夢十夜 第十夜(完) 夏目漱石
順位 | 名前 | スコア | 称号 | 打鍵/秒 | 正誤率 | 時間(秒) | 打鍵数 | ミス | 問題 | 日付 |
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1 | ばぼじま | 5078 | B+ | 5.2 | 96.5% | 713.8 | 3758 | 133 | 52 | 2024/11/05 |
2 | saty | 4669 | C++ | 5.0 | 93.6% | 752.1 | 3766 | 254 | 52 | 2024/10/11 |
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問題文
(しょうたろうがおんなにさらわれてからなのかめのばんにふらりとかえってきて、きゅうにねつがでて)
庄太郎が女に攫われてから七日目の晩にふらりと帰って来て、急に熱が出て
(どっと、とこについているといってけんさんがしらせにきた。 しょうたろうはちょうないいちの)
どっと、床に就いていると云って健さんが知らせに来た。 庄太郎は町内一の
(こうだんしで、しごくぜんりょうなしょうじきものである。ただひとつのどうらくがある。ぱなまのぼうしを)
好男子で、至極善良な正直者である。ただ一つの道楽がある。パナマの帽子を
(かぶって、ゆうがたになるとみずがしやのみせさきへこしをかけて、おうらいのおんなのかおをながめている)
被って、夕方になると水菓子屋の店先へ腰をかけて、往来の女の顔を眺めている
(そうしてしきりにかんしんしている。そのほかにはこれというほどのとくしょくもない。)
そうしてしきりに感心している。そのほかにはこれと云うほどの特色もない。
(あまりおんながとおらないときは、おうらいをみないでみずがしをみている。みずがしには)
あまり女が通らない時は、往来を見ないで水菓子を見ている。水菓子には
(いろいろある。すいみつとうや、りんごや、びわや、ばななをきれいにかごにもって、)
いろいろある。水蜜桃や、林檎や、枇杷や、バナナを綺麗に籠に盛って、
(すぐみまいものにもっていけるようににれつにならべてある。しょうたろうはこのかごをみては)
すぐ見舞物に持って行けるように二列に並べてある。庄太郎はこの籠を見ては
(きれいだといっている。しょうばいをするならみずがしやにかぎるといっている。そのくせ)
綺麗だと云っている。商売をするなら水菓子屋に限ると云っている。そのくせ
(じぶんはぱなまのぼうしをかぶってぶらぶらあそんでいる。 このいろがいいといって、)
自分はパナマの帽子を被ってぶらぶら遊んでいる。 この色がいいと云って、
(なつみかんなどをひんぴょうすることもある。けれども、かつてぜにをだしてみずがしを)
夏蜜柑などを品評する事もある。けれども、かつて銭を出して水菓子を
(かったことがない。ただではむろんくわない。いろばかりほめている。 あるゆうがた)
買った事がない。ただでは無論食わない。色ばかり賞めている。 ある夕方
(ひとりのおんなが、ふいにみせさきにたった。みぶんのあるひととみえてりっぱなふくそうをしている)
一人の女が、不意に店先に立った。身分のある人と見えて立派な服装をしている
(そのきもののいろがひどくしょうたろうのきにいった。そのうえしょうたろうはたいへんおんなのかおに)
その着物の色がひどく庄太郎の気に入った。その上庄太郎は大変女の顔に
(かんしんしてしまった。そこでだいじなぱなまのぼうしをとってていねいにあいさつをしたら、)
感心してしまった。そこで大事なパナマの帽子を脱って丁寧に挨拶をしたら、
(おんなはかごづめのいちばんおおきいのをさして、これをくださいというんで、しょうたろうはすぐ)
女は籠詰の一番大きいのを指して、これを下さいと云うんで、庄太郎はすぐ
(そのかごをとってわたした。するとおんなはそれをちょっとさげてみて、)
その籠を取って渡した。すると女はそれをちょっと提げて見て、
(たいへんおもいことといった。 しょうたろうはがんらいひまじんのうえに、すこぶるきさくなおとこだから、)
大変重い事と云った。 庄太郎は元来閑人の上に、すこぶる気作な男だから、
(ではおたくまでもってまいりましょうといって、おんなといっしょにみずがしやをでた。)
ではお宅まで持って参りましょうと云って、女といっしょに水菓子屋を出た。
(それぎりかえってこなかった。 いかなしょうたろうでも、あんまりのんきすぎる。)
それぎり帰って来なかった。 いかな庄太郎でも、あんまり呑気過ぎる。
(ただごとじゃなかろうといって、しんるいやともだちがさわぎだしていると、なのかめのばんに)
只事じゃ無かろうと云って、親類や友達が騒ぎ出していると、七日目の晩に
(なって、ふらりとかえってきた。そこでおおぜいよってたかって、しょうさんどこへいって)
なって、ふらりと帰って来た。そこで大勢寄ってたかって、庄さんどこへ行って
(いたんだいときくと、しょうたろうはでんしゃへのってやまへいったんだとこたえた。)
いたんだいと聞くと、庄太郎は電車へ乗って山へ行ったんだと答えた。
(なんでもよほどながいでんしゃにちがいない。しょうたろうのいうところによると、でんしゃを)
何でもよほど長い電車に違いない。庄太郎の云うところによると、電車を
(おりるとすぐとはらへでたそうである。ひじょうにひろいはらで、どこをみまわしてもあおいくさ)
下りるとすぐと原へ出たそうである。非常に広い原で、どこを見廻しても青い草
(ばかりはえていた。おんなといっしょにくさのうえをあるいていくと、きゅうに)
ばかり生えていた。女といっしょに草の上を歩いて行くと、急に
(きりぎしのてっぺんへでた。そのときおんながしょうたろうに、ここからとびこんで)
絶壁(きりぎし)の天辺へ出た。その時女が庄太郎に、ここから飛び込んで
(ごらんなさいといった。そこをのぞいてみると、きりぎしはみえるがそこはみえない。)
御覧なさいと云った。底を覗いて見ると、切岸は見えるが底は見えない。
(しょうたろうはまたぱなまのぼうしをぬいでさいさんじたいした。するとおんなが、もしおもいきって)
庄太郎はまたパナマの帽子を脱いで再三辞退した。すると女が、もし思い切って
(とびこまなければ、ぶたになめられますがようござんすかときいた。しょうたろうはぶたと)
飛び込まなければ、豚に舐められますが好うござんすかと聞いた。庄太郎は豚と
(くえもんがだいきらいだった。けれどもいのちにはかえられないとおもって、やっぱり)
雲右衛門が大嫌だった。けれども命には易(か)えられないと思って、やっぱり
(とびこむのをみあわせていた。ところへぶたがいっぴきはなをならしてきた。しょうたろうは)
飛び込むのを見合せていた。ところへ豚が一匹鼻を鳴らして来た。庄太郎は
(しかたなしに、もっていたほそいびんろうじゅのすてっきで、)
仕方なしに、持っていた細い檳榔樹(びんろうじゅ)の洋杖(ステッキ)で、
(ぶたのはながしらをぶった。ぶたはぐうといいながら、ころりとひっくりかえって、)
豚の鼻頭を打(ぶ)った。豚はぐうと云いながら、ころりと引っ繰り返って、
(きりぎしのしたへおちていった。しょうたろうはほっとひといきついでいるとまたいっぴきのぶたが)
絶壁の下へ落ちて行った。庄太郎はほっとひと息接いでいるとまた一匹の豚が
(おおきなはなをしょうたろうにこすりつけにきた。しょうたろうはやむをえずまたすてっきをふりあげた)
大きな鼻を庄太郎に擦りつけに来た。庄太郎はやむをえずまた洋杖を振り上げた
(ぶたはぐうとないてまたまっさかさまにあなのそこへころげこんだ。するとまたいっぴきあらわれた)
豚はぐうと鳴いてまた真逆様に穴の底へ転げ込んだ。するとまた一匹あらわれた
(このときしょうたろうはふときがついて、むこうをみると、はるかのあおくさはらのつきるあたりから)
この時庄太郎はふと気がついて、向うを見ると、遥の青草原の尽きる辺から
(いくまんびきかかぞえきれぬぶたが、むれをなしていっちょくせんに、このきりぎしのうえにたっている)
幾万匹か数え切れぬ豚が、群をなして一直線に、この絶壁の上に立っている
(しょうたろうをめがけてはなをならしてくる。しょうたろうはこころからきょうしゅくした。けれどもしかたが)
庄太郎を目懸けて鼻を鳴らしてくる。庄太郎は心から恐縮した。けれども仕方が
(ないから、ちかよってくるぶたのはながしらを、ひとつひとつていねいにびんろうじゅのすてっきでうっていた)
ないから、近寄ってくる豚の鼻頭を、一つ一つ丁寧に檳榔樹の洋杖で打っていた
(ふしぎなことにすてっきがはなへさわりさえすればぶたはころりとたにのそこへおちていく。)
不思議な事に洋杖が鼻へ触りさえすれば豚はころりと谷の底へ落ちて行く。
(のぞいてみるとそこのみえないきりぎしを、さかさになったぶたがぎょうれつしておちていく。)
覗いて見ると底の見えない絶壁を、逆さになった豚が行列して落ちて行く。
(じぶんがこのくらいおおくのぶたをたにへおとしたかとおもうと、しょうたろうはわれながらこわく)
自分がこのくらい多くの豚を谷へ落したかと思うと、庄太郎は我ながら怖く
(なった。けれどもぶたはぞくぞくくる。くろくもにあしがはえて、あおくさをふみわけるような)
なった。けれども豚は続々くる。黒雲に足が生えて、青草を踏み分けるような
(いきおいでむじんぞうにはなをならしてくる。 しょうたろうはひっしのゆうをふるって、)
勢いで無尽蔵に鼻を鳴らしてくる。 庄太郎は必死の勇をふるって、
(ぶたのはながしらをなのかむばんたたいた。けれども、とうとうせいこんがつきて、てがこんにゃくの)
豚の鼻頭を七日六晩叩いた。けれども、とうとう精根が尽きて、手が蒟蒻の
(ようによわって、しまいにぶたになめられてしまった。そうしてきりぎしのうえへたおれた。)
ように弱って、しまいに豚に舐められてしまった。そうして絶壁の上へ倒れた。
(けんさんは、しょうたろうのはなしをここまでして、だからあんまりおんなをみるのは)
健さんは、庄太郎の話をここまでして、だからあんまり女を見るのは
(よくないよといった。じぶんももっともだとおもった。けれどもけんさんはしょうたろうの)
善くないよと云った。自分ももっともだと思った。けれども健さんは庄太郎の
(ぱなまのぼうしがもらいたいといっていた。 しょうたろうはたすかるまい。)
パナマの帽子が貰いたいと云っていた。 庄太郎は助かるまい。
(ぱなまはけんさんのものだろう。)
パナマは健さんのものだろう。