ああ玉杯に花うけて 第四部 4
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問題文
(ちちはげらげらわらっていた、ははもわらっていた、おじさんがふんがいすればするほど)
父はげらげらわらっていた、母もわらっていた、伯父さんが憤慨すればするほど
(じょちゅうたちやみせのものどもにこっけいにきこえた。おじさんはそそっかしいのがゆうめいで、)
女中達や店の者共に滑稽に聞こえた。伯父さんはそそっかしいのが有名で、
(こういちのいえへくるたびにぼうしをわすれるとか、げたをはきちがえるとか、)
光一の家へくるたびに帽子を忘れるとか、げたをはきちがえるとか、
(ただしはなにかだまってもってゆくとかするのである。こういちはちちとかたるひまが)
ただしはなにかだまって持ってゆくとかするのである。光一は父と語るひまが
(なかった、ちちはおじさんとともにがいしゅつしてよるおそくかえった、こういちはとこにはいってから)
なかった、父は伯父さんと共に外出して夜晩く帰った、光一は床にはいってから
(こうちょうのことばかりをかんがえた。「ていがくされたふくしゅうとしてさかいのちちはこうちょうを)
校長のことばかりを考えた。「停学された復讐として阪井の父は校長を
(おいだすのだ」こうおもうとはてしなくなみだがこぼれた。よくじつがっこうへいくと)
追いだすのだ」こう思うとはてしなく涙がこぼれた。翌日学校へいくと
(なにごともなかった、しょうごのしょくじがすむといいんがこうちょうにめんかいをこうてはずになっている)
何事もなかった、正午の食事がすむと委員が校長に面会をこう手筈になっている
(「どうどうとやるんだぞ、われわれのちとなみだをもってやるんだ、)
「堂々とやるんだぞ、われわれの血と涙をもってやるんだ、
(しせいもってきしんをうごかすにたるだ」とこはらがいいんをげきれいした。)
至誠もって鬼神を動かすに足るだ」と小原が委員を激励した。
(いいんはそこそこにしょくじをすましてこうちょうしつへいこうとしたとき、とつぜん)
委員はそこそこに食事をすまして校長室へいこうとしたとき、突然
(さいけいれいのらっぱがひびいた。「こうどうへあつまれい」としょういがさけびまわった。)
最敬礼のらっぱがひびいた。「講堂へ集まれい」と少尉が叫びまわった。
(「なんだろう」ひとびとはたがいにあやしみながらこうどうへあつまった、こうどうにはすでに)
「なんだろう」人々はたがいにあやしみながら講堂へ集まった、講堂にはすでに
(かくせんせいがこうだんのさゆうにひかえていた、どれもどれもひつうなかおをしてこぶしを)
各先生が講壇の左右にひかえていた、どれもどれも悲痛な顔をしてこぶしを
(にぎりしめていた。もっともめにたつのはかんぶんのせんせいであった、ひょろひょろと)
にぎりしめていた。もっとも目にたつのは漢文の先生であった、ひょろひょろと
(やせてたかいそのめになみだがいっぱいたまっていた。「あのいっけんだぞ」といいんたちは)
やせて高いその目に涙が一ぱいたまっていた。「あの一件だぞ」と委員達は
(はやくもさとった、そうしていいんはきせずしていちばんまえにこしをかけた。ざわざわと)
早くもさとった、そうして委員は期せずして一番前に腰をかけた。ざわざわと
(うごくひとなみがしずまるのをまってしょういはおそろしいげんかくなかおをしてこうだんにたった。)
動く人波がしずまるのを待って少尉はおそろしい厳格な顔をして講壇に立った。
(「しょくんもあるいはしっているかもしらんが、こんどくぼいこうちょうがとうきょうへ)
「諸君もあるいは知っているかもしらんが、こんど久保井校長が東京へ
(えいてんさるることになりました、ついてはこくべつのためこうちょうからしょくんにおはなしがある)
栄転さるることになりました、ついては告別のため校長から諸君にお話がある
(そうですからきんちょうなさるがいいけっしてけいそつなことがないようにちゅういをしておく」)
そうですから謹聴なさるがいい決して軽卒なことがないように注意をしておく」
(このこえがおわるかおわらないうちにこうどうはしおのごとくわきたった。「なぜこうちょう)
この声がおわるかおわらないうちに講堂は潮のごとくわきたった。「なぜ校長
(がこのがっこうをでるのですか」「えいてんですか、めんかんですか」)
がこの学校をでるのですか」「栄転ですか、免官ですか」
(「せんせいがぼくらをすてるんですか」「せんせいをおいだすやつがあるんですか」)
「先生がぼくらをすてるんですか」「先生を追いだすやつがあるんですか」
(ちいさなこえおおきなこえ、ばすとばりとんのさはあれどもこえごえはねっきょうにふるえていた)
小さな声大きな声、バスとバリトンの差はあれども声々は熱狂にふるえていた
(じっさいそれはわかきじゅんすいなちとなみだがいちどにかいれつしたしじょうのこうずいであった。)
実際それは若き純粋な血と涙が一度に潰裂した至情の洪水であった。
(「しょくん?」こはらきゃっちゃはこうだんのしたにおどりだしていちどうのほうへりょうてをひろげてたった)
「諸君?」 小原捕手は講壇の下におどり出して一同の方へ両手を拡げて立った
(「こうちょうせんせいがしょくんにこくべつのじをたまわるそうだが、しょくんはせんせいとわかれるいしが)
「校長先生が諸君に告別の辞をたまわるそうだが、諸君は先生とわかれる意志が
(あるか、いしがあるならこくべつのじをきくべしだ、いしのないものは・・・・・・)
あるか、意志があるなら告別の辞を聴くべしだ、意志のない者は……
(どうしてもせんせいとわかれたくないものはおはなしをきくひつようがないとおもうがどうだ」)
どうしても先生とわかれたくないものはお話を聴く必要がないと思うがどうだ」
(「そうだ、むろんだ」こうどうのかべがわれるばかりのかっさいとはくしゅがおこった。)
「そうだ、無論だ」講堂の壁がわれるばかりの喝采と拍手が起こった。
(「こはら、おねがいしてくれ、せんせいにおねがいしてくれ」だれかが)
「小原、おねがいしてくれ、先生におねがいしてくれ」だれかが
(すきとおるこえでこういった。こうちょうはまっさおになってこのていをみていた。)
すきとおる声でこういった。校長はまっさおになってこの体を見ていた。
(じぶんがてしおにかけてきょういくしたせいとがかほどまでじぶんをしんじてくれるかとおもうと)
自分が手塩にかけて教育した生徒がかほどまで自分を信じてくれるかと思うと
(こころのなかでなかずにはいられなかった。「せんせい!」こはらはこうちょうのほうへ)
心の中でなかずにはいられなかった。「先生!」小原は校長の方へ
(むきなおっていった、そのまっくろなかおにもゆるごときほのおがひらめいた、)
向きなおっていった、そのまっ黒な顔に燃ゆるごとき炎がひらめいた、
(ひろいかたとふといくびがなみのごとくふるえている。「せんせい!」かれはふたたびいったが)
広い肩と太い首が波の如くふるえている。「先生!」かれはふたたびいったが
(なみだがのどにつまってなにもいえなくなった。「こうちょうせんせい!」こういうやいなや)
涙が喉につまってなにもいえなくなった。「校長先生!」こういうやいなや
(かれはきゅうにこえをたててすすりあげ、そのふといかいなをめにあててしまった。)
かれは急に声をたててすすりあげ、その太い腕を目にあててしまった。
(こうどうはみずをうったようにしずまった、しぐれにうたるるふゆくさのごとくそこここ)
講堂は水を打ったようにしずまった、しぐれに打たるる冬草のごとくそこここ
(からなきごえがおこった、とそれがやがてこらえきれなくなっていちどになきだした)
からなき声が起こった、とそれがやがてこらえきれなくなって一度になきだした
(かんぶんのせんせいはりょうてでかおをかくした、あさいせんせいはどあをあけてそとへでた、ほかのせんせいたちは)
漢文の先生は両手で顔を隠した、朝井先生は扉をあけて外へでた、他の先生達は
(みぎにかたむきひだりにかたむいてなみだをかくした。こうちょうはしずかにこうだんにたった。)
右に傾き左に傾いて涙をかくした。校長はしずかに講壇に立った。
(ひくいしかもそこぢからのあるこえは、くちびるからもれた。「しょくん!ふしょうくぼいかつみが)
低いしかも底力のある声は、くちびるからもれた。「諸君!不肖久保井克巳が
(とうこうにほうしょくしてよりここにろくねん、いまだひあさきにかかわらず、ぜんこうちょうの)
当校に奉職してよりここに六年、いまだ日浅きにかかわらず、前校長の
(のこされたびふうととうちほうのけんぜんなるくうきと、しょくいんしょしのとくじつとによってさいわいに)
のこされた美風と当地方の健全なる空気と、職員諸氏の篤実とによって幸いに
(たいかなくこうちょうのにんむをつくしとくたることをまんぞくにおもっています、こんかいとうきょくの)
大瑕なく校長の任務を尽くし得たることを満足に思っています、今回当局の
(めいによりほんこうをさりしょくんとわかれることになったことはじつにいかんとする)
命により本校を去り諸君とわかれることになったことは実に遺憾とする
(ところでありますがじじょうまことにやむをえません。おもうにりごうしゅうさんは)
ところでありますが事情まことにやむを得ません。おもうに離合集散は
(じんせいのつね、あえてかなしむにたらざることであります、ただ、しょくんにして)
人生のつね、あえて悲しむに足らざることであります、ただ、諸君にして
(わたしをおもうこころあるなら、そのうつくしきゆうじょうをつぎにきたるべきこうちょうにささげて)
私を思う心あるなら、その美しき友情をつぎにきたるべき校長にささげて
(くれたまえ、しょくんのいちげんいっこうにしてもしみちをあやまるようなことがあれば、)
くれたまえ、諸君の一言一行にしてもし道をあやまるようなことがあれば、
(ぜんこうちょうのくぼいはむのうしゃであるとわらわれるだろう、しょくんのけんぜんなる、)
前校長の久保井は無能者であるとわらわれるだろう、諸君の健全なる、
(ごうきかかんなる、せいぎにあつくゆうじょうにとめる、このきふうをうしなわざればそれはやがて)
剛毅果敢なる、正義にあつく友情に富める、この気風を失わざればそれはやがて
(くぼいかつみのめいよである、わたしはしょくんが、いかにわたしをあいしてくれるかをしっている)
久保井克巳の名誉である、私は諸君が、いかに私を愛してくれるかを知っている
(しょくんもまたわたしのこころをしっているだろう、うんざんえんすいあいへだつれどもいっぺんのしじょう)
諸君もまた私の心を知っているだろう、雲山煙水相隔つれども一片の至情
(ここにあいゆるせば、わかれることはなんでもない、わたしをおもうなら、しずかに)
ここに相許せば、わかれることはなんでもない、私を思うなら、しずかに
(しずかにわたしをこのちからさらしめてくれたまえ、わたしもしょくんをおもえばこそ)
しずかに私をこの地から去らしめてくれたまえ、私も諸君を思えばこそ
(このちをさるのだ・・・・・・」こえはしずかなしずかなゆうなみがきしをうつかのごとく)
この地を去るのだ……」声はしずかなしずかな夕波が岸を打つかのごとく
(であったが、しだいにこうふんしてしぶきがさっとがんとうにはねかかるかとおもうと、)
であったが、次第に興奮して飛沫がさっと岩頭にはねかかるかと思うと、
(それをおさえるごとくもとのしずかさにかえるのであった、いちどうはおおとりのつばさに)
それをおさえるごとく元のしずかさに返るのであった、一同は大鳥の翼に
(だきこまれたひなどりのごとくなりをしずめた。「もししょくんにして)
だきこまれた雛鳥のごとく鳴りをしずめた。「もし諸君にして
(わたしをおもうあまりにけいそつなこうどうをとると、わたしがろくねんかんこのうらわちょうにつくしたこころざしは)
私を思うあまりに軽卒な行動をとると、私が六年間この浦和町につくした志は
(ぜんぜんほうむられてしまうことになる、しょくんはがくせいのぶをしらなければならん、)
全然葬られてしまうことになる、諸君は学生の分を知らなければならん、
(がくせいはけっしてぞくせかいのことにゆびをそめてはならん、ただ、わたしはしょくんにいう、)
学生は決して俗世界のことに指を染めてはならん、ただ、私は諸君にいう、
(じょんぶらいとは「ただしきをふんでおそるるなかれ」といった、わたしは)
ジョン・ブライトは『正しきを踏んでおそるるなかれ』といった、私は
(このかくげんをしょくんにおしえた、わたしがさるのもそれである、しょくんもまたこのかくげんを)
この格言を諸君に教えた、私が去るのもそれである、諸君もまたこの格言を
(わすれてはならぬ、ごねんせいはらいねんだ、いちねんせいもごねんのあとにはそつぎょうするだろう、)
わすれてはならぬ、五年生は来年だ、一年生も五年の後には卒業するだろう、
(そのときにはまたあえる、はるかにうらわのてんをながめてしょくんのけんぜんをいのろう、)
そのときにはまた会える、はるかに浦和の天をながめて諸君の健全を祈ろう、
(しょくんもまたいままでどおりにりっぱにべんきょうしたまえ」こはらはぐったりとあたまを)
諸君もまたいままでどおりにりっぱに勉強したまえ」小原はぐったりと頭を
(たれてだまった、もうなんぴともいうものがない、こうちょうがいかにもかなしげに)
たれてだまった、もう何人もいうものがない、校長がいかにも悲しげに
(いちどうをみおろしていちれいした、せいとはことごとくきりつしておじぎをした。)
一同を見おろして一礼した、生徒はことごとく起立しておじぎをした。
(そうしてそのままふたたびなきだした。こうれつのほうからとぐちへくずれだした、)
そうしてそのままふたたびなきだした。後列の方から扉口へくずれだした、
(いとしめやかなあしどり、そうしきのごとくかなしげにいちどうはこうどうをでた。)
いとしめやかな足取り、葬式のごとく悲しげに一同は講堂をでた。
(「だめかなあ」こういちはひとびととはなれてひとりなきたいとおもった、)
「だめかなア」光一は人々とはなれてひとりなきたいと思った、
(かれはゆめのごとくまちをあるいた、かれはじぶんのはいごからいそがしそうに)
かれは夢のごとく町を歩いた、かれは自分の背後からいそがしそうに
(あるいてくるあしおとをきいた、あしおとはしだいにちかづいた、そうしてこういちをとおりすごした)
歩いてくる足音を聞いた、足音は次第に近づいた、そうして光一を通りすごした
(「あおきくん」かれはよびとめた。「ああやなぎさん」「どこへゆく?」)
「青木君」かれは呼びとめた。「ああ柳さん」「どこへゆく?」
(こういちはちびこうがとうふおけもかつがないのをふしぎにおもった。)
光一はチビ公が豆腐おけもかつがないのをふしぎに思った。
(「ぼくのおじさんをみませんか」とせんぞうはうろうろしていった。「いやみない」)
「ぼくのおじさんを見ませんか」と千三はうろうろしていった。「いや見ない」
(「ああそうですか、けさからいえをでたきりですからな、)
「ああそうですか、今朝から家をでたきりですからな、
(またさかいのいえへどなりこみにいったのではないかとおもってね」)
また阪井の家へどなりこみにいったのではないかと思ってね」
(せんぞうはなきだしそうなかおをしていた。)
千三はなきだしそうな顔をしていた。
(「しんぱいだろうね、ぼくもいっしょにさがしてあげよう」)
「心配だろうね、ぼくも一緒にさがしてあげよう」