夢十夜 第一夜 夏目漱石

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「こんな夢を見た。」で始まる10の夢の物語。
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1 kanta 4817 B 5.1 94.5% 736.9 3769 219 53 2024/03/11

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問題文

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(こんなゆめをみた。 うでぐみをしてまくらもとにすわっていると、あおむきにねたおんなが、)

こんな夢を見た。  腕組をして枕元に坐っていると、仰向に寝た女が、

(しずかなこえでもうしにますという。おんなはながいかみをまくらにしいて、りんかくのやわらかな)

静かな声でもう死にますと云う。女は長い髪を枕に敷いて、輪郭の柔らかな

(うりざねがおをそのなかによこたえている。まっしろなほおのそこにあたたかいちのいろがほどよくさして)

瓜実顔をその中に横たえている。真白な頬の底に温かい血の色がほどよく差して

(くちびるのいろはむろんあかい。とうていしにそうにはみえない。しかしおんなはしずかなこえで、)

唇の色は無論赤い。とうてい死にそうには見えない。しかし女は静かな声で、

(もうしにますとはっきりいった。じぶんもたしかにこれはしぬなとおもった。)

もう死にますと判然(はっきり)云った。自分も確にこれは死ぬなと思った。

(そこで、そうかね、もうしぬのかね、とうえからのぞきこむようにしてきいてみた。)

そこで、そうかね、もう死ぬのかね、と上から覗き込むようにして聞いて見た。

(しにますとも、といいながら、おんなはぱっちりとめをあけた。おおきなうるおいのあるめで)

死にますとも、と云いながら、女はぱっちりと眼を開けた。大きな潤のある眼で

(ながいまつげにつつまれたなかは、ただいちめんにまっくろであった。そのまっくろなひとみのおくに、)

長い睫に包まれた中は、ただ一面に真黒であった。その真黒な眸の奥に、

(じぶんのすがたがあざやかにうかんでいる。 じぶんはすきとおるほどふかくみえるこのくろめの)

自分の姿が鮮に浮かんでいる。  自分は透き徹るほど深く見えるこの黒眼の

(つやをながめて、これでもしぬのかとおもった。それで、ねんごろにまくらの)

色沢(つや)を眺めて、これでも死ぬのかと思った。それで、ねんごろに枕の

(そばへくちをつけて、しぬんじゃなかろうね、だいじょうぶだろうね、とまたききかえした。)

傍へ口を付けて、死ぬんじゃなかろうね、大丈夫だろうね、とまた聞き返した。

(するとおんなはくろいめをねむそうにみはったまま、やっぱりしずかなこえで、でも、)

すると女は黒い眼を眠そうにみはったまま、やっぱり静かな声で、でも、

(しぬんですもの、しかたがないわといった。 じゃ、わたしのかおがみえるかいと)

死ぬんですもの、仕方がないわと云った。  じゃ、私の顔が見えるかいと

(いっしんにきくと、みえるかいって、そら、そこに、うつってるじゃありませんかと、)

一心に聞くと、見えるかいって、そら、そこに、写ってるじゃありませんかと、

(にこりとわらってみせた。じぶんはだまって、かおをまくらからはなした。うでぐみをしながら、)

にこりと笑って見せた。自分は黙って、顔を枕から離した。腕組をしながら、

(どうしてもしぬのかなとおもった。 しばらくして、おんながまたこういった。)

どうしても死ぬのかなと思った。  しばらくして、女がまたこう云った。

(「しんだら、うめてください。おおきなしんじゅがいであなをほって。そうしててんから)

「死んだら、埋めて下さい。大きな真珠貝で穴を掘って。そうして天から

(おちてくるほしのはへんをぼひょうにおいてください。そうしてはかのそばにまっていてください)

落ちて来る星の破片を墓標に置いて下さい。そうして墓の傍に待っていて下さい

(またあいにきますから」 じぶんは、いつあいにくるかねときいた。)

また逢いに来ますから」  自分は、いつ逢いに来るかねと聞いた。

(「ひがでるでしょう。それからひがしずむでしょう。それからまたでるでしょう、)

「日が出るでしょう。それから日が沈むでしょう。それからまた出るでしょう、

など

(そうしてまたしずむでしょう。ーーあかいひがひがしからにしへ、ひがしからにしへと)

そうしてまた沈むでしょう。――赤い日が東から西へ、東から西へと

(おちていくうちに、ーーあなた、まっていられますか」 じぶんはだまって)

落ちて行くうちに、――あなた、待っていられますか」  自分は黙って

(うなずいた。おんなはしずかなちょうしをいちだんはりあげて、 「ひゃくねんまっていて)

首肯(うなず)いた。女は静かな調子を一段張り上げて、 「百年待っていて

(ください」とおもいきったこえでいった。 「ひゃくねん、わたしのはかのそばにすわってまって)

下さい」と思い切った声で云った。 「百年、私の墓の傍に坐って待って

(いてください。きっとあいにきますから」 じぶんはただまっているとこたえた。)

いて下さい。きっと逢いに来ますから」  自分はただ待っていると答えた。

(すると、くろいひとみのなかにあざやかにみえたじぶんのすがたが、ぼうっとくずれてきた。)

すると、黒い眸のなかに鮮に見えた自分の姿が、ぼうっと崩れて来た。

(しずかなみずがうごいてうつるかげをみだしたように、ながれだしたとおもったら、おんなのめが)

静かな水が動いて写る影を乱したように、流れ出したと思ったら、女の眼が

(ぱちりととじた。ながいまつげのあいだからなみだがほおへたれた。ーーもうしんでいた。)

ぱちりと閉じた。長い睫の間から涙が頬へ垂れた。――もう死んでいた。

(じぶんはそれからにわへおりて、しんじゅがいであなをほった。しんじゅがいはおおきななめらかな)

自分はそれから庭へ下りて、真珠貝で穴を掘った。真珠貝は大きな滑かな

(ふちのするどいかいであった。つちをすくうたびに、かいのうらにつきのひかりがさして)

縁の鋭どい貝であった。土をすくうたびに、貝の裏に月の光が差して

(きらきらした。しめったつちのにおいもした。あなはしばらくしてほれた。おんなをそのなかに)

きらきらした。湿った土の匂もした。穴はしばらくして掘れた。女をその中に

(いれた。そうしてやわらかいつちを、うえからそっとかけた。かけるたびにしんじゅがいの)

入れた。そうして柔らかい土を、上からそっと掛けた。掛けるたびに真珠貝の

(うらにつきのひかりがさした。 それからほしのはへんのおちたのをひろってきて、)

裏に月の光が差した。  それから星の破片の落ちたのを拾って来て、

(かろくつちのうえへのせた。ほしのはへんはまるかった。ながいあいだおおぞらをおちているあいだに、)

かろく土の上へ乗せた。星の破片は丸かった。長い間大空を落ちている間に、

(かどがとれてなめらかになったんだろうとおもった。だきあげてつちのうえへおくうちに、)

角が取れて滑かになったんだろうと思った。抱き上げて土の上へ置くうちに、

(じぶんのむねとてがすこしあたたかくなった。 じぶんはこけのうえにすわった。これからひゃくねんのあいだ)

自分の胸と手が少し暖くなった。  自分は苔の上に坐った。これから百年の間

(こうしてまっているんだなとかんがえながら、うでぐみをして、まるいはかいしをながめていた。)

こうして待っているんだなと考えながら、腕組をして、丸い墓石を眺めていた。

(そのうちに、おんなのいったとおりひがひがしからでた。おおきなあかいひであった。)

そのうちに、女の云った通り日が東から出た。大きな赤い日であった。

(それがまたおんなのいったとおり、やがてにしへおちた。あかいまんまでのっと)

それがまた女の云った通り、やがて西へ落ちた。赤いまんまでのっと

(おちていった。ひとつとじぶんはかんじょうした。 しばらくするとまたからくれないのてんどうが)

落ちて行った。一つと自分は勘定した。  しばらくするとまた唐紅の天道が

(のそりとあがってきた。そうしてだまってしずんでしまった。ふたつとまたかんじょうした。)

のそりと上って来た。そうして黙って沈んでしまった。二つとまた勘定した。

(じぶんはこういうふうにひとつふたつとかんじょうしていくうちに、あかいひをいくつみたか)

自分はこう云う風に一つ二つと勘定して行くうちに、赤い日をいくつ見たか

(わからない。かんじょうしても、かんじょうしても、しつくせないほどあかいひがあたまのうえを)

分らない。勘定しても、勘定しても、しつくせないほど赤い日が頭の上を

(とおりこしていった。それでもひゃくねんがまだこない。しまいには、こけのはえた)

通り越して行った。それでも百年がまだ来ない。しまいには、苔の生えた

(まるいいしをながめて、じぶんはおんなにだまされたのではなかろうかとおもいだした。)

丸い石を眺めて、自分は女に欺されたのではなかろうかと思い出した。

(するといしのしたからななめにじぶんのほうへむいてあおいくきがのびてきた。)

すると石の下から斜に自分の方へ向いて青い茎が伸びて来た。

(みるまにながくなってちょうどじぶんのむねのあたりまできてとどまった。とおもうと、)

見る間に長くなってちょうど自分の胸のあたりまで来て留まった。と思うと、

(すらりとゆらぐくきのいただきに、こころもちくびをかたむけていたほそながいいちりんのつぼみが、)

すらりと揺ぐ茎の頂に、心持首を傾けていた細長い一輪の蕾が、

(ふっくらとはなびらをひらいた。まっしろなゆりがはなのさきでほねにこたえるほど)

ふっくらと弁(はなびら)を開いた。真白な百合が鼻の先で骨にこたえるほど

(におった。そこへはるかのうえから、ぽたりとつゆがおちたので、はなはじぶんのおもみで)

匂った。そこへ遥の上から、ぽたりと露が落ちたので、花は自分の重みで

(ふらふらとうごいた。じぶんはくびをまえへだしてつめたいつゆのしたたる、しろいかべんにせっぷんした)

ふらふらと動いた。自分は首を前へ出して冷たい露の滴る、白い花弁に接吻した

(じぶんがゆりからかおをはなすひょうしにおもわず、とおいそらをみたら、あかつきのほしがたったひとつ)

自分が百合から顔を離す拍子に思わず、遠い空を見たら、暁の星がたった一つ

(またたいていた。 「ひゃくねんはもうきていたんだな」とこのときはじめてきがついた。)

瞬いていた。 「百年はもう来ていたんだな」とこの時始めて気がついた。

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