)

夕方までグラウンドで練習していた野球部の連中が、泥と汗とを洗い流し、

(かつはげんきをもほこるために、れいのみずうみへでかけておよいだ。)

且つは元気をも誇るために、例の湖へ出かけて泳いだ。

(ところがそのなかのひとりが、うまくすいちゅうにもぐってみせたが、うまくすいじょうに)

ところがその中の一人が、うまく水中に潜って見せたが、うまく水上に

(うかびあがらなかった。あまりすいりのじかんがながいので、)

浮かび上がらなかった。あまり水裡の時間が長いので、

(しょうさんのこえ、せんぼうのこえが、きょうふのさけびにかわった。)

賞賛の声、羨望の声が、恐怖の叫びに変わった。

(ついにやきゅうぶのせこちゃんがひとりできしした。)

ついに野球部のセコチャンが一人溺死した。

(みずうみは、そこもなくすみわたったそらをうつして、まのいろをますますこくした。)

湖は、底もなく澄みわたった空を映して、魔の色をますます濃くした。

(「とぎゅうしょのいきちのたたりがあのみずうみにはあるのだろう」)

「屠牛所の生き血の崇があの湖にはあるのだろう」

(いっしゅうかんぐらいは、そのうわさでもちきっていた。)

一週間ぐらいは、その噂で持ち切っていた。

(せこちゃんは、じぶんをのみころしたみずうみの、あおぐろいこめんをみおろすぼちに、)

セコチャンは、自分をのみ殺した湖の、蒼黒い湖面を見下ろす墓地に、

(えいごうにねむった。しろいはたが、ひらひらと、かれのせいぜんをおもわせる)

永劫に眠った。白い旗が、ヒラヒラと、彼の生前を思わせる

(おうえんきのようにはためいた。やすおかは、そのことがあってのちますます)

応援旗のようにはためいた。安岡は、そのことがあってのちますます

(さびしさをかんずるようになった。へやがひろすぎた。まつがしのびあしのようになった。)

淋しさを感ずるようになった。部屋が広すぎた。松が忍び足のように鳴った。

(こくぶんじのかねがいんにこもってきこえてくるようになった。)

国分寺の鐘が陰にこもって聞こえてくるようになった。

(こういったふうなじょうたいは、かれをややしんけいすいじゃくにおちいれすいみんをさまたげるけっかにみちびいた。)

こういったふうな状態は、彼をやや神経衰弱に陥れ睡眠を妨げる結果に導いた。

(かれとべっどをならべてねるふかやは、そのもんだいについてはいつもくちをかんしていた。)

彼とベッドを並べて寝る深谷は、その問題についてはいつも口を緘していた。

(かれにはまるできょうみがないようにみえた。)

彼にはまるで興味がないように見えた。

(どちらかといえば、ふかやのほうがこんなぶきみなさびしいじょうたいからは、)

どちらかといえば、深谷のほうがこんな無気味な淋しい状態からは、

(さきにしんけいすいじゃくにかかるのがしとうであるはずだった。)

先に神経衰弱にかかるのが至当であるはずだった。

(いろのあおじろい、やせた、むねのうすい、あたまのおおきいのとはんぴれいにくびすじのちいさい、)

色の青白い、瘠せた、胸の薄い、頭の大きいのと反比例に首筋の小さい、

(ひょろひょろしたふかやであった。そのうえ、なんらのじけんのないときでさえかれは、)

ヒョロヒョロした深谷であった。そのうえ、なんらの事件のない時でさえ彼は、

(かんがえこんでばかりいて、かげのうすいいんしょうをひとにあたえていた。)

考え込んでばかりいて、影の薄い印象を人に与えていた。

(だが、かれはべっどにはいるとすぐにねむった。ちいさないびきさえかいて。)

だが、彼はベッドに入ると直ぐに眠った。小さな鼾さえかいて。

(やすおかは、ふだんおくびょうそうにみえるふかやが、)

安岡は、ふだん臆病おくびょうそうに見える深谷が、

(ぐうぐうねむるのにはらをたてながら、じゅういちじにもなればねむりにおちいることができた。)

グウグウ眠るのに腹を立てながら、十一時にもなれば眠りに陥ることができた。

(せこちゃんができしして、いっしゅうかんめのばんであった。やすおかはがさがさとねがえりを)

セコチャンが溺死して、一週間目の晩であった。安岡はガサガサと寝返りを

(さんじかんもうちつづけたあげく、ねむりかけていた。)

三時間も打ち続けたあげく、眠りかけていた。

(が、まだかんぜんにはねむってしまわないで、ゆめのはじめか、)

が、まだ完全には眠ってしまわないで、夢の初めか、

(うつつのおわりかのまぼろしをみていると、ふとかれのかおのあたりになにかをかんじた。)

現の終わりかの幻を見ていると、フト彼の顔の辺りに何かを感じた。

(かれのするどくとがったしんけいははりでもとおされたように、かれをつめたいぬまのみずの)

彼の鋭くとがった神経は針でも通されたように、彼を冷たい沼の水の

(ようなげんじつにたちかえらせた。が、かれはどろぼうにしのびこまれたむすめのように、)

ような現実に立ち返らせた。が、彼は盗棒に忍び込まれた娘のように、

(ほんのうてきにいきをころしただけであった。やがて、でんとうのすいっちがぱちっと)

本能的に息を殺しただけであった。やがて、電燈のスイッチがパチッと

(なるとどうじにへやがあかるくなった。ふかやがしんだいからおりてすりっぱをはいて、)

鳴ると同時に部屋が明るくなった。深谷が寝台から下りてスリッパを履いて、

(べんじょにいくらしくでていった。)

便所に行くらしく出て行った。

(やすおかのめはさえた。かれは、なにをじぶんのかおのあたりにかんじたかをかんがえはじめた。)

安岡の眼は冴さえた。彼は、何を自分の顔の辺りに感じたかを考え始めた。

(ひとのいきだった。たいおんだった。だが、このへやにはふかやとじぶんとだけしかいない。)

人の息だった。体温だった。だが、この部屋には深谷と自分とだけしかいない。

(ふかやがおれのねいきをうかがうわけがない。まんいち、ふかやがうかがった)

深谷がおれの寝息をうかがうわけがない。万一、深谷がうかがったに

(にしたところで、もしそうならでんとうのついたときかれがしんだいのうえにいるはずがない。)

したところで、もしそうなら電燈のついた時彼が寝台の上にいるはずがない。

(そしてあんなおおっぴらに、すりっぱをばたばたさせてでてゆくはずがない。)

そしてあんなに大っぴらに、スリッパをバタバタさせて出てゆくはずがない。

(だいいち、なんのためにふかやがおれのねいきなんぞうかがうひつようがあるのだ!)

第一、なんのために深谷がおれの寝息なんぞうかがう必要があるのだ!

(おれはしんけいすいじゃくをやっているんだ。まぼろしだ。ゆめだ。さっかくなんだ!)

おれは神経衰弱をやっているんだ。幻だ。夢だ。錯覚なんだ!

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