野菊の墓 伊藤左千夫 ⑯
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問題文
(おんなたちは、もうはなすすりをしながら、それじゃあとてたちあがる。)
女達は、もう鼻すすりをしながら、それじゃアとて立ちあがる。
(みずをもち、せんこうをもち、にわのはなをたくさんにとる。)
水を持ち、線香を持ち、庭の花を沢山に採る。
(おだまきぐさせんにちそうてんじくぼたんとめいめいてにとりわけてでかける。)
小田巻草千日草天竺牡丹とめいめい手にとりわけて出かける。
(かきのきのしたからせどへぬけまきべいのうらもんをでるとまつばやしである。)
柿の木の下から背戸へ抜け槇屏の裏門を出ると松林である。
(ももばたけなしばたけのあいだをゆくとわずかのたがある。)
桃畑梨畑の間をゆくとわずかの田がある。
(そのさきのまつばやしのかたすみにぞうきのもりがあってあまたのはかがみえる。)
その先の松林の片隅に雑木の森があってあまたの墓が見える。
(とむらけのぼちはもちのきしごほんをちゅうしんとしてろくつぼばかりをくわけしてある。)
戸村家の墓地はもちのき四五本を中心として六坪許りを区わけしてある。
(そのほどよいところのにいはかがたみこがとわのすみかであった。)
そのほどよい所の新墓が民子が永久の住家であった。
(ほうむりをしてからあめにもあわないので、ほんのあたらしいままで、)
葬りをしてから雨にも逢わないので、ほんの新らしいままで、
(ちからがみなどもいまむすんだようである。おばあさんがさきにでて、)
力紙なども今結んだ様である。お祖母さんが先に出て、
(「さあまさおさん、なにもかもあなたのてでやってください。)
「さア政夫さん、何もかもあなたの手でやって下さい。
(たみこのためにはほんにせんそうのくようにまさるあなたのこうげ、)
民子のためにはほんに千僧の供養にまさるあなたの香花、
(どうぞまさおさん、よおくおまいりをしてください・・・)
どうぞ政夫さん、よオくお参りをして下さい・・・
(きょうはたみこもさだめてくさばのかげでうれしかろう・・・)
今日は民子も定めて草葉の蔭で嬉しかろう・・・
(なあこのひとにせめていちどでも、めをねむらないたみこに・・・)
なあ此人にせめて一度でも、目をねむらない民子に・・・
(まあせめていちどでもあわせてやりたかった・・・」)
まアせめて一度でも逢わせてやりたかった・・・」
(さんにんはめをこすっているようす。)
三人は眼をこすっている様子。
(ぼくはこうをあげはなをあげみずをそそいでから、)
僕は香を上げ花を上げ水を注いでから、
(まえにつくばってこころのゆくまでおがんだ。しんになさけないわけだ。)
前に蹲って心のゆくまで拝んだ。しんに情ない訣だ。
(じゅみょうでしぬはいたしかたないにしても、ながくわずらっているあいだに、)
寿命で死ぬは致方ないにしても、長く煩って居る間に、
(ああみまってやりたかった、ひとめあいたかった。)
あア見舞ってやりたかった、一目逢いたかった。
(ぼくもたみさんにあいたかったもの、たみさんだってぼくにあいたかったにちがいない。)
僕も民さんに逢いたかったもの、民さんだって僕に逢いたかったに違いない。
(むりむりにしいられたとはいえ、)
無理無理に強いられたとは云え、
(よめにいってはぼくにあわせるかおがないとおもったにちがいない。)
嫁に往っては僕に合わせる顔がないと思ったに違いない。
(おもえばそれがあわれでならない。)
思えばそれがあわれでならない。
(あんなおとなしいたみさんだもの、)
あんなおとなしい民さんだもの、
(りょうしんからしんるいじゅうかかってしいられ、どうしてそれがこばまれよう。)
両親から親類中かかって強いられ、どうしてそれが拒まれよう。
(たみさんがきのつよいひとならきっとじさつをしたのだけれど、)
民さんが気の強い人ならきっと自殺をしたのだけれど、
(おとなしいひとだけにそれもできなかったのだ。)
おとなしい人だけにそれも出来なかったのだ。
(たみさんはよめにいってもぼくのこころにかわりはないと、)
民さんは嫁に往っても僕の心に変りはないと、
(せめてぼくのくちからひとこといってしなせたかった。)
せめて僕の口から一言いって死なせたかった。
(よのなかになさけないといってこういうなさけないことがあろうか。)
世の中に情ないといってこういう情ないことがあろうか。
(もうわたしもいきていたくない・・・)
もう私も生きて居たくない・・・
(われしらずこえをだしてぼくはりょうひざとりょうてをじべたへついてしまった。)
吾知らず声を出して僕は両膝と両手を地べたへ突いてしまった。
(ぼくのようすをみて、あとにいたひとがどんなにないたか。)
僕の様子を見て、後に居た人がどんなに泣いたか。
(ぼくもわれひとりでないにきがついてようやくたちあがった。)
僕も吾一人でないに気がついてようやく立ちあがった。
(さんにんのなかのだれがいうのか、「なんだってたみこは、)
三人の中の誰がいうのか、「なんだって民子は、
(まさおさんということをばひとこともいわなかったのだろう・・・」)
政夫さんということをば一言も言わなかったのだろう・・・」
(「それほどにおもいあってるなかとしったらあんなにすすめはせぬものを」)
「それほどに思い合ってる仲と知ったらあんなに勧めはせぬものを」
(「うすうすはしれていたのだに、このひとのむねもきいてみず、)
「うすうすは知れて居たのだに、この人の胸も聞いて見ず、
(たみこもあれほどいやがったものを・・・)
民子もあれほどいやがったものを・・・
(いくらわかいからとてあんまりであった・・・かわいそうに」)
いくら若いからとてあんまりであった・・・可哀相に」
(さんにんもこうげをたむけみずをそそいだ。おばあさんがまた、)
三人も香花を手向け水を注いだ。お祖母さんがまた、
(「まさおさん、あなたちからがみをむすんでください。たくさんむすんでください。)
「政夫さん、あなた力紙を結んで下さい。沢山結んで下さい。
(たみこはあなたがなさけのちからをたよりにあのよへゆきます。)
民子はあなたが情の力を便りにあの世へゆきます。
(なむあみだぶつ、なむあみだぶつ」)
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」
(ぼくはふところにあったかみのありたけをちからづえにむすぶ。)
僕は懐にあった紙の有りたけを力杖に結ぶ。
(このときふっときがついた。)
この時ふっと気がついた。
(たみさんはのぎくがたいへんすきであったにのぎくをほってきてうえればよかった。)
民さんは野菊が大変好きであったに野菊を掘ってきて植えればよかった。
(いやすぐほってきてうえよう。)
いや直ぐ掘ってきて植えよう。
(こうかんがえてあたりをみると、ふしぎにのぎくがしげっている。)
こう考えてあたりを見ると、不思議に野菊が繁ってる。
(とむらいのひとにふまれたらしいがなおくきだってあおあおとしている。)
弔いの人に踏まれたらしいがなお茎立って青々として居る。
(たみさんはのぎくのなかへほうむられたのだ。)
民さんは野菊の中へ葬られたのだ。
(ぼくはようやくすこしおちついてひとびととともにはかばをじした。)
僕はようやく少し落着いて人々と共に墓場を辞した。
(ぼくはなにもほしくありません。)
僕は何にもほしくありません。
(ごはんはもちろんちゃもほしくないです、このままおいとまねがいます、)
御飯は勿論茶もほしくないです、このままお暇願います、
(あしたはまたはやくあがりますからといってかえろうとすると、うちじゅうでひきとめる。)
明日はまた早く上りますからといって帰ろうとすると、家中で引留める。
(たみこのおかあさんはもうたまらなそうなふうで、)
民子のお母さんはもうたまらなそうな風で、
(「まさおさん、あなたにそうしてかえられては)
「政夫さん、あなたにそうして帰られては
(わたしらはいてもたってもいられません。)
私等は居ても起ってもいられません。
(あなたがおもしろくないおこころもちはじゅうじゅうさっしています。)
あなたが面白くないお心持は重々察しています。
(かんがえてみればわたしどものとどかなかったために、)
考えてみれば私どもの届かなかったために、
(たみこにもふびんなしにようをさせ、)
民子にも不憫な死にようをさせ、
(まさおさんにももうしわけのないことをしたのです。)
政夫さんにも申訣のないことをしたのです。
(わたしどもはいかようにもあなたにおわびをいたします。)
私共は如何様にもあなたにお詫びを致します。
(たみこかわいそうとおぼしめしたら、どうぞたみこがいまはのはなしもきいていってくださいな。)
民子可哀相と思召したら、どうぞ民子が今はの話も聞いて行って下さいな。
(あなたがおいでになったら、おはなしもうすつもりで、)
あなたがお出でになったら、お話し申すつもりで、
(きょうはおいでかあしたはおいでかと、)
今日はお出でか明日はお出でかと、
(じつはうちじゅうがおまちもうしたのですからどうぞ・・・」)
実は家中がお待ち申したのですからどうぞ・・・」
(そういわれてはぼくもかえるわけにゆかず、)
そう言われては僕も帰る訣にゆかず、
(ははもそういったのにきがついてざしきへあがった。)
母もそう言ったのに気がついて座敷へ上った。
(ちゃやごはんやとだされたけれどもまねばかりですます。)
茶や御飯やと出されたけれども真似ばかりで済ます。
(そのうちにひとびとみなおくへあつまりおばあさんがはなしだした。)
その内に人々皆奥へ集りお祖母さんが話し出した。