風立ちぬ 堀辰雄 ⑬

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投稿者投稿者ヒマヒマ マヒマヒいいね3お気に入り登録
プレイ回数1060難易度(4.5) 3819打 長文
ジブリの「風立ちぬ」作成に当たり、参考とされた小説です。

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問題文

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(ちちはふつかたいざいしていった。)

父は二日滞在して行った。

(しゅっぱつするまえ、ちちはわたしをあんないやくにして、さなとりうむのまわりをあるいた。)

出発する前、父は私を案内役にして、サナトリウムのまわりを歩いた。

(が、それはわたしとふたりきりではなすのがもくてきだった。)

が、それは私と二人きりで話すのが目的だった。

(そらにはくもひとつないくらいにはれきったひだった。)

空には雲ひとつない位に晴れ切った日だった。

(いつになくくっきりとあかちゃけたやまはだを)

いつになくくっきりとあかちゃけた山肌を

(みせているやつがたけなどをわたしがさしてしめしても、)

見せている八ヶ岳などを私が指して示しても、

(ちちはそれにはちょっとめをあげるきりで、ねっしんにはなしをつづけていた。)

父はそれにはちょっと目を上げるきりで、熱心に話をつづけていた。

(「ここはどうもあれのからだにはむかないのではないだろうか?)

「ここはどうもあれの身体には向かないのではないだろうか?

(もうはんとしいじょうにもなるのだから、もうすこしよくなっていそうなものだがーー」)

もう半年以上にもなるのだから、もうすこし良くなって居そうなものだがーー」

(「さあ、ことしのなつはどこもきこうがわるかったのではないでしょうか?)

「さあ、今年の夏は何処も気候が悪かったのではないでしょうか?

(それにこういうやまのりょうようじょなんぞはふゆがいいのだといいますがーー」)

それにこういう山の療養所なんぞは冬がいいのだと云いますがーー」

(「それはふゆまでしんぼうしていられればいいのかもしれんがーー)

「それは冬まで辛抱して居られればいいのかも知れんがーー

(しかしあれにはふゆまでがまんできまいーー」)

しかしあれには冬まで我慢できまいーー」

(「しかしじぶんではふゆもいるきでいるようですよ」)

「しかし自分では冬も居る気でいるようですよ」

(わたしはこういうやまのこどくがどんなにわたしたちのこうふくを)

私はこういう山の孤独がどんなに私達の幸福を

(はぐくんでいてくれるかということを、)

育くんでいて呉れるかと云うことを、

(どうしたらちちにりかいさせられるだろうかともどかしがりながら、)

どうしたら父に理解させられるだろうかともどかしがりながら、

(しかしそういうわたしたちのためにちちのはらっているぎせいのことをおもえば)

しかしそういう私達のために父の払っている犠牲のことを思えば

(なんともそれをいいだしかねて、わたしたちのちぐはぐなたいわをつづけていた。)

何んともそれを言い出しかねて、私達のちぐはぐな対話を続けていた。

(「まあ、せっかくやまへきたのですから、)

「まあ、折角山へ来たのですから、

など

(いられるだけいてみるようになさいませんか?」)

居られるだけ居て見るようになさいませんか?」

(「ーーだが、あなたもふゆまでいっしょにいてくだされるのか?」)

「ーーだが、あなたも冬迄一緒に居て下されるのか?」

(「ええ、もちろんいますとも」)

「ええ、勿論居ますとも」

(「それはあなたにはほんとうにすまんな。)

「それはあなたには本当にすまんな。

(ーーだが、あなたは、いましごとはしておられるのか?」)

ーーだが、あなたは、いま仕事はして居られるのか?」

(「いいえーー」「しかし、あなたもびょうにんにばかりかまっておらずに、)

「いいえーー」「しかし、あなたも病人にばかり構って居らずに、

(しごともすこしはなさらなければいけないね」)

仕事も少しはなさらなければいけないね」

(「ええ、これからすこしーー」とわたしはくちごもるようにいった。)

「ええ、これから少しーー」と私は口籠るように言った。

(ーー「そうだ、おれはずいぶんながいことおれのしごとをうっちゃらかしていたなあ。)

ーー「そうだ、おれは随分長いことおれの仕事をうっちゃらかしていたなあ。

(なんとかしていまのうちにしごともしださなければいけない」)

なんとかして今のうちに仕事もし出さなければいけない」

(ーーそんなことまでかんがえだしながら、なにかしらわたしはきもちがいっぱいになってきた。)

ーーそんなことまで考え出しながら、何かしら私は気持が一ぱいになって来た。

(それからわたしたちはしばらくむごんのまま、おかのうえにたたずみながら、)

それから私達はしばらく無言のまま、丘の上に佇みながら、

(いつのまにかにしのほうからちゅうくうにずんずんひろがりだした)

いつのまにか西の方から中空にずんずん拡がり出した

(むすうのうろこのようなくもをじっとみあげていた。)

無数の鱗のような雲をじっと見上げていた。

(やがてわたしたちはもうすっかりきのはのきばんだぞうきばやしのなかをとおりぬけて、)

やがて私達はもうすっかり木の葉の黄ばんだ雑木林の中を通り抜けて、

(うらてからびょういんへかえっていった。そのひも、にんぷがにさんにんで、)

裏手から病院へ帰って行った。その日も、人夫が二三人で、

(れいのおかをきりくずしていた。そのかたわらをとおりすぎながら、)

例の丘を切り崩していた。その傍を通り過ぎながら、

(わたしは「なんでもここへかだんをこしらえるんだそうですよ」)

私は「何んでもここへ花壇をこしらえるんだそうですよ」

(といかにもなにげなさそうにいったきりだった。)

といかにも何気なさそうに言ったきりだった。

(ゆうがたていしゃばまでちちをみおくりにいって、わたしがかえってきてみると、)

夕方停車場まで父を見送りに行って、私が帰って来て見ると、

(びょうにんはべっどのなかでからだをよこむきにしながら、はげしいせきにむせっていた。)

病人はベッドの中で身体を横向きにしながら、激しい咳にむせっていた。

(こんなにはげしいせきはこれまでいちどもしたことはないくらいだった。)

こんなに激しい咳はこれまで一度もしたことはないくらいだつた。

(そのほっさがすこししずまるのをまちながら、)

その発作がすこし鎮まるのを待ちながら、

(わたしが、「どうしたんだい?」とたずねると、)

私が、「どうしたんだい?」と訊ねると、

(「なんでもないの。ーーじきとまるわ」びょうにんはそれだけやっとこたえた。)

「なんでもないの。ーーじき止まるわ」病人はそれだけやっと答えた。

(「そのみずをちょうだい」わたしはふらすこからこっぷにみずをすこしそそいで、)

「その水を頂戴」私はフラスコからコップに水をすこし注いで、

(それをかのじょのくちにもっていってやった。かのじょはそれをひとくちのむと、)

それを彼女の口に持って行ってやった。彼女はそれを一口飲むと、

(しばらくへいせいにしていたが、そんなじょうたいはみじかいあいだにすぎ、)

しばらく平静にしていたが、そんな状態は短い間に過ぎ、

(またも、さっきよりもはげしいくらいのほっさがかのじょをおそった。)

又も、さっきよりも激しい位の発作が彼女を襲った。

(わたしはほとんどべっどのはしまでのりだしてみもだだえしているかのじょを)

私は殆んどベッドの端までのり出して身もだえしている彼女を

(どうしようもなく、ただこうきいたばかりだった。)

どうしようもなく、ただこう訊いたばかりだった。

(「かんごふをよぼうか?」)

「看護婦を呼ぼうか?」

(「・・・・・・」かのじょはそのほっさがしずまっても、)

「・・・・・・」彼女はその発作が鎮まっても、

(いつまでもくるしそうにからだをねじらせたまま、)

いつまでも苦しそうに身体をねじらせたまま、

(りょうてでかおをおおいながら、ただうなずいてみせた。)

両手で顔をおおいながら、ただ頷いて見せた。

(わたしはかんごふをよびにいった。そしてわたしにかまわずさきにはしっていったかんごふの)

私は看護婦を呼びに行った。そして私に構わず先きに走っていった看護婦の

(すこしあとからびょうしつへはいっていくと、びょうにんはそのかんごふに)

すこし後から病室へはいって行くと、病人はその看護婦に

(りょうてでささえられるようにしながら、いくぶんらくそうなしせいにかえっていた。)

両手で支えられるようにしながら、いくぶん楽そうな姿勢に返っていた。

(が、かのじょはうつけたようにぼんやりとめをみひらいているきりだった。)

が、彼女はうつけたようにぼんやりと目を見ひらいているきりだった。

(せきのほっさはいっときとまったらしかった。)

咳の発作は一時止まったらしかった。

(かんごふはかのじょをささえていたてをすこしずつはなしながら、)

看護婦は彼女を支えていた手を少しずつ放しながら、

(「もうとまったわね。ーーすこうし、そのままじっとしていらっしゃいね」)

「もう止まったわね。ーーすこうし、そのままじっとしていらっしゃいね」

(といって、みだれたもうふなどをなおしたりしはじめた。)

と言って、乱れた毛布などを直したりしはじめた。

(「いまちゅうしゃをたのんできてあげるわ」かんごふはへやをでていきながら、)

「いま注射を頼んで来て上げるわ」看護婦は部屋を出て行きながら、

(どこにいていいかわからなくなってどあのところにぼうだちにたっていたわたしに、)

何処に居ていいか分らなくなってドアのところに棒立ちに立っていた私に、

(ちょっとみみうちした。「すこしけったんをだしてよ」)

ちょっと耳打ちした。「すこし血痰を出してよ」

(わたしはやっとかのじょのまくらもとにちかづいていった。)

私はやっと彼女の枕元に近づいて行った。

(かのじょはぼんやりとめはみひらいていたが、)

彼女はぼんやりと目は見ひらいていたが、

(なんだかねむっているとしかおもえなかった。)

なんだか眠っているとしか思えなかった。

(わたしはそのあおざめたひたいにほつれたちいさなうずをまいているかみを)

私はその蒼ざめた額にほつれた小さな渦を巻いている髪を

(かきあげてやりながら、そのつめたくあせばんだひたいをわたしのてでそっとなでた。)

掻き上げてやりながら、その冷たく汗ばんだ額を私の手でそっと撫でた。

(かのじょはやっとわたしのあたたかいそんざいをそれにかんじでもしたかのように、)

彼女はやっと私の温かい存在をそれに感じでもしたかのように、

(ちらっとなぞのようなほほえみをくちびるにただよわせた。)

ちらっと謎のような微笑をくちびるに漂わせた。

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