鮎の食い方 北大路魯山人

投稿者ヒマヒマ マヒマヒプレイ回数660
難易度(4.0) 4587打 長文 かなタグ北大路魯山人 料理 グルメ 長文 小説
陶芸、書、料理などで才能を発揮した北大路魯山人の随筆。
※「本手」「法」の誤字指摘が複数回ありましたが、誤字ではありません。原文を参照してください。
順位 名前 スコア 称号 打鍵/秒 正誤率 時間(秒) 打鍵数 ミス 問題 日付
1 moe 6666 S+ 6.9 95.9% 661.1 4600 193 100 2021/09/10
2 pechi 5568 A 6.0 92.5% 776.7 4703 378 100 2021/09/07

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問題文

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(いろいろなじじょうで、ふつうのかていでは、)

いろいろな事情で、ふつうの家庭では、

(あゆをうまくくうようにりょうりはできない。)

鮎を美味く食うように料理はできない。

(あゆはまずさん、よんすんものをしおやきにしてくうのがてほんてであろうが、)

鮎はまず三、四寸ものを塩焼きにして食うのが本手であろうが、

(いきたあゆやしんせんなものをてにいれるということが、かていではできにくい。)

生きた鮎や新鮮なものを手に入れるということが、家庭ではできにくい。

(ちほうでは、ところによりこれのできるかていもあろうが、)

地方では、ところによりこれのできる家庭もあろうが、

(とうきょうではぜったいにできないといってよい。)

東京では絶対にできないといってよい。

(とうきょうのじょうきょうがそうさせるのである。)

東京の状況がそうさせるのである。

(かりにいきたあゆがてにはいるとしても、)

仮に生きた鮎が手に入るとしても、

(しろうとがこれをじょうずにくしにさしてやくということはできるものではない。)

素人がこれを上手に串に刺して焼くということはできるものではない。

(あゆといえば、いっぱんにみずをきればすぐにしんでしまうといういんしょうをあたえている。)

鮎といえば、一般に水を切ればすぐ死んでしまうという印象を与えている。

(だから、ひじょうにひよわなさかなのようにおもわれているが、)

だから、非常にひよわなさかなのように思われているが、

(そのじつ、あゆはそじょうにのせてあたまをはねても、)

その実、鮎は俎上にのせて頭をはねても、

(ぽんぽんおどりあがるほどげんきはつらつたるさかなだ。)

ぽんぽん躍り上がるほど元気溌剌たる魚だ。

(そればかりか、いきているうちはぬらぬらしているから、)

そればかりか、生きているうちはぬらぬらしているから、

(これをつかんでくしにさすということだけでも、)

これを掴んで串に刺すということだけでも、

(しろうとにはよういに、てぎわよくいかない。)

素人には容易に、手際よくいかない。

(まして、これをていさいよくやくのは、なまやさしいことではない。)

まして、これを体裁よく焼くのは、生やさしいことではない。

(もちろん、ふつうのかていでもちいているような、)

もちろん、ふつうの家庭で用いているような、

(やわらかいすみではうまくやけない。)

やわらかい炭ではうまく焼けない。

(おびれをこがして、まっくろにしてしまうのなどは、)

尾びれを焦がして、真っくろにしてしまうのなどは、

など

(せっかくのおいしさをだいなしにしてしまうものだ。)

せっかくの美味しさを台なしにしてしまうものだ。

(いわばぜっせいのびじんをみるにしのびないしゅうふに)

いわば絶世の美人を見るに忍びない醜婦に

(してしまうことで、あまりにあじけない。)

してしまうことで、あまりに味気ない。

(こういうわけで、かていであゆがやけないということは、)

こういうわけで、家庭で鮎が焼けないということは、

(すこしもはずかしいことではない。)

少しも恥ずかしいことではない。

(みるからにうまそうに、しかも、つややかに、)

見るからに美味そうに、しかも、艶やかに、

(あゆのしたいをかんぜんにやきあげることは、)

鮎の姿体を完全に焼き上げることは、

(あゆをあじわおうとするものが、みためでかんげきし、)

鮎を味わおうとする者が、見た目で感激し、

(うまさのほどをそうぞうするだいいちいんしょうのたのしみであるから、)

美味さのほどを想像する第一印象の楽しみであるから、

(かなりじゅうようなしごととかんがえねばならぬ。)

かなり重要な仕事と考えねばならぬ。

(だから、いちりゅうりょうりやにたよるほかはない。)

だから、一流料理屋にたよるほかはない。

(いったい、なんによらず、あじのかんかくとかたちのびとは)

いったい、なんによらず、味の感覚と形の美とは

(きってもきれないかんけいにあるもので、)

切っても切れない関係にあるもので、

(あゆにおいては、ことさらにけいたいびをだいじにすることがたいせつだ。)

鮎においては、ことさらに形態美を大事にすることが大切だ。

(あゆはようしたんれいなさかなだ。)

鮎は容姿端麗なさかなだ。

(それでもさんちによって、たしょうのびしゅうがないでもない。)

それでも産地によって、多少の美醜がないでもない。

(あゆはようしがうつくしく、ひかりかがやいているものほど、あじにおいてもじょうとうである。)

鮎は容姿が美しく、光り輝いているものほど、味においても上等である。

(それだけに、やきかたのてぎわのよしあしは、)

それだけに、焼き方の手際のよしあしは、

(あゆくいにとってけっていてきなようそをもっている。)

鮎食いにとって決定的な要素をもっている。

(うまくくうには、いきおいさんちにいき、いちりゅうどころでくういがいにてはない。)

美味く食うには、勢い産地に行き、一流どころで食う以外に手はない。

(いちばんりそうてきなのは、つったものを、そのばでやいてくうことだろう。)

一番理想的なのは、釣ったものを、その場で焼いて食うことだろう。

(あゆはしおやきにしてくうのがいっぱんてきになっているが、)

鮎は塩焼にして食うのが一般的になっているが、

(じょうとうのあゆをあらいづくりにしてくうこともひじょうなごちそうだ。)

上等の鮎を洗いづくりにして食うことも非常なご馳走だ。

(わたしがまだこどもで、きょうとにいたころのことであった。)

私がまだ子どもで、京都にいた頃のことであった。

(あるひ、さかなやがあゆのあたまとほねばかりをたくさんもってきた。)

ある日、魚屋が鮎の頭と骨ばかりをたくさん持ってきた。

(あゆのみをとったのこりのもの、つまりあゆのあらだ。)

鮎の身を取った残りのもの、つまり鮎のあらだ。

(こざかなのあらなんていうのはおかしいが、)

小魚のあらなんていうのはおかしいが、

(なんといってもあゆであるから、それをやいてだしにするとか、)

なんといっても鮎であるから、それを焼いてだしにするとか、

(またはやきどうふやなにかといっしょににてくうとうまいにはちがいない。)

または焼き豆腐やなにかといっしょに煮て食うと美味いにはちがいない。

(それにしても、こんなにたくさんあるとはいったいどういうわけだろうと、)

それにしても、こんなにたくさんあるとはいったいどういうわけだろうと、

(こどもごころにふしぎにおもってきいてみた。)

子ども心にふしぎに思って聞いてみた。

(すると、さかなやのいうのには、きょうとのみついさんのちゅうもんで、)

すると、魚屋のいうのには、京都の三井さんの注文で、

(あゆのあらいをつくったこれはあらだという。)

鮎の洗いをつくったこれはあらだという。

(わたしはずいぶんぜいたくなことをするひともいるものだなあとおどろき、)

私はずいぶんぜいたくなことをする人もいるものだなあと驚き、

(かつかんしんした。それいらい、)

かつ感心した。それ以来、

(あゆをあらいにつくってくうほうもあるということをおぼえた。)

鮎を洗いにつくって食う法もあるということを覚えた。

(しかし、そのごずっとびんぼうしょせいであったわたしには、)

しかし、その後ずっと貧乏書生であった私には、

(そんなぜいたくはゆるされず、くうきかいがなかった。)

そんなぜいたくは許されず、食う機会がなかった。

(それでも、いまからもうにじゅうごねんもむかしになるが、)

それでも、今からもう二十五年も昔になるが、

(ついにわたしもこのあらいをおもうぞんぶんしょうみするきかいをえた。)

遂に私もこの洗いを思う存分賞味する機会を得た。

(かがのやまなかおんせんにとうりゅうしていたときのことである。)

加賀の山中温泉に逗留していた時のことである。

(やまなかおんせんのまちはずれに、こおろぎばしというゆかしいなまえのはしがあり、)

山中温泉の町はずれに、こおろぎ橋という床しい名前の橋があり、

(そのはしのたもとにますきろうというりょうりやがあった。)

その橋のたもとに増喜楼という料理屋があった。

(あゆとか、ごりとか、いわなとか、)

鮎とか、ごりとか、いわなとか、

(そういったふかいゆうこくにさんするぎょるいがつねにいかしてあって、)

そういった深い幽谷に産する魚類が常に生かしてあって、

(しかも、それがやすかった。)

しかも、それが安かった。

(ひなびたやまのなかのおんせんには、ろくにくうものがないから、)

ひなびた山の中の温泉には、ろくに食うものがないから、

(めしをくおうとおもえば、どうしてもそこへいくよりほかはなかった。)

飯を食おうと思えば、どうしてもそこへ行くよりほかはなかった。

(そんなわけで、わたしはよくますきろうへひとといっしょにくいにいった。)

そんなわけで、私はよく増喜楼へ人といっしょに食いに行った。

(そうしたけいぎょをくっているときに、)

そうした渓魚を食っているときに、

(ふとこどものころしったあゆのあらいのことをおもいだした。)

ふと子どもの頃知った鮎の洗いのことを思い出した。

(あゆもやすかったからではあるが、さっそくあゆのあらいをつくらしてくってみた。)

鮎も安かったからではあるが、さっそく鮎の洗いをつくらして食ってみた。

(おどろいた。とてもうまいのだ。)

驚いた。とても美味いのだ。

(なるほど、みついがしょうみしたわけだとがてんした。)

なるほど、三井が賞味したわけだと合点した。

(うまいにまかせて、そのときはずいぶんあらいをくった。)

美味いに任せて、その時はずいぶん洗いを食った。

(そうしてひとがたずねてくるたびに、ますきろうへあんないして、)

そうして人が訪ねて来るたびに、増喜楼へ案内して、

(あらいをつくらせてはごちそうした。)

洗いをつくらせてはご馳走した。

(ところが、しゅうかんとはみょうなもので、たいがいのひとは、あっさりくわない。)

ところが、習慣とは妙なもので、たいがいの人は、あっさり食わない。

(あたまはどうしたとか、ほねをすてちゃったのかとしんぱいする。)

頭はどうしたとか、骨を捨てちゃったのかと心配する。

(とうじ、きょうとそうばならにえんくらいもするあゆが、)

当時、京都相場なら二円くらいもする鮎が、

(いちびさんじゅっせんぐらいでしじゅうくえたのだ。)

一尾三十銭ぐらいで始終食えたのだ。

(それがあらいにすると、いちにんまえがいちえんいじょうにつく。)

それが洗いにすると、一人前が一円以上につく。

(あゆをそんなふうにしてくっては、なんとなくもったいないような、)

鮎をそんなふうにして食っては、なんとなくもったいないような、

(わるいようなきがして、うまいとはしっても、ゆうきのでにくいものである。)

悪いような気がして、美味いとは知っても、勇気の出にくいものである。

(しかし、ところをえれば、あらいはいまでもやる。)

しかし、ところを得れば、洗いは今でもやる。

(このあゆのあらいからひんとをえて、わたしはそのご、)

この鮎の洗いからヒントを得て、私はその後、

(いわなをあらいにしてくうことをおもいついた。)

いわなを洗いにして食うことを思いついた。

(いわなはご、ろくすんぐらいのおおきさのものをあらいにすると、)

いわなは五、六寸ぐらいの大きさのものを洗いにすると、

(あゆにおとらぬうまさをもっている。)

鮎に劣らぬ美味さを持っている。

(あゆはそのほか、ぎふのぞうすいとか、かがのくずのはまきとか、)

鮎はそのほか、岐阜の雑炊とか、加賀の葛の葉巻きとか、

(たけのつつにいれてやいてくうものもあるが、)

竹の筒に入れて焼いて食うものもあるが、

(どれもほんかくのしおやきのできないばあいのほうほうであって、)

どれも本格の塩焼きのできない場合の方法であって、

(いわばげんしてきなくいかたであり、いずれもすぐれたくいかたではあるが、)

いわば原始的な食い方であり、いずれも優れた食い方ではあるが、

(かならずしもいちばんよいほうほうではない。)

必ずしも一番よい方法ではない。

(それをわざわざとうきょうでまねてよろこんでいるものもあるが、)

それをわざわざ東京で真似てよろこんでいるものもあるが、

(そういうひとは、あゆをとりっくでくう、)

そういう人は、鮎をトリックで食う、

(いわゆるしばいぐいにまんぞくするやからではなかろうか。)

いわゆる芝居食いに満足する輩ではなかろうか。

(やはり、あゆは、ふつうのしおやきにして、)

やはり、鮎は、ふつうの塩焼きにして、

(うっかりくうとやけどするようなあついやつを、)

うっかり食うと火傷するような熱い奴を、

(がぶっとやるのがこうばしくてさいじょうである。)

ガブッとやるのが香ばしくて最上である。

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