ああ玉杯に花うけて 第七部 4
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問題文
(かれのめからあついなみだがわきでた。にんげんのきちょうなしょくりょうひん!そのおけのなかに)
かれの目から熱い涙がわきでた。人間の貴重な食料品!そのおけの中に
(どぶどろにまみれたたまをつっこんであらうなんてあまりのらんぼうである。だがびんぼうの)
どぶどろにまみれた球をつっこんで洗うなんてあまりの乱暴である。だが貧乏の
(かなしさ、かれとあらそうことはできない。どれだけないたかしれない。)
悲しさ、かれと争うことはできない。どれだけないたかしれない。
(かれはもうらっぱをふくちからもなくなった。「おれはだめだ」かれはこうかんがえた、)
かれはもうらっぱをふく力もなくなった。「おれはだめだ」かれはこう考えた、
(どんなにべんきょうしてもやはりかねもちにはかなわない。「おれとおじさんはよるのめも)
どんなに勉強してもやはり金持ちにはかなわない。「おれと伯父さんは夜の目も
(ねずにとうふをつくる、だがそれをくうものはかねもちだ、つくったおれたちのくちに)
寝ずに豆腐を作る、だがそれを食うものは金持ちだ、作ったおれ達の口に
(はいるのはそのあまりかすのおからだけだ、がくもんはやめよう」かれは)
はいるのはそのあまりかすのおからだけだ、学問はやめよう」かれは
(がっかりしていえへかえった、かれはもくもくせんせいのやがくをやすんではやくねどこにはいった。)
がっかりして家へ帰った、かれは黙々先生の夜学を休んで早く寝床にはいった。
(よくあさおきてまちへでた。もうかれのかんがえはぜんぜんいままでとかわってしまった。)
翌朝起きて町へでた。もうかれの考えは全然いままでとかわってしまった。
(かれはまちまちのりっぱなしょうてん、かいしゃ、ぎんこうそれらをみるとそれがすべてのろわしき)
かれは町々のりっぱな商店、会社、銀行それらを見るとそれがすべてのろわしき
(ものとなった。「あいつらはわるいことをしてかねをためていばってるんだ、)
ものとなった。「あいつらは悪いことをして金をためていばってるんだ、
(あいつらはおれたちのちとあせをしぼりとるおにどもだ」そのよるもやがくをやすんだ、)
あいつらはおれ達の血と汗をしぼり取る鬼共だ」その夜も夜学を休んだ、
(そのよくじつも・・・・・・。「おれがちびだからみんながおれをばかにしてるんだ、)
その翌日も……。「おれがチビだからみんながおれをばかにしてるんだ、
(おれがびんぼうだからみんながおれをばかにしてるんだ」かれのはははかれがやがくへも)
おれが貧乏だからみんながおれをばかにしてるんだ」かれの母はかれが夜学へも
(いかなくなったのをみてしんぱいそうにたずねた。「せんぞう、おまえこんやもやすむの?」)
いかなくなったのを見て心配そうにたずねた。「千三、おまえ今夜も休むの?」
(「ああ」「どうしてだ」「ゆきたくないからゆきません」かれのこえは)
「ああ」「どうしてだ」「ゆきたくないからゆきません」かれの声は
(つっけんどんであった、はははかなしそうなめでかれをみやったなりなにも)
つっけんどんであった、母は悲しそうな目でかれを見やったなりなにも
(いわなかった、せんぞうはやぐのなかにくびをつっこんでからこころのなかでははにあやまった。)
いわなかった、千三は夜具の中に首をつっこんでから心の中で母にあやまった。
(「おかあさんかんにんしてください、ぼくはじぶんでじぶんをどうすることも)
「お母さん堪忍してください、ぼくは自分で自分をどうすることも
(できないのです」このすさんだこころもちがいつかもむいかもつづいた、とあるひ)
できないのです」このすさんだ心持ちが五日も六日もつづいた、とある日
(かれはゆうひにむかってらっぱをふきもてゆくととつぜんかれのうしろからよびとめる)
かれは夕日に向かってらっぱをふきもてゆくと突然かれの背後からよびとめる
(ものがある。「おいあおき!」ゆうがたのまちはひとどおりがひんぱんである、)
ものがある。「おい青木!」夕方の町は人通りがひんぱんである、
(あまりにおおきなこえなのでおうらいのひとはたちどまった。「おい、あおき!」)
あまりに大きな声なので往来の人は立ちどまった。「おい、青木!」
(せんぞうがふりかえるとそれはもくもくせんせいであった、せんせいはかたにつりざおをにない、)
千三がふりかえるとそれは黙々先生であった、先生は肩につりざおを荷ない、
(かたてにすみだわらをかかえている、たわらのそこからいものしっぽがこぼれそうに)
片手に炭だわらをかかえている、たわらの底からいものしっぽがこぼれそうに
(ぶらぶらしている。「おい、きみのおけのうえにこれをのせてくれ」せんぞうは)
ぶらぶらしている。「おい、君のおけの上にこれを載せてくれ」千三は
(だまっていちれいした。せんせいはすみだわらをおけのうえにのせ、そのままじぶんのかたを)
だまって一礼した。先生は炭だわらをおけの上に載せ、そのまま自分の肩を
(いれてあるきだした。「せんせい!ぼくがかついでおたくまでもってゆきます」)
入れて歩きだした。「先生! ぼくがかついでお宅まで持ってゆきます」
(とせんぞうがいった。「いやかまわん、おれについてこい」ひょろながいせんせいのおけを)
と千三がいった。「いやかまわん、おれについてこい」ひょろ長い先生のおけを
(かついだかげぼうしがゆうひにかっきりとちじょうにうつった。「きみはびょうきか」「いいえ」)
かついだ影法師が夕日にかっきりと地上に映った。「きみは病気か」「いいえ」
(「どうしてこない?」「なんだかいやになりました」「そうか」せんせいは)
「どうしてこない?」「なんだかいやになりました」「そうか」先生は
(それについてなにもいわなかった。もくもくせんせいがいもだわらをのせたとうふをにない)
それについてなにもいわなかった。黙々先生がいもだわらを載せた豆腐をにない
(そのそばにとうふやのちびこうがついてゆくのをみてまちのひとびとはみんなわらいだした。)
そのそばに豆腐屋のチビ公がついてゆくのを見て町の人々はみんな笑いだした。
(ふたりはもくもくじゅくへついた。「はいれ」とせんせいはてんびんをおろしてからいった。)
ふたりは黙々塾へ着いた。「はいれ」と先生はてんびんをおろしてからいった。
(「はい」もうひがくれかけていえのなかはうすぐらかった、せんぞうはわらじをぬいで)
「はい」もう日が暮れかけて家の中は薄暗かった、千三はわらじをぬいで
(えんばたにすわった。せんせいはだまってしちりんをとりだし、それにふんたんをくべてなべをかけ)
縁端に座った。先生はだまって七輪を取りだし、それに粉炭をくべてなべをかけ
(しち、はっぽんのいもをそのままほうりこんだ。「あらってまいりましょうか」)
七、八本のいもをそのままほうりこんだ。「洗ってまいりましょうか」
(「あらわんほうがうまいぞ」こういってからせんせいはふたたびたってしょだなをさがしたが)
「洗わんほうがうまいぞ」こういってから先生はふたたび立って書棚を探したが
(やがてに、さんまいのかみつづりをせんぞうのまえにおいた。「おい、これをみい、わしは)
やがて二、三枚の紙つづりを千三の前においた。「おい、これを見い、わしは
(きみにみせようとおもってかいておいたのだ」「なんですか」「きみのせんぞからの)
きみに見せようと思って書いておいたのだ」「なんですか」「きみの先祖からの
(ゆいしょがきだ」「はあ」せんぞうはゆいしょがきなるものはなんであるかをしらなかった、)
由緒書だ」「はあ」千三は由緒書きなるものはなんであるかを知らなかった、
(でかれはそれをひらいた。「むらかみてんのうのおうじなかつかさけいともひらしんのう」)
でかれはそれをひらいた。「村上天皇の皇子中務卿具平親王」
(せんぞうはさいしょのいちだんたかくしるしたいちぎょうをよんでびっくりした。「せんせいなんですか、)
千三は最初の一段高く記した一行を読んでびっくりした。「先生なんですか、
(これは」「あとをよめ」「うだいじんもろふさきょうごいちじょうてんのうのときはじめて)
これは」「あとを読め」「右大臣師房卿――後一条天皇のときはじめて
(みなもとあそんのせいをたまわる」「へんなものですね」せんせいはしちりんのひをふいたので)
源朝臣の姓を賜わる」「へんなものですね」先生は七輪の火をふいたので
(ひのこがぱちぱちとちった。「まさいえ、きたばたけとごうすきたばたけちかふさそのこあきいえ、)
火の粉がぱちぱちと散った。「――雅家、北畠と号す――北畠親房その子顕家、
(あきのぶ、あきよしのさんしとともになんちょうむにのちゅうしん、なんこうふしとひけんすべきもの、)
顕信、顕能の三子と共に南朝無二の忠臣、楠公父子と比肩すべきもの、
(じんのうしょうとうきをあらわしてこうこくのせいとうをあきらかにす」「きたばたけちかふさをしってるか」)
神皇正統記を著わして皇国の正統をあきらかにす」「北畠親房を知ってるか」
(「よくはしりません、れきしですこしばかり」「にほんだいいちのちゅうしんをしらんか、)
「よくは知りません、歴史で少しばかり」「日本第一の忠臣を知らんか、
(そのあとをよめ」「ちかふさのだいにしあきのぶのこもりちか、むつのかみににんぜらる・・・)
そのあとを読め」「親房の第二子顕信の子守親、陸奥守に任ぜらる…
(そのまごむさしにすみさがみおおぎがやつにてんず、うえすぎけにつかう、うえすぎけほろびるにおよび)
その孫武蔵に住み相模扇ヶ谷に転ず、上杉家に仕う、上杉家滅びるにおよび
(せいをおうぎにあらためのちあおきにあらためむ、・・・・・・あおきりゅうへいちょうなんせんぞう)
姓を扇に改め後青木に改む、……青木竜平―長男千三
(・・・・・・ちびこうとしょうす、だじゃくとるにたらず・・・・・・」なべのいもはゆげをたてて)
……チビ公と称す、懦弱取るに足らず……」なべのいもは湯気を立てて
(ふたはおどりあがった。せんせいはじっとせんぞうのかおをみつめた。「どうだ」)
ふたはおどりあがった。先生はじっと千三の顔を見つめた。「どうだ」
(「せんせい!」「きみのふそはなんちょうのちゅうしんだ、きみのちのなかにそせんのちが)
「先生!」「きみの父祖は南朝の忠臣だ、きみの血の中に祖先の血が
(いきてるはずだ、きみのせいしんのうちにそせんのたましいがのこってるはずだ、)
活きてるはずだ、きみの精神のうちに祖先の魂が残ってるはずだ、
(きみはえらばれたるこくみんだ、たいせつなからだだ、にほんになくてはならないからだだ、)
君は選ばれたる国民だ、大切な身体だ、日本になくてはならない身体だ、
(そうはおもわんか」「せんせい!」「なにもいうことはない、そせんのなを)
そうは思わんか」「先生!」「なにもいうことはない、祖先の名を
(はずかしめないようにふんぱつするか」「せんせい」「それとも)
はずかしめないように奮発するか」「先生」「それとも
(しょうがいとうふやでくちはてるか」「せんせい!わたしは・・・・・・」「なにもいうな、)
生涯豆腐屋でくちはてるか」「先生! 私は……」「なにもいうな、
(さあいもをくってからへんじをしろ」せんせいはいものなべをおろした、)
さあいもを食ってから返事をしろ」先生はいものなべをおろした、
(にわはすでにくれておちばがさらさらとなる、しちりんのひがかぜにふかれてぱっと)
庭はすでに暮れて落ち葉がさらさらと鳴る、七輪の火が風に吹かれてぱっと
(もえあがるとはくはつはくぜんのもくもくせんせいのかおとはりさけるようにすずしいめを)
燃えあがると白髪白髯の黙々先生の顔とはりさけるようにすずしい目を
(みひらいたしょうねんのあかいかおとがやみのなかにうきだしてみえる。)
みひらいた少年の赤い顔とが暗の中に浮きだして見える。