ああ玉杯に花うけて 第九部 1
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問題文
(うらわちゅうがくともくもくじゅくがやきゅうのしあいをやるといううわさがちょうないにつたわったときひとびとは)
浦和中学と黙々塾が野球の試合をやるという噂が町内に伝わった時人々は
(れいしょうした。「しょうぶになりやしないよ」じっさいそれはしとうなひょうである、うらわちゅうがくは)
冷笑した。「勝負になりやしないよ」実際それは至当な評である、浦和中学は
(しはんがっこうとたたかっていつもゆうしょうし、そのじつりょくはさいたまけんをあっとうしているのだ、きのう)
師範学校と戦っていつも優勝し、その実力は埼玉県を圧倒しているのだ、昨日
(きょうようやくやきゅうをはじめたもくもくじゅくなどはとてもてきしうべきはずがない。それに)
今日ようやく野球を始めた黙々塾などはとても敵し得べきはずがない。それに
(うらちゅうのほしゅはちんきをもってめいあるこはらである。とうしゅのやなぎはしんまいだがそのへんかに)
浦中の捕手は沈毅をもって名ある小原である。投手の柳は新米だがその変化に
(とめるたまとずのうのめいびんははやくもせんもんかにしょくもくされている、そのうえに)
富める球と頭脳の明敏ははやくも専門家に嘱目されている、そのうえに
(てづかのしょーともじっさいうまいものであった、かれはすたーとがきびんで、)
手塚のショートも実際うまいものであった、かれはスタートが機敏で、
(じゃんぷしてたかいたまをとることがもっともとくいであった。)
跳躍して高い球をとることが最も得意であった。
(「れんしゅうしようね」とやなぎはいちどうにいった。「れんしゅうなんかしなくてもいいよ、)
「練習しようね」と柳は一同にいった。「練習なんかしなくてもいいよ、
(もくべえのやつらはあいてにならんよ」とてづかがいった。「そうだそうだ」と)
黙兵衛のやつらは相手にならんよ」と手塚がいった。「そうだそうだ」と
(いちどうはさんせいした。だがに、さんにちたってからこはらがかおいろをかえていちどうをしょうしゅうした。)
一同は賛成した。だが二、三日経ってから小原が顔色をかえて一同を招集した。
(「ぼくはきのうもくもくのれんしゅうをみたがね、ひのでるようなもうれんしゅうだ、それにとうしゅの)
「ぼくは昨日黙々の練習を見たがね、火のでるような猛練習だ、それに投手の
(ごだいしゅうはおそろしくすぴーどのあるたまをだす、あのうえにもしかーぶがでたら)
五大洲はおそろしく速力のある球をだす、あのうえにもしカーブがでたら
(だれもうてやしまい、しょーとのちびこうもなかなかうまいし、ほしゅのくらもうは)
だれも打てやしまい、ショートのチビ公もなかなかうまいし、捕手のクラモウは
(ろんぐひっとをうつ、なかなかゆだんができないよ、いったいこんどのしあいは)
ロングヒットを打つ、なかなかゆだんができないよ、一たい今度の試合は
(てきにさんぶのりがありみかたにさんぶのそんがある、てきはしんまいだからまけてもさまで)
敵に三分の利があり味方に三分の損がある、敵は新米だから負けてもさまで
(はじにならないが、みかたはふるいれきしをもっているから、もしまければ)
恥にならないが、味方は古い歴史を持っているから、もし負ければ
(せけんのものわらいになるよ」「あんなやつはだいじょうぶだよ」とてづかはいった。)
世間の物笑いになるよ」「あんなやつはだいじょうぶだよ」と手塚はいった。
(「そうじゃない、もしひとりでもけっしゅつしただしゅがあってほーむらんをさんぼんうてば)
「そうじゃない、もしひとりでも傑出した打手があってホームランを三本打てば
(さんてんとられるからね、しょうぶはそのときのひょうしだ、つよいからって)
三点とられるからね、勝負はそのときの拍子だ、強いからって
(ゆだんがならない」「だからぼくはれんしゅうをしようというんだ、あおきせんぞうは)
ゆだんがならない」「だからぼくは練習をしようというんだ、青木千三は
(しょうがっこうじだいにはじつにうまかったからね、からだがちいさいがおそろしいのは)
小学校時代には実にうまかったからね、身体が小さいがおそろしいのは
(かれだよ」とこういちはいった。「とうふやのごときはがんちゅうにないね」と)
かれだよ」と光一はいった。「豆腐屋のごときは眼中にないね」と
(てづかがいった。「それがいけないよてづかくん、きみはうまいけれどもてきを)
手塚がいった。「それがいけないよ手塚君、きみはうまいけれども敵を
(あなどるのはわるいくせだ、ぼくはあおきのほうがぼくよりうまいとおもう」)
あなどるのは悪いくせだ、ぼくは青木の方がぼくよりうまいと思う」
(「きみはあおきをかいかぶってるよ、あいつはまだこしがきまらない」)
「きみは青木を買いかぶってるよ、あいつはまだ腰が決まらない」
(「いざとなればつよくなるよ」「よわむしだねきみは」とてづかはちょうしょうした。)
「いざとなれば強くなるよ」「弱虫だねきみは」と手塚は嘲笑した。
(「きみよりかあおきのほうがうまい」とこういちもしゃくにさわっていった。「あんなやつに)
「君よりか青木の方がうまい」と光一も癪にさわっていった。「あんなやつに
(くらべられてたまるものか」たにんずうのまえなのでてづかはきょせいをはっていった。)
くらべられてたまるものか」多人数の前なので手塚は虚勢を張っていった。
(「そうじゃないてづか」とこはらはどなった。「おまえはいつもうまいとひとに)
「そうじゃない手塚」と小原はどなった。「おまえはいつもうまいと人に
(みられようとおもって、かたてでたまをとったりする、あれはよくないぞ、)
見られようと思って、片手で球をとったりする、あれはよくないぞ、
(へたにみられてもいいからけんじつでなけりゃいけない」せんぱいのひとことにてづかは)
へたに見られてもいいから健実でなけりゃいけない」先輩の一言に手塚は
(かおをあからめてだまった。そのひかられんしゅうをはじめた。いっぽうもくもくじゅくでは)
顔を赤らめてだまった。その日から練習をはじめた。一方黙々塾では
(がくぎょうのひまひまにもうれんしゅうをつづけた。だがかぎょうがいそがしいためにれんしゅうに)
学業のひまひまに猛練習をつづけた。だが家業がいそがしいために練習に
(くることのできないものもあるので、にんずうはいつもそろわなかった、やすばは)
くることのできない者もあるので、人数はいつもそろわなかった、安場は
(にちよういがいにはきせいしない、ここにおいてもくもくせんせいがじしんにあきちへしゅっちょうした、)
日曜以外には帰省しない、ここにおいて黙々先生が自身に空地へ出張した、
(せんせいはやきゅうのことをよくはしらない、がかれはげっけんのたつじんなのでだげきは)
先生は野球のことをよくは知らない、がかれは撃剣の達人なので打撃は
(うまかった、かれはさるまたひとつとしゃついちまいのすがたで、じせいのばっとでのっくを)
うまかった、かれはさるまた一つとシャツ一枚の姿で、自製のバットでノックを
(する、それはじつにきみょうふしぎなのっくであった、せんせいのうつたまにはほうこうが)
する、それは実に奇妙ふしぎなノックであった、先生の打つ球には方向が
(いっていしない、さんるいへいったりいちるいへいったり、ごろかとおもえばがいやへとんだり、)
一定しない、三塁へいったり一塁へいったり、ゴロかと思えば外野へ飛んだり、
(ふぁうるになったり、ほーむらんになったりする。「せんせい!しーとのっくは)
ファウルになったり、ホームランになったりする。「先生! シートノックは
(しーとのほうへうってください」とせんぞうがたんがんした。「ばかっ、ほうこうがきまってる)
シートの方へ打ってください」と千三が歎願した。「ばかッ、方向がきまってる
(ならだれでもとれる、てきはどこへうつかわかりゃしないじゃないか」)
ならだれでもとれる、敵はどこへ打つかわかりゃしないじゃないか」
(せんせいはこういってながいばっとをもってちからのありたけでうつのだからたまらない、)
先生はこういって長いバットを持って力のありたけで打つのだからたまらない、
(てっぽうたまのようなおそろしくはやいたまはぶんぶんうなってとんでくる。せんしゅは)
鉄砲玉のようなおそろしく早い球はぶんぶんうなって飛んでくる。選手は
(いずれもあせだらけになってはしりまわる。それがおわるとふりーばってぃんぐを)
いずれも汗だらけになって走りまわる。それがおわるとフリーバッティングを
(やる、それもとうきゅうするものはせんせいである。せんせいのたまはのっくのごとく)
やる、それも投球するものは先生である。先生の球はノックのごとく
(こんとろーるがわるい、みぎにひだりにずじょうたかく、あるいはあしもとにばうんどし、あるいは)
コントロールが悪い、右に左に頭上高く、あるいは足元にバウンドし、あるいは
(こしぼねをうつ。「せんせい!まっすぐなたまをください」とせんぞうがいう。)
腰骨を打つ。「先生! まっすぐな球をください」と千三がいう。
(「ばかってきはいつもまっすぐにほうるかよ」それがおわるとせんせいは)
「ばかッ敵はいつもまっすぐに投るかよ」それがおわると先生は
(せんぞうにとうきゅうさせてじぶんでご、ろっぽんをうつ。だがせんせいのつくったばっとは)
千三に投球させて自分で五、六本を打つ。だが先生の造ったバットは
(こぶこぶだらけなので、うったたまはみんなふぁうるになり、ちっぷになる。)
こぶこぶだらけなので、打った球はみんなファウルになり、チップになる。
(でせんせいがまんぞくにうつまでたまをほうらなければきげんがわるい、ようやくちょっきゅうを)
で先生が満足に打つまで球を投らなければ機嫌が悪い、ようやく直球を
(いっぽんうつとせんせいはにっこりとこどもらしくわらう、そうしてこういう。)
一本打つと先生はにっこりと子どもらしくわらう、そうしてこういう。
(「おれのつくったばっとはなかなかいいわい」れんしゅうがすむとせんせいはいちどうにいもを)
「おれの造ったバットはなかなかいいわい」練習がすむと先生は一同にいもを
(にてくれる、それがなによりのたのしみであった。だがせんせいはやきゅうのためにけっして)
煮てくれる、それが何よりの楽しみであった。だが先生は野球のために決して
(がっかをおろそかにしなかった、もしせいとのなかにがっかをおこたるものがあると)
学課をおろそかにしなかった、もし生徒の中に学課をおこたる者があると
(せんせいはげんぜんとしていちどうをしかりつける。「やきゅうをやめてしまえっ」)
先生は厳然として一同を叱りつける。「野球をやめてしまえッ」
(このためにせいとはいっそうがっかにはげまざるをえなかった。ひがだんだんせまってきた)
このために生徒は一層学課にはげまざるを得なかった。日がだんだん迫ってきた
(あるひやすばがきた、こーちがすんでいちどうがさったあと、せんせいはいかにも)
ある日安場がきた、コーチがすんで一同が去った後、先生はいかにも
(しんぱいそうにやすばにいった。「こんどちゅうがっこうにかてるだろうか」「さあ」とやすばは)
心配そうに安場にいった。「今度中学校に勝てるだろうか」「さあ」と安場は
(ちゅうちょした。「どうかしてかたしてもらいたい、わしがせいとにやきゅうをゆるしたのは)
躊躇した。「どうかして勝たしてもらいたい、わしが生徒に野球をゆるしたのは
(すこしかんがえがあってのことだ、このまちのものはかんがくをそんけいしてしがくをけいべつする、)
少し考えがあってのことだ、この町のものは官学を尊敬して私学を軽蔑する、
(いいか、ちゅうがっこうやしはんがっこうのせいとはいばるが、もくもくじゅくのせいとはちいさくなっている)
いいか、中学校や師範学校の生徒はいばるが、黙々塾の生徒は小さくなっている
(なあやすば、きみもおぼえがあるだろう」「そうです、ぼくもずいぶん)
なあ安場、きみもおぼえがあるだろう」「そうです、ぼくもずいぶん
(ちゅうがっこうのやつらにばかにされました」「そうだ、かねがあってじかんがあって)
中学校のやつらにばかにされました」「そうだ、金があって時間があって
(がくもんするものはこうふくだ、わしのじゅくのせいとはみんなふこうなやつばかりだ、)
学問するものは幸福だ、わしの塾の生徒はみんな不幸なやつばかりだ、
(おなじとちにうまれおなじとしごろでありながら、ただ、かねのためにこうはいきようようとし)
同じ土地に生まれ同じ年ごろでありながら、ただ、金のために甲は意気揚々とし
(おつはしょうぜんとする、こんなふこうへいなはなしはないのだ、いいかやすば、そこでだ、)
乙は悄然とする、こんな不公平な話はないのだ、いいか安場、そこでだ、
(わしはせいとどものかたみをひろくさしてやりたい、かねずくではかなわない、かれらの)
わしは生徒共の肩身を広くさしてやりたい、金ずくではかなわない、かれらの
(がっこうはようふうのどうどうたるものだ、わしのじゅくはかべがおちやねがもりたたみがぼろぼろだ、)
学校は洋風の堂々たるものだ、わしの塾は壁が落ち屋根がもり畳がぼろぼろだ、
(せいとはまちをあるくにいつもちいさくなってしょぼしょぼしている、だからせめて)
生徒は町を歩くにいつも小さくなってしょぼしょぼしている、だからせめて
(やきゅうでもいいからいっぺんかたしてやりたい、じつりょくのあるものはひんぷにかかわらず)
野球でもいいから一遍勝たしてやりたい、実力のあるものは貧富にかかわらず
(ゆうしょうしゃになれるものだということをしらしめたい、しはんせいもちゅうがくせいももくもくせいも)
優勝者になれるものだということを知らしめたい、師範生も中学生も黙々生も
(どうとうのものであるとおもわせたい、おおてをふってまちをあるくきにならせたい、だから)
同等のものであると思わせたい、大手をふって町を歩く気にならせたい、だから
(どうしてもこんどはかたねばならん、わしもこのとしになって、なにをくるしんで)
どうしても今度は勝たねばならん、わしもこの年になって、なにをくるしんで
(すっぱだかになってあきちでばっとをふりせいとなどをあいてにあそんでいたかろう、)
すっぱだかになって空地でバットをふり生徒等を相手に遊んでいたかろう、
(せいとのじそんしんをようせいしたいためだ、そうしていっぽうにおいてまちのひとびとや)
生徒の自尊心を養成したいためだ、そうして一方において町の人々や
(かんがくすうはいしゃをみかえしてやりたいためだ、やきゅうのしょうはいはいちしょうじだが、ここで)
官学崇拝者を見かえしてやりたいためだ、野球の勝敗は一小事だが、ここで
(まければわしのせいとはますますじそんしんをうしないかたみをちいさくする、)
負ければわしの生徒はますます自尊心を失い肩身を小さくする、
(じつにいちだいじけんだ、なあやすば、こんどこそはだ、なあおい、しっかりやってくれ」)
実に一大事件だ、なあ安場、今度こそはだ、なあおい、しっかりやってくれ」
(せんせいのこえはしだいになみだをおびてきた。「せんせい!」)
先生の声は次第に涙をおびてきた。「先生!」
(やすばはもゆるようなめをせんせいにむけていった。)
安場は燃ゆるような目を先生に向けていった。
(「ぼくもそうおもってます、ぼくはかならずかたしてごらんにいれます」)
「ぼくもそう思ってます、ぼくはかならず勝たしてごらんに入れます」