日本婦道記 梅咲きぬ 山本周五郎 ③

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姑「かな女」は加代の習い事を理由なく辞めるようにすすめるが・・・

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(かれはははのひとがらをそんけいしている。)

彼は母のひとがらを尊敬している。

(よにまたとなきははだとしんじている、かなじょはみぶんのひくいいえにうまれ、)

世にまたとなき母だと信じている、かな女は身分の低い家にうまれ、

(じゅうろくのときこのたがけへとついできた、たがはまえだけの)

十六のときこの多賀家へとついで来た、多賀は前田家の

(じゅうしょくのいえがらで、ちちのさぶろうざえもんはわかどしよりをつとめていた。)

重職のいえがらで、父の三郎左衛門は若年寄をつとめていた。

(そだちがひくいのでどうかとあやぶまれたが、)

育ちが低いのでどうかとあやぶまれたが、

(かなじょはにせんごくのかせいをみごとにきりもりした。)

かな女は二千石の家政をみごとにきりもりした。

(そのてんではけんぷじんとなにたったくらいである。)

その点では賢夫人と名に立ったくらいである。

(かれはいまでもおぼえている、ちちがりんじゅうのとき、)

彼はいまでも覚えている、父が臨終のとき、

(ふとははのほうをふりかえって、ーーおまえとはさんじゅうごねんも)

ふと母のほうをふりかえって、ーーおまえとは三十五年も

(ひとついえにすんできたが、とうとういちどもしかるおりがなかったな。)

ひとつ家に住んで来たが、とうとう一度も叱るおりがなかったな。

(そういってかすかにわらった。)

そう云ってかすかに笑った。

(ほんとうにさぶろうざえもんはいちどもかなじょにあらいこえをたてたことがなかった。)

本当に三郎左衛門はいちどもかな女に荒いこえをたてたことがなかった。

(そういうははであったが、ひとつだけどうにもならぬものがあった、)

そういう母であったが、ひとつだけどうにもならぬものがあった、

(それはものにあきやすいきしつだった。)

それはものに飽きやすい気質だった。

(ろうしょくのつまとしてきょうようをみにつけたいというきもちであろう、)

老職の妻として教養を身につけたいという気持であろう、

(かせいをとるいとまにちゃのゆ、はな、こと、)

家政をとるいとまに茶の湯、華、琴、

(つづみなどというげいごとをずいぶんねっしんにならった、)

鼓などという芸事をずいぶん熱心にならった、

(またしょうとくさかしいかのじょはそのひとつひとつにすぐれたさいぶんをあらわして、)

また生得さかしい彼女はその一つ一つにすぐれた才分をあらわして、

(そのみちのしたちをおどろかしたものであるが、)

その道の師たちをおどろかしたものであるが、

(どれもすえをとげたものがなかった。)

どれも末を遂げたものがなかった。

など

(もういっぽというところまでゆくとかならずあきてすててしまった。)

もう一歩というところまでゆくと必ず飽きて捨ててしまった。

(ではもうやめるかとおもうと、つぎにはえをやりれんがをならい、)

ではもうやめるかと思うと、つぎには絵をやり連歌をならい、

(しをべんきょうし、はいかいにまでてをのばした、そしてどのひとつもついに)

詩を勉強し、俳諧にまで手をのばした、そしてどの一つもついに

(おくをきわめるところまでゆかずにすててしまった。)

奥をきわめるところまでゆかずに捨ててしまった。

(かがのかみつなのりはそのころてんかのめいさいしょうといわれ、)

加賀守綱紀はそのころ天下の名宰相といわれ、

(ぶんちぶちともにすぐれたちせきをあげたが、)

文治武治ともにすぐれた治績をあげたが、

(なかにもがくげいにはもっともちからをそそぎ、)

なかにも学芸には最もちからを注ぎ、

(なあるきょじゅめいしょうをまねいておおいにはんぷうをしんこうした。)

名ある鉅儒名匠を招いておおいに藩風を振興した。

(あらいはくせきはかしゅうを「てんかのしょふなり」といい、)

新井白石は加州を「天下の書府なり」と云い、

(おぎうそらいは「かえつのうさんしゅうにきゅうみんなし」といった。)

荻生徂徠は「加越能三州に窮民なし」と云った。

(またみんのそうこうせんはぶんせんおうのちせいにひして)

また明の僧高泉は文宣王の治世に比して

(「さらにすうほをすすめたるもの」とさえしょうした。)

「さらに数歩を進めたるもの」とさえ称した。

(なだかいかがののうがくも、つなのりのよにしっかりとかなざわに)

名だかい加賀の能楽も、綱紀の世にしっかりと金沢に

(ねをおろしたのである。こういうありさまなので、)

根をおろしたのである。こういうありさまなので、

(しぜんぶけのふじんたちのあいだにもぶんがくぎげいがさかんだった。)

しぜん武家の婦人たちのあいだにも文学技芸がさかんだった。

(うたかい、ちゃかい、ようきょくのつどいなどがしばしばもよおされ、)

歌会、茶会、謡曲の集いなどがしばしば催され、

(ずいぶんすくれたさいえんもあらわれた。)

ずいぶんすくれた才媛もあらわれた。

(かなじょはそういうひとびとのなかでつねにとうかくをぬきながら、)

かな女はそういう人々のなかでつねに頭角をぬきながら、

(なにひとつすえとげたものがなかったので、ーーあれだけのさいがありながら。)

なに一つ末遂げたものがなかったので、ーーあれだけの才がありながら。

(とそのあきやすいきしつをおしまれたものであった。)

とその飽きやすい気質を惜しまれたものであった。

(かよがたがけへかしてきてさんねんになる、)

加代が多賀家へ嫁して来て三年になる、

(じっかにいたときからつづみをやっていたかのじょは、)

実家にいたときから鼓をやっていた彼女は、

(たがけへきてからもおっとのゆるしをえてけいこをつづけた、)

多賀家へ来てからも良人のゆるしを得て稽古をつづけた、

(しかしはんとしほどするとしゅうとめのかなじょが、もうやめたらどうかといいだした。)

しかし半年ほどすると姑のかな女が、もうやめたらどうかと云いだした。

(つづみはもうそのくらいにしてちゃのゆをけいこしてごらん。)

鼓はもうそのくらいにして茶の湯を稽古してごらん。

(もうすこしとおもったけれど、かよはしゅうとめのいうままに)

もう少しと思ったけれど、加代は姑のいうままに

(つづみをやめてちゃのゆをはじめた、まえにいちおうみちがあいているので、)

鼓をやめて茶の湯をはじめた、まえにいちおう道があいているので、

(すすみかたもはやかったしきょうみもふかくなったが、)

進みかたもはやかったし興味も深くなったが、

(またはんとしほどするとそれをやめてわかにつかせられた。)

また半年ほどするとそれをやめて和歌につかせられた。

(そのころちゅういんみちみきょうのもんじんですがましずといううたがくしゃが)

そのころ中院通躬卿の門人で菅真静という歌学者が

(まえだけにめしかかえられていた。かよはそのもんにはいったのである。)

前田家にめしかかえられていた。加代はその門に入ったのである。

(じゅういちにさいのじぶんからしんこきんちょうのてほどきをうけていたかのじょは、)

十一二歳のじぶんから新古今調の手ほどきをうけていた彼女は、

(つづみやちゃのゆのときよりかくべつねっしんにまなび、)

鼓や茶の湯のときよりかくべつ熱心にまなび、

(えいそうのせいせきもめきめきとあがった。)

詠草の成績もめきめきとあがった。

(このみちこそはおくをきわめてみたい。じぶんでもそうおもい、)

この道こそは奥をきわめてみたい。自分でもそう思い、

(しのましずもとりわけしんせつにしどうしてくれた。)

師の真静もとりわけ親切に指導して呉れた。

(とうじはかどうなどにもくでん、ひでんなどというものがあって、)

当時は歌道などにも口伝、秘伝などというものがあって、

(それはしのいはつをつぐものか、よほどしゅうばつなものでないと)

それは師の衣鉢をつぐ者か、よほど秀抜なものでないと

(あたえられなかった、かよのめざましいしんぽは、)

与えられなかった、加代のめざましい進歩は、

(まもなくそのおうぎゆるしをうけられるところまできていたのである。)

間もなくその奥義ゆるしを受けられるところまで来ていたのである。

(こういうはんめんに、むろんかのじょはたがけのしゅふとして)

こういう反面に、むろん彼女は多賀家の主婦として

(りっぱにそのつとめをはたしていた。ぶけでにせんごくというと)

りっぱにそのつとめをはたしていた。武家で二千石というと

(たいしんのほうで、けらいこもののかずもすくなくはない、)

大身のほうで、家来小者の数も少なくはない、

(かせいのきりまわしもそこつなことではむつかしいのである、)

家政のきりまわしも粗忽なことではむつかしいのである、

(かよはわかいけれどもしゅうとめのしどうをまもってよくはたらいた。)

加代は若いけれども姑の指導をまもってよく働いた。

(おっとにつかえることもていせつだった、そのことはしんぞくのあいだにもひょうばんで、)

良人に仕えることも貞節だった、そのことは親族のあいだにも評判で、

(たがのよめはしゅうとめにおとらぬできものだ。といわれているほどだった、)

多賀の嫁は姑に劣らぬ出来者だ。と云われているほどだった、

(だからなおてるもわかのみちだけは、かよのさいのうをじゅうぶんに)

だから直輝も和歌の道だけは、加代の才能を充分に

(のばしてやりたいとおもっていたのである。)

伸ばしてやりたいと思っていたのである。

(それが、つづみやちゃのゆのときとおなじように、またしてもははから)

それが、鼓や茶の湯のときとおなじように、またしても母から

(やめろといわれたときいて、かれはすくなからずとうわくをし、)

やめろと云われたと聞いて、彼はすくなからず当惑をし、

(どうじにまたむかしからのははのうつりぎなせいしつをおもいだしたのであった。)

同時にまた昔からの母の移り気な性質を思いだしたのであった。

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