ああ玉杯に花うけて 第八部 1
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問題文
(もくもくせんせいにけいずをみせられたそのよる、せんぞうはまんじりともせずにかんがえこんだ、)
黙々先生に系図を見せられたその夜、千三はまんじりともせずに考えこんだ、
(かれのむねのうちにあたらしいひかりがさしこんだ。かれはうれしくてたまらなかった、)
かれの胸のうちに新しい光がさしこんだ。かれは嬉しくてたまらなかった、
(なんともしれぬゆうきがひしひしおどりだす。かれはおおきなこえをだして)
なんとも知れぬ勇気がひしひしおどり出す。かれは大きな声をだして
(どなりたくなった。ねむらなければ、あしたのしょうばいにさわる、かれはあしをじゅうぶんに)
どなりたくなった。眠らなければ、明日の商売にさわる、かれは足を十分に
(のばしむねいっぱいにこきゅうをしていち、に、さん、しとかぞえた。そうしてかれは)
伸ばし胸一ぱいに呼吸をして一、二、三、四と数えた。そうしてかれは
(あわいあわいゆめにつつまれた。ふとみるとかれはあるやまじをあるいている。)
あわいあわい夢に包まれた。ふと見るとかれはある山路を歩いている。
(みちのりょうがわにはさくらのろうじゅがならんでいまをさかりにさきほこっている。)
道の両側には桜の老樹が並んでいまをさかりにさきほこっている。
(「ああここはどこだろう」こうおもってめをあげるとたにをへだてたむこうのやまやまも)
「ああここはどこだろう」こう思って目をあげると谷をへだてた向こうの山々も
(ことごとくさくらである。みぎもさくらひだりもさくら、うえもさくらしたもさくら、てんちはさくらのはなに)
ことごとく桜である。右も桜左も桜、上も桜下も桜、天地は桜の花に
(うずもれてはくいっぱく、らくえいひんぷんとしてかおにつめたい。「ああきれいなところだなあ」)
うずもれて白一白、落英繽紛として顔に冷たい。「ああきれいなところだなあ」
(こうおもうとたんにしずかにばていのおとがどこからとなくきこえる。「ぱかぱか)
こう思うとたんにしずかに馬蹄の音がどこからとなくきこえる。「ぱかぱか
(ぱかぱか」けむりのごとくかすむはなのうすぎぬをとおしてじんばのぎょうれつがみえる。)
ぱかぱか」煙のごとくかすむ花の薄絹を透して人馬の行列が見える。
(にしきのみはた、にしきのみこし!そのぜんごをまもるよろいむしゃ!さながら)
にしきのみ旗、にしきのみ輿! その前後をまもるよろい武者! さながら
(にしきえのよう。ぎょうれつははなのきのまをぬうてうすぎぬのなかから、そろりそろりと)
にしき絵のよう。行列は花の木の間を縫うて薄絹の中から、そろりそろりと
(あらわれてくる。「したにすわってしたにすわって」こえがきこえるのでわきをみると)
現われてくる。「下に座って下に座って」声が聞こえるのでわきを見ると
(ひとりのしらがのろうおうがだいちにひざまずいている。「おじいさんこれは)
ひとりの白髪の老翁が大地にひざまずいている。「おじいさんこれは
(なんのぎょうれつですか」こうたずねるとおじいさんはせんぞうのかおをじっとながめた、)
なんの行列ですか」こうたずねるとおじいさんは千三の顔をじっと眺めた、
(それはしへいでみたことのあるたけのうちのすくねににたかおであった。「あれはな、)
それは紙幣で見たことのある武内宿禰に似た顔であった。「あれはな、
(ごむらかみてんのうがいまみゆきになったところだ」「ああそれじゃここは?」)
後村上天皇がいま行幸になったところだ」「ああそれじゃここは?」
(「よしのだ」「どうしてここへいらっしったのです」じいさんは)
「吉野だ」「どうしてここへいらっしったのです」じいさんは
(せんぞうをじろりとみやったがそのめからなみだがぼろぼろこぼれた。いちえんさつが)
千三をじろりと見やったがその目から涙がぼろぼろこぼれた。一円紙幣が
(ぬれてはこまるとせんぞうはおもった。「ぎゃくしんたかうじにせめられて、)
ぬれては困ると千三は思った。「逆臣尊氏に攻められて、
(あめがしたぎょいのおんそでかわくまもおわさぬのじゃ」「それでは・・・・・・これが・・・・・・)
天が下御衣の御袖乾く間も在さぬのじゃ」「それでは……これが……
(ほんとうの・・・・・・」せんぞうはぎょうてんしておもわずだいちにひざまずいた。)
本当の……」千三は仰天して思わず大地にひざまずいた。
(このときぎょうれつがしずしずとおとおりになる。「まっさきにきたこざくらおどしのよろいきて、)
このとき行列が静々とお通りになる。「まっ先にきた小桜縅のよろい着て、
(あしげのうまにのり、しげどうのゆみをもってたかのきりふのやをおい、)
葦毛の馬に乗り、重籐の弓を持ってたかの切斑の矢を負い、
(くわがたのかぶとをうまのひらくびにつけたのはあれはくすのきまさつらじゃ」)
くわ形のかぶとを馬の平首につけたのはあれは楠正行じゃ」
(とおじいさんがいった。「ああそうですか、それとならんでこんじょうのよろいをきて、)
とおじいさんがいった。「ああそうですか、それと並んで紺青のよろいを着て、
(はちまきをしているのはどなたですか」「あれはまさゆきのいとこわだまさともじゃ」)
鉢巻きをしているのはどなたですか」「あれは正行の従兄弟和田正朝じゃ」
(「へえ」「そらみこしがおとおりになる、あたまをさげい、)
「へえ」「そら御輿がお通りになる、頭をさげい、
(ああおやせましましたこと、いってんばんじょうのおんきみがせんじんにまみれてやままたやま、)
ああおやせましましたこと、一天万乗の御君が戦塵にまみれて山また山、
(たにまたたに、きたにみなみにおんさすらいなさる。ああおそれおおいことじゃ」)
谷また谷、北に南に御さすらいなさる。ああおそれ多いことじゃ」
(おじいさんはあたまをだいちにつけてないている、せんぞうはなみだがめにたまってぎょくがんを)
おじいさんは頭を大地につけてないている、千三は涙が目にたまって玉顔を
(おがむことができなかった。「みこしのぎょごにぐぶするひとはあれはきたばたけちかふさじゃ」)
拝むことができなかった。「御輿の御後に供奉する人はあれは北畠親房じゃ」
(「えっ?」せんぞうはかおをあげた。あかじにしきのひたたれにひおどしのよろいをきて、)
「えっ?」千三は顔をあげた。赤地にしきの直垂に緋縅のよろいを着て、
(あたまにえぼしをいただき、ゆみとやはじゅうしゃにもたせ、かちにてみこしにひたとぐぶする)
頭に烏帽子をいただき、弓と矢は従者に持たせ、徒歩にて御輿にひたと供奉する
(さんじゅうろく、しちのおとこ、はなたかくまゆひいで、めにはせいちゅうのひかりをたたえ)
三十六、七の男、鼻高く眉秀で、目には誠忠の光を湛え
(くちもとにはちゆうのいろをぞうす、いふうどうどうとしてあたりをはらってみえる。)
口元には知勇の色を蔵す、威風堂々としてあたりをはらって見える。
(せんぞうはいきもできなかった。「いずれもみなちゅうしんのきかん、しんのにっぽんだんじじゃ、)
千三は呼吸もできなかった。「いずれも皆忠臣の亀鑑、真の日本男児じゃ、
(ああこのひとたちがあればこそにほんはばんばんざいまでほろびないのだ」こうおじいさんが)
ああこの人達があればこそ日本は万々歳まで滅びないのだ」こうおじいさんが
(いったかとおもうととっととはしっていく、そのはやいことひゃくめーとる)
いったかと思うととっとと走っていく、その早いこと百メートル
(ごびょうかんぐらいである。「まってくださいおじいさん、おさつになるにはまだ)
五秒間ぐらいである。「待ってくださいおじいさん、お紙幣になるにはまだ
(はやいから」こういったがきこえない。おじいさんはさくらのなかにきえてしまった。)
早いから」こういったが聞こえない。おじいさんは桜の中に消えてしまった。
(にわかにとどろくぐんばのおと!ほら!じんだいこ!どらぶうぶうどんどん。)
にわかにとどろく軍馬の音! 法螺! 陣太鼓! 銅鑼ぶうぶうどんどん。
(むこうのおかにあらわれたてきぐんのおおぜい!まるふたつびきのはたをへんぽんと)
向こうの丘に現われた敵軍の大勢! 丸二つ引きの旗をへんぽんと
(ひるがえしてらくじつをうしろにおかのとっぱな!ぬっくとたったばじょうのたいしょうは)
ひるがえして落日を後ろに丘の尖端! ぬっくと立った馬上の大将は
(これれきしでみたあしかがたかうじである。すわとばかりにまさつら、まさとも、ちかふさのめんめん)
これ歴史で見た足利尊氏である。すわとばかりに正行、正朝、親房の面々
(きっとみこしをまもってぞくぐんをにらんだ、そのめはちばしりふんぬのはがみ、)
屹と御輿を護って賊軍をにらんだ、その目は血走り憤怒の歯噛み、
(もうはつことごとくさかだってみえる。「やれやれっぎゃくぞくをたたきころせ」と)
毛髪ことごとく逆立って見える。「やれやれッ逆賊をたたき殺せ」と
(せんぞうはさけんだ。「これせんぞう、これ」ははのこえにおどろいてめがさめれば)
千三は叫んだ。「これ千三、これ」 母の声におどろいて目がさめれば
(これなんまさしくなんかのゆめであった。「どうしたんだい」「どうもこうもねえや、)
これなん正しく南柯の夢であった。「どうしたんだい」「どうもこうもねえや、
(ちくしょうっ、あしかがたかうじのちくしょうっ」とせんぞうはまだむちゅうである。「けんかのゆめでもみたのか)
畜生ッ、足利尊氏の畜生ッ」と千三はまだ夢中である。「喧嘩の夢でも見たのか
(あしかがのたかさんとけんかしたのかえ」「なんだってちくしょうっ、)
足利の高さんと喧嘩したのかえ」「なんだって畜生ッ、
(こうまんなつらあしやがって、てんしさまにゆびでもさしてみろ、おれがしょうちしねえ、)
高慢な面あしやがって、天子様に指でも指してみろ、おれが承知しねえ、
(とうふやだとおもってたかうじのちくしょうばかにするない」「せんぞうどうしたのさ、せんぞう」)
豆腐屋だと思って尊氏の畜生ばかにするない」「千三どうしたのさ、千三」
(「おかあさんですか」せんぞうはこういってはじめてわれにかえった。)
「お母さんですか」千三はこういってはじめてわれにかえった。
(はははじっとせんぞうをみつめた、せんぞうのかおはしだいしだいにいきいきとかがやいた。)
母はじっと千三を見つめた、千三の顔は次第次第にいきいきと輝いた。
(「おかあさん、ぼくはべんきょうします」はははだまっている。)
「お母さん、ぼくは勉強します」母はだまっている。
(「ぼくはきょうせんせいにぼくのごせんぞのことをききました。きたばたけあきいえ、ちかふさ・・・・・・)
「ぼくは今日先生にぼくのご先祖のことを聞きました。北畠顕家、親房……
(なんちょうのちゅうしんです。そのちをうけたぼくはえらくなれないほうがありません」)
南朝の忠臣です。その血を受けたぼくはえらくなれない法がありません」
(「だけれどもね、このとおりびんぼうではおまえをがっこうへやることもできずね」)
「だけれどもね、このとおり貧乏ではおまえを学校へやることもできずね」
(はははほろりとした。「びんぼうでもかまいません。おかあさん、あきいえちかふさは)
母はほろりとした。「貧乏でもかまいません。お母さん、顕家親房は
(ほんのはだかみでもっておうしゅうやいせやしょしょかたがたでぐんをおこしてまけてはにげ、)
ほんのはだか身でもって奥州や伊勢や諸所方々で軍を起こして負けては逃 げ、
(にげてはまたぎへいをあつめ、いちにちだってやすむひまもなくてんしさまのためにはたらきましたよ)
逃げてはまた義兵を集め、一日だって休む暇もなく天子様のために働きましたよ
(それにくらべるとひにさんどずつごはんをたべているぼくなぞはもったいないと)
それにくらべると日に三度ずつご飯を食べているぼくなぞはもったいないと
(おもいます。ねえおかあさん、ぼくはいまゆめをみたんです。せんぞのちかふさというひとは)
思います。ねえお母さん、ぼくはいま夢を見たんです。先祖の親房という人は
(じつにりっぱなかおでした、ぼくのようにちびではありませんよ、たかうじのほうを)
じつにりっぱな顔でした、ぼくのようにチビではありませんよ、尊氏のほうを
(きっとにらんだかおはからだじゅうちゅうぎのほのおがもえあがっています。ぼくだって)
きっとにらんだ顔は体中忠義の炎が燃えあがっています。ぼくだって
(ちゅうしんになれます。ぼくだってね、ちびでもちゅうしんになれないことはないでしょう」)
忠臣になれます。ぼくだってね、チビでも忠臣になれないことはないでしょう」
(「いいゆめをみたね」はははやみほおけたからだをおこしてぶつだんにむかっておじぎした)
「いい夢を見たね」母は病みほおけた身体を起こして仏壇に向かっておじぎした
(せんぞうはうまれかわった。よくじつからなにをみてもうれしい。)
千三は生まれかわった。翌日からなにを見ても嬉しい。
(かれはそとをあるきながらそればかりをかんがえている。「やあむこうからやおやの)
かれは外を歩きながらそればかりを考えている。「やあ向こうから八百屋の
(はんこうがきたな、あれもちゅうしんにしてやるんだ。おれのはたもちぐらいだ、)
半公がきたな、あれも忠臣にしてやるんだ。おれの旗持ちぐらいだ、
(ああぶりきやのあさこう、あれはははおやのさいふをごまかしてかつどうにばかりいくが)
ああぶりき屋の浅公、あれは母親の財布をごまかして活動にばかりいくが
(あれもなにかにつかえるからちゅうしんにしてやる、やあさかやのぶるどっぐ、)
あれもなにかに使えるから忠臣にしてやる、やあ酒屋のブルドッグ、
(あれはうまのかわりにならないからつかってやらない」もくもくせんせいはちびこうが)
あれは馬のかわりにならないから使ってやらない」黙々先生はチビ公が
(きゅうにかっきづいたのをみてひとりほくほくよろこんでいた。)
急に活気づいたのを見てひとりほくほく喜んでいた。