異妖編「龍を見た話」2 岡本綺堂

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江戸時代の怪異談
「K君はこの座中で第一の年長者であるだけに、江戸時代の怪異談をたくさんに知っていて、それからそれへと立て続けに五、六題の講話があった。そのなかで特殊のもの三題を選んで左に紹介する。」

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問題文

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(しかしそれはけものともおもわれなかった。ふたつのめはふううにさからってこっちへむかって)

しかしそれは獣とも思われなかった。二つの眼は風雨に逆らってこっちへ向って

(くるらしいので、いしろうはともかくもみちばたのおおきいやしきのもんぜんにみをよせて、)

くるらしいので、伊四郎はともかくも路ばたの大きい屋敷の門前に身をよせて、

(そのひかるもののしょうたいをうかがっていると、なにぶんにもくらいなかではっきりとは)

その光るものの正体をうかがっていると、何分にも暗いなかではっきりとは

(わからないが、それはへびかとかげのようなもので、しずかにちじょうをはっている)

判らないが、それは蛇か蜥蝪のようなもので、しずかに地上を這っている

(らしかった。このふううのためにどこからなにものがはいだしたのかと、いしろうは)

らしかった。この風雨のためにどこから何物が這い出したのかと、伊四郎は

(いっしんにそれをみつめていると、かれはながいおおきいからだをひきずってくるらしく)

一心にそれを見つめていると、かれは長い大きいからだを曳きずって来るらしく

(ぬれたつちのうえをざらりざらりとすっているおとがふううのなかでもたしかにきこえた。)

濡れた土の上をざらりざらりと擦っている音が風雨のなかでも確かにきこえた。

(それはすこぶるきょだいなものらしいので、いしろうはおどろかされた。)

それはすこぶる巨大なものらしいので、伊四郎はおどろかされた。

(かれはだんだんにちかづいて、いしろうのひそんでいるやしきのもんぜんをしずかに)

かれはだんだんに近づいて、伊四郎のひそんでいる屋敷の門前をしずかに

(いきすぎたが、かれはそのめがひかるばかりでなく、からだのところどころも)

行き過ぎたが、かれはその眼が光るばかりでなく、からだのところどころも

(こんじきにひらめいていた。かれはとかげのようによつばいになってあるいて)

金色にひらめいていた。かれはとかげのように四つ這いになって歩いて

(いるらしかったが、そのからだのながいのはそうぞういじょうで、あたまからおのすえまでは)

いるらしかったが、そのからだの長いのは想像以上で、頭から尾の末までは

(どうしても4、5けんをこえているらしくおもわれたのでいしろうはじつにきもをひやした)

どうしても四、五間を越えているらしく思われたので伊四郎は実に胆を冷やした

(このかいぶつがようやくじぶんのまえをとおりすぎてしまったので、いしろうははじめて)

この怪物がようやく自分の前を通り過ぎてしまったので、伊四郎は初めて

(ほうとするとき、ふううはまたひとしきりあばれくるって、それがいままでよりもいっそう)

ほうとする時、風雨はまた一としきり暴れ狂って、それが今までよりも一層

(はげしくなったかとおもうと、うみにちかいおおかわのなみがさかまいてわきあがった。)

はげしくなったかと思うと、海に近い大川の浪が逆まいて湧きあがった。

(くらいそらからはいなずまがとんだ。このすさまじいけしきのなかに、かのかいぶつのおおきい)

暗い空からは稲妻が飛んだ。この凄まじい景色のなかに、かの怪物の大きい

(からだはいよいよこんじきにかがやいて、わきあがるなみをめがけてとびこむように)

からだはいよいよ金色にかがやいて、湧きあがる浪を目がけて飛込むように

(そのすがたをけしてしまったので、いしろうはふたたびきもをひやした。 「あれはいったい)

その姿を消してしまったので、伊四郎は再び胆を冷やした。 「あれは一体

(なんだろう。」 かれはばきんのはっけんでんをおもいだした。さとみよしざねがみうらのはまべで)

なんだろう。」  彼は馬琴の八犬伝を思い出した。里見義実が三浦の浜辺で

など

(はくりゅうをみたといういっせつをおもいあわせて、かのかいぶつはおそらくりゅうであろうとかんがえた)

白龍を見たという一節を思いあわせて、かの怪物はおそらく龍であろうと考えた

(しのばずのいけにもりゅうがすむとしんじられていたじだいであるから、かれがこのすさまじい)

不忍池にも龍が棲むと信じられていた時代であるから、彼がこの凄まじい

(ぼうふううのよるにりゅうをみたとかんがえたのも、けっしてむりではなかった。いしろうはぐうぜん)

暴風雨の夜に龍をみたと考えたのも、決して無理ではなかった。伊四郎は偶然

(このふしぎにであって、いっしゅのよろこびをかんじた。りゅうをみたものはしゅっせすると)

この不思議に出逢って、一種のよろこびを感じた。龍をみた者は出世すると

(いいつたえられている。それがはたしてりゅうならば、じぶんにとってこううんのきざしである。)

言い伝えられている。それが果して龍ならば、自分に取って好運の兆である。

(そうおもうと、かれがいったんのきょうふはさらにかんきのまんぞくとかわって、ふううのすこし)

そう思うと、彼が一旦の恐怖はさらに歓喜の満足と変って、風雨のすこし

(おとろえるのをまってこのもんぜんからふたたびあるきだした。そうして、2、3けんもいったか)

衰えるのを待ってこの門前から再び歩き出した。そうして、二、三間も行ったか

(とおもうと、かれはじぶんのつめさきにひかるもののおちているのをみた。たちどまって)

と思うと、彼は自分の爪さきに光るものの落ちているのを見た。立停まって

(ひろってみるとそれはおおきいうろこのようなものであったので、いしろうはりゅうのうろこで)

拾ってみるとそれは大きい鱗のようなものであったので、伊四郎は龍の鱗で

(あろうとおもった。りゅうをみて、さらにりゅうのうろこをひろったのであるから、かれは)

あろうと思った。龍をみて、さらに龍の鱗を拾ったのであるから、かれは

(いよいよよろこんで、ていねいにそれをふところがみにつつんでかいちゅうした。かれはふううのよるを)

いよいよ喜んで、丁寧にそれを懐ろ紙につつんで懐中した。彼は風雨の夜を

(あるいて、おもいもよらないひろいものをしたのであった。 ぶじにおかちまちのいえへ)

あるいて、思いもよらない拾い物をしたのであった。  無事に御徒町の家へ

(かえって、いしろうはぬれたきものをぬぐまもなく、すぐにかいちゅうをさぐってみると、)

帰って、伊四郎は濡れた着物をぬぐ間もなく、すぐに懐中を探ってみると、

(かみのなかからはかのいっぺんのうろこがあらわれた。あんどんのひにてらすとそれはうすいこんじきに)

紙の中からはかの一片の鱗があらわれた。行灯の火に照らすとそれは薄い金色に

(ひかっていた。かれはつまにめいじてさんぼうをもちださせて、うろこをそのうえにのせて、)

光っていた。彼は妻に命じて三宝を持ち出させて、鱗をその上にのせて、

(うやうやしくとこのまにまつった。 「このことはめったにふいちょうしてはならぬぞ。」)

うやうやしく床の間に祭った。 「このことはめったに吹聴してはならぬぞ。」

(と、かれはかないのものどもをかたくいましめた。 あくるひになると、ゆうべのふううの)

と、彼は家内の者どもを固く戒めた。  あくる日になると、ゆうべの風雨の

(さいちゅうに、えいたいのおきからりゅうのてんじょうするのをみたものがあるといううわさがつたわった。)

最中に、永代の沖から龍の天上するのを見た者があるという噂が伝わった。

(いしろうはそれをきいて、じぶんのみたのはいよいよりゅうにそういないことをたしかめる)

伊四郎はそれを聞いて、自分の見たのはいよいよ龍に相違ないことを確かめる

(ことができた。そのうちに、くちのかるいほうこうにんどもがしゃべったのであろう。)

ことが出来た。そのうちに、口の軽い奉公人どもがしゃべったのであろう。

(かのうろこのいっけんがいつとはなしにせけんにもれて、それをいちどみせてくれとのぞんで)

かの鱗の一件がいつとはなしに世間にもれて、それを一度みせてくれと望んで

(くるものがぞくぞくおしかけるので、いしろうはもうかくすわけにはいかなくなった。はじめは)

くる者が続々押掛けるので、伊四郎はもう隠すわけにはいかなくなった。初めは

(つとめてことわるようにしたが、しまいにはふせぎきれなくなって、のぞむがままに)

努めてことわるようにしたが、しまいには防ぎ切れなくなって、望むがままに

(ざしきへとおして、さんぼうのうえのうろこをいっけんさせることにしたので、そのもんぜんは)

座敷へ通して、三宝の上の鱗を一見させることにしたので、その門前は

(とうぶんにぎわった。 「あれはほんとうのりゅうかしら。おおきいこいかなんぞのうろこじゃ)

当分賑わった。 「あれはほんとうの龍かしら。大きい鯉かなんぞの鱗じゃ

(ないかな。」と、どうやくのあるものはかげでささやいた。 「いや、ふつうのさかなのうろことは)

ないかな。」と、同役のある者は蔭でささやいた。 「いや、普通の魚の鱗とは

(ちがう。ほうじょうときまさがえのしまのいわやでべんざいてんからさずかったという、かのみっつうろこの)

違う。北条時政が江の島の窟で弁財天から授かったという、かの三つ鱗の

(たぐいらしい。」と、もったいらしくせつめいするものもあった。)

たぐいらしい。」と、勿体らしく説明する者もあった。

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