ちくしょう谷 ⑩
そこには兄の仇の西沢半四郎がいた。
※一部表現により公開できなくなっていたため、削除した箇所があります。非常に迷いましたが、タイピングの練習が目的である事を考慮し削除することといたしました。
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問題文
(はやとはやすんでいるあいだに、るにんむらのきろくをくわしくよんだ。)
隼人は休んでいるあいだに、流人村の記録を詳しく読んだ。
(おなじものはまちぶぎょうしょにもあるが、それはほうこくするひつようのあるけんだけで、)
同じものは町奉行所にもあるが、それは報告する必要のある件だけで、
(こちらはそのげんぽんであるため、きじははんさなくらいしょうさいにつづられていた。)
こちらはその原本であるため、記事は煩瑣なくらい詳細に綴られていた。
(じょうかからはじめてるにんがおくりこまれたのは、やくひゃくよんじゅうねんまえのことで、)
城下から初めて流人が送り込まれたのは、約百四十年まえのことで、
(そのせいがはいしされたさんじゅうねんまえまでに、るざいになってきたもののかずは)
その制が廃止された三十年まえまでに、流罪になって来た者の数は
(はちじゅうしちにんであった。じょしゅうもごにんあったが、このうちひとりはびょうし、)
八十七人であった。女囚も五人あったが、このうち一人は病死、
(ほかのよにんはさんねんからごねんのあいだに、つみをとかれてやまをおりていた。)
他の四人は三年から五年のあいだに、罪を解かれて山をおりていた。
(またおとこのざいにんのうち、とうにんのぎょうじょうがよく、さいしがあってきぼうすれば、)
また男の罪人のうち、当人の行状がよく、妻子があって希望すれば、
(むらへよびよせることがゆるされてい、ひゃくよねんのあいだに、)
村へ呼びよせることが許されてい、百余年のあいだに、
(そういうれいがきゅうかいきろくしてあった。しかしそれらはつまだけのばあいで、)
そういう例が九回記録してあった。しかしそれらは妻だけの場合で、
(こどもをつれてきたれいはひとつもなかった。)
子供を伴れて来た例は一つもなかった。
(むらでのろうえきはごようりんのさぎょうと、やまみちのせいびとで、)
村での労役は御用林の作業と、山道の整備とで、
(のうこうは(こうれいちのためほとんどふかのうだったが)ゆるされておらず、)
農耕は(高冷地のため殆んど不可能だったが)許されておらず、
(しょくりょうははんからきゅうよされていた。こめはなく、むぎ、ひえ、あわ、)
食糧は藩から給与されていた。米はなく、麦、稗、粟、
(もろこしなどのざっこくに、しおびきのさけ、ひだら、にぼし、)
もろこしなどの雑穀に、塩引の鮭、干鱈、煮干、
(そしてほしたやさいなどであるが、さけやひだらはたいてい)
そしてほした野菜などであるが、鮭や干鱈はたいてい
(きどでとりあげてしまうようであった。)
木戸で取りあげてしまうようであった。
(むらのにちじょうせいかつについてはきろくがない。ろうえきのじょうたいと、)
村の日常生活については記録がない。労役の状態と、
(ねんいっかいのにんずうしらべと、ししゃのなと、さっしょう、けんか、やまぬけなど、)
年一回の人数しらべと、死者の名と、殺傷、喧嘩、山ぬけなど、
(あったじけんがかいてあるだけで、だんじょのかずのたいひもあきらかではないし、)
あった事件が書いてあるだけで、男女の数の対比も明らかではないし、
(というのは、きろくはるざいにんだけにかぎられており、)
というのは、記録は流罪人だけに限られており、
(つまがゆるされておっとといっしょになっても、)
妻が許されて良人といっしょになっても、
(きろくにはのせないからであるが、またこどもがいくにんうまれ、)
記録にはのせないからであるが、また子供が幾人生れ、
(そのこがどうそだてられるかということも、しっぺいにかんすることも)
その子がどう育てられるかということも、疾病に関することも
(しるしてはなかった。さすがねんだいがさがってからは、かぞくのかずやだんじょべつの)
記してはなかった。さすが年代が下ってからは、家族の数や男女別の
(にんずうがしらべてある。だが、それさえもじゅうねんいぜんのしらべがさいごで、)
人数がしらべてある。だが、それさえも十年以前のしらべが最後で、
(それからさんねん、おなじけいすうがかかれただけでおわっていた。)
それから三年、同じ計数が書かれただけで終っていた。
(「おもったとおりだ」ざっとめをとおしてから、はやとはそうつぶやいた、)
「思ったとおりだ」ざっと眼をとおしてから、隼人はそう呟やいた、
(「るざいになってきたものはみなしんでいる、いまいるじゅうみんのなかには)
「流罪になって来た者はみな死んでいる、いまいる住民の中には
(ひとりのざいにんもいない」むらでうまれたこは、)
一人の罪人もいない」村で生れた子は、
(みなははおやのなしかかいてなかった。)
みな母親の名しか書いてなかった。
(ちちがざいにんであるために、そうしたのだとおもわれるが、)
父が罪人であるために、そうしたのだと思われるが、
(ははおややむすめにどうめいのものがすくなくないため、おやこ、ふうふ、)
母親や娘に同名のものが少なくないため、親子、夫婦、
(いんせきのつながりがよくわからず、ぜんたいとして、)
姻戚のつながりがよくわからず、ぜんたいとして、
(だんじょかんけいのこんらんしていることがそうぞうされた。)
男女関係の混乱していることが想像された。
(ちくしょうだになどとよばれるのは、そんなこともげんいんのひとつだろうか。)
ちくしょう谷などと呼ばれるのは、そんなことも原因の一つだろうか。
(はやとはかたをおとした。おしのけようとしててをかけたいわが、)
隼人は肩を落した。押しのけようとして手を掛けた岩が、
(せんかんもあるきょがんだとわかったときのような、おもくるしく、)
千貫もある巨巌だとわかったときのような、重くるしく、
(やりきれないきぶんにおそわれたのであった。しょうないろうじんも、)
やりきれない気分におそわれたのであった。正内老人も、
(かれらをかいほうしあたらしいせいかつにつかせることは「こんなんである」といった。)
かれらを解放し新しい生活につかせることは「困難である」と云った。
(かれらがながいねんげつにわたって、にんげんばなれのしたせいかつをしてきたとすれば、)
かれらが長い年月にわたって、人間ばなれのした生活をして来たとすれば、
(にんげんらしいせいかつにおそれをかんじるのはとうぜんであろう。)
人間らしい生活におそれを感じるのは当然であろう。
(それなら、このむらでにんげんらしいせいかつをはじめさせるがいい、)
それなら、この村で人間らしい生活をはじめさせるがいい、
(とはやとはおもった。「もしもそれがせんかんもあるきょがんで、にんげんのちからでは)
と隼人は思った。「もしもそれが千貫もある巨巌で、人間の力では
(おしのけることができないとしたら」とかれはじぶんのてをみながらいった、)
押しのけることができないとしたら」と彼は自分の手を見ながら云った、
(「のみとつちとで、はしからすこしずつかいてゆくがいい、)
「鑿と槌とで、端から少しずつ欠いてゆくがいい、
(そのくらいのしんぼうはできるはずじゃないか」)
そのくらいの辛抱はできる筈じゃないか」
(はやとはたんねんにきろくをよみかえした。かれはるにんむらのれきしを)
隼人は丹念に記録を読み返した。彼は流人村の歴史を
(よくのみこんでおきたかった。かれらにちかづくには、かれらのでんとうや)
よくのみこんでおきたかった。かれらに近づくには、かれらの伝統や
(かんしゅうをしらなければならない。こちらのしあんをおしつけるより、)
慣習を知らなければならない。こちらの思案を押しつけるより、
(かれらをないぶからうごかすことが、このばあいにはとくにだいじであるとおもった。)
かれらを内部から動かすことが、この場合には特に大事であると思った。
(まえにもしるしたように、きろくからはえるものはすくなかった。)
まえにも記したように、記録からは得るものは少なかった。
(みっつうしゃをばっしたこと。おとこはじゅうしちはちになると「やまぬけ」をするものがおおいこと。)
密通者を罰したこと。男は十七八になると「山ぬけ」をする者が多いこと。
(おんなはごくまれなれいをのぞいて、だいぶぶんがむらからうごかないこと。)
女はごくまれな例を除いて、大部分が村から動かないこと。
(そのためだんじょのひりつがしだいにせっきんし、わかいねんれいでは、)
そのため男女の比率がしだいに接近し、若い年齢では、
(おとこよりおんなのかずのほうがはるかにおおいこと、などがわかったていどであった。)
男より女の数のほうがはるかに多いこと、などがわかった程度であった。
(そのなかでひとつ、やくろくじゅうねんまえのできごとだが、はやとのちゅういをひくきろくがあった。)
その中で一つ、約六十年まえの出来事だが、隼人の注意をひく記録があった。
(せいかくにはごじゅうはちねんいぜんのふゆのことで、そのときひゃくにじゅうよにんいたじゅうみんの、)
正確には五十八年以前の冬のことで、そのとき百二十余人いた住民の、
(ほとんどはんすうがしんだという、きかいなきじであった。)
殆んど半数が死んだという、奇怪な記事であった。
(もうふぶきのため、はつかあまりるにんむらのみまわりができなかった。)
猛吹雪のため、二十日あまり流人村の見廻りができなかった。
(こういうかきだしで、みまわりにいってみると、ごじゅうよにんがしんでおり、)
こういう書きだしで、見廻りにいってみると、五十四人が死んでおり、
(いきのこっていたじゅうみんのはんすういじょうがきょうらんじょうたいで、おやがこを、おっとがつまを、)
生き残っていた住民の半数以上が狂乱状態で、親が子を、良人が妻を、
(せめてい、とめられるかぎりはとめたが、それらのなかからも)
責めてい、止められる限りは止めたが、それらの中からも
(さらによにんのししゃがでた。あまりのむごたらしさ、そうぞうをぜっする)
さらに四人の死者が出た。あまりのむごたらしさ、想像を絶する
(このざんぎゃくさはどうしたことか、きのたしかなものをよびあつめてきいてみると、)
この残虐さはどうしたことか、気のたしかな者を呼び集めて訊いてみると、
(「やしちのむすめにきつねがついた」ということであった。)
「弥七の娘に狐が憑いた」ということであった。
(とおかほどまえに、ふぶきのなかをひとりのぎょうじゃがきて、やどをもとめた。)
十日ほどまえに、吹雪の中を一人の行者が来て、宿を求めた。
(ほねばかりのようにやせた、はくはつのめのおおきなろうじんであったが、)
骨ばかりのように痩せた、白髪の眼の大きな老人であったが、
(やしちのむすめがびょうきでねているときき、なおしてやるといってきとうした。)
弥七の娘が病気で寝ていると聞き、治してやると云って祈祷した。
(しかしすぐに、このむすめにはわるきつねがついているから、)
しかしすぐに、この娘には悪い狐が憑いているから、
(それをおいださなければならないといった。そこでまつばいぶしにかけ、)
それを追い出さなければならないと云った。そこで松葉いぶしにかけ、
(きんじょのものをあつめていっしょにじゅもんをとなえだした。)
近所の者を集めていっしょに呪文を唱えだした。
(じゅもんはかんたんなもので、みんなすぐにおぼえたし、ぎょうじゃのあとについて)
呪文は簡単なもので、みんなすぐに覚えたし、行者のあとについて
(ねっしんにしょうわした。そのうちにむすめがあばれだした、びょうきのところを)
熱心に唱和した。そのうちに娘が暴れだした、病気のところを
(まつばいぶしにかけられ、ろうするようなたぜいのじゅもんをきかされて)
松葉いぶしにかけられ、ろうするような多勢の呪文を聞かされて
(ぎゃくじょうしたらしい。いようなさけびごえをあげながら、いえのなかをくるいまわった。)
逆上したらしい。異様な叫び声をあげながら、家の中を狂いまわった。