竹柏記 山本周五郎 ①
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問題文
(しろからさがったこうのすけが、ちちのびょうまへあいさつにいって、)
城からさがった孝之助が、父の病間へ挨拶にいって、
(きがえをしにいまへはいると、かふのいべぶんごがきて、)
着替えをしに居間へはいると、家扶の伊部文吾が来て、
(きたはたからつかいがあったとひくいこえでいった。)
北畠から使いがあったと低い声で云った。
(「もしごつごうがよろしかったら、)
「もし御都合がよろしかったら、
(やぶんにでもおいでくださるようにとのことでございました」)
夜分にでもおいで下さるようにとのことでございました」
(いぶかしそうなめをむけたが、こうのすけはうなずいた。)
訝しそうな眼を向けたが、孝之助は頷いた。
(きたはたのおばにかんするかぎり、できるだけはなしをかんたんにするのが、)
北畠の叔母に関する限り、できるだけ話を簡単にするのが、
(ながいあいだのしゅうかんであった。いべは、きょういちにちのかじについて、)
長いあいだの習慣であった。伊部は、きょう一日の家事について、
(にさんのほうこくをし、なおほかにようがあるかどうかをたずねたのち、)
二三の報告をし、なお他に用があるかどうかを訊ねたのち、
(ていないにあるじぶんのじゅうきょへかえっていった。)
邸内にある自分の住居へ帰っていった。
(きがえをして、ぬいだものをじぶんでかたづけてしまうと、)
着替えをして、脱いだ物を自分で片づけてしまうと、
(すこしのちそくもなく、ふろをしらせてきた。かれはふろにはいった。)
少しの遅速もなく、風呂を知らせて来た。彼は風呂にはいった。
(ごねんまえにははがなくなってから、ごにんいたおんなのめしつかいのうち、)
五年まえに母が亡くなってから、五人いた女の召使のうち、
(あさのだけのこして、ほかのものにはみんないとまをやった。)
浅乃だけ残して、ほかの者にはみんな暇をやった。
(あさのはもうごじゅうにになる。ははがこのたかやすへこしいれするとき、)
浅乃はもう五十二になる。母がこの高安へ輿入れするとき、
(いっしょにつれてきて、もうにじゅうよねんになるし、)
いっしょにつれて来て、もう二十余年になるし、
(みをよせるところもなかった。それで、かのじょだけはのこしたのであるが、)
身を寄せるところも無かった。それで、彼女だけは残したのであるが、
(ははがしんだすぐあと、ちちのりょうへいがそっちゅうでたおれ)
母が死んだすぐあと、父の良平が卒中で倒れ
(そのままみうごきもできないびょうしょうについたので、)
そのまま身動きもできない病床についたので、
(あさのはそのかんごにかかりきりであった。)
浅乃はその看護にかかりきりであった。
(こうのすけはしぜん、じぶんのみのまわりのことはぜんぶじぶんでした。)
孝之助はしぜん、自分の身のまわりのことはぜんぶ自分でした。
(もっとも、ははがいるじぶんでも、それがかれのこのみであって、)
もっとも、母がいるじぶんでも、それが彼の好みであって、
(こんなにてのかからないこもめずらしい、)
こんなに手のかからない子も珍しい、
(なんだかじょうがうつらないようでこころぼそい。)
なんだか情がうつらないようでこころぼそい。
(そんなふうに、よくいわれたものである。)
そんなふうに、よく云われたものである。
(ひとりむすこじゃないか、もっとわがままにしたらいいだろう。)
ひとり息子じゃないか、もっと我儘にしたらいいだろう。
(しんるいのものや、ゆうじんたちからも、そうせんどうされるくらいだったが、)
親類の者や、友人たちからも、そう煽動されるくらいだったが、
(それがうまれつきであろう、かれじしんにもどうにもならなかった。)
それが生れつきであろう、彼自身にもどうにもならなかった。
(こういうしょうぶんをもっともたんちょくにあらわして)
こういう性分をもっとも単直にあらわして
(「たかやすりちぎのすけ」というあだなが、かれにはつけられていた。)
「高安律義之助」という仇名が、彼には付けられていた。
(しょくじはいまでもちちといっしょにした。びょうしょうのわきへぜんをすえる。)
食事はいまでも父といっしょにした。病床の脇へ膳を据える。
(いつもはあさのがちちにたべさせるが、ゆうげのときは、)
いつもは浅乃が父に喰べさせるが、夕餉のときは、
(こうのすけが(じぶんもたべながら)ちちにたべさせた。)
孝之助が(自分も喰べながら)父に喰べさせた。
(ゆるいかゆと、ゆでつぶしたそさいであるが、)
ゆるい粥と、茹で潰した蔬菜であるが、
(このころではあごがうまくうごかないとみえ、)
この頃では顎がうまく動かないとみえ、
(くちからこぼしたりするので、ずいぶんじかんがかかる。)
口からこぼしたりするので、ずいぶん時間がかかる。
(しかしかれはしんぼうづよく、すこしもいやなかおをしないで、)
しかし彼は辛抱づよく、少しもいやな顔をしないで、
(たべおわるまでけっしてそばをはなれなかった。)
喰べ終るまで決してそばを離れなかった。
(こうれいのとおり、そのひも、ちちといっしょにゆうげをとり、)
恒例のとおり、その日も、父といっしょに夕餉をとり、
(あとのちゃをまくらもとで、じょうちゅうのことなどはなしながら、ゆっくりすませた。)
あとの茶を枕元で、城中のことなど話しながら、ゆっくり済ませた。
(それから、ごくさりげなくいった。)
それから、ごくさりげなく云った。
(「きたはたからつかいがありましたので、これからちょっといってまいります」)
「北畠から使いがありましたので、これからちょっといってまいります」
(やくどころのようとでもいえばいいのだが、)
役所の用とでも云えばいいのだが、
(かれはそういうことはへたでもあるし、)
彼はそういうことはへたでもあるし、
(ちちにはどうしてもごまかしがいえなかった。)
父にはどうしてもごまかしが云えなかった。
(りょうへいはあきらかにふかいそうで、とがめるように、じっとこっちのめをみた。)
良平は明らかに不快そうで、咎めるように、じっとこっちの眼を見た。
(「たぶん、こんどのえんだんのことだろうとおもうんです」)
「たぶん、こんどの縁談のことだろうと思うんです」
(こうのすけはあかくなりながらいった、「はなしがすみしだいもどってまいります」)
孝之助は赤くなりながら云った、「話が済みしだい戻ってまいります」
(かれはひとりでいえをでた。きたはたというのはところのことで、しろのとうほうにあたり、)
彼は独りで家を出た。北畠というのは所のことで、城の東方に当り、
(ふるくははんこうのさんそうであった。おばのせんじゅがせんだいのとのさまにもらい、)
古くは藩侯の山荘であった。叔母の千寿が先代の殿さまに貰い、
(もうにじゅうろくしちねんもそこにすんでいる。)
もう二十六七年もそこに住んでいる。
(そのことが、ちちとのふわのげんいんなのだが、)
そのことが、父との不和の原因なのだが、
(ごくかんたんにしるすと、せんじゅはひじょうにさいはじけたひとで、)
ごく簡単に記すと、千寿はひじょうに才はじけた人で、
(じゅうろくさいのとし、せんとののかいのかみとしみつのめにとまり、)
十六歳の年、先殿の甲斐守利光の眼にとまり、
(そのそくしつにあげられた。それもとしみつのじはつてきないしではなく、)
その側室にあげられた。それも利光の自発的な意志ではなく、
(かのじょのほうからゆうわくした、といううわさがもっぱらであり、)
彼女のほうから誘惑した、という噂がもっぱらであり、
(どうやらそれはじじつだったらしい。)
どうやらそれは事実だったらしい。