竹柏記 山本周五郎 ⑦

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投稿者投稿者ヒマヒマ マヒマヒいいね1お気に入り登録
プレイ回数1224難易度(4.5) 3448打 長文
不信な男に恋をしている娘に、強引な結婚を申し込むが・・・
不信な男に恋をしている友人の妹を守りたい一心で、心通わずとも求婚をする勘定奉行の主人公。

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問題文

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(こうのすけはそのときひるんだ。きょうふとはいわないまでも、)

孝之助はそのとき怯んだ。恐怖とはいわないまでも、

(ぼうりょくにたいするほんのうてきなおそれで、いっしゅん、あしがすくんだ。)

暴力に対する本能的な恐れで、一瞬、足がすくんだ。

(それはじじつであった、かれはたしかにひるんだ。(むろんそのばあい、)

それは事実であった、彼はたしかに怯んだ。(むろんそのばあい、

(そういうおとこたちにたいして、じぶんがへいぜんとしていられなかったことを、)

そういう男たちに対して、自分が平然としていられなかったことを、

(かれははじようとはおもわないが)しかし、それでうろたえはしなかった。)

彼は恥じようとは思わないが)しかし、それでうろたえはしなかった。

(かれはまえにたちふさがったさんにんのおとこを、しずかなめでみやり、)

彼は前に立ち塞がった三人の男を、静かな眼で見やり、

(それからもどって、もとのせきにすわった。)

それから戻って、元の席に坐った。

(さんにんのおとこたちも、あとからはいり、こうのすけをとりまくように、すわった。)

三人の男たちも、あとから入り、孝之助をとり巻くように、坐った。

(「こんなふうにまで、しなければならないのか」できるだけおだやかに、)

「こんなふうにまで、しなければならないのか」できるだけ穏やかに、

(こうのすけがいった。「そこまでじぶんをおとしていいのか」)

孝之助が云った。「そこまで自分を堕としていいのか」

(「それはどういういみですか」)

「それはどういう意味ですか」

(やつかはかたあしをまえへなげだし、からかうようなめで、こうのすけをみた。)

八束は片足を前へ投げだし、からかうような眼で、孝之助を見た。

(「たにんのしっさくをりようして、おんなをよこどりするよりも、このほうが)

「他人の失策を利用して、女を横取りするよりも、このほうが

(だらくしたこういだ、というわけですか、まさかそうじゃないでしょうな」)

堕落した行為だ、というわけですか、まさかそうじゃないでしょうな」

(こうのすけはなにかいおうとして、くちをつぐみ、めをふせた。)

孝之助はなにか云おうとして、口をつぐみ、眼を伏せた。

(やつかのことばはいやしく、どくをもっているが、うそではなかった。)

八束の言葉は卑しく、毒をもっているが、嘘ではなかった。

(こうのすけにはこうのすけのたちばがあり、いいぶんもある。)

孝之助には孝之助のたちばがあり、云い分もある。

(だが、やつかもやつかのたちばから、いいたいことをいっているのだ。)

だが、八束も八束のたちばから、云いたいことを云っているのだ。

(しかも、かれのいうことのほうが、みにじゃくてんのあるだけ、)

しかも、彼の云うことのほうが、身に弱点のあるだけ、

(かえってせつじつなひびきをもっていた。からだをかわしてはいけない、)

却って切実なひびきをもっていた。躰を躱してはいけない、

など

(ほんしんとほんしんでぶっつかるときだ。こうのすけはそうおもって、)

本心と本心でぶっつかるときだ。孝之助はそう思って、

(「このひとたちにざをはずしてもらえないか」といった。やつかはれいしょうした。)

「この人たちに座を外して貰えないか」と云った。八束は冷笑した。

(「これはきやとくといいましてね、わたしとはのみともだちだし、)

「これは木屋徳といいましてね、私とは飲み友達だし、

(こんどのいきさつもすっかりしっている。)

こんどのいきさつもすっかり知っている。

(なかんずく、あなたとかさいとのえんぐみのけんなどはね」)

なかんずく、貴方と笠井との縁組の件などはね」

(「おさむらいのなかにも、あきれけえったにんげんがいるもんだと、)

「お侍のなかにも、呆れけえった人間がいるもんだと、

(あっしどもみてえな、こんなやろうがたまげてますよ」)

あっし共みてえな、こんな野郎がたまげてますよ」

(それがきやとくというのだろう、さんじゅうしごになる、やせた、)

それが木屋徳というのだろう、三十四五になる、痩せた、

(きわだってまゆのこいおとこが、ひどくしゃがれたこえで、ちょうろうするようにいった。)

際立って眉の濃い男が、ひどくしゃがれた声で、嘲弄するように云った。

(「おともだちがわかげのあやまちで、ちっとばかりしくじった、)

「お友達が若気のあやまちで、ちっとばかりしくじった、

(てえしたこっちゃねえ、ぶしはあいみたがい、ましてともだちどうしなら、)

てえしたこっちゃねえ、武士はあいみ互い、まして友達同志なら、

(できねえことをしたってかばいあうのがあたりめえだ、)

出来ねえことをしたって庇いあうのがあたりめえだ、

(おめえさんおかむらのだんなのともだちじゃあねえのかい」)

おめえさん岡村の旦那の友達じゃあねえのかい」

(こうのすけはだまっていた。あいてはつづけた。)

孝之助は黙っていた。相手は続けた。

(「ほんのめくそばかりのかねをようだてて、そいつをかせにともだちのおもいものを)

「ほんの目くそばかりの金を用立てて、そいつを枷に友達の想い者を

(よこからとり、もんくをいえばきゅうあくをばらすぞってよ、まるっきり)

横から取り、文句を云えば旧悪をばらすぞってよ、まるっきり

(ぺてんしのやるこっちゃねえか、おめえさんそれでもさむらいのつもりかえ」)

ぺてん師のやるこっちゃねえか、おめえさんそれでも侍のつもりかえ」

(いかにもげせんにふみまたがった、ねばりつくようなきやとくのちょうしは、)

いかにも下賤にふみ跨った、ねばりつくような木屋徳の調子は、

(ほとんどきくにたえないものであった。)

殆んど聞くに耐えないものであった。

(しかしこうのすけはぶじょくをしのんで、やつかにむかっていった。)

しかし孝之助は侮辱を忍んで、八束に向って云った。

(「おれはいつかいったはずだ、あのひとをよめにほしい、)

「おれはいつか云った筈だ、あの人を嫁に欲しい、

(あのひととけっこんするためなら、どんなしゅだんをもじさない、)

あの人と結婚するためなら、どんな手段をも辞さない、

(これはおれのほんしんだし、いまでもこのけっしんにかわりはない、)

これはおれの本心だし、今でもこの決心に変りはない、

(だがこれは、おれがあのひとをよめにほしいというだけではなく、)

だがこれは、おれがあの人を嫁に欲しいというだけではなく、

(あのひとをふこうにしたくないからでもあるんだ」)

あの人を不幸にしたくないからでもあるんだ」

(「つまり、わたしといっしょになれば、すぎのがふこうなめをみる、)

「つまり、私と一緒になれば、杉乃が不幸なめをみる、

(ということですか」「げんにひとつ、ここでそのしょうめいをしている、)

ということですか」 「現に一つ、此処でその証明をしている、

(ほんきでそうするつもりなら、こういうおとこたちをつかい、)

本気でそうするつもりなら、こういう男たちを使い、

(こんなふうにひとをおどさなくとも、ほかにいくらでもほうほうがあったはずだ」)

こんなふうに人をおどさなくとも、ほかにいくらでも方法があった筈だ」

(「どくそうのたねをまけばどくそうがはえるものさ」)

「毒草の種子を蒔けば毒草が生えるものさ」

(「それはそちらのえらんだたとえで、おれのしったことではない、)

「それはそちらの選んだたとえで、おれの知ったことではない、

(おれはどくそうのたねなどけっしてまきはしなかった」)

おれは毒草の種子など決して蒔きはしなかった」

(こうのすけはひざのうえで、せんすをつよくにぎりしめ、)

孝之助は膝の上で、扇子を強く握りしめ、

(あいてのめをひたとにらみつめながら、いった。)

相手の眼をひたと瞶みつめながら、云った。

(「おかむらやつかには、さいしょうのしつがある、というひょうがあった、)

「岡村八束には、宰相の質がある、という評があった、

(いまでもある。おそらくじぶんでもしっているだろう、)

いまでもある。おそらく自分でも知っているだろう、

(よかれわるかれ、せひょうなどというものはむこんきょだし、)

善かれ悪かれ、世評などというものは無根拠だし、

(せきにんのあるものではない、おれはそのままにはしんじないが、)

責任のあるものではない、おれはそのままには信じないが、

(しかし、おかむらにそういうひょうのあることはじじつだし、)

しかし、岡村にそういう評のあることは事実だし、

(それはひとびとのしんらいが、どれほどかおかむらにあつまっている、)

それは人々の信頼が、どれほどか岡村に集まっている、

(どれほどかのひとが、おかむらのしょうらいにきたいをかけている、)

どれほどかの人が、岡村の将来に期待をかけている、

(というしょうこだとおもう、そうではないだろうか」)

という証拠だと思う、そうではないだろうか」

(「おかむらのだんな、もんどうはたくさんだ」きやとくがしたうちをしていった。)

「岡村の旦那、問答はたくさんだ」木屋徳が舌打ちをして云った。

(「らちのあかねえりくつはやめにして、かんじんのはなしのくくりを)

「埒のあかねえ理屈はやめにして、肝心の話のくくりを

(つけたらいいでしょう、またせてあるさけがまずくなっちめえますぜ」)

つけたらいいでしょう、待たせてある酒が不味くなっちめえますぜ」

(「もうひとこといわせてくれ」こうのすけはこえをおさえてつづけた。)

「もうひとこと云わせて呉れ」孝之助は声を抑えて続けた。

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