契りきぬ 山本周五郎 ⑪

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不遇を脱する一心で、ある侍を口説く賭けにのる花街の女の話。

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(けれどもおなつはけっしていそがなかった。)

けれどもおなつは決していそがなかった。

(いよからもらったじみなきものやおびを、さらにできるだけじみにき、)

伊代から貰ったじみな着物や帯を、さらに出来るだけじみに着、

(いよがすすめるけしょうもせず、かみなどもめだたないこふうなゆいかたをした。)

伊代がすすめる化粧もせず、髪なども眼立たない古風な結いかたをした。

(「どうしてそんなふうになさるの、わかいひとはあなただけなのだから、)

「どうしてそんなふうになさるの、若いひとは貴女だけなのだから、

(すこしはいえのなかがはなやぐように、むすめらしいみじまいをなさいな」)

少しは家のなかが華やぐように、娘らしい身じまいをなさいな」

(いよはこういって、ときどきじぶんでかみをあげてくれたりした。)

伊代はこう云って、ときどき自分で髪をあげて呉れたりした。

(またじぶんのわかいときつかったきものや、はでなしたぎやはだのものなど、)

また自分の若いとき使った着物や、派手な下着や肌の物など、

(いくしなとなくだしてきてくれたし、かりてあるせんようのきょうだいには、)

幾品となく出して来て呉れたし、借りてある専用の鏡台には、

(おしろいやくちべにやこうゆなどもそろえてくれた。)

おしろいや口紅や香油なども揃えて呉れた。

(しかしおなつはどうしてもはでにはつくらない、)

しかしおなつはどうしても派手にはつくらない、

(せっかくゆってもらったかみも、すぐもとのようにじぶんでなおしてしまった。)

せっかく結って貰った髪も、すぐ元のように自分でなおしてしまった。

(「こういたしませんと、なんですかきもちがおちつきませんの」)

「こう致しませんと、なんですか気持がおちつきませんの」

(「それではまるでおばあさんのようではないの」)

「それではまるでお婆さんのようではないの」

(「でもわたくしにはこれがいちばんしっくりいたしますわ、)

「でもわたくしにはこれがいちばんしっくり致しますわ、

(うまれつきでございますね」こういってすがすがしくびしょうするのであった。)

生れつきでございますね」こう云ってすがすがしく微笑するのであった。

(だがおなつはしっていた、そういうじみすぎるほどじみなつくりが、)

だがおなつは知っていた、そういうじみすぎるほどじみなつくりが、

(どんなにかざるよりもじぶんのうつくしさをきわだたせ、)

どんなに飾るよりも自分の美しさを際立たせ、

(どのようにおとこたちのちゅういをひきつけるかということを、)

どのように男たちの注意をひきつけるかということを、

(かのじょのからだつきはこがらであるし、きものをきるとやせてみえるが、)

彼女の体つきは小柄であるし、着物を着ると痩せてみえるが、

(じっさいはじゅうなんなこのましいにくづきで、)

じっさいは柔軟な好ましいにくづきで、

など

(てあしのさきのすんなりとちいさいわりに、)

手足のさきのすんなりと小さいわりに、

(こしやふとももははりのあるゆたかなきんちょうをもっていた。)

腰や太腿は張のある豊かな緊張をもっていた。

(せいじゅくしきっているわかさと、あふれるようなつややかさは、)

成熟しきっている若さと、あふれるような艶やかさは、

(きつけやかみかたちが、じみでくすんでいるほどぎゃくにみりょくをつよめるものだ。)

着付や髪かたちが、じみでくすんでいるほど逆に魅力をつよめるものだ。

(うつくしいものはあらわすよりも、かくすほうがさらにうつくしくみえる。)

美しいものはあらわすよりも、隠すほうがさらに美しくみえる。

(おなつは「みよし」でのせいかつで、げんじつてきなぎこうとしてもそれをしった。)

おなつは『みよし』での生活で、現実的な技巧としてもそれを知った。

(そうして、それがあやまっていないことを、まずきぬまきやつだやかわのたち、)

そうして、それが誤まっていないことを、まず衣巻や津田や河野たち、

(ひっくるめてこのいえへくるわかいきゃくたちみんなの、)

ひっくるめてこの家へ来る若い客たちみんなの、

(じぶんにたいすることばやまなざしではっきりとたしかめた。)

自分に対する言葉やまなざしではっきりとたしかめた。

(せいのすけはどうだろうか、かのじょにはよくわからなかった。)

精之助はどうだろうか、彼女にはよくわからなかった。

(かれがじぶんにひきつけられているとおもうときもあるし、)

彼が自分にひきつけられていると思うときもあるし、

(まるっきりむかんしんであるようにみえるときもあった。)

まるっきり無関心であるようにみえるときもあった。

(だれもきゃくがなく、さしむかいでせいのすけにさけのしゃくをしたことがある、)

誰も客がなく、さし向いで精之助に酒の酌をしたことがある、

(ゆうげのずっとあとで、めずらしくねるまえのさけだった。)

夕餉のずっとあとで、珍しく寝るまえの酒だった。

(「このいえにおちついていられそうか、べつにつらいようなことはないか」)

「この家におちついていられそうか、べつに辛いようなことはないか」

(だまってのんでいたかれがふとこういった。)

黙って飲んでいた彼がふとこう云った。

(それからくちがほぐれたように、ぽつりぽつりとしずかにはなしをしたが、)

それから口がほぐれたように、ぽつりぽつりと静かに話をしたが、

(「あのときのあしのきずはもういいのか」)

「あのときの足の傷はもういいのか」

(とつぜんそんなことをいいだしたり、)

とつぜんそんなことを云いだしたり、

(またきゅうにおじというひとのことをもちだしたりした。)

また急に叔父というひとのことをもちだしたりした。

(「さえぐさといういえへようしにいったひとでね、)

「三枝という家へ養子にいったひとでね、

(ちちのおとうとにあたるんだが、ちかいうちにくるそうだからせったいをたのむよ、)

父の弟に当るんだが、近いうちに来るそうだから接待を頼むよ、

(さけずきでべつにむずかしいことはないんだ、)

酒好きでべつにむずかしいことはないんだ、

(さかなにちゅうもんがあるけれども、それはいよがしっているからね、)

肴に註文があるけれども、それは伊代が知っているからね、

(おばもいっしょにくるかもしれない、ははがなくなってからはね、)

叔母もいっしょに来るかもしれない、母が亡くなってからはね、

(このおばといよがははおやがわりだったんだよ」)

この叔母と伊代が母親代りだったんだよ」

(それからゆうじんたちのはなしをし、こんどはじぶんのしょうねんじだいのことをかたった。)

それから友人たちの話をし、こんどは自分の少年時代のことを語った。

(しいてわだいをさがすというふうでもない、おちついたしずかなちょうしなのに、)

しいて話題を捜すというふうでもない、おちついた静かな調子なのに、

(はなしはなんのれんらくもなくこっちからあっちへとび、)

話はなんの連絡もなくこっちからあっちへとび、

(いろいろなだんぺんをじゅんじょもなくならべてみせるかんじだった。)

いろいろな断片を順序もなく並べてみせる感じだった。

(よっていらっしゃる。おなつはこうおもった。)

酔っていらっしゃる。おなつはこう思った。

(いつもより、りょうをおおくのんでいるし、)

いつもより、量を多く飲んでいるし、

(はなしぶりとははんたいに、たえずみじろぎをし、)

話しぶりとは反対に、絶えず身じろぎをし、

(つねとはちがったまなざしで、ときおりもえるようにこちらをみつめた。)

常とは違ったまなざしで、ときおり燃えるようにこちらをみつめた。

(「すこしすごしたな、もうねよう」)

「少し過したな、もう寝よう」

(こういってたったとき、かれがよろめいたので、)

こう云って立ったとき、彼がよろめいたので、

(おなつははんしゃてきにてでささえた。かれはそのてをおさえた。)

おなつは反射的に手で支えた。彼はその手を押えた。

(ちからのこもった、ひのようにあついてであった。)

力のこもった、火のように熱い手であった。

(しかしそれはほんのわずかなせっしょくで、)

しかしそれはほんの僅かな接触で、

(かれはそのてをはなしてすぐにたちなおり、)

彼はその手を放してすぐに立ちなおり、

(「だいじょうぶ、なんでもない、だいじょうぶ」こういってろうかへでていった。)

「大丈夫、なんでもない、大丈夫」こう云って廊下へ出ていった。

(そのときかれをしんじょへおくってから、おなつはてばやくかみをとき、)

そのとき彼を寝所へおくってから、おなつは手早く髪をとき、

(はでないろのしたぎにかえ、かおへうすくけしょうをした。)

派手な色の下着に替え、顔へうすく化粧をした。

(そうしてわすれていたようによそおって、)

そうして忘れていたように装おって、

(みずとゆのみをのせたぼんをもち、そっとしんじょへはいっていった。)

水と湯呑を載せた盆を持ち、そっと寝所へはいっていった。

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