異妖編「寺町の竹藪」2 岡本綺堂
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問題文
(それはゆやできいたはなしであるが、おかねはきょうのおひるすぎにてならいからかえって)
それは湯屋で聞いた話であるが、お兼はきょうのお午すぎに手習いから帰って
(きて、こうとくじまえのしんるいまでつかいにいったままでかえらない。いえでもしんぱいしてききあわせ)
来て、広徳寺前の親類まで使いに行ったままで帰らない。家でも心配して聞合せ
(にやると、むこうへはいちどもこないという。どこにかみちくさをくっているのかとも)
にやると、むこうへは一度も来ないという。どこにか路草を食っているのかとも
(おもったが、としのいかないこむすめがひのくれるまでかえってこないのはふしぎだという)
思ったが、年のいかない小娘が日のくれるまで帰って来ないのは不思議だという
(ので、おやたちのふあんはいよいよおおきくなって、さっきからほうぼうへてわけをして)
ので、親たちの不安はいよいよ大きくなって、さっきから方々へ手分けをして
(さがしているが、まだそのゆくえがわからないとのことであった。 「こうと)
探しているが、まだその行くえが判らないとのことであった。 「こうと
(しったら、さっきすぐにしらせてやればよかったんだが・・・・・・。」と、おとうさんは)
知ったら、さっきすぐに知らせてやればよかったんだが……。」と、お父さんは
(くやむようにいった。 「ほんとうにねえ。あとでおやたちにうらまれるのもつらいから)
悔むように言った。 「ほんとうにねえ。あとで親たちに恨まれるのも辛いから
(おまえさんこのこをつれておかねちゃんのいえへいっておいでなさいよ。おそまきでも)
おまえさんこの子をつれてお兼ちゃんの家へ行っておいでなさいよ。遅まきでも
(いかないよりはましだから。」と、おっかさんはそばからすすめた。 「じゃあ、)
行かないよりはましだから。」と、おっ母さんはそばから勧めた。 「じゃあ、
(いってこようか。」 おとうさんにつれられて、おなおさんはじゅずやのみせへでて)
行って来ようか。」 お父さんに連れられて、おなおさんは数珠屋の店へ出て
(いった。くもったよいはこのときいよいよくもっていまにもなきだしそうなそらのいろが)
行った。曇った宵はこの時いよいよ曇って今にも泣き出しそうな空の色が
(おなおさんのちいさいむねをいよいよくらくした。いいしれないふあんときょうふに)
おなおさんの小さい胸をいよいよ暗くした。言いしれない不安と恐怖に
(とらわれて、おなおさんはなきたくなった。じゅずやではもうさきにしらせてきた)
とらわれて、おなおさんは泣きたくなった。数珠屋ではもう先に知らせて来た
(ものがあったとみえて、ゆうがたにおかねがすがたをあらわしたことをしっていた。)
ものがあったと見えて、夕方にお兼が姿をあらわしたことを知っていた。
(そのたけやぶはおてらのはかばにつづいているので、おてらにもいちおうことわって、おおぜいで)
その竹藪はお寺の墓場につづいているので、お寺にも一応ことわって、大勢で
(いまそのやぶのなかをさがしているところだといった。 「そうですか。じゃあ、)
今その藪のなかを探しているところだと言った。 「そうですか。じゃあ、
(わたしもおてつだいにいきましょう。」と、おなおさんのおとうさんもすぐによこちょうの)
わたしもお手伝いに行きましょう。」と、おなおさんのお父さんもすぐに横町の
(ほうへいった。 よこちょうのかどをまがろうとするときに、おとうさんはおなおさんを)
方へ行った。 横町の角を曲ろうとするときに、お父さんはおなおさんを
(みかえっていった。 「おまえなんぞはくるんじゃあねえ。はやくかえれ。」)
見返って言った。 「おまえなんぞは来るんじゃあねえ。早く帰れ。」
(いいすてておとうさんはよこちょうへかけこんでしまった。それでもこわいものみたさに、)
言いすててお父さんは横町へかけ込んでしまった。それでも怖いもの見たさに、
(おなおさんはそっとのびあがってうかがうと、くらいおおやぶのなかにはちょうちんのひが)
おなおさんはそっと伸び上がってうかがうと、暗い大藪の中には提灯の火が
(ななつやっつもみだれてみえた。とぎれとぎれにひとのよびあうようなこえもきこえた。)
七つ八つもみだれて見えた。とぎれとぎれに人の呼びあうような声もきこえた。
(おそろしいような、かなしいようなこころもちで、おなおさんはそうそうにじぶんのいえへかけて)
恐ろしいような、悲しいような心持で、おなおさんは早々に自分の家へかけて
(かえったが、かれのめはいつかなみだぐんでいた。おっかさんにいいつけられて、)
帰ったが、かれの眼はいつか涙ぐんでいた。おっ母さんに言いつけられて、
(こぞうもよこちょうのやぶへさがしにいった。 よるのふけたころに、おとうさんとこぞうはきんじょの)
小僧も横町の藪へ探しに行った。 夜のふけた頃に、お父さんと小僧は近所の
(ひとたちといっしょにかえってきた。 「いけねえ。どうしてもみつからねえ。なにしろ)
人たちと一緒に帰って来た。 「いけねえ。どうしても見つからねえ。なにしろ
(くらいので、あしたのことにするよりほかはねえ。」 おなおさんはいよいよ)
暗いので、あしたの事にするよりほかはねえ。」 おなおさんはいよいよ
(かなしくなって、しくしくとなきだした。おっかさんもかおをくもらせて、)
悲しくなって、しくしくと泣き出した。おっ母さんも顔をくもらせて、
(おかねちゃんはこがらがいいから、もしやひとさらいにでもつれていかれた)
お兼ちゃんは児柄(こがら)がいいから、もしや人攫いにでも連れて行かれた
(のではあるまいかといった。そんなことかもしれねえと、おとうさんもためいきを)
のではあるまいかと言った。そんなことかも知れねえと、お父さんも溜息を
(ついていた。まったくそのころには、ひとさらいにさらっていかれたとか、てんぐに)
ついていた。まったくその頃には、人攫いにさらって行かれたとか、天狗に
(つれていかれたとか、かみかくしにあったとかいうようなはなしがしばしばつたえられた。)
連れて行かれたとか、神隠しに遭ったとかいうような話がしばしば伝えられた。
(「それだからおまえもひがくれたら、ひとりでおもてへでるんじゃないよ。」と、)
「それだからお前も日が暮れたら、一人で表へ出るんじゃないよ。」と、
(おっかさんはおどすようにおなおさんにいいきかせた。 たんにおどすばかりで)
おっ母さんはおどすようにおなおさんに言いきかせた。 単におどすばかりで
(なく、げんざいおかねちゃんのじつれいがあるのであるから、おなおさんもただおとなしく)
なく、現在お兼ちゃんの実例があるのであるから、おなおさんも唯おとなしく
(おっかさんのせつゆをきいていると、おっかさんはふとおもいだしたように)
おっ母さんの説諭を聞いていると、おっ母さんはふと思い出したように
(おなおさんにきいた。 「ねえ、おまえ。おかねちゃんはもうみんなと)
おなおさんに訊いた。 「ねえ、お前。お兼ちゃんはもうみんなと
(あそばないよっていったんだね。」 「そうよ。」)
遊ばないよって言ったんだね。」 「そうよ。」
(「それがおかしいね。」と、かれはおとうさんのほうへむきなおった。「してみると、)
「それがおかしいね。」と、かれはお父さんの方へ向き直った。「してみると、
(ひとさらいやかみかくしじゃあなさそうだとおもわれるが・・・・・・。おかねちゃんはじぶんの)
人攫いや神隠しじゃあなさそうだと思われるが……。お兼ちゃんは自分の
(いちりょうけんでどこへかすがたをかくしたんじゃないかねえ。」 「むむ。どうも)
一料簡でどこへか姿を隠したんじゃないかねえ。」 「むむ。どうも
(わからねえな。」と、おとうさんもくびをかしげた。 おかねはひとりむすめで、)
わからねえな。」と、お父さんも首をかしげた。 お兼はひとり娘で、
(おやたちにもかわいがられている。まだ11のこむすめではいろこいでもあるまい。それらを)
親たちにも可愛がられている。まだ十一の小娘では色恋でもあるまい。それらを
(かんがえると、どうもじぶんのいちりょうけんでいえでやかけおちをしそうにもおもわれない。)
考えると、どうも自分の一料簡で家出や駈落ちをしそうにも思われない。
(けっきょくそのなぞはとけないままで、きょうじやのいえではねてしまった。おなおさんは)
結局その謎は解けないままで、経師屋の家では寝てしまった。おなおさんは
(やはりこわいようなかなしいようなこころもちで、そのばんはやすやすとねむられなかった。)
やはり怖いような悲しいような心持で、その晩は安々と眠られなかった。
(あくるひになって、おかねのゆくえはわかった。きんじょのたけやぶなどをかきまわして)
あくる日になって、お兼のゆくえは判った。近所の竹藪などを掻きまわして
(いてもしょせんしれようはずはない。おかねはずっととおいふかがわのはて、すざきづつみの)
いても所詮知れようはずはない。お兼はずっと遠い深川の果て、洲崎堤の
(かれあしのなかにそのなきがらをよこたえているのをはっけんしたものがあった。)
枯蘆のなかにその亡骸を横たえているのを発見した者があった。
(おかねはこしまきひとつのあかはだかでくびりころされていたのである。おかねはすあしになって)
お兼は腰巻ひとつの赤裸でくびり殺されていたのである。お兼は素足になって
(いたが、そこにはおなじとしごろらしいおんなのこのふるげたがかたあしころげていた。)
いたが、そこには同じ年頃らしい女の子の古下駄が片足ころげていた。
(さらにおどろかれるのは、としよわのふたつぐらいとおもわれるおんなのこが、おかねのしがいの)
更におどろかれるのは、年弱の二つぐらいと思われる女の児が、お兼の死骸の
(そばにないていた。これはきものをきたままで、からだにはなんのきずもなかった。)
そばに泣いていた。これは着物を着たままで、からだには何の疵もなかった。
(さいわいにのらいぬにもかまれずにぶじになきつづけていたらしい。そのあかごから)
幸いに野良犬にも咬まれずに無事に泣きつづけていたらしい。その赤児から
(てがかりがついて、それははなかわどのやおどめというやおやのこであることがわかった)
手がかりがついて、それは花川戸の八百留という八百屋の子であることが判った