風立ちぬ 堀辰雄 ㉑

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投稿者投稿者ヒマヒマ マヒマヒいいね3お気に入り登録
プレイ回数1082難易度(4.4) 5027打 長文
ジブリの「風立ちぬ」作成に当たり、参考とされた小説です。

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問題文

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(さっきよりかぜがだいぶつよくなったとみえる。)

さっきより風がだいぶ強くなったと見える。

(それはあちこちのもりからたえずおとをひきもいでいた。)

それはあちこちの森から絶えず音を引きもいでいた。

(そしてときどきそれをさなとりうむのたてものにぶっつけ、)

そしてときどきそれをサナトリウムの建物にぶっつけ、

(どこかのまどをばたばたならしながら、)

どこかの窓をばたばた鳴らしながら、

(いちばんさいごにわたしたちのへやのまどをすこしきしらせた。)

一番最後に私達の部屋の窓を少しきしらせた。

(それにおびえでもしているかのように、)

それに怯えでもしているかのように、

(かのじょはいつまでもわたしのてをはなさないでいた。)

彼女はいつまでも私の手をはなさないでいた。

(そうしてめをつぶったまま、)

そうして目をつぶったまま、

(じぶんのうちのなにかのはたらきにいっしんになろうとしているようにみえた。)

自分の裡の何かのはたらきに一心になろうとしているように見えた。

(そのうちにそのてがすこしゆるんできた。)

そのうちにその手が少し緩んできた。

(かのじょはねいったふりをしだしたらしかった。)

彼女は寝入ったふりをし出したらしかった。

(「さあ、こんどはおれのばんかーー」そんなことをつぶやきながら、)

「さあ、今度はおれの番かーー」そんなことを呟きながら、

(わたしもかのじょとおなじようにねられそうもないじぶんをねつかせに、)

私も彼女と同じように寝られそうもない自分を寝つかせに、

(じぶんのまっくらなへやのなかへはいっていった。)

自分の真っ暗な部屋の中へはいって行った。

(じゅういちがつにじゅうろくにちこのごろ、わたしはよくよるのあけかかるじぶんにめをさます。)

十一月二十六日  この頃、私はよく夜の明けかかる時分に目を覚ます。

(そんなときは、わたしはしばしばそっとおきあがって、)

そんなときは、私はしばしばそっと起き上って、

(びょうにんのねがおをしげしげとみつめている。)

病人の寝顔をしげしげと見つめている。

(べっどのへりやびんなどはだんだんきばみかけてきているのに、)

ベッドの縁やびんなどはだんだん黄ばみかけて来ているのに、

(かのじょのかおだけがいつまでもあおじろい。)

彼女の顔だけがいつまでも蒼白い。

(「かわいそうなやつだなあ」それがわたしのくちぐせにでもなったかのように)

「可哀そうな奴だなあ」それが私の口癖にでもなったかのように

など

(じぶんでもしらずにそういっているようなこともある。)

自分でも知らずにそう言っているようなこともある。

(けさもあけがたちかくにめをさましたわたしは、)

けさも明け方近くに目を覚ました私は、

(ながいあいだそんなびょうにんのねがおをみつめてから、)

長い間そんな病人の寝顔を見つめてから、

(つまさきだってへやをぬけだし、さなとりうむのうらの、)

爪先き立って部屋を抜け出し、サナトリウムの裏の、

(はだかすぎるくらいにかれきったはやしのなかへはいっていった。)

裸過ぎる位に枯れ切った林の中へはいって行った。

(もうどのきにもしんだはがふたつみっつのこって、)

もうどの木にも死んだ葉が二つ三つ残って、

(それがかぜにあらがっているきりだった。)

それが風に抗っているきりだった。

(わたしがそのくうきょなはやしをではずれたころには、やつがたけのさんちょうをはなれたばかりのひが、)

私がその空虚な林を出はずれた頃には、八ヶ岳の山頂を離れたばかりの日が、

(みなみからにしにかけてたちならんでいるやまやまのうえに)

南から西にかけて立ち並んでいる山々の上に

(ひくくたれたままうごこうともしないでいるくものかたまりを、)

低く垂れたまま動こうともしないでいる雲の塊りを、

(みるまにあかあかとかがやかせはじめていた。)

見るまに赤あかとかがやかせはじめていた。

(が、そういうあけぼののひかりもちじょうにはまだなかなかとどきそうになかった。)

が、そういう曙の光も地上にはまだなかなか届きそうになかった。

(それらのやまやまのあいだにはさまれているふゆがれたもりやはたけやあれちは、)

それらの山々の間に挟まれている冬枯れた森や畑や荒地は、

(いま、すべてのものからまったくうちすてられてでもいるようなようすをみせていた。)

今、すべてのものから全く打ち棄てられてでもいるような様子を見せていた。

(わたしはそのかれきばやしのはずれに、ときどきたちどまっては)

私はその枯木林のはずれに、ときどき立ち止まっては

(さむさにおもわずあしぶみしながら、そこいらをあるきまわっていた。)

寒さに思わず足踏みしながら、そこいらを歩き廻っていた。

(そうしてなにをかんがえていたのだかじぶんでもおもいだせないようなかんがえを)

そうして何を考えていたのだか自分でも思い出せないような考えを

(とつおいつしていたわたしは、そのうちふいにあたまをあげて、)

とつおいつしていた私は、そのうち不意に頭を上げて、

(そらがいつのまにかかがやきをうしなったくらいくもに)

空がいつのまにかかがやきを失った暗い雲に

(すっかりとざされているのをみとめた。わたしはそれにきがつくと、)

すっかりとざされているのを認めた。私はそれに気がつくと、

(ついさっきまでそれをあんなにもうつくしくやいていたあけぼののひかりが)

ついさっきまでそれをあんなにも美しく焼いていた曙の光が

(ちじょうにとどくのをそれまでこころまちにしてでもいたかのように、)

地上に届くのをそれまで心待ちにしてでもいたかのように、

(きゅうになんだかつまらなそうなかっこうをして、)

急になんだか詰まらなそうな恰好をして、

(あしばやにさなとりうむにひきかえしていった。)

足早にサナトリウムに引返して行った。

(せつこはもうめをさましていた。しかしたちもどったわたしをみとめても、)

節子はもう目を覚ましていた。しかし立ち戻った私を認めても、

(わたしのほうへはものうげにちらっとめをあげたきりだった。)

私の方へは物憂げにちらっと目を上げたきりだった。

(そしてさっきねていたときよりもいっそうあおいようなかおいろをしていた。)

そしてさっき寝ていたときよりも一層蒼いような顔色をしていた。

(わたしがまくらもとにちかづいて、かみをいじりながらひたいにせっぷんしようとすると、)

私が枕もとに近づいて、髪をいじりながら額に接吻しようとすると、

(かのじょはよわよわしくくびをふった。)

彼女は弱々しく首を振った。

(わたしはなんにもきかずに、かなしそうにかのじょをみていた。)

私はなんにも訊かずに、悲しそうに彼女を見ていた。

(が、かのじょはそんなわたしをというよりも、)

が、彼女はそんな私をと云うよりも、

(むしろ、そんなわたしのかなしみをみまいとするかのように、)

むしろ、そんな私の悲しみを見まいとするかのように、

(ぼんやりしためつきでくうをみいっていた。)

ぼんやりした目つきで空を見入っていた。

((よる)なにもしらずにいたのはわたしだけだったのだ。)

(夜)   何も知らずにいたのは私だけだったのだ。

(ごぜんのしんさつのすんだあとで、わたしはかんごふちょうにろうかへよびだされた。)

午前の診察の済んだ後で、私は看護婦長に廊下へ呼び出された。

(そしてわたしははじめてせつこがけさわたしのしらないあいだに)

そして私ははじめて節子がけさ私の知らない間に

(しょうりょうのかっけつをしたことをきかされた。)

少量の喀血をしたことを聞かされた。

(かのじょはわたしにそれをだまっていたのだ。)

彼女は私にはそれを黙っていたのだ。

(かっけつはきけんというていどではないが、)

喀血は危険と云う程度ではないが、

(ようじんのためにしばらくつきそいかんごふをつけておくようにと、)

用心のためにしばらく附添看護婦をつけて置くようにと、

(いんちょうがいいつけていったというのだ。)

院長が言い付けて行ったというのだ。

(ーーわたしはそれにどういするほかはなかった。)

ーー私はそれに同意するほかはなかった。

(わたしはちょうどあいているとなりのびょうしつに、そのあいだだけひきうつっていることにした。)

私は丁度空いている隣りの病室に、その間だけ引き移っていることにした。

(わたしはいま、ふたりですんでいたへやにどこからどこまでにた、)

私はいま、二人で住んでいた部屋に何処から何処まで似た、

(それでいてぜんぜんみしらないようなかんじのするへやのなかに、)

それでいて全然見知らないような感じのする部屋の中に、

(ひとりぼっちで、このにっきをつけている。)

一人ぼっちで、この日記をつけている。

(こうしてわたしがすうじかんまえからすわっているのに、)

こうして私が数時間前から坐っているのに、

(どうもまだこのへやはくうきょのようだ。)

どうもまだこの部屋は空虚のようだ。

(ここにはまるでだれもいないかのように、あかりさえもつめたくひかっている。)

此処にはまるで誰もいないかのように、明りさえも冷たく光っている。

(じゅういちがつにじゅうはちにちわたしはほとんどできあがっているしごとののおとを、つくえのうえに、)

十一月二十八日   私は殆ど出来上っている仕事のノオトを、机の上に、

(すこしもてをつけようとはせずに、ほうりだしたままにしておいてある。)

少しも手をつけようとはせずに、ほうり出したままにして置いてある。

(それをしあげるためにも、)

それを仕上げるためにも、

(しばらくべつべつにくらしたほうがいいのだということを)

しばらく別々に暮らした方がいいのだと云うことを

(びょうにんにはいいふくめておいたのだ。)

病人には云い含めて置いたのだ。

(が、どうしてそれにえがいたようなわたしたちのあんなにしあわせそうだったじょうたいに、)

が、どうしてそれに描いたような私達のあんなに幸福そうだった状態に、

(いまのようなこんなふあんなきもちのまま、わたしひとりではいっていくことができようか?)

今のようなこんな不安な気持のまま、私一人ではいって行くことが出来ようか?

(わたしはまいにち、にさんじかんおきぐらいに、となりのびょうしつにいき、)

私は毎日、二三時間おきぐらいに、隣りの病室に行き、

(びょうにんのまくらもとにしばらくすわっている。)

病人の枕もとにしばらく坐っている。

(しかしびょうにんにしゃべらせることはいちばんよくないので、)

しかし病人にしゃべらせることは一番好くないので、

(ほとんどものをいわずにいることがおおい。)

殆んどものを言わずにいることが多い。

(かんごふのいないときにも、ふたりでだまっててをとりあって、)

看護婦のいない時にも、二人で黙って手を取り合って、

(おたがいになるたけめもあわせないようにしている。)

お互になるたけ目も合わせないようにしている。

(が、どうかしてわたしたちがふいとめをみあわせるようなことがあると、)

が、どうかして私達がふいと目を見合わせるようなことがあると、

(かのじょはまるでわたしたちのさいしょのひびにみせたような、)

彼女はまるで私達の最初の日々に見せたような、

(ちょっときまりのわるそうなほほえみかたをわたしにしてみせる。)

一寸気まりの悪そうな微笑方を私にして見せる。

(が、すぐめをそらせて、くうをみながら、)

が、すぐ目を反らせて、空を見ながら、

(そんなじょうたいにおかれていることにすこしもふへいをみせずに、おちついてねている。)

そんな状態に置かれていることに少しも不平を見せずに、落着いて寝ている。

(かのじょはいちどわたしにしごとははかどっているのかときいた。わたしはくびをふった。)

彼女は一度私に仕事は捗っているのかと訊いた。私は首を振った。

(そのときかのじょはわたしをきのどくがるようなみかたをしてみた。が、)

そのとき彼女は私を気の毒がるような見方をして見た。が、

(それきりもうわたしにそんなことはきかなくなった。)

それきりもう私にそんなことは訊かなくなった。

(そしていちにちは、ほかのひににて、まるでなにごともないかのようにものしずかにすぎる。)

そして一日は、他の日に似て、まるで何事もないかのように物静かに過ぎる。

(そしてかのじょはわたしがかわってかのじょのちちにてがみをだすことさえこばんでいる。)

そして彼女は私が代って彼女の父に手紙を出すことさえ拒んでいる。

(よる、わたしはおそくまでなにもしないでつくえにむかったまま、)

夜、私は遅くまで何もしないで机に向ったまま、

(ばるこんのうえにおちているあかりのかげがまどをはなれるにつれて)

バルコンの上に落ちている明りの影が窓を離れるにつれて

(だんだんかすかになりながら、くらやみにしほうからつつまれているのを、)

だんだんかすかになりながら、暗やみに四方から包まれているのを、

(あたかもじぶんのこころのうちさながらのようなきがしながら、)

あたかも自分の心の裡さながらのような気がしながら、

(ぼんやりとみいっている。)

ぼんやりと見入っている。

(ひょっとしたらびょうにんもまだねつかれずに、)

ひょっとしたら病人もまだ寝つかれずに、

(わたしのことをかんがえているかもしれないとおもいながらーー)

私のことを考えているかも知れないと思いながらーー

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