ああ玉杯に花うけて 第七部 1
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問題文
(おみやのいちょうがきいろになればあぜにはすすき、みずひき、たでのはな、つゆくさなどが)
お宮のいちょうが黄色になればあぜにはすすき、水引き、たでの花、露草などが
(うすびをたよりにさきみだれて、そのしたをゆくちょろちょろみずのおとにあきがふかく)
薄日をたよりにさきみだれて、その下をゆくちょろちょろ水の音に秋が深く
(なりゆく。やくばのかじについてはまちのひとはなにもいわなくなった、さかいごうたは)
なりゆく。役場の火事については町の人はなにもいわなくなった、阪井猛太は
(じょやくをやめてせがれのいわおとともにかわごえのほうへうつった、ちゅうがっこうにはあたらしいこうちょうが)
助役をやめてせがれの巌と共に川越の方へうつった、中学校には新しい校長が
(きた。うらわのまちはたいへいである。ちびこうはやはりいちにちもやすまずにとうふを)
きた。浦和の町は太平である。チビ公はやはり一日も休まずに豆腐を
(うりまわった、それでもいっかのまずしさはいぜんとかわりがなかった、かれはまいにち)
売りまわった、それでも一家のまずしさは以前とかわりがなかった、かれは毎日
(らっぱをふいてまちまちをあるいているうちにいくどとなくむかしのしょうがっこうともだちに)
らっぱをふいて町々を歩いているうちにいくどとなく昔の小学校友達に
(あうのである、なかにはこういちのようにやさしいことばをかけてくれるものもあるが、)
あうのである、中には光一のようにやさしい言葉をかけてくれるものもあるが、
(おおくはかおをそむけてとおるのである。ちびこうとしてもせんぽうのたいめんをはばかって)
多くは顔をそむけて通るのである。チビ公としても先方の体面をはばかって
(そしらぬかおをせねばならぬこともあった、とくにかれのこころをかなしませるものは)
そしらぬ顔をせねばならぬこともあった、とくにかれの心を悲しませるものは
(しょうがっこうじだいにいつもせんせいにしかられていたふせいせきのこが、りっぱなちゅうがくせいの)
小学校時代にいつも先生にしかられていた不成績の子が、りっぱな中学生の
(ふくそうでざつのうをかたにかけきしょうのついたぼうしをかがやかしていくのをみたときである。)
服装で雑嚢を肩にかけ徽章のついた帽子を輝かして行くのを見たときである。
(「かねもちのいえにうまれればできないこでもだいがくまでいける、びんぼうにんのこは)
「金持ちの家に生まれれば出来ない子でも大学までいける、貧乏人の子は
(がっこうへもいけない、かれらががくしになりはかせになるときにもおれはやはり)
学校へもいけない、かれらが学士になり博士になるときにもおれはやはり
(とうふやでいるだろう」こうおもうとなさけないようなきがむねいっぱいになる。)
豆腐屋でいるだろう」こう思うとなさけないような気が胸一ぱいになる。
(「がっこうへいきたいな」かれのかえりみちはけんちょうのよこてのおがわのつつみである、かれはつつみの)
「学校へいきたいな」かれの帰り道は県庁の横手の小川の堤である、かれは堤の
(つゆくさをふみふみぐったりとかおをたれておなじことをくりかえしくりかえしかんがえる)
露草をふみふみぐったりと顔をたれて同じことをくりかえしくりかえし考える
(のであった。ときとしてかれはしはんがっこうのうらてをとおる、きしゅくしゃにはほかげが)
のであった。ときとしてかれは師範学校の裏手を通る、寄宿舎には灯影が
(ならんでおりおりわかやかなしょうかのこえがきこえる。「かんぴでいいからがっこうへ)
並んでおりおりわかやかな唱歌の声が聞こえる。「官費でいいから学校へ
(ゆきたい」こうもかんがえる、だがかれはすぐそれをうちけす。かれのめのまえに)
ゆきたい」こうも考える、だがかれはすぐそれをうちけす。かれの目の前に
(おじかくへいのろうがんがありありとみえるのである。「おれがはたらかなきゃ、)
伯父覚平の老顔がありありと見えるのである。「おれが働かなきゃ、
(みながたべていけない」そこでかれはゆうやみにのこるにしぐものびめいにむかってらっぱを)
みなが食べていけない」そこでかれは夕闇に残る西雲の微明に向かってらっぱを
(ふく。らっぱのおとはとおくのもりにひびき、ちかくのわらやねにはんきょうしてわがむねに)
ふく。らっぱの音は遠くの森にひびき、近くのわらやねに反響してわが胸に
(かなしいおもいをうちかえす。あるひおじのかくへいはとつぜんかれにこういった。)
悲しい思いをうちかえす。ある日伯父の覚平は突然かれにこういった。
(「せんぞう、おまえがっこうへゆきたいだろうな」「いいえ」とちびこうはこたえた。)
「千三、おまえ学校へゆきたいだろうな」「いいえ」とチビ公は答えた。
(「おれだっておめえをとうふやにしたくないんだ、なあせんぞう、そのうちになんとか)
「おれだっておめえを豆腐屋にしたくないんだ、なあ千三、そのうちになんとか
(するからしんぼうしてくれ、そのかわりにやがくへいったらどうか、ひるのつかれで)
するから辛抱してくれ、そのかわりに夜学へいったらどうか、昼のつかれで
(ねむたかろうが、いっしんにやればやれないこともなかろう」「やがくにいっても)
眠たかろうが、一心にやればやれないこともなかろう」「夜学にいっても
(いいんですか」せんぞうのめはよろこびにかがやいた。「やがくだけならかまわないよ、)
いいんですか」千三の目は喜びに輝いた。「夜学だけならかまわないよ、
(おみやのちかくにやがくのせんせいがあるだろう」「もくもくせんせいですか」)
お宮の近くに夜学の先生があるだろう」「黙々先生ですか」
(「うむ、かわりものだがなかなかえらいひとだってひょうばんだよ」「こわいな」とせんぞうは)
「うむ、かわり者だがなかなかえらい人だって評判だよ」「こわいな」と千三は
(おもわずいった。もくもくせんせいといえばほんみょうのしのはらこうぞうをいわなくともうらわのひとは)
思わずいった。黙々先生といえば本名の篠原浩蔵をいわなくとも浦和の人は
(だれでもしっている。せんせいはいまごじゅうご、ろくさい、まだろうじんというとしでもないが、)
だれでも知っている。先生はいま五十五、六歳、まだ老人という歳でもないが、
(あたまとひげはゆきのようにしろくそれとともにひだりのまゆににすんばかりながいけがいっぽん)
頭とひげは雪のように白くそれと共に左の眉に二寸ばかり長い毛が一本
(つきでている、おこるときにはこのながいけがうえにうごき、わらうときにはしたに)
つきでている、おこるときにはこの長い毛が上に動き、わらうときには下に
(たれる、まちのひとはこのけをもってせんせいのきげんのばろめーたーにしている。)
たれる、町の人はこの毛をもって先生の機嫌のバロメーターにしている。
(せんせいのりれきについてまちのひとはくわしくしらなかった、あるひとはかつてもんぶしょうの)
先生の履歴について町の人はくわしく知らなかった、ある人はかつて文部省の
(さんじかんであったといい、あるひとはちほうのちょうかんであったといい、あるひとはまた)
参事官であったといい、ある人は地方の長官であったといい、ある人はまた
(ばぞくのとうもくであったともいう、しんぎはわからぬがかれはくまがやのごうぞくのしそんである)
馬賊の頭目であったともいう、真偽はわからぬがかれは熊谷の豪族の子孫である
(ことだけはあきらかであり、またていこくだいがくしょきのそつぎょうしゃであることもあきらかで)
ことだけはあきらかであり、また帝国大学初期の卒業者であることもあきらかで
(ある、なんのためにかんしょくをじしてうらわにきがしたのか、それらのてんについては)
ある、なんのために官職を辞して浦和に帰臥したのか、それらの点については
(かれはいちどもひとにかたったことはない。かれがうらわにかえったのはじゅうねんまえである、)
かれは一度も人に語ったことはない。かれが浦和に帰ったのは十年前である、
(そのときはどくしんであったがひとのすすめによってごさいをむかえた、だがかれはあさから)
そのときは独身であったが人のすすめによって後妻を迎えた、だがかれは朝から
(ばんまでいえにあるときにはどくしょばかりしている、つまがなにをいっても「うんうん」)
晩まで家にあるときには読書ばかりしている、妻がなにをいっても「うんうん」
(とうなずくばかりでなにもいわない。でつまはかれにきつもんした。「あなた)
とうなずくばかりでなにもいわない。で妻はかれに詰問した。「あなた
(なにかいってください」「うん」「うんだけではいけません」「うん」)
なにかいってください」「うん」「うんだけではいけません」「うん」
(「あなたはなにもおっしゃることがないんですか」「うん」「なにかようじが)
「あなたはなにもおっしゃることがないんですか」「うん」「なにか用事が
(あるでしょう」「うん」「ごはんはどうなさるの?」「うん」)
あるでしょう」「うん」「ご飯はどうなさるの?」「うん」
(「めしあがらないんですか」「うん」つまはあきれてさんにちめにりえんした。)
「めしあがらないんですか」「うん」妻はあきれて三日目に離縁した。
(かれはそのちいさなのきにえいかんすうきょうじゅというかんばんをだした。つまにものをいわないひと)
かれはその小さな軒に英漢数教授という看板をだした。妻にものをいわない人
(だからせいとにたいしても、ものをいわないだろうとひとびとはあやぶんだが、いったん)
だから生徒に対しても、ものをいわないだろうと人々はあやぶんだが、一旦
(こうぎにとりかかるとまったくそれとはんたいであった。さいしょのいち、にねんはせいとが)
講義にとりかかるとまったくそれと反対であった。最初の一、二年は生徒が
(すくなかったが、としをへるにしたがってしだいにぞうかした。かれにはげっしゃのせいていが)
少なかったが、年を経るにしたがって次第に増加した。かれには月謝の制定が
(ない、ごえんもあればごじゅっせんもある、こめやまめやいもなどをもってくるものもある、)
ない、五円もあれば五十銭もある、米や豆やいもなどを持ってくるものもある、
(どくしんのせんせいだからだというのでさかなをおくるひとがいたってすくない、そこでせんせいは)
独身の先生だからだというので魚を贈る人がいたって少ない、そこで先生は
(おりおりいっかんをかたにしてかわへつりにゆく、いちびのふなもつれないときには)
おりおり一竿を肩にして河へつりにゆく、一尾のふなもつれないときには
(まちでさかなをかってそのあぎとをはりにつらぬきようようとしてかたにになうてかえる、)
町で魚を買ってそのあぎとをはりにつらぬき揚々として肩に荷うて帰る、
(ときにはあじ、ときにはいわし、ときにはたこ、ときにはしおざけのきりみ!)
ときにはあじ、ときにはいわし、時にはたこ、ときには塩ざけの切り身!
(「せんせい!つれましたか?」とひとがとえばせんせいはかるくこたえる。「うん」)
「先生! つれましたか?」と人が問えば先生は軽く答える。「うん」
(「はりにひっかかってるのはかまぼこじゃありませんか」「かまぼこはさかななり」)
「針にひっかかってるのはかまぼこじゃありませんか」「かまぼこは魚なり」
(せんぞうはこどものときからなんとなくもくもくせんせいがこわかった。しかしかれとして)
千三は子どものときからなんとなく黙々先生がこわかった。しかしかれとして
(がくもんをするにはこのしじゅくよりほかにはない。よくじつせんぞうはゆうはんをすまして)
学問をするにはこの私塾より他にはない。翌日千三は夕飯をすまして
(もくもくせんせいをたずねた、そこにはもうご、ろくのがくせいがいた、それはちゅうがくのにねんせいも)
黙々先生をたずねた、そこにはもう五、六の学生がいた、それは中学の二年生も
(あればごねんせいもあり、またひげのはえたひともあり、ひゃくしょうもあればしょうかのでっちも)
あれば五年生もあり、またひげの生えた人もあり、百姓もあれば商家のでっちも
(ある。せんぞうがはいったときちょうどしょうがっこうのきょうしがむずかしいかんぶんをよんでいた。)
ある。千三がはいったときちょうど小学校の教師が難しい漢文を読んでいた。
(「いかんいかん」とせんせいはどなった。「もっとこえをおおきくしてかんぶんは)
「いかんいかん」と先生はどなった。「もっと声を大きくして漢文は
(ろうろうとしてぎんずべきものだ、ごびをはっきりせんのはこころがおくしているからだ、)
朗々として吟ずべきものだ、語尾をはっきりせんのは心が臆しているからだ、
(せいけんのしょをよむになんのやましいところがある、このいえがこわれるようなこえで)
聖賢の書を読むになんのやましいところがある、この家がこわれるような声で
(よめ」きょうしはまっかなかおをしておおきなこえでよんだ、せんせいはだまってきいていた。)
読め」教師はまっかな顔をして大きな声で読んだ、先生はだまって聞いていた。
(「よしっ、きみはしていをきょういくするんだ、とかくにきょうのがっこうはろうどくほうを)
「よしっ、きみは子弟を教育するんだ、とかくに今日の学校は朗読法を
(ないがしろにするきらいがある、たいせつなことだぜ」せんせいはひょろながいやせた)
ないがしろにするきらいがある、大切なことだぜ」先生はひょろ長いやせた
(くびをのばしてまつざにちぢまっているせんぞうをみおろした。「きみ、)
首を伸ばして末座にちぢまっている千三を見おろした。「きみ、
(ここへきたまえ」「はあ」「きみのなは?」「あおきせんぞうです」)
ここへきたまえ」「はあ」「きみの名は?」「青木千三です」
(「うむ、なにをやるか」「えいかんすうです」「よしっ、これをよんでみい」)
「うむ、なにをやるか」「英漢数です」「よしッ、これを読んでみい」
(せんせいはいっさつのほんをせんぞうのまえへなげだした。それはくろちゃしょくのひょうしのついた)
先生は一冊の本を千三の前へ投げだした。それは黒茶色の表紙の着いた
(にほんとじであった。ひょうせんにだいがくとかいてある。「これをですか」)
日本とじであった。標箋に大学と書いてある。「これをですか」
(せんぞうはちゅうがっこういち、にねんせいのこくごかんぶんどくほんをおそわるつもりであった、いまだいがくと)
千三は中学校一、二年生の国語漢文読本をおそわるつもりであった、いま大学と
(いうしょをみてきゅうにおどろいた。だいがくというほんのなをしったのもはじめてである。)
いう書を見て急におどろいた。大学という本の名を知ったのもはじめてである。
(「うむ」「どこをよむのですか」「どこでもいい」せんぞうはなかをひらいた。)
「うむ」「どこを読むのですか」「どこでもいい」千三は中をひらいた。
(むずかしいかんじがならんだばかりでどうよんでいいのかわからない。)
むずかしい漢字が並んだばかりでどう読んでいいのかわからない。