野菊の墓 伊藤左千夫 ⑮

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政夫と2歳年上の従姉・民子との淡い恋を描く。夏目漱石が絶賛。

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問題文

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(「まさおや、きいてくれ。わたしはもうじぶんのあくとうにあきれてしまった。)

「政夫や、聞いてくれ。私はもう自分の悪党にあきれてしまった。

(なんだってあんなひどいことをたみこにいったっけかしら。)

何だってあんな非度いことを民子に言ったっけかしら。

(いまさらなんぼくいてもしかたがないけど、わたしはまさお・・・)

今更なんぼ悔いても仕方がないけど、私は政夫・・・

(たみこにこういったんだ。)

民子にこう云ったんだ。

(まさおとふうふにすることはこのははがふしょうちだからおまえはそとへよめにいけ。)

政夫と夫婦にすることはこの母が不承知だからおまえは外へ嫁に往け。

(なるほどたみこはわたしにそういわれてみれば)

なるほど民子は私にそう云われて見れば

(じぶんのみをあきらめるほかはないわけだ。)

自分の身を諦める外はない訣だ。

(どうしてあんなむごたらしいことをいったのだろう。)

どうしてあんな酷たらしいことを云ったのだろう。

(ああかわいそうなことをしてしまった。)

ああ可哀相な事をしてしまった。

(まったくわたしがあくとうをいうたためにたみこはしんだ。)

全く私が悪党を云うた為に民子は死んだ。

(おまえはね、あしたはよるがあけたらすぐにいってよおくたみこのはかにまいってくれ。)

お前はネ、あしたは夜が明けたら直ぐに往ってよオく民子の墓に参ってくれ。

(それでおかあさんのわるかったことをよくわびてくれ。ねいまさお」)

それでお母さんの悪かったことをよく詫びてくれ。ねイ政夫」

(ぼくもようやくなくことができた。)

僕もようやく泣くことが出来た。

(たといどういうつごうがあったにせよ、)

たといどういう都合があったにせよ、

(いよいよみこみがなくなったときにはあわせてくれてもよかったろうに、)

いよいよ見込がなくなった時には逢わせてくれてもよかったろうに、

(しんでからしらせるとはずいぶんひどいわけだ。)

死んでから知らせるとは随分非度い訣だ。

(たみさんだってぼくにはあいたかったろう。)

民さんだって僕には逢いたかったろう。

(よめにいってしまってはもうしわけがなくおもったろうけれど、)

嫁に往ってしまっては申訣がなく思ったろうけれど、

(それでもいよいよのまぎわになってはぼくにあいたかったにちがいない。)

それでもいよいよの真際になっては僕に逢いたかったに違いない。

(じつになさけないことだ。かんがえてみればぼくもあんまりこどもであった。)

実に情ない事だ。考えて見れば僕もあんまり児供であった。

など

(そのごいちかわをさんかいもとおりながらたずねなかったのは、いまさらざんねんでならぬ。)

その後市川を三回も通りながらたずねなかったは、今更残念でならぬ。

(ぼくはたみこがよめにゆこうがゆくまいが、ただたみこにあいさえせばよいのだ。)

僕は民子が嫁にゆこうがゆくまいが、ただ民子に逢いさえせばよいのだ。

(いまひとめあいたかった・・・つぎからつぎとはてしなくおもいはあふれてくる。)

今一目逢いたかった・・・次から次と果てしなく思いは溢れてくる。

(しかしははにそういうことをいえば、)

しかし母にそういうことを言えば、

(こんどはぼくがははをころすようなことになるかもしれない。)

今度は僕が母を殺す様なことになるかも知れない。

(ぼくはきっとこころをとりなおした。)

僕は屹と心を取り直した。

(「おかあさん、ほんとにたみこはかわいそうでありました。)

「お母さん、ほんとに民子は可哀相でありました。

(しかしとってかえらぬことをいくらくやんでもしかたがないですから、)

しかし取って返らぬことをいくら悔んでも仕方がないですから、

(あとのことをねんごろにしてやるほかはない。)

跡の事を懇ろにしてやる外はない。

(おかあさんはただただごじぶんのわるいようにばかりとっているけれど、)

お母さんはただただ御自分の悪い様にばかりとっているけれど、

(おかあさんとてこころはただたみこのためまさおのためと)

お母さんとてこころはただ民子のため政夫のためと

(ひとすじにおもってくれたことですから、)

一筋に思ってくれた事ですから、

(よしそれがおもうようにならなかったとて、)

よしそれが思う様にならなかったとて、

(たみこやわたしらがなんとておかあさんをうらみましょう。)

民子や私等が何とてお母さんを恨みましょう。

(おかあさんのこころはどこまでもなさけごころでしたものを、)

お母さんのこころはどこまでもなさけごころでしたものを、

(たみこもけっしてうらんではいやしまい。)

民子も決して恨んではいやしまい。

(なにもかもこうなるうんめいであったのでしょう。)

何もかもこうなる運命であったのでしょう。

(わたしはもうあきらめました。どうぞこのうえおかあさんもあきらめてください。)

私はもう諦めました。どうぞこの上お母さんも諦めて下さい。

(あしたのあさはよるがあけたらすぐいちかわへまいります」)

明日の朝は夜があけたら直ぐ市川へ参ります」

(はははなおことばをついで、)

母はなお詞を次いで、

(「なるほどなにもかもこうなるうんめいかもしらねど)

「なるほど何もかもこうなる運命かも知らねど

(こんどというこんどわたしはよくよくこうかいしました。)

今度という今度私はよくよく後悔しました。

(ぞくにおやばかということがあるが、そのおやばかがとんでもないわるいことをした。)

俗に親馬鹿という事があるが、その親馬鹿が飛んでもない悪いことをした。

(おやがいつまでももののわかったつもりでいるが、たいへんなまちがいであった。)

親がいつまでも物の解ったつもりで居るが、大へんな間違いであった。

(じぶんはあみださまにおすがりもうしてすくうていただくほかにたすかるみちはない。)

自分は阿弥陀様におすがり申して救うて頂く外に助かる道はない。

(まさおや、おまえはからだをだいじにしてくれ。)

政夫や、お前は体を大事にしてくれ。

(おもえばたみこはながねんのあいだにもついぞわたしにさからったことはなかった、)

思えば民子はなが年の間にもついぞ私にさからったことはなかった、

(おとないしこであっただけ、じぶんのしたことがくいられてならない、)

おとなしい児であっただけ、自分のした事が悔いられてならない、

(どうしてもかわいそうでたまらない。)

どうしても可哀相でたまらない。

(たみこがいまはのときのこともおまえにはなしてきかせたいけれど)

民子が今はの時の事もお前に話して聞かせたいけれど

(わたしにはとてもそれができない」などとまたこえをくもらしてきた。)

私にはとてもそれが出来ない」などとまた声をくもらしてきた。

(もうはなせばはなすほどかなしくなるからとてしいていちどうねることにした。)

もう話せば話すほど悲しくなるからとて強いて一同寝ることにした。

(ははのてまえあにふうふのてまえ、なくまいとこらえてようやくこらえていたぼくは、)

母の手前兄夫婦の手前、泣くまいとこらえてようやくこらえていた僕は、

(じぶんのかやへはいりふとんにたおれると、)

自分の蚊帳へ這入り蒲団に倒れると、

(もうたまらなくいちどにこみあげてくる。)

もうたまらなく一度にこみ上げてくる。

(くちへはてぬぐいをかんで、なみだをしぼった。)

口へは手拭を噛んで、涙を絞った。

(どれだけなみだがでたか、りんしつのははからよがあけたようだよとこえをかけられるまで、)

どれだけ涙が出たか、隣室の母から夜が明けた様だよと声を掛けられるまで、

(すこしもやまずなみだがでた。)

少しも止まず涙が出た。

(きたままでねていたぼくはそのままおきてかおをあらうやいなや、)

着たままで寝ていた僕はそのまま起きて顔を洗うや否や、

(まだほのぐらいのにうちをでる。)

未だほのぐらいのに家を出る。

(ゆめのようににりのみちをはしって、)

夢のように二里の路を走って、

(たいようがようやくちへいせんにあらわれたじぶんにとむらのうちのもんぜんまできた。)

太陽がようやく地平線に現われた時分に戸村の家の門前まで来た。

(このうちのかまどのあるところはにわからしょうめんにみとおしてみえる。)

この家の竃のある所は庭から正面に見透して見える。

(あさだきにわらをたいてぱちぱちおとがする。)

朝炊に麦藁を焚いてパチパチ音がする。

(ぼくがまえのえんさきにたつとおくにいたおばあさんが、)

僕が前の縁先に立つと奥に居たお祖母さんが、

(めざとくみつけてでてくる。)

めざとく見つけて出てくる。

(「かねや、かねや、とみや・・・まさおさんがきました。)

「かねや、かねや、とみや・・・政夫さんが来ました。

(まあまさおさんよくきてくれました。)

まア政夫さんよく来てくれました。

(たいそうはやく。さあおあがんなさい。)

大そう早く。さアお上んなさい。

(おきぬきでしょう。さあ・・・かねや・・・」)

起き抜きでしょう。さア・・・かねや・・・」

(たみこのおとうさんとおかあさん、たみこのねえさんもきた。)

民子のお父さんとお母さん、民子の姉さんも来た。

(「まあよくきてくれました。あなたのくるのをまってました。)

「まアよく来てくれました。あなたの来るのを待ってました。

(とにかくにあがってごはんをたべて・・・」)

とにかくに上って御飯をたべて・・・」

(ぼくはあがりもせずこしもかけず、しばらくむごんでたっていた。)

僕は上りもせず腰もかけず、しばらく無言で立っていた。

(ようやくと、「たみさんのおはかにまいりにきました」)

ようやくと、「民さんのお墓に参りにきました」

(せつなるさまはめにあまったとみえ、よつたりともくちがきけなくなってしまった。)

切なる様は目に余ったと見え、よつたりとも口がきけなくなってしまった。

(やがておとうさんが、「それでもまあちょっとごはんをすましていったら)

やがてお父さんが、「それでもまア一寸御飯を済して往ったら

(・・・ああそうですか。それではみなしてまいってくるがよかろう)

・・・あアそうですか。それでは皆して参ってくるがよかろう

(・・・いやきものなどきがえんでよいじゃないか」)

・・・いや着物など着替えんでよいじゃないか」

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