ああ玉杯に花うけて 第十部 1
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問題文
(へそのひでんをおぼえてからせんぞうはめきめきとうでがじょうたつした。うらちゅうともくもくは)
へその秘伝をおぼえてから千三はめきめきと腕が上達した。浦中と黙々は
(ふくしゅうせんをやる、そのつぎにはけっしょうをやる、ふくしゅうのまたふくしゅうせんをやるというふうに)
復讐戦をやる、そのつぎには決勝をやる、復讐のまた復讐戦をやるという風に
(このまちのよびものになった。「ちびこうのやつ、どうしておれのたまを)
この町の呼び物になった。「チビ公のやつ、どうしておれの球を
(あんなにうつんだろう」こういちはふしぎでたまらなかった、じっさいせんぞうはいかなる)
あんなに打つんだろう」光一はふしぎでたまらなかった、実際千三はいかなる
(たまをもうちこなした、たいしはんこうとのしあいにはおーるひっとのせいせきをあげた。)
球をも打ちこなした、対師範校との試合にはオールヒットの成績をあげた。
(それはこういちにとってもっともくるしいてきであったが、しかしこういちはそのために)
それは光一に取ってもっとも苦しい敵であったが、しかし光一はそのために
(おどろくべきしんぽをしめした、かれはどうかしてちびこうにうたれまい、)
おどろくべき進歩を示した、かれはどうかしてチビ公に打たれまい、
(ちびこうをさんしんさせようとけんきゅうした。むかしたけだしんげんとうえすぎけんしんは)
チビ公を三振させようと研究した。昔武田信玄と上杉謙信は
(たがいにはぎょうをあらそうた、そのけっかとしてそうほうはたがいにけんきゅうしあい、)
たがいに覇業を争うた、その結果として双方はたがいに研究しあい、
(たけだりゅうのぐんがくやうえすぎふうのせんぽうなどがにほんにうまれた。もっともよきてきは)
武田流の軍学や上杉風の戦法などが日本に生まれた。もっともよき敵は
(もっともよきともである、たざんのいしはあいしれいしてたまになるのだ。)
もっともよき友である、他山の石は相砥礪して珠になるのだ。
(せんぞうがあるためにこういちがすすみ、こういちがあるためにせんぞうがすすむ。)
千三があるために光一が進み、光一があるために千三が進む。
(せんじょうにおいてはてきとなりしのぎをけずってたたかうもののこういちとせんぞうはいえへかえると)
戦場においては敵となりしのぎをけずって戦うものの光一と千三は家へ帰ると
(きょうだいのごとくしたしかった。「きょうはいっぽんもうたせなかったね」)
兄弟のごとく親しかった。「今日は一本も打たせなかったね」
(「このつぎにはかならずうつぞ」ふたりはわらってはなしあう。どんなにしたしい)
「このつぎにはかならず打つぞ」二人はわらって話し合う。どんなに親しい
(あいだがらでもおおやけのせんじょうではいっぽもゆずらないのがふたりのやくそくであった。)
間柄でも公の戦場では一歩もゆずらないのがふたりの約束であった。
(ときとしてこういちはいえへかえってもものもいわずにふさぎこんでることがある、)
時として光一は家へ帰ってもものもいわずにふさぎこんでることがある、
(だがせんぞうがたずねてくるとすぐゆかいなきもちになるのであった。あるときこういちは)
だが千三がたずねてくるとすぐ愉快な気持ちになるのであった。あるとき光一は
(まじめなかおをしてこういった。「あおきくん、ぼくのがっこうへにゅうがくしたまえよ」)
まじめな顔をしてこういった。「青木君、ぼくの学校へ入学したまえよ」
(「いまさらそんなことはできないから、いちこうでいっしょになろう、もうに、さんねん)
「いまさらそんなことはできないから、一高で一緒になろう、もう二、三年
(たてばぼくのいえもらくになるから」「けんていをうけるつもりか」「ああ、そうとも」)
経てばぼくの家も楽になるから」「検定を受けるつもりか」「ああ、そうとも」
(「じゃいちこうでいっしょになろう、きみがしょーとでぼくがとうしゅでこはらさんが)
「じゃ一高で一緒になろう、きみがショートでぼくが投手で小原さんが
(ほしゅだったらゆかいだな」ふたりはかおをみるたびにそれをかたりあった。ふたりは)
捕手だったら愉快だな」ふたりは顔を見るたびにそれを語りあった。ふたりは
(はたしていちこうでいっしょになりうるだろうか、いまはどくしゃにそれをもらすべき)
はたして一高で一緒になり得るだろうか、いまは読者にそれをもらすべき
(ときでない。とにかくはなはさきはなはちり、つきひはせいしゅんのきぼうとともに)
ときでない。とにかく花はさき花は散り、月日は青春の希望と共に
(のびやかにかがやきながらうつりゆく。やなぎこういちはよねんせいになった。)
伸びやかに輝きながらうつりゆく。柳光一は四年生になった。
(そのころがっこうないできっかいなふうせつがつたわった、せいとのなかでじょがくせいとこうさいし、ぴあのや)
そのころ学校内で奇怪な風説が伝わった、生徒の中で女学生と交際し、ピアノや
(ばいおりんのがっそうをしたり、てがみをこうかんしたり、いんしょくてんにでいりしたり)
バイオリンの合奏をしたり、手紙を交換したり、飲食店に出入りしたり
(するものがある、いまのうちにさがしだしてせいさいをくわえなければうらわちゅうがくのたいめんに)
するものがある、いまのうちに探しだして制裁を加えなければ浦和中学の体面に
(かんする。ふんがいのこえごえがおこった。「だれだろう」「だれだろう」)
関する。憤慨の声々が起こった。「だれだろう」「だれだろう」
(さいしょのうちはこのふうひょうをとりあげるものはなかった。「しはんのやつらが)
最初のうちはこの風評をとりあげるものはなかった。「師範のやつらが
(いいふらしたんだ」じっさいそれはしはんせいとからでたうわさである、)
いいふらしたんだ」実際それは師範生徒からでたうわさである、
(しはんせいとはちゅうがくせいにくらべるとがくしもすくないし、またとめるふけいをもたぬところ)
師範生徒は中学生にくらべると学資も少ないし、また富める父兄をもたぬところ
(からなにかにつけてふじゆうがちである、それにかえしてちゅうがくせいはおおくはそうとうの)
からなにかにつけて不自由勝ちである、それに反して中学生は多くは相当の
(しさんあるいえのこである、かれらはじゆうにぜいたくなしゃつをかい、はいからな)
資産ある家の子である、かれらは自由にぜいたくなシャツを買い、ハイカラな
(ぶんぼうぐをもちい、かつどうやしばいなどをけんぶつし、ようしょくやへもでいりする、)
文房具を用い、活動や芝居などを見物し、洋食屋へも出入りする、
(そうさせることをふじゅんだとおもわないふけいがおおいのである。)
そうさせることを不純だと思わない父兄が多いのである。
(きしゅくしゃにとじこめられてかごのとりのごとくちいさくなっているしはんせいのめから)
寄宿舎に閉じこめられてかごの鳥のごとく小さくなっている師範生の目から
(みると、ちゅうがくせいのせいかつはまったくふけつでありほうじゅうでありたいはいてきである。)
見ると、中学生の生活はまったく不潔であり放縦であり頽廃的である。
(くぼいこうちょうのつぎにきたくまたこうちょうというのはおそろしくげんかくなひとであった、)
久保井校長のつぎにきた熊田校長というのはおそろしく厳格な人であった、
(くぼいせんせいはおんこうでけんそんでちゅうわのひとであったが、くまたせんせいはちょくじょうけいこう)
久保井先生は温厚で謙遜で中和の人であったが、熊田先生は直情径行
(ひのごときねっけつと、らいていのごときかだんをもっている。もしくぼいこうちょうが)
火のごとき熱血と、雷霆のごとき果断をもっている。もし久保井校長が
(はるならくまたこうちょうはふゆである、ぜんしゃはしゅんぷうたいとう、こうしゃはかんぷうりんれつ!)
春なら熊田校長は冬である、前者は春風駘蕩、後者は寒風凛烈!
(どんなにさむいひでもくまたこうちょうはがいとうをきない、こうちょうしつにひばちもおかない)
どんなに寒い日でも熊田校長は外套を着ない、校長室に火鉢もおかない
(かつておおふぶきのひ、せいとはことごとくふるえていたひ、こうちょうはこうていにでて)
かつて大吹雪の日、生徒はことごとくふるえていた日、校長は校庭にでて
(ゆきだるまをころがしまわった、そのかみとなくめとなくくちとなく、)
雪だるまを転がしまわった、その髪となく目となく口となく、
(ゆきだらけになったがすこしもひるまなかった。くぼいせんせいがさってからつぎに)
雪だらけになったが少しもひるまなかった。久保井先生が去ってからつぎに
(きたるべきこうちょうにたいしてせいともまちのひともいっしゅのはんかんをもっていた、だがひを)
きたるべき校長に対して生徒も町の人も一種の反感をもっていた、だが日を
(ふるにしたがってしんこうちょうのじっせんきゅうこうてきなじんかくはぜんこうをあっし、)
経るにしたがって新校長の実践躬行的な人格は全校を圧し、
(まちをあっしいまではだれひとりそんけいせぬものはない。「もくもくせんせいと)
町を圧しいまではだれひとり尊敬せぬものはない。「黙々先生と
(くまたせんせいとどっちがこわいだろう」まちのひとびとはこううわさした。それだけげんかくな)
熊田先生とどっちがこわいだろう」町の人々はこううわさした。それだけ厳格な
(くまたせんせいがいまちゅうがっこうないにふりょうしょうねんがあるときいたのだからたまらない。)
熊田先生が今中学校内に不良少年があると聞いたのだからたまらない。
(「げんばつにしょすべしだ、よくしらべてくれ」こうちょうのめいれいにしょくいんはめをさらのごとく)
「厳罰に処すべしだ、よく調べてくれ」校長の命令に職員は目を皿のごとく
(おおきくしてさがしたてた。と、まただれがいうとなくそれはてづかだという)
大きくしてさがしたてた。と、まただれがいうとなくそれは手塚だという
(うわさがたった。このことをもうしたてたのはなかむらというどうきゅうせいであった、)
うわさが立った。このことを申し立てたのは中村という同級生であった、
(なかむらはぜんりょうなせいねんだが、しりょにとぼしくことばがおおいのがけってんである、かれは)
中村は善良な青年だが、思慮にとぼしく言葉が多いのが欠点である、かれは
(がっこうちゅうのすべてのことをしっているのでみながかれをたんていとよんでいた、)
学校中のすべてのことを知っているのでみながかれを探偵と呼んでいた、
(だがこのたんていはけっしてひとにきがいをくわえない、くちからでまかせにすきなことを)
だがこの探偵は決して人に危害を加えない、口からでまかせにすきなことを
(しゃべりちらしてよろこんでいるだけである。なかむらはてづかがきのうふりょうしょうじょと)
しゃべりちらして喜んでいるだけである。中村は手塚が昨日不良少女と
(かつどうしゃしんかんからでたのをみた、そうしてあとをつけていくとようしょくやへはいったと)
活動写真館からでたのを見た、そうして後をつけていくと洋食屋へはいったと
(いうのであった。きゅうのかさなるものがごにんあつまってそうだんかいをひらいた、もし)
いうのであった。級の重なるものが五人集まって相談会を開いた、もし
(てづかであるならどうきゅうのちじょくだからなんとかいまのうちにそうとうのしゅだんを)
手塚であるなら同級の恥辱だからなんとかいまのうちに相当の手段を
(こうじなければなるまい。これがかいぎのしゅがんであった。「きゃつはいったい)
講じなければなるまい。これが会議の主眼であった。「きゃつは一体
(なまいきだからぶんなぐるがいいよ」とはまもとというけんどうのせんしゅがいった。)
生意気だからぶんなぐるがいいよ」と浜本という剣道の選手がいった。
(はまもとはすべてはいからなものはきらいであった、かれはようふくのうえにはかまを)
浜本はすべてハイカラなものはきらいであった、かれは洋服の上にはかまを
(はいてがっこうへきたことがあるので、ひとびとはかれをしょうぎたいとあだなした。)
はいて学校へ来たことがあるので、人々はかれを彰義隊とあだ名した。
(「なぐるまえにいちおうちゅうこくするがいいよ」としぶやがいった、しぶやはてづかとしたしかった)
「なぐる前に一応忠告するがいいよ」と渋谷がいった、渋谷は手塚と親しかった
(かれはにちようごとにてづかのいえへいってごちそうになるのであった。かれはまた)
かれは日曜ごとに手塚の家へいってご馳走になるのであった。かれはまた
(てづかからしんじゅいりのこがたなだの、すいしょうのぺんつぼなどをもらった。かれがてづかを)
手塚から真珠入りの小刀だの、水晶のペンつぼなどをもらった。かれが手塚を
(かばったことがかえっていちどうのふんげきをたきつけることになった。)
かばったことがかえって一同の憤激をたきつけることになった。